第1話「X.X.Xプリンセス登場!」part=E



 どこまでか、バイクで逃げ切るつもりがあった。
 しかし、できなかった。
 
「イーッ!」「ギーッ!」
「ケイィ!」「ヒェイ!」
 
 奇声とも掛け声とも知れない、大きな声を上げる四人組の黒タイツが、戦闘員と思わしきバイクが、光希の行く道を封鎖せんばかりに横並びで待ち構えていたばかりか、正面衝突も辞さないように発車してきた。
 バックミラーを見て振り向けば、後方からも似たような四人組が追って来ている。
 そして、ここはT字路。曲がれる道は一本だけだ。
 やむを得ず、光希は山の方向へとハンドルを切り、今にも土の崩れてきそうな急斜面へと迷い無く突っ込んだ。
 ほとんど直角に近い、角度の高い危険な斜面だ。辛うじて人が登り下りできなくもない、けれど土の柔らかさと、表面の崩れやすさを考えれば、とてもバイクで走るべきとはいえない命懸けのコースだが、追っ手を後ろに停車というわけにもいかなかった。
 ライトの点灯が必要となる夜間であるのも、条件の悪さに拍車をかけている。
 普通のバイクなら、果たして本当に登れたかどうか。
 この白銀のバイクの性能は、超回転する二つのタイヤは、そんな悪路を意に介さず、どこにでもある平地を走るのと変わらない気持ちで、あまりにもあっさりと頂上まで行き着いてしまうのだった。
「イーッ!」「ケイ!」「ギギィ!」
 しかし、八人組となったバイク戦闘員も、同じように斜面を登り、このバイクには遠く及ばないとはいえ、誰一人事故も起こさず、順調なまでに頂上へ向かってきた。
 ならば光希も、その先へと、木々をほとんど切り開き、平地と化している土ばかりの広々としたスペースへ走り出た。
 走っているだけで、タイヤが土を巻き上げる。
 そんなコースで光希は、まずは二台のバイクが、そのライトの明かりとタイヤが土に絡む音と共に迫るのを背中に感じた。
 やらなければ、自分がやられる。
 ハンドルから両手を離し――。
「トゥア!」
 両腕を広げた裏拳。
 光希の減速に対して、二人の戦闘員は自分から突っ込んでしまう形となり、この速度でもろに手の甲が顔面に食い込んで落車。そのバイクは二台とも爆発した。
 残るは六人となった戦闘員。
 そのうち二人が、光希と挟み撃ちにせんばかりに、左右の横合いに追いついた。
「イーッ!」「イッ!」
 横への突進。サンドイッチのごとく光希を挟みつけようとする攻撃だった。
 しかし、白銀のバイクは即座に加速。二人の戦闘員は仲間同士でぶつかり合い、自滅する形となって二台とも爆発した。
 残るは四人となった戦闘員。
「ケイィィン!」
 そのうち一人が、正面からラリアットをかまそうと、片腕を真っ直ぐに伸ばしていた。しかし、光希は直前に身体を横倒しにした。自分が危うく落車しかねないほど、バイクシートからも尻を離した上半身の角度の倒しぶりは、右膝を折り畳み、キックを放つために必要な予備動作を整えるためである。
 ラリアットは空振り、横ストレートキックの方が戦闘員の脇腹を狙い撃ち、戦闘員は落車してバイクごと爆発した。
 残るは三人となった戦闘員。
 三人は次々と、順々に光希へ迫り、打撃を加えようと試みるが、逆に光希のパンチが、キックが戦闘員を叩き落して、三台のバイクは爆発した。
 バイク八台分の爆発から生まれた炎の数々が、この夜の大地を紅蓮に照らし、光希はその只中で警戒を怠らない。
 まだ、いるはずだ。
 バイクを降りて、慎重に周囲を見渡す光希は、全ての神経を周辺に集中させた。心は緊張させながら、身体は脱力。いつ、どの方向から攻められても構わないため、格闘術における歩法で極限まで警戒心を高めていた。
 そして、不意に気づいた。
 炎のゆらめきを一瞬で駆け抜け、通り過ぎた黒い影。
 間違いない、ゴライアスがもう来ている。
 
 キシャァァァァァァ……。
 
 獰猛な鳴き声に振り向くと、炎の向こう側にはゴライアスの影があった。
 その姿を認識したと同時であった。
 
 プシュゥゥゥ!
 
 スプレーの噴射音に似ていなくもない射出音で、火炎の向こう側から長い糸が放たれる。予備動作が直接見えず、身体のどの部位を狙っているのか、直感任せに避けるしかない光希は、勢いよく腰を低めて地面を蹴り、真横一メートル先へと飛び退いた。
 標的を外したゴライアスの糸は、ただ伸びるだけ伸びきって、地面の上にゆったり落ちて付着した。
「キシャァァァ!」
 ゴライアスは炎の中を通り抜け、光希に向かって飛び掛る。
「トゥア!」
 光希は跳躍。
 地面と水平に飛び込むような、ハンドル部分に頭をつけて、でんぐり返しをして見えるような宙返りに胴体の捻りを加え、即座にバイクシートへ飛び移る。
 瞬間的な爆速をゴライアスにぶつけた。
 停止状態から一瞬で六百キロ以上の速度に切り替わる性能と、その莫大な突進力で轢きにかかれば、どんな化け物にも効くはずだと考えた。
 しかし――。
「何ッ!?」
 ウィリー走行のために持ち上げた前輪は、ゴライアスの怪力によって手掴みされていた。途方もない馬力でもって、前進しようとしているはずのバイクは、怪物じみた腕力だけで停車同然のようにぴったりと止められて、後輪の回転だけが黙々と土を削り続けていた。
「キシャァァ!」
 ゴライアスはタイヤを地面に叩きつける。
「ぐあぁっ!」
 光希も地面に放り出され、受け身でダメージは最小限だが、一メートルを転げまわって、白いジャケットを土まみれに汚していた。
 
 プシュゥゥ!
 
 糸ではない。今度は網だ。蜘蛛の巣と変わらない形状に編まれた糸が、光希の頭上に降ってきていた。
「トゥア!」
 飛びのく。
 だが、そこで足が動かなくなった。
「しまった……!」
 さきほどの糸だ。
 最初に炎の裏から放たれて、土に付着していたものを踏んでしまった。尋常でない粘着力を残した糸は、光希の靴裏を粘っこく捕らえ、足をたった数センチだけ持ち上げるだけでも、筋力の限りを尽くしてやっととなる。
 もう靴を脱いだ方が早い。その判断を迅速に下したまでは良かった。
 だが、だからとて実際にそんな暇を与えてもらえるか。
 否、
 
 プシュゥゥゥ!
 
 光希を生け捕りにするための次の糸が、靴を脱ぐより遥かに早く、既に放たれ迫っていた。
 駄目だ、捕まる。
 もうこれまでかと、覚悟をしかけた。
 その時だった。
 
「エックストライカー!」
 
 女の声には間違いないが、それにしては明らかに太く凛々しい高らかな声が、白銀のバイクの名を叫んでいた。
 そして、次の瞬間には倒れた一人で勝手にバイクが立ち上がり、光希を庇って、代わりに糸を受け止めていた。
「これまでだ。ゴライアス!」
 一人の長身少女の影が、光希の目の前に飛び出していた。
 黒いジャケットを着込んだ背中には、薔薇のマークが目立っている。光希と変わらない身長の持ち主で、ジーパンから浮き出る脚のラインが整っている。足幅を微妙に開き、わずかながら腰を落として、静かに両腕の力を抜いた構えは、間違いなく戦闘態勢。
「……誰だ」
 初めて、ゴライアスが喋った。
「ほーう? テェフェルの怪人諸君にとっては、この私ほど縁のある相手はいまい。その顔も名前もわからないとは、怪人の中でもよほど迂闊で注意の足りない奴とみた」
 黒ジャケットの長身少女は、ゴライアスに向かってゆったりと、悠々と歩み始めた。いかにも余裕を気取って一歩ずつ、肩を揺らした歩みに対して、少女が一歩進むたびにゴライアスは後ずさりを繰り返していた。
「キシャァァァ!」
 姿勢を低め、ゴライアスは威嚇じみた鳴き声を発していた。
 それはちょうど、天敵相手に威嚇行動を行う野生動物のそれを彷彿させた。
「姓は一ノ瀬。名は隼乃」
「シャァァァ……!」
「そのもう一つの姿をお見せしよう」
 途端、隼乃は両腕を真っ直ぐ左右に、水平に伸ばしていた。
 果たして何の構えか。
 ゴライアスはより警戒して、さらに後方まで飛び退いた。
 そして、隼乃はその両腕で半円を描きたいように、天に向かって両手をぐるりと移動させ、ちょうどYの字のポーズとなる一瞬を通過するとき、肘を曲げ、胸の手前で両手がクロスした状態を作る。
 クロスの交点で、右の腰横を叩く。
 右腕は腰に接したまま、左腕だけをバウンドのように浮かせて――、
 
「変ッ……身ッ……!」
 
 それを右から左へと、綺麗な直線スライドによって運んでいく。
 
「トォウ!」
 
 垂直飛びによく似たフォームで飛び上がるなり、消えたとすら錯覚する速度で、風圧だけを残して一瞬にして隼乃は宙高く舞い上がっていた。
 それを追跡するかのごとく、どこから現れたかもわからない銀色のリボンが、何メートルとも知れない長さで螺旋回転を成し、下から上へと、隼乃の身体上昇に追いついて、螺旋の内側に彼女を捉えた。
 それは全ての繊維が光に変質していくようでもあり、あたかも銀のオーロラを服として着用しているような、非常に不可思議なこととなっていた。
 次の瞬間、光は弾けた。
 砂粒を余すことなく風に吹き飛ばしてやるように、オーロラが四散した次の時には、着地に降り立つ隼乃の姿は変身後のそれに変化していた。
 
「一ノ瀬隼乃! またの名を仮面プリンセス!
 仮面プリンセスシルバーX!」
 
 白銀の衣装がラメ光沢のように輝いて、この周囲にある炎の色をどことなく反射していた。
 顔にはハチマキのように巻くタイプのマスクを付け、後頭部の髪のあいだから、その結び目の紐が垂れ出ている。
 コスチュームグローブと銀のブーツが手足を包み、短いスカートの丈先からは、膝上数センチまで及んだ白いスパッツが見受けられる。
「シルバーX……!」
 本物の変身を目の当たりにして、光希は我が目を疑うことしかできなかった。
 
     ††
 
 ゴライアスの意識がシルバーXだけに向けられている。
 両者のあいだに流れる空気を、光希は肌で感じ取っていた。
 突き刺すように敵意を燃やして、ゴライアスは既に頭の中で戦闘展開を構築している。自分の得意な立ち回りに落とし込み、自分の型に嵌め込むようにシルバーXを倒そうと、その動きを読むために注意深く観察している。
 ――来る!
 糸を吐き出す予備動作で、ゴライアスは首を後ろに引っ込めた。
 しかし、シルバーXは避けなかった。
 
 プシュゥゥゥ!
 
 避ける必要がないとばかりに、シルバーXは棒立ちだった。胴体が糸巻きにされ、両腕が封じられることを黙って受け入れ、がっちりと拘束されるや否や、すぐさま両腕を広げようとする腕力だけで、力ずくで引き千切った。
 ならばとばかりに、ゴライアスは疾走交じりに殴りかかる。
「トォウ!」
 シルバーXの放つパンチと、ゴライアスの拳が一直線にぶつかり合う。
 腕が弾けるように押し返され、あまつさえ上半身のバランスまで反り気味に崩れるのはゴライアスの方だった。
 シルバーXはその隙を見逃さない。
 即座に踏み込み、左腕を突き出して、ゴライアスの喉笛を鷲掴みにした。腕力に任せて軽々と投げ飛ばし、炎の向こうへ投げやると、シルバーXは追うように飛び掛る。二人ともが炎の裏側に姿を消して、しばしのあいだ殴り合う音が聞こえた。
 
 なんてパワーだ。
 あの化け物と正面からやり合えるなんて!
 
 ゴライアスがいかに強靭な怪物か。身をもって体験している光希には、それに対抗しているシルバーXのパワーも、動きも、十分に怪物的に見えていた。
 拳が、足が、怪人の肉体にめり込む生々しい打撃の音は、さも打楽器のようにリズムを刻んで光希の鼓膜に届いてくる。
 打撃がそこまで大きく響くこともまた、二人が普通の人間でないことを証明していた。
「トウ! トオゥウ!」
 直に拝むまでもなく、どちらが優勢なのかはよくわかった。
「トォウ!」
 殴り飛ばされることにより、ゴライアスは炎の向こう側から戻ってきて、受け身も取れずに地面を転がる。
 一秒でも早く起き上がり、回避行動を取らなければ、すぐに追い討ちが来るとわかってのことだろう。ゴライアスは慌てふためき立ち上がり、シルバーXとは逆方向の炎へ飛び込み、距離を稼いだ。
 そして、それより一秒送れて、火の粉を散らして舞い戻るシルバーXは、八つもある火炎のうち、ゴライアスが逃げ込んだ方向がどこであるかを、さもあらかじめ知っていたかのように迷い無く、正面方向の炎へ飛び込んだ。
「トウ! トイヤァ!」
 再び、掛け声と打撃の音。
 今度は投げ技を受けたのだろう。頭部を下向きにして、人間であれば危うく首を骨折しかねない危険な角度に落ちながら、ゴライアスは炎の裏から飛ばされる形で戻ってくる。
 そしてまた、追い討ちが来るより先に、炎を選んだ向こう側へと飛び込んだ。
 一秒送れて舞い戻るシルバーXは、やはり知っている勢いで、欠片の迷いも無くゴライアスのいる炎の向こうへ飛び込んだ。
 
「シルバァー! 空中回転二段落とし!」
 
 次は二人が同時に――今度は炎を飛び越えた空中から、元の場所へと戻りつつあった。
 人間離れした跳躍力を活かしたのだろう。
 柔道にある背負い技とよく似て、シルバーXはゴライアスの腕を肩に背負い、腰をくの字気味に折り曲げることで、敵身体を背中に乗せるかの形を取っている。そのまま落として叩きつけるように投げ飛ばすのかと思いきや、なんとシルバーXは回転した。
 一体、どれほどの回転数か。回転力か。
 風車のごとき回転で、膨大な遠心力をかけた上で空中から地面に叩きつる。
 それだけでは留まらない。
 綺麗に背中一面を地面に打って、バウンドのように真っ直ぐ上へと跳ね上がるゴライアスは、垂直落下してくるシルバーXの蹴りを受け、もう一度地面に叩きつけられていた。
 まさしく、二段落としの名に偽りなし。
 光希は確信した。
 あれは自分が人外の超人であることを前提とした格闘術だ。背負った状態によるジャンプも、その上昇力のために相手の身体が自分の背中に張り付いて、より剥がれにくくするための効果があったはず。
 さらには垂直落下蹴りの合理性は、相手を地面にめり込ませ、踏みつけた状態を維持して捕らえてしまう点にある。
「キシャァァァァ!」
 甲高い悲鳴。
 今、ゴライアスの腹部には、シルバーXの足が深々と入り込み、まるで串刺しに固定したかのように動きを封じ込んでいる。皮膚を捻るためにぐりぐりと、体重と脚力をかけて肉体を掘り進めていきたいように、より深い位置まで足を埋め込んでいた――しかも、使わない筋肉は全て脱力して、この状態を返されたときの対策を既にしていることが光希にはわかった。
 内部へのダメージはとっくに深刻なのだろう。
 ゴライアスの鎌状の口器から、少しずつ血が溢れ、足でポンプを踏み込んでいるかのように赤い飛沫が散っている。
 苦し紛れに必死になって、ゴライアスはシルバーXの左足を打った。
 チョップで、パンチで、少しでもダメージを与えれば力が緩み、脱出のチャンスができるはずだと死に物狂いで打ち込んで、両手で足首を掴んで爪を食い込ませることさえするが、シルバーXは顔色一つ変えていない。
 そして、光希はさらに耳にした。
「すぅー……はぁー…………」
 呼吸音。呼吸法だ。
 武術の達人は、表面の筋肉ばかりでなく、腹の内側にあるエネルギーを手足に伝えて、より大きな力を発揮する。腹筋に力を入れたり、二の腕に力こぶを作るのは、意識しやすい筋肉なので誰にでもできるが、内部の筋肉は特訓の末でなければ難しい。
 内部のエネルギーを使う技法があるから、指導者が「腰で打て」「腹で斬れ」といった言い回しを使うこともある。
 シルバーXの呼吸法は、そんな内側を意識した内部筋肉のコントロールのためのものだ。
 腹の内側で生まれるパワーが、流れ水のように足へ伝って、脚力と体重の合計よりも大きな力でゴライアスを抑えていることになる。
 そして、その呼吸法はシルバーXだけではない。
 ゴライアスもやっていた。
 
 突如、バネ弾けるように、シルバーXの足は勢いよく押し返されていた。
 
 内側から生まれる力を腹筋に乗せ、さらにブリッジ運動のように身体を反らせることで、押し込まれた足を跳ね返したのだ。
 全体重をかけていた状態で、足元から崩されたシルバーXは、まさしく隙だらけの状態へとよろけきっている。
 そこへゴライアスは飛び掛る。
 クローを決める熊手の形で、シルバーXの顔を鷲掴みに、頭部を地面に叩き込み、弾けた土がその周囲に散らかった。
 だが、シルバーXは応じていた。
 掴まれる直前、体育座りの姿勢のように両足を折り畳み、その体勢で押し倒されれば、ちょうど足に相手身体が乗せられた形となる。隙だらけになったというより、戦略的にそう見せかけて誘ったのだ。
 
 バン!
 
 と、シルバーXが両手で地面を叩くと、ゴライアスの体重がかかった足を伸ばすと、ゴライアスの身体はぐるりと百八十度の半円を成さんばかりに持ち上がる。ゴライアスが地面に背中をぶつけ、そのあいだにもシルバーXは、天に向かって伸ばした両足を振り下ろし、勢いを利用して立ち上がる。
 押し倒す側にいたはずのゴライアスが逆に倒れて、それを見下ろすシルバーXの構図が出来上がるまで、ものの数秒とかからなかった。
 次にシルバーXのバック転。
 体操選手のように華麗な胴のしなりを使い、まるで車輪が転がるように軽やかに距離を開いたシルバーXは――。
「トォウ!」
 飛び上がった。
 それは風に煽られた花びらがふわりと舞い上がっていくような、あまりにもゆったりとした上昇である。
 その上昇の中で、シルバーXはフォームを整えていた。
 そして、ダメージの蓄積しているゴライアスは、起き上がろうにもよろよろと、酔ったようにふらつきながらしか立ち上がれない。
 
「シルバー――!」
 
 空中で微妙に身体を寝かせた。
 地面に対する角度を調整していきながら、キックの予備動作として左足の膝も折り畳む。
 
「――十字――!」
 
 シルバーXの周囲には、まるで見えない壁にインクを塗り付けたかのような、四つの紅い点が浮き上がっていた。それはアルファベットの『X』を正しいフォントで成すための、四方の点部分から先に浮き出たものなのだ。
 それが、線を伸ばした。
 四つの点から中心へと、真っ直ぐにクロスを結ぶ。
 
「――キィーック!」
 
 ほとんど瞬間的に、突発的に、急に速度を増した。
 例えるなら、今までスロー再生していた映像を、突如早送りに切り替えたかのように、足裏にアルファベットを貼り付けたようなXキックは、ゴライアスの身体へと一直線にぶつかっていた。
 その次の瞬間には、跳ね返る自分の身体の体勢を宙返りで建て直し、もう既にシルバーXはふんわりと、衝撃などまるで無化して見えるほどに膝のクッションの効いた着地を決め、間違いなく相手を仕留めたかどうかを見極めるための残心さえも完了していた。
 爆死四散。
 その熱風を背中に浴びるシルバーXは、艶やかな髪をそよがせながら、白銀のコスチュームを霧散のように散らしていた。
 
     ††
 
 一連の戦いを見届けると、今まで光希の足を捕らえていた粘着糸は、土に溶けて染み込むように消滅していた。
「……あなたは? 助けてくれたみたいだけど」
 そして、隼乃に駆け寄った。
「ん。一ノ瀬隼乃」
 妙にムスっとしている。
 隼乃はぶっきらぼうなまでに顔を逸らして、どこぞの遠くに視線を向けていた。
「ありがとうね。ええっと、私は南条光希」
「…………」
 返事が無い。
「あのぉ? 助けてくれたんだよね?」
「…………」
 返事はない。
 ただ、無言でコクっと頷いた。
「ありがとうね」
「……」
「何か喋ろうよ!」
「今そのあなたに喋る内容を考えているんだ! 静かにしろ!」
「えっ……うん……」
 ならば光希も口を結んで、今の今までの出来事について考えた。
 隼乃がエックストライカーと呼んだバイクは、自動操縦機能によて、光希のピンチに駆けつけてきた。そして、ゴライアスとの戦いには隼乃自身が現れて、彼女がテェフェルと名乗る集団の敵対者であることは間違いない。
 光希がテェフェルに狙われた理由は、あの首領の声によるなら、優秀な人間を悪の一員と変えるためという話であった。
 ではそれを阻止してくれたということなのか。
 頭の中で台詞をまとめ、何を喋ろうかと整理しているらしい隼乃は、どこか疲れきった表情を浮かべていた。
「……」
 ただの直立姿勢がふらふらと、どこかバランス悪く揺れていて、やがてがっくりと、隼乃は急に膝をついてしまっていた。
「あれ、大丈夫?」
「南条光希。私はあなたを助けた」
「うん。そうだね」
「そして、私はおなかが空いている」
 次の瞬間だった。
 腹の虫の音が鳴り響き、それは夜の暗闇へと、暗い夜空へと、すぅーっと吸い込まれていく。
「なんかさ。怪人と話したときとキャラ違わない?」
 こう言っては悪いが、敵を挑発するときは妙に活き活きしていた気がする。
「戦いで精神を切り替えるのは当然じゃないのか」
「まあ、そうだね。ステーキ食べる?」
「ステーキ……だと……!? 馬鹿な! 庶民には一生に一度でも食べられれば良いほどの贅沢品ではないのか!」
「えっ、は? そこまでじゃないし!」
 どうしたら、一生に一度食べられれば良いほどと思い込むのか。
 隼乃はごくりとツバを飲み、今にもご馳走の味を想像して、食事を楽しみにしている表情を浮かべていた。
「……食べたい」
「わかった。あなたは命の恩人。ステーキぐらい作ってあげるから、とりあえずうち来る?」
「あなたが作るのか!」
「まあ、一応」
「あなたを助けてよかった。早く食べたい……!」
 懇願して縋り付いてくる隼乃の両手が、光希の腕を掴むなり、一体どれほどの握力なのか指が深く食い込んだ。
「痛い痛い痛い痛い! ちょっとどんだけ力あるの!」
「す、すまない!」
 そして、やけに慌てふためきながら、まるで取り返しのつかない世紀の大失敗でも犯したような戦慄の汗を流した表情で、恐ろしく高速で手を引っ込め、さらには後ろに離れていった。
「え、なに?」
「いや、申し訳ない。私の本気は岩をも握り潰すんだ」
「ひょっとして改造人間?」
「何故わかった!」
「……何故って、え? いや、なに、本当に?」
「……」
 言葉はなく、隼乃は無言でコクっと頷く。
「本当に? 絶対? 嘘じゃない? 証明できる?」
「人間には不可能な怪力を見せればおわかり頂けるはずと思う」
「まあ、怪人がいたくらいだし、別に信じてもいいけどさ。そっかー。改造人間か。改造人間ねえ。改造? そうかー」
 ところで光希は演技を行う人間だ。
 ベテランスーツアクターを夢見るが、ヒーローや怪人のスーツであっても、身振り手振りなどを使って感情を表現する機会は大いにある。
 そして、演技には人生経験が役に立つ。
 例えば自分のペットが死んだ思い出をイメージしながら、パートナーと別れる悲しみを演じたといったエピソードもあり、つまり一言で言えば、目の前にいる本物の改造人間と関わる機会を逃す手があるだろうか。
「よし、決めた!」
「決めた? 何をだ」
「一ノ瀬隼乃さん。私があなたの戦いをサポートしようじゃないの!」
「……へ?」
「そうと決まれば、さっさと帰るよ! おなか空いたもんね!」
「それは……そうだけど……」
 光希は行く。
 疲れきった隼乃を背中に乗せ、自分の家へとバイクを出す。
 
     *
 
 テェフェルにその身を狙われた南条光希は、こうして一ノ瀬隼乃との出会いを果たした。
 仮面プリンセスの本当の戦いは、これから始まってゆくのだ。
 
 ゆけ! 戦え!
 仮面プリンセスシルバーX!