第1話「X.X.Xプリンセス登場!」part-A
兵器として生まれ変わってから、人間と変わらぬ自分の姿に拍子抜けした。
鏡に映し出されているのは、ただの年頃の少女に過ぎない。
といっても、元より少女としては長身で、ボーイッシュがすぎる凛々しい顔立ちだ。もし髪を短くしたら、男女の判別がつかなくなるのではないかと、昔から何度となく言われてきた。
もちろん胸は人並みに膨らんでいるし、腰もくびれている。女の子としてのパーツが生きていて、触れた感じも手術を受ける前と変わりがないのは、自分は本当に改造人間となったのだろうかと疑問さえ抱いた。
もっと怪物的な姿を覚悟していた。
それが、これだ。
「お前はもう人間ではなくなった」
父親の非情な言葉に実感が持てなかった。
「兵器として戦い、兵器として生き続ける。そして全ての組織を滅ぼすことが君の使命だ」
父親は科学者だった。
だが、どういうわけか母親と離れて暮らしていて、だから『あの惨劇』を体験するまで、父親の顔を写真でしか知らなかった。初めて会ったときから、父が父であると実感できず、それでも血の繋がりがあるらしいから、故郷を離れて父の元に暮らしていた。
「連中は多次元統合という偉業を成し遂げたいつもりでいる。しかし、その実態は自分達だけが幸せとなり、自分達だけにとってのユートピアを実現する。多次元人口の大半を奴隷として扱うことを厭わない連中なのはわかっているな」
「だから手術を受けた。この私の体が、本当に兵器になったのか」
「さっそく、試してみるといい」
鉄パイプがいとも簡単にぐにゃりと曲がった。ストローを折り曲げる程度の気持ちで、恐ろしく簡単に変形させることができていた。
脱力しているうちは、金属にあるべき硬さというものを確かに感じた。
しかし、力を加えた瞬間から、これは本当に硬い物体なのかと疑うほど、実は変形しやすい柔らかな素材だったのかと思ってしまうほど、金属を折り曲げることが簡単だった。手を離せば握った手形まで取れていた。
初めて、自分が改造人間となった実感を抱いた。
「隼乃。これでお前は不死身の肉体を手に入れた。あとは戦い、勝つだけだ。ありとあらゆる悪を滅ぼし、人間の自由を取り戻せ!」
このとき、隼乃は十三歳。
十六歳を迎えた四月。隼乃はこの世界から旅立った。
隼乃が見た最初の世界は、人間達が自由に社会を築き上げ、自由に生活している平和で理想的な世界だった。
そんな平和な世界にも、格差や貧困、人間同士による虐待や犯罪、著名人による不祥事など、様々な問題を抱えていたが、そうした世界であっても隼乃にとっては、元の世界と比べてずっとずっと理想的で、不便の少ない世界に見えた。
――人間の自由を取り戻せ!
父親から受け取った言葉が、隼乃の心に深く染みついていた。
††
近頃の龍黒県は、不思議と事件が増えていた。
いや、県内はおろか日本各地でさえ、原因不明とされる事例が多数発生している。
火災報道で炎上したビルの映像が流れるも、出火原因がわからないまま、また次々と原因のわからない出来事が相次いだ。
連続して器物や路面が壊される。
銅像が粉々に砕け、道路にクレーターが出来るなど、何らかの危険物を使用して、誰かが人為的に壊したとみられる破壊の痕跡が報道されるも、犯人不明のまま事例だけが増えていく。
ついには殺人。
さらに行方不明の事件も増え、世間はこのおかしさに気づきつつあった。
何かがおかしい。不穏なことが多すぎる。
しかし、未だに最前線で捜査を行う警察ですら、この不穏な事件に数々について解明できていないのだ。
治安が急激に悪化したという事実だけが、世間に深く染み渡り、人々はどこか今までよりも警戒心をもって生活していた。
††
南条光希は指貫グローブを嵌めた両手でハンドルを握り、車道にバイクを走らせる。
十六歳、高校一年。
裕福な家庭に育ち、偏差値が高い分だけ校則の緩い高校に入った光希は、四月の誕生日を迎えるなり免許の取得を済ませていた。金もそうだが、小学生の頃からモトクロス経験を積み、初めから運転技術が身に付いていたことも大きい。
別に急いで免許を取りたかった理由はない。
しかし、高校の入学祝いと誕生日プレゼントを兼ねて、父親が買ってくれるというので、そうなると早めに乗りたい気にもなってのことで、免許は最速で取得した。
ある日のことだった。
今日も目的地に向かって走る光希は、正面から来る同い年の女のバイクとすれ違う際、心をすぅっと吸い込まれるような体験をした。
目と目が、合った。
ぴたりと、時が止まった。
スピードの中で後方へ流れていく視界の景色が、突如として静止して、何もかもが止まったも同然のスローモーションへと飲み込まれる。
脳の物質分泌などにより、例えば生命の危機に陥るとき、あるいはボクサーがパンチを受けるとき、景色が止まって見えることがあるという話は有名だ。
しかし、光希の場合は事故に遭いかけたわけでも何でもない。
ただ、目が合ったのだ。
銀色のマシンに跨る黒ジャケットの長身少女と、ヘルメットのバイザーを介して、お互いに視線が重なり合う。
ずっと、長い時間をかけて見詰め合ったような気がした。
まるで魔法にでもかかったように、釘付けになった視線が動かなくなり、頭の中身も真っ白に塗り潰され、ただただ相手の瞳だけに魅入られた。
そして――
――ハッ!
光希は唐突に目を覚ました。
たった今まで夢を見ていて、不意に現実に戻ってきた心地であったが、バックミラーに映る黒ジャケットの背中が、夢が夢でないことを告げていた。
あの子は誰だったのだろう。
この辺りに住んでいるのか。近くの学校に通っているのか。一度気にしたら次から次へと、黒ジャケットの正体が気にかかり、またどこかで会えはしないかとさえ思い始めた。
――一ノ瀬隼乃。
光希とすれ違った彼女自身も、全く同じ気持ちにかられていた。
††
龍黒県、ブルーランド。
そこが南条光希の目的地だった。
県内では最も大きな遊園地で、観覧車やジェットコースターなど言うまでもなく、他にも数多くの人気アトラクションを抱えている。
駐車場にバイクを停め、日曜日の賑わいの中へと紛れ込むのはバイトのためだ。純粋に楽しむ目的で来ることはない。むしろエンターテインメントを提供する側の人間として、働くためにここを訪れることの方が日常だ。
現場へ向かっている最中に、光希はふと風船を手放してしまう男児を見た。
不注意だ。風で目にゴミでも入ってか、何でかで、思わず手を離してしまったのだ。
「あ!」
男児は咄嗟に手を伸ばし、風船を逃がすまいとするのだが、それよりも早く舞い上がり、上へ上へと、みるみるうちに上昇してしまう。
果たして、どうであろうか。
周囲に人が多すぎないか。近くに生えている木は使えるか。咄嗟に辺りを確認して、いけると踏んだ光希は、すぐに駆け出し飛び上がった。
「トォウ!」
まず木の枝の高さまで飛び上がり、その枝を踏み台により高い位置まで上昇する。
そんな芸当を軽々とやってのけ、風船の紐を掴み取った光希は、地上数メートルという若干危険な高さから、鮮やかにふんわりと、膝のクッションを利かせて衝撃などほとんど殺し、適切な着地をこなしていた。
「はい。どうぞ」
「あ、ありがとうございます! ほら、茂もお礼言いなさい」
同い年ほどの顔立ちから、きっと姉弟なのだろう。
「ありがとうございます!」
「どういたしまして――ん? 仮面バイザーブラックか」
男児がその手に握る人形を見て、光希は思わず反応する。
仮面バイザーブラック。
実際に放送されていたのは昭和年代だが、客演による登場や児童向け雑誌による紹介か、あるいはレンタルショップあたりで、たまたま古いものに興味を持ったのだろう。動画配信サイトも含めれば、そういったものが充実していなかったらしい時代に比べて、随分と昔の作品に触れる機会は多いはずだ。
自分の好きだった作品を子供に見せたがる。といった親も世の中にはいるだろう。
何せ光希自身が、小さい頃は古いものを見た子供だったのだ。
今の時代、昭和ヒーローにもある程度の人気があった。
「うん! これからみにいくんだよ」
「そっかー。もうすぐヒーローショーの時間だもんね」
そんな昔のヒーローに興味を持つ子供のニーズを考えて、今日のイベントの主役には仮面バイザーブラックが選ばれている。
とても、微笑ましいことに思えた。
光希とて昭和時代には生まれてすらいなかったが、似たような理由から古いヒーローが好きになり、今でも幼少当時にはまった昭和ヒーローを支持している。
そう、ブラックだ。
自分にとって思い入れのあるものが、目の前の男児にも愛されている。それがどことなく嬉しく思えて、光希は優しく微笑んでいた。
「それでは、私はこれで」
姉に挨拶を行いつつ、男児にも軽く手を振る。
「ばいばーい」
そう言って、光希はその場を去っていった。
††
五歳児である茂が仮面バイザーブラックにはまったのは、姉に連れられたレンタルショップでヒーロー作品を選ぶとき、古い作品が何となく目についてのことである。
一番好きなのは、今年に放送中の最新ヒーローだ。
しかし、ブラックにも確かにはまって、それが二番目に好きだった。
放送中の作品なら、ある意味では毎週見られる。触れる機会が最も多くて、だから一番好きなのだが、古いヒーローが新しい活躍をする機会は限られる。
茂の家の場合は、姉がレンタルショップの方に慣れ親しんでいる。そうそう何本も、たくさんの作品を視聴するわけではないこともあり、ネット配信サイトに加入するより、店舗に通うことを選ぶのだ。
だから、ブラックを見るためには、いちいち姉に頼んで借りてもらう必要がある。それを面倒臭がるせいで、頼んでも借りてくれない時もある。見たいのに触れる機会が絞られる。それが理由で茂の中では二番手に落ちていた。
だが、今回はブラックが登場する。
滅多にお目にかかれないブラックの活躍が、茂にはとても楽しみだった。
開始時間は今か今かと、先ほどの格好いいお姉さんに取ってもらった風船を握り締め、とても楽しげに待ちわびている。
『みなさーん! こんちにはー!』
やがて司会進行役のお姉さんが、マイクを片手に客席に呼びかける。
いよいよ始まることがわかって、茂はすぐに興奮した。
『良い子のみんな? 今日はこーんなにたくさん集まってくれてありがとう。では早速ですが、お待ちかねの仮面バイザーブラックの登場だよ? みんなで一緒に? せーの!』
「ブラックー!」
子供達の声が重なった。
茂も、大きな声でステージに向かって呼びかけていた。
その呼びかけに応じるようにして、裏方の音響がステージにBGMをかけていた。それはテレビ本編でも使われるテーマ曲で、本編映像の中では主に変身シーンや戦闘開始の局面で流されている。
そんなサウンドに合わせて、ステージ上に一人の黒い戦士が現れた。
バイクヘルメットを模した黒いマスクデザインで、手足や胸など、あらゆる部位をプロテクターで保護しつつ、腰にはベルトを埋め込んでいる。
「仮面バイザー! ブラァック!」
バイザーブラックがポーズを決めると、一気に会場は沸き立った。
茂も、より一層興奮していた。
††
仮面バイザーブラックを演じる『彼女』は、ステージ上に並び立つ五体の蜘蛛怪人と対峙していた。
まさかスーツアクターが女性とは、誰も想像すらしないだろう。
私生活ですら、遠目に男と間違えられたことがある。
一七八センチという高身長のせいもあるだろうが、髪も長くはしていない。いや、一応伸ばしてはいるし、結べば何とかポニーテールを作れなくもない。しかし、男子の長髪でもありえる長さで、ある程度近づかなければ性別がわかりにくいとはよく言われる。
それにバイザーブラックのスーツでは、女としての体格も隠れるので、もはや中身が女とわかる要素はどこにもない。
それが面白いと、『彼女』はいつも思っている。
演技によって別人になりきるのは当たり前だが、スーツで顔が出ない分だけ、より一層の意味で自分が別人化している気がするのだ。
なにせあくまでも、ヒーローはヒーローで怪人は怪人だ。
着ぐるみだとわかっていても、純粋に楽しもうとする人間が、わざわざ冷めた現実について考えるとは限らない。種や仕掛けが存在するとわかっていてもマジックショーに感動する人間がいるように、素直に楽しむ人間の頭の中にはスーツアクターなどいちいちいない。
だからこそ、ある意味ではステージに元の自分さえも存在しない。誰も中身が女だと知ることすらなく、バイザーブラックのことはバイザーブラックとして見て終わるのだ。
さらに言えば、バイザーブラックに変身するのは、本編映像に登場する主人公であり、ともすれば中身は男性主人公なんだということにさえ、観ている人達の頭の中ではなっているかもしれない。
俳優になりたかったり、アイドルを目指す人間なら、できれば顔を出したいだろう。
スーツ専門でも構わない『彼女』にとって、自分が存在しなくなるほどの勢いで別人になりきるのは、それだけの気合いの世界に思えるのだ。
今の自分は仮面バイザーブラックであり、怪人に着替えれば怪人以外の何者でもない。自分という存在を着替えた先の着ぐるみで塗り潰す。そうやって、ありとあらゆる別人になっていくのが面白い。
それに、アクションもそうだ。
「トゥア!」
バイザーブラックは実戦というより見栄えを重視した上段回し蹴りで、より華麗かつ鮮やかに蜘蛛怪人を蹴り飛ばした。
ここで行うアクションは、客向けのパフォーマンスだ。
スーツアクターが行う稽古として、本番前のリハーサル以外にも、日頃は武術や体操競技の練習をこなす。基本的な格闘術から剣術に棒術まで、あらゆる技法を習得はしているが、武術的に正しいフォームを必ずしも採用するわけではない。
例えば距離が遠ければ、細やかな動きわかりにくい。わかりやすくするため、あえて大げさなパンチを出したりする。
何にしても、魅せるための戦いであり、本物の暴力とは別物だ。
客席の視点では、自分の動きはどのように映るのか。撮影であればカメラにはどう映るかというイメージ力は欠かせない。
それにこれは、立派な演技でもある。
シチュエーションしだいによっては戸惑いながら戦ったり、怒りにかられることになる。ただキレをよくするばかりか、時には感情を込めた演技力のあるパンチを出す必要もあり、そんなところが面白くてたまらない。
研究や試行錯誤が楽しいのだ。
肩や腕を強く力ませ、筋肉が震えるようにしてやれば、果たして怒りにかられて見えるだろうか。腰を引け気味にして、わざと適当なフォームで殴った方が、弱気なタイプの演技になるだろうか。どんなフォームでキックを出せば、より見栄え重視で格好良く映るのか。
良い演技が出来たときや、スタイリッシュだったり、パワフルだったり、スピード感に溢れたアクションをこなせたら、達成感からとてもとても気持ちが良くなってしまう。
それらを抜きにしても、単純に体を動かすのが小さい頃から好きだった。
だから、『彼女』は小さい頃からスーツアクターを目指した。
夢はもっとベテランの領域だが、今ここで行うショーも悪くはない。子供達の声援が生で聞こえて、まさに観客を楽しませているのだという実感が沸いてくるのだ。