第2話「怪魔次元から来た少女」part-A



 学校の無断欠席。
 所属アクション団体、山野剣友会での稽古もサボってしまった。
 それはテェフェルに一時拉致され、とても連絡の余裕などなかったせいなのだが、果たしてどう説明したものかと悩まされる。
 本物の怪人が出たなど、誰が信じてくれるのか。
 一ノ瀬隼乃という改造人間の実物がいれば、どうにか説明はつくのかもしれないが、学校の欠席や稽古をサボった言い訳のために隼乃を使うのは本人に悪い。助けてくれた恩人をどこぞに差し出すなど、いささか神経の足りない行為に思えたので、思いつきこそすれ頭の中で既に却下しているのだった。
「あぁ……おなかすいた……」
 ひもじい思いを顔に浮かべる隼乃。
 ぐぅぅぅっ、と、腹の虫の音が実際に聞こえてくる。
 南条光希はキッチンで肉を焼き、二人分のステーキを作る最中だった。
 ゴライアスという蜘蛛怪人から救われて、それからの光希はエックストライカーの後ろに隼乃を乗せて帰ってきた。
 エックストライカーは光希のバイクではないのだが、疲労と空腹とで、とても運転する元気がありそうにはなかったので、だったら光希が運転を変わるしかない。胸は自分と同じくらいという、しょうもないことを背中の上に感じつつ、ともあれ無事に戻ってきた。
「もうちょっとで出来るからね」
 焼きたてを皿に盛り付け、炊きたてのご飯と一緒にテーブルへ運んでやると、隼乃はごくりと息を飲み、やけに恐る恐るといった具合に慎重にナイフを入れる。まるで生まれて初めて食べるものに緊張しきったような、ご馳走が楽しみだったにしても大げさな表情で、隼乃はぱくりと噛り付く。
「――――こっ、これは!?」
 隼乃は驚愕の眼差しを浮かべていた。
「え、いや、どうした」
「噛んだ瞬間から肉汁が流れ出し、舌に広がるッ! そこには何かスパイスが効いていて、噛めば噛むほどソースと共に絡み合うッ!」
「大げさだって」
「美味しい! 本当に美味しい! これは……これは……!」
 よほどお腹が空いていたこともあり、隼乃は夢中の夢中で喰らいつき、慌ててご飯を口に運んで詰まりかけては飲み下し、途中からは涙まで流していた。
「そんなに? え、そんなに?」
 まさか、光希はプロではない。そこまで過剰に美味しいはずがない。
 とはいっても、自分の作った料理をここまで美味しそうに食べてもらえて、それが嬉しくないはずがなく、大げさすぎるリアクションがわかっていても、何だかニヤけが止まらない。
 そんな隼乃の顔を見ながら、光希も自分の分を食べ始めた。
 ……やはり、大げさ。
 一般家庭の料理としては、まあきちんと作れていて、これなら美味しく食べてもらえるだろうと自信は持てる。それが光希の自信を遥かに越えて、幸せそうに味わう表情で、本当にもうここまで喜ぶ必要があるだろうかと、それしか言い様がないのだった。
「美味しい……本当に……初めて…………」
 しまいには泣き方の雰囲気が変わってきて、さしもの光希も引き攣ってきた。
 初めのうちは、ただ感動のあまりに泣いてくれている涙だった。
 それがだんだんと、何か悲しい出来事があって、例えば最近家族が亡くなって、そのことを思い出しての涙なのだろうかと、あるいは大切な人とでも別れたのかと、そんな悲哀でもなければおかしい泣き方だ。
 途中までは、泣きながらでも食べていた。
 しかし、最後には本格的に泣き出して、もう自分でも涙をどうにも出来ずに、もはや食事さえ進まなくなっていた。
「本当にどうしたの? 何かあった?」
 と、尋ねるも、泣いているばかりで返事はない。
 変わりに首を横に振る動作だけが帰ってきた。
「本当に……ありがとう……食べてみたかった…………」
 声にならない涙声から、どうにかして隼乃は搾り出し、そんな感謝の気持ちを伝えてきた。
「いくらでも作ってあげるから、ね?」
 光希は隼乃にティッシュを手渡す。
 受け取る隼乃は涙を拭く。
「……南条さん。あなたが狙われた理由を話しておきたい」
「うん。教えて?」
「……その前にもっと食べたい」
「え? この流れで? いや、まあ、いくらでもどうぞ」
 隼乃が身の上について語り出し、光希がテェフェルの標的となったより具体的な理由に触れるまで、あともう少しだけ時間がかかった。
 
    ††
 
 一ノ瀬隼乃の将来は科学者と決められていた。
 特別な憧れがあったわけでも、理科の実験が大好きだったわけでもない。ただ子供なら必ず受ける知能テストで、理数系に向いていると判明しただけの理由で、社会が勝手に隼乃の将来の職業を決定したのだ。
 どんなに素晴らしい発見をしても、誰にも出来なかった発明をやったとしても、それが人間社会の役に立つことはない。
 全ての成果は怪人社会のためだけに使わされる。
 給料も安く、贅沢な暮らしができる可能性はほとんどない。
 世界全カ国を管理する独裁社会。
 世界征服が達成されてしまった世界。
 それが隼乃の育った元々の世界であった。
 
    †† 
 
 隼乃の世界は人類総貧困とも総奴隷ともいえる。
 全ての人間に奴隷番号が振られていて、管理局の怪人達は、豚や牛を扱うのと同じ気持ちで人類を管理している。
 光希の世界の常識でいえば、スーパーで普通に買えるはずの豚肉さえも、隼乃の世界では滅多に買えない贅沢品だ。
 働いた給料の四割か五割近くが税金として持っていかれて、そのくせ消費税も高い。着る服も明日の食事も苦し紛れに切り詰めて、どうにかして生きている割合が世界人口の大半を占めいるなど、悪い意味での人類平等としか評せない。
 隼乃の世界の場合、世界人口は三十億人を下回る。
 地球資源を人間が食い潰してしまわないため、対策を取ろうというのは当然の話でも、その方法は人類大量虐殺という非情に極端なものだった。
 残酷な手段によって、資源を分かち合う余裕が出来たは出来たが、世界人口のたった二割に満たない怪人だけが贅沢を独占している。人類に対する重い税金は怪人の贅沢のために使われて、世界人口約八割が残る二割のために奉仕している社会構造だ。
 大量虐殺によって世界人口を調整した歴史が、人々から逆らおうという気力や意志を奪い取る。怪人にはまともな兵器が通用せず、よしんば反逆を企てても勝ち目がないという事実が、革命という発想をより抑える。
 何より、見せしめ。
 小さい頃から、怪人社会に逆らう『気持ち』の持ち主だったという理由のみで、本当に反逆を計画したわけでもない人々が、処刑された上に十字架に磔となる。その遺体が一般市民の行き交う路上に飾られ、怪人に目をつけられた者の末路を物心ついたときから知っていた。
 人類を奴隷とするべく制度は数多く導入されていた。
 洗脳教育によって、怪人社会を支え、怪人のために働く喜びを子供のうちから教え込む。さらに学校で選別テストを受けた子供達は、適正度合いによって振り分けを行うことで、将来の職業も社会によって決定される。自己意志で将来を選ぶ権利が初めから存在せず、だから自主性に欠けた指示待ち人間のような性格が世界単位で蔓延していく。
 隼乃の場合は科学者――。
 聞こえはいいが、この時点でそれ以外の道は遮断され、社会に逆らってまで別の職業を目指そうとする行為は違法となる。
 このように頭脳が必要とされる職業に決められれば、それに応じて高校や大学への進学が決まる仕組みであり、将来は頭脳を使わない人間の場合はどこかで学ぶ機会を剥奪される。社会システムが積極的に子供を学校から追い出して、必要な人間だけを残していく。追い出される先は大抵、子供に労働をやらせる現場だ。
 そして、社会が勝手に決める仕事の中には、労働者はいずれ死ぬものという考えの、人間を工場の稼動燃料か何かの消耗品と捉える現場もあった。
 そんな社会に隼乃は疑問を抱いていた。
 自分はもっと他のことに興味があり、知ってみたい、やってみたいと思っているのに、科学者と決まってからは、それ以外の道に憧れることが、まるで悪いことにように先生から注意されてしまう。
 逆らえばどうなるか。末路のお手本が磔に飾られる。
 きちんとしないと、自分もああなるんだ……。
 潜在的な恐怖があるから、ほとんどの人間は疑問さえ抱こうとしない。心に疑問を浮かべること行為自体が、どこか抑圧されてしまっている。現状の人類には、怪人と戦おうとする気力などとてもありはしなかった。
 この社会はおかしい。しかし、その当たり前の真実に気づいてしまえば、たちまち自分も見せしめにされる。心の中に反逆的な気持ちがあれば、いつ嗅ぎつけられるかもわからない恐怖のせいで、人類は疑問も何もかも放棄している。
 それでも、世界人口の一握りは、恐怖の中でも積極的に疑問を浮かべ、いつか支配制度がなくなればという夢想をする。その中のさらに一握りが、頭の中に少しは計画を立ててみて、実行する勇気や行動力があるでもないのに想像だけは具体的にやっている。
 そして、さらにさらに一握りは……。
 
 ――おかしいんじゃないか?
 
 隼乃はそれを決して、口に出すことはなかった。
 口に出したら最後、よしんば処刑はされなくとも、マシなケースであっても洗脳不足の子供を再教育するための施設には送られる。
 などと、そんな知識のなかった小さい頃から、自分のこの考えは決して声に出してはならないものだと、隼乃はなんとなくわかっていた。怪人社会を信じて疑わない大人達の作り出す空気から、肌感覚によって不思議と悟っていた。
 小学生になって、不満罪という知識を得ると、喋らずにいて正解だったとますます確信することとなる。
 実は社会への不満不平を声に出して喋っただけでも、数週間の懲役から死刑まで、牢屋の期間や生死でさえも怪人達の気分しだいとなる。ただ生産力を低下させないための理由で、命だけは勘弁しつつ、たまに思い出したように見せしめの末路を路上にでも晒している。
 
 ――そうやって心の中まで縛り付けて、人間の自由を奪っているんだ。
 
 決して、一度として声に出したこともなければ、それらしい文面を残したこともない。態度や振る舞いから悟られることも避けたい。この心の中身が社会にバレれば、それだけで制裁を受ける可能性があるからだ。
 それに脱落者にまともな人生は存在しない。
 怪人社会が求める規定の要領を獲得できない人間は、総じて人間扱いされなくなる。たとえ処刑にならなくとも、そこには何らかの末路があるのだ。
 ある者は人体実験の素材として、どこかの科学施設へ強制連行。人の過労死なんて普通化している過酷な現場。あるいは女性なら慰み者として使い捨てとなることも大いに有り得た。
 言ってみれば、漫画の描けない漫画家は処分。試合の出来ないスポーツ選手も処分。
 手足が不自由、目が見えない、耳が聞こえない、あるいは過去怪我をした後遺症など、普通には働けない理由のある人間は、社会に不要なものとして殺処分の確率が高い。怪我人や障害者の差別を社会が推奨している有様だ。
 ただただ、そうはなりたくないためだけの理由で、隼乃はきちんと勉強していた。
 
 ――この世界が変わればいいのに。
 
 本心では怪人社会を覆したいと思っている。できるわけがないから、自分に何ができるかも到底わからないから、心の中でそう思っているだけの話に留まっているだけだ。
 もしもそんなことが可能な手段があって、自分にその力が手に入れば、自分は何か行動を起こすのではないのだろうかと、己の心について隼乃はそう予感していた。
 そんな奇跡が空から降ってくるような出来事が、やはり起こるわけがない。
 ありっこないが、もしも奇跡が存在したらそうしよう。そうしたいんだという気持ちが、誰しもに悟られることなく育っていた。心の奥底に隠れた鋭い爪を、生涯本当に戦う機会があるかどうかもわからないのに研ぎ澄まし、チャンスさえあればと考えている子供に、いつしか隼乃はなっていた。
 そして、中学一生になって初めて、自分と同じ匂いのする人間に出会ったのだ。
 ――滝見零。
 出会って数日で、そのクラスメイトの心に自分と同じ爪と牙が隠れていると感づいた。
 それは直感としか言いようが無い。
 何の根拠も証拠もなく、ただそういう猛烈な直感が働いた。あの人はきっと自分と同じだと激しく思い込んでしまうほど、突如として沸いた気持ちは強烈だった。
 同じ科学者への道を与えられ、同じ将来を決められている者同士だった。最初はお互いに警戒しあい、どこか探り合う関係だったが、やがて似たような気持ちの持ち主だとわかれば、すぐに二人は意気投合した。
 それは暗号文による接触から始まった。
 零の方から、意味不明の記号の羅列を紙切れで渡してきて、隼乃の頭脳からすれば非情に危険な文面だとすぐにわかった。
 
『あなたは怪人社会に疑問を抱く人間ですか?』
『はい。その通りです』
 
 非情にストレートな質問に対して、隼乃も記号の羅列を使った暗号で返していた。
 この日から、二人は仲良くなっていた。
 
『ねえ、隼乃。私達と同じ気持ちの人間は他にも必ず存在する。私達が出会ったように、ただ表には出さないだけで、何か奇跡でも起これば一緒に戦ってくれるはずの潜在的な反逆者が見えないだけで存在はしている。
 だから私は怪人社会に対して同じ疑問を持つ者同士の情報交換ネットワークを構築する。それも、世界の誰にも気づかれないような密かなネットワークをね。
 世界を征服してしまった存在相手に、たった二人で戦うのは不可能。
 だったら、土壌を整えることが大切になる。いっそのこと私達の世代で革命を起こす考えは捨ててしまって、後世の人々にとっての役に立ち、いつか必ず怪人社会を潰してくれる。人間の自由を取り戻す人達の行動を支える。ずっと未来への貢献に切り替えようと思っている。未来の人間を支える、過去の先人になることが私の本当の将来の夢』
 
 もちろん全てが暗号文によるやり取りだ。
 もし誰かに見られても、文面上は親友同士で行う交換日記にすぎない。その日の出来事を必ずキーワードに加えており、たまたま寝坊しただの、晩御飯のメニューだの、道端で猫を見かけたことですら、暗号の一部として実際に組み込んでいる。子供の生活を見守る教師や母親が読んだとしても、怪人に見られたとしても、まさか本当はこんな危険な会話をしているなど、決して気づく要素はどこにもない。
 
『零の考えるシステムって、かなり夢の構想だよね。人間を自動的に見分け、取り込んで拡大している。完成図案としては便利なツールのようなイメージで取り掛かるつもりでいる。
 でも、秘密を知る人間が増えれば増えるほど、漏れるリスクはどうしたって大きくなる。土壌を整えるだけで満足するしかないのは、私も同じ考えだけど、どうやってリスク回避まで行うつもりでいるのか。もう何かアイディアはあるの?』
 
 その解読方式は気分によって変化していき、ちょっとした絵の書き込み、筆圧による線の太さから字のサイズ、『口』という漢字を使う機会があれば、その面積を求めた際に出る答えまでもが、暗号に関わるヒントの一部になっている。
 そして二人は、ちょっと桁数の多い面倒な足し算や引き算を解くだけの感覚で、およそ気軽にお互いの暗号を解読していた。
 
 生まれて初めて、人生が楽しくなったような気がしていた。
 自分達はとても悪いことをやっている。こうしたスリルにドキドキしてしまうような、中学生という年頃には、お互い刺激の強いやり取りだった。
 隼乃と零で、すぐに仲間を探し始めた。
 この考えに賛同できるだけでなく、どんなことがあっても秘密を守り、自分達のやり取りを外部に漏らすことがない。素質のある人間を探し当て、世界の誰にも悟られることなく増やしていく必要がある。
 難題どころの話じゃない。
 普通なら不可能だと思える一大計画だ。
 しかし、その不可能に挑戦しなければ、いつの時代になっても奇跡は起きない。
 
『ねえ隼乃、私達のような人間は精神鑑定に引っかかる可能性がある。マシな措置なら教育センター送りで済むけど、最悪の場合は過酷な環境での強制労働か磔の刑。あなたはどうやって、年に一度の精神鑑定を誤魔化してる? ――ああ、あと勝手に解読方式かえるのやめてって言ってるじゃん。面倒なんだから』 
『さあ解け→私は本心を隠すのが得意だから普通にバレません。特別な方法はありません』
『やっぱりね。隼乃って、口から声出して喋るより、こうやって文面でやりとりする方が自分の気持ちをはっきり出せてる。っていうか、さあ解けじゃないよ。余計に面倒になっているのはどういうこと? ちょっとマジで本当に怒るから』
 
 指摘されるまでもなく、隼乃は自分が内向的な人間だとは気づいていた。
 文章でのやり取りは、自分自身の書いた内容を精査した上で手渡せる。リアルタイムで行う会話は、あらゆる気持ちの表現をその場でこなわなくてはならない。どんな言葉で、どうやって伝えるべきか。じっくりと考える時間がないのは苦手であった。
 
『もしかして零の考えって、精神鑑定には引っかからない、そういうことが出来る人間を探し当てるってことでしょ? しかも、こちらから見つけて引き込んで、一発でアタリを取り込むことを繰り返さないと、向こうから見つけてもらうためのサインを出すのはリスクが高い』
『だけど、必ず出来るはずだよ。私達はお互いに感づき合った。でも最初は警戒した』
『うん。何だか危険な獣に睨まれたような気になって、気がついたら私も零を睨んでいて、お互いの出方をじっくりと伺っていた』
『まずは私達がした最初の体験をヒントにして、同じ感覚に陥る相手を探すべし。心を見抜く必要がある以上、理屈的な方法で合理的にやるのは無理があると考えて、少しはリスクがあっても仕方ないということにする。手探りにならざるを得ない以上、まずはやってみてから考えるという姿勢を必要に応じて導入しよう。一次接触のノウハウから溜め込んで、それを少しずつ便利なシステム化していく。やってみた上で試行錯誤を重ねるしか手段はない』
『そうだね、零。私もやるよ』
『それじゃあ、隼乃。まずは手短にクラスメイトからだね』
『見込みのある人達をリストにして』
『一人ずつ観察して、私達で報告し合う。いけると踏んだら思い切って接触。どうやってコンタクトを計るかはその時に考える。こんな暗号文でのお喋りに混ざってもらえる相手だとは限らないからね』
 
 とてもワクワクしながら、隼乃は計画行動を開始した。
 しかし、それは決して成功しなかった。
 
『まずい。スパイがいた。私達のような存在を見つけて、怪人社会に報告するための奴が』
 
 最後の交換日記を受け取るとき、この日を最後にもう二度と零と会えなくなるとは、想像すらしていなかった。
 実際に日記に目を通し、解読作業を終えて初めて、隼乃はその文面に戦慄していた。
 いざ接触した相手が、よりにもよってスパイだったのだ。
 潜在的な犯罪者を見つけ出し、告発するための役目を与えられた人間が、小学校や中学生の子供の中に紛れていた。
 次の日、零は学校に来なかった。
 リストアップしたクラスメイトの名前も漏れ、全員が教育センターや収容所や慰安所のどこかに連れて行かれて、人が死ぬ労働現場へいった者もいるだろう。
 母親さえも奪われた。
 隼乃は一瞬にして一人になった。
 
 一ノ瀬隼乃。あなたは優秀な頭脳があるので特別に無罪とする。
 ただし、あなたが受けるはずだった処罰は、全て他の人間に肩代わりさせる。
 以後、このようなことがないように――。
 
 それが、裁判での判決だった。
 前科一犯となった隼乃は、数日後には処刑場に連行され、クラスメイトだった人達と、母親が銃殺される瞬間を強制見学させられた。
 目を逸らしたり、まぶたを閉じれば、受刑者が死ぬ前に受ける苦痛が増えるという条件まで課されていた。
 お前のせいでこんなに死んだぞ。
 そう言わんばかりの死刑であった。
 
     ††
 
 そして、それを契機に子供達の一斉検挙が行われた。
 潜在的な反逆者を探るため、緊急による精神鑑定が全校生徒に実施され、隼乃達二人がリストに名前を入れてしまったクラスメイト以外にも、何十人もの人達が巻き込まれた。
 見せしめの例を作るため、三十人以上の中学生処刑が執行され、手足を切り落としたダルマのような遺体が、釘によって十字架に打ち付けられ、それらの磔は校庭に飾られた。
 その作業をやらされたのは――隼乃だった。
 手足の痛々しい断面と、おそましい死臭に晒されながら、怪人の監視下で遺体に黙々と釘を打ち込んだ。校庭に穴を掘り、倒れないようにしっかりと飾り立てることまでも、隼乃がやらされた作業であった。
 頭がおかしくなりそうだった。
 自分の学校の生徒に対して、亡骸を弄ばなくてはならないなど、釘をつきたて金槌を振り下ろすたび、隼乃の精神は抉られていた。中には見知った顔もあり、教室で会話をしたことのある女の子や、感じの良かった男子や、果ては子供想いだった先生にまで、長い長い釘を打ち込んで、十字架の板に固定した。
「お前のせいだ。一ノ瀬隼乃、おまえのせいでこんなに死んだぞ」
 監視役の怪人から、呪いの言葉を吐かれ続けた。
「お前のせいだ。人殺しはお前だ。お前のせいで起きた悲劇だ」
 そんな言葉を聞かされながら、どんなに心がおかしくなっても、その作業から逃げることは許されなかった。もし逃げたり抵抗を試みれば、滝見零も処刑して、親友の遺体にも釘を打たせると脅されていた。
 そして、やっとのことで地獄の作業が完了すると。
「よく頑張ったな。これはご褒美のプレゼントだ」
 そう言って、監視役の怪人は――。
 
 母親の生首を手渡してきた。
 
 まるでボールを投げ渡してやる程度の感覚で、ちょっと驚かしてやるというくらいの気持ちで怪人は、衝撃を受ける隼乃の表情を楽しげに眺め、人が絶望している瞬間を嗜むそういう娯楽に嬉々としていた。
「あーあ。お前のせいで母親まで死んだな。一ノ瀬隼乃は立派な大量虐殺者だ」
 全て、何もかも、隼乃のせいなのだと刷り込んだ。
 人殺し、人殺し、人殺し――。
 人殺しはお前なのだ。
 そうやって隼乃を責め立て、地獄を見せることこそが、怪人社会が十三歳の少女に下した処罰の内容だった。