第1話「X.X.Xプリンセス登場!」part-B



 山野剣友会という団体がある。
 その歴史はかの戦国時代にまで遡り、龍黒県の教科書にも載る一人の武人によって開かれた剣術道場こそが起源とされる。
 武器は手の延長であるという考えのため、剣術や棒術を行う基礎として、まず先に格闘術が置かれている。素手での格闘という基礎の上に、あらゆる武器が備わっていくイメージだ。
 帯刀が当然だった時代、そう都合良く刀を抜く暇が与えられるとは限らない。対武器を想定した立ち回りを学ぶのも当たり前の話といえた。
 ひとたび刀を抜けば、より迅速に相手を殺すための型へと移る。
 無論、戦いが一対一とは限らない。
 集団戦に耐えうるための歩法なども、歴史の積み重ねによって形成されている。
 そういった実戦闘にも使えうる技法の数々が、今でも継承されている剣友会だが、現在ではテレビアクションの大半を担うアクション団体としての側面が強い。
 その理由は遥か昔にまで遡り、時代と共に合戦の機会がなくなって、武力を活かすための場が消えつつあると、ならば本物の戦いではなく演技上の戦いをやれば良しと、演劇といった方面に興味を移した。
 そんな方向転換がきっかけで、いつしか撮影機材が登場する時代になると、映画撮影で時代劇の殺陣をやり、アクション映画のスタントにさえ手を伸ばした。
 まだ変身ヒーローという概念が無かったとき、だから当時のテレビプロデューサーは、史上初の変身番組を作るにあたって、当前のように山野剣友会に目をつけた。
 やがて彼らの手がけた仮面バイザーシリーズの社会現象化で、一層地位を高めた剣友会は、スーツアクションでの活躍に留まらず、人気アクション俳優を次々に送り出し、ハリウッドでの成功者を出すまでに成長した。
 かくして、日本最強を謡われるアクション団体は、そんな団体としての地位ゆえに、良くも悪しくもアクション界を支配している。
 山野は一流、他は二流とまで言われるため、アクションを志す人間なら、必ず山野剣友会に入りたいと考える。
 山野剣友会の人間というだけで、一定のアクションが保障されるため、外部の素人として雇われるより、剣友会から仕事に就く方が、やけに時給が高くなる。
 レベルの高い団体であるが故、山野剣友会への入り口はそれだけ狭い。
 まず手始めとして、これは傭兵訓練か何かと思うほど、死人が出てもおかしくない厳しさの養成所で新人にふるいをかけ、数千人以上はいたのがいたのが十人も残らない。その貴重な生き残りにさえ、早朝五時起きの過密スケジュールを強い、平然と脱落させ、各地方支部につき数人だけが立派な仲間として歓迎される。
 それほどまでに厳しいから、一人前と認められる頃には誰もが常人の域を超えている。
 ヒーローショーで仮面バイザーブラックを演じる『彼女』も、そうした厳しさを乗り越えた人間の一人だった。
 
     ††
 
 その『彼女』――南条光希は十六歳の高校一年生である。
 どんな芸能人と比較しても見劣りしないほど、間違いなく美人の光希だが、しかしながら少女と呼ぶにはいささか凛々しさの過ぎた顔立ちでもある。ハンサムじみた美貌は中性的で、もしも首から上だけを切り取れば、どうにも性別の区別がつかなくなる。
 指貫グローブが無理なく似合い、その指つきによく馴染んでいることも、光希の凛々しさに拍車をかけていた。
 もっとも、肉体的には極めて整ったスタイルの持ち主だ。
 白ジャケットを内側から押し上げる胸の形は、決して大きすぎることなく、目立ちすぎず控え目すぎずに、さりげない曲線美を形成している。ジーパンの張り付いた長い足も、美脚の一言に尽きるラインを形作っていた。
 
 その南条光希は帰り道にいた。
 
 ヒーローショーの仕事を終え、グリーンランドから自宅へとまさにバイクを走らせている。
 光希の住む龍黒県は、東が都会で西が田舎といった具合に二分され、西へ行けば行くほど山や森や田畑が広がる。
 中央地域では両者が入り混じっているのだが、やはり東であるほど駅は多い。遊園地にカラオケにゲームセンターに映画館など、遊びに出かけるにはちょうど良い施設も豊富なため、同じ県内でも人口は東に偏っている。
 だから西側へ行った途端にバスも駅も減ってしまう。
 もっと地方の田舎に比べれば、よほど電車の本数は多いものの、やはりバイクや車などの乗り物を持つ方が、便利といえば便利な土地柄だ。
 当然、グリーンランドも東側だ。
 自宅は西地域。自宅から駅まで微妙に遠い。電車の路線も東ばかりに網を張り、西行きの本数は若干少ない。バイクがあるのに乗らない理由はない。
 そうして、都会から田舎へと向かっている。
 途中、トンネルに差し掛かった。
 ちょうど中央にあるトンネルは、およそ西と東の境界線に位置するため、ここを抜ければすぐにでも田舎じみた風景が広がることになる。
 長々と走っていき、やがて出口の光が見えてくる。
「……何だあれは」
 光希は出口の直前になってバイクを停めた。
 
 ――蜘蛛の巣だ。
 
 出口を封鎖したいかのように、虫というより人間を引っ掛けかねない大きな巣が、網目を細かくして張っている。これだけ巨大な巣のせいか、糸の太さは鉛筆ほどあり、試しにバイクを降りて触ってみると、指先に確かな粘着力を感じられた。
 こんなものをどうやって仕掛けたのか。
 誰かの悪戯だとしたら悪質だ。犯人が見つかれば逮捕だろう。しかもバイクが通れる隙間もないときている。こうも想像しない形で、回り道を余儀なくされたことにため息をつき、光希はもう一度バイクに跨り直そうとハンドルを掴んだ。
 その時だった。
 
 刃物を持った三人組の男が、光希へ向かって並び歩いて来た。
 
 逃げ道はない。
 普通に生きてきて、まさか自分が不審者に狙われるとは思わなかったが、ここで恐怖に囚われるようでは命懸けのスタントなどこなせない。ましてナイフのリーチなど、光希にとっては武器そのものは恐れるに足らない。
 子供の頃から山野剣友会にいたということは、それだけで一般的な生い立ちと異なる。武術で腕に自信がつくのも一つだが、やはり危険なスタント訓練を経て、恐怖に対する耐性が強いことこそ、何よりも大きい。
 よって光希は、不審者を怖がるようには育っていなかった。
「何だあなた達は、こんな巣を張ったのもあなた達の仕業か!」
 それどころか、光希の方から不審者を威嚇する勢いだ。
「……」「……」「……」
 三人組は誰一人答えない。
 まるで初めからものを喋るための人格などないように、無表情のまま機械的に歩みを速め、やがて光希に向かって一斉に襲い掛かった。
 光希を壁際に、というより蜘蛛の巣際に追い詰めて、三方向から包囲してくる陣形は、中央と右側の男が、ほとんど右半身だけを狙ってナイフを振る。あえて左に避けさせて、こちらの立ち回りをコントロールするために違いない。
 側転によって左サイドに抜け出ると、左側にいた男が案の定迫ってきた。腹部を突き刺そうとしてくるタックルだ。
 ならば光希は、極めてギリギリのタイミングまで引き寄せた。しくじれば本当に刺されかねない距離に迫って、そこで即座に歩法を駆使した光希は、およそ一瞬にして男の背後に回り込んでいた。
 相手の視点からすれば、光希の姿が急に消え、さも瞬間移動で背後を取られた気にもなるだろう。
 しかし、実態としてはボディフェイントで右へ逃げると見せかけて、相手の視野を微妙にコントロールして、巧妙に左へ逃げたに過ぎない。シンプルな仕組みだが、修行によって会得した技術でなければ実現は不可能だ。
 さらに足を引っ掛け、その男を転ばせさえしていた。
 盛大に倒れ込み、うつ伏せになった男が起きないように、追撃で背中を踏みつけ、頭数を押さえた上体で残る二人を迎え撃つ。
 同時に切りつけようとしてくるが、光希は長い足のリーチを駆使して、外側へと大きく踏み込んだ。相手の側面側に軸足を置くことで、回し蹴りによる足の甲を顔面に埋め、鮮やかに蹴り倒しながらも、その蹴りに使った足を素早く下げる。
 可能な限り一対一の状況に持ち込むため、後ろ走りで何歩も下がり、追って来たところへカウンターのパンチを叩き込む。
 すぐに三人組は手負いと変わっていた。
 打撃を受けた部位にアザを作って、敵わないと判断してか、こぞって逃げ出す。
「待て!」
 光希は三人組の背中を追いかけるが、彼らを捕らえることは出来ない。
 
 ――消えた。
 
 消えたのだ。
 まるで画面の表示切替で消したかのようにパッと、何の前触れもなくあっさりと、全てが夢に過ぎなかったと言わんばかりに誰の気配も無くなっていた。
「どういうことだ。今の人達は一体……」
 振り向けば、蜘蛛の巣さえも何事もなかったように消えている。
 ただ、確かに人を殴った感触だけが、光希の拳には残されていた。
 
     ††
 
 それから家に戻った光希は、リビングルームでコーヒーを淹れ、熱いカップを手元に置いて勉強道具を広げていた。数学の問題集を見て、学校で宿題の範囲とされたページの式を解き、時折コーヒーを口にしながらノートにペンを走らせる。
 家はいつも一人だ。
 母親は早くに亡くなっており、アクション俳優である父親は、今頃は海外の撮影でスタントシーンにでも挑戦している頃だろう。たまにメールや電話を寄越して来るが、その忙しさから会える機会は限られている。
 テレビか音楽でもつけていなければ、むしろ耳鳴りが煩いほどに静まり返る。だから寂しさを紛らわせたい人間が、意味もなくテレビをつける気持ちがわからなくもない。
 それほど、静寂が張り詰めていた。
 勉強中に音楽を聴くタイプでもないので、光希自身が立てるシャープペンシルでノートの表面を引っ掻く音と、コーヒーを啜る音以外には何も無い。
 
 ――サッ、
 
 ふと、自分以外の何かの音が聞こえた気がした。
 何かがどこかを、素早く走り抜けたかのような――。
 
 ――待てよ? 私は今日、命を狙われた。
 
 光希は不意に手を止めて、周囲の気配に集中した。
 あの不審者達は果たして何者だったのか。どうして蜘蛛の巣を張る悪戯をしたのか。犯罪目的なのだろうが、あんな風に消えられては、実は夢でも見たのかという気にもなってくる。なるのだが、蹴りと拳で人に打撃を加えた感触は、今になってもはっきりと蘇る。
 何故、狙われなくてはならなかったのか。
「!」
 足元の気配に気づいて、光希は勢い良く下を見る。
「……何? 今の生き物」
 人の拳ほどある黒い影が、一瞬にしてテーブルの向こうへ通り過ぎた。サイズからして、よもやネズミが部屋に入り込んだのだろうか。あんなサイズのゴキブリがいては嫌なので、むしろネズミであって欲しい。
 少しだけ探して、出来れば仕留めるか追い出そう。
 そう思って、光希はシャーペンを片手に椅子を離れた。
 カーテンの方へ行ったはず。
 スリッパを履く足で、一歩一歩接近して、カーテンの布を掴んでゆっくり捲る。
 ――いない。
 さすがに逃げ足の速い生き物だ。もうどこかに隠れてしまい、諦めるしかないのだろうと、光希はカーテンに背を向ける。
 その瞬間だ。
 
 ――サッ、
 
 また、何かが走り抜ける気配があった気がして、咄嗟に振り向く。
「…………」
 当然、ただ綺麗なカーテンがあるだけだ。
 勉強に戻ろうと、肩の力を抜いて、テーブルの方向へ向き直った。
「何ッ!?」
 光希は驚愕した。
 
 向き直ったと同時に、黒い何かがテーブルの上から飛び掛ってきた。
 
 反射的にシャープペンシルの先端を突き出して、腕力の限り全力で、無我夢中で刺突を繰り出す。ぶっすりと、柔らかいものを突き破った感触。それを手に感じた直後、こんな一刺し程度では死なない生き物がいくらでもいることを本能的に思い出し、抵抗を封じて逃がさないために床の上に突き立てた。
「この種類は南米の……!」
 それは日本には生息していないはずの、大型の蜘蛛だった。
 褐色の体毛を持ち、ギネス記録にも載るほどの全長にもなる大型蜘蛛は、確か腹を擦ることで刺激毛を飛ばしてくる。しかも小鳥やネズミを捕食する種類だ。噛まれれば怪我は免れないことも警戒して、すぐに腕を引っ込めた。
 ペンを胸部から生やしたようでいる蜘蛛は、八本足を力ませて、痙攣しながらもがき苦しむ鳴き声を放っている。
 誰かがペットにして、逃がしたものが野生化したのか。
 日本にこんな蜘蛛がいて、民家に入り込んでいた理由が、それ以外に思いつかない。しかも人に襲い掛かるとは、危険な種類を生かしておくわけにはいかない。
 椅子の足を浮かせて、椅子によって踏み潰した。
 事切れた死体をビニール袋で掴み、窓の外へ放り投げ、鍵をかけて締め出した。
 
     ††
  
 南条光希は日課として、毎朝四時に起きてジョギングをやり、朝食後はシャワーを浴びて歯を磨き、その残り時間を勉強に使ってから登校で家を出る。
 難関であった分だけ、バイク通学が許されるほどに校則の緩い高校は、私服の許可もされている。白ジャケットとジーパンに指貫グローブという組み合わせを、光希は半ば以上制服代わりのお決まりとしていた。
 正直に言うとスカートが好きではない。
 その理由はもう、運動に適さないの一言に尽きる。
 身長の高すぎる自分には、可愛いものは似合うまいといった気持ちもありはするが、やはり動きにくさの方が問題だ。
 職業柄というべきか、いつでもアクションについて考えてしまう。木々の生え揃った自然の中なら、どのようなコースで立ち回ればカメラには格好良く映るのか。高所から地上を見下ろすとき、ここで飛び降りスタントをやってみたいなど思ってしまう。
 斜面を駆け下りながら戦えば、手すりを飛び越えるジャンプをやれば、果たしてアクション栄えしないかと、色んな地形や設置物を見るたびに、頭の中ではついつい立ち回りの構成について溢れてくる。
 運動に適さない服装は、それだけで不自由感に見舞われて、どうも落ち着かないのだ。
 アクションが本物の暴力と違うのは、誰かを楽しませる娯楽制作というのもあるが、打ち合わせによって決めた折込済みの戦いでもある部分だ。
 ダンスの振り付けを覚えて、その通りに動きをこなす感覚に近い。だから、いかに良い戦いを組み立てて、見応えある絵にできるかどうかを考えるのはとても楽しい。
 どうしても生傷は絶えないが、良い絵が撮れたときの喜びも大きい。
 小学六年生の頃、戦隊ヒーローの子役として映画撮影に参加した時も、自分が格好良く映ったところが嬉しかった。
 その映画は戦隊が敵の策略に嵌り、子供に変えられてしまう内容だった。子供の体では本来の力が発揮できない。しかし、大人に戻るためには敵基地に乗り込んで、戻る方法を手に入れなくてはならない。
 子供のまま戦う羽目になるシーンを少しは撮ろうということで、激しいアクションに耐え得る小学生が必要とされたが、そんな人材がどれほどいるか。まして女子は余計に少ない。
 幼少期から山野剣友会にいて、ルックスまで兼ね備えた光希が目を付けられるのは、当然といえば当然の流れだった。
 その当時の活躍を見たプロデューサーが、何を思ってか光希をわざわざ男装させ、男に変えてまで主役をやらせようとする企画が出たのは衝撃だった。
 その時は中学二年。
 確かに身長は一七〇を超えていて、男役をやるには申し分ない。それに女性が主人公の実写ヒーロー番組はそうそう見かけないものの、だからといって男装になるだろうか。
 プロデューサーがそんなことを思いついた理由は、光希の父親にあった。
 光希の父、南条辰巳は、十代の頃にヒーロー番組の主役をやり、『電刃忍者霧雨』の主人公を約一年間に渡って演じていた。
 霧雨が注目されたのは、父の美麗なルックスからだった。
 中性的で美しいばかりの顔立ちは、放送当時は多くの女性を魅了した。
 そう、中性的。
 当時は美しかった父と、女としては凛々しい光希。父の若い頃の写真を見れば、確かに光希とよく似ていて、首から上だけを切り取れば性別などわからない。光希の顔をベースに上手いことメイクをやれば、元が十分そっくりだから、完全に再現できるというわけだ。
 そんな理由で、今はベテラン忍者となった霧雨の、若かりし頃のエピソードという設定で、古き良きヒーローの復活映画に出演した。
 まあ、顔出しの経験はそのくらいだが。
 もしも不審者が特別に光希を狙い、刺そうと思う理由があるなら、光希のそんな活躍を知るストーカーということになるのだろうか。
 いや――。
 単なる通り魔だったか、あるいは網にかかった獲物であれば、誰でも良かった可能性の方が大きい気もする。
 光希個人が狙われる理由など、ないはずだ。