第2話「怪魔次元から来た少女」part-B



 滝見零の処遇について尋ねたが、生きているのか死んでいるのか。どこに送り込まれたのかさえ、一切の情報を教えてはもらえなかった。
 ただ、ロクな運命は迎えていない。
 と、それだけを伝えられた。
 
 その後――。
 
 母親を亡くし、今まで会ったこともなかった父親に引き取られる。
 そして、一ノ瀬隼乃は改造人間となった。
 
     ††
 
 一ノ瀬隼乃は父親を知らずに育った。
 母親は何も父親について語ったことが一度も無い。
 実は遺伝子上の相性で、天才児が生まれる可能性の高い組み合わせだったため、法的命令で出産を義務付けられて出来た子供らしいと、隼乃は初めて自分の出生秘密を知った。ある意味では作られた天才であり、滝見零もまた同じタイプの人間だったという。
 父である裕次郎は怪人社会に数多くの貢献を果たし、巧妙に取り入って、贅沢を享受できる世界人口二割側の存在となっていた。こうしたわずか限りない一部の人間だけから、出生時点で振られる奴隷番号が撤廃され、初めて基本的人権を獲得する。
 怪人ではない、人間のまま人権を獲得できるのは、歴史上でもレアケースだという。
 しかし、れっきとした人間でありながら、父親は普通の人間ではなかった。
「お前が受けた処罰の内容を聞いたぞ。あれだけやれば、亡骸を蹴り飛ばし、他人の命を奪うことにも、少しは抵抗が減ったんじゃないか?」
 開口一番。父から娘への言葉がそれだった。
「たかが人殺しじゃないか。別に気にすることはない。あくまでも執行したのは執行官だ」
「…………」
「どうした? 元気がないな。自分だけは助かったんだ。もっと喜べばいいものを」
 人間でありながら、目の前には立派な怪人が立っているような気がしていた。何の疑問もなく、自分の言葉こそが常識のように語る姿に、しかし隼乃は何も言わなかった。何を言い返すどころか、心の中で何を思う気力も、この時にはなかった。
「しかし、凄いじゃないか。心に同じ爪と牙を隠し持ち、世界の誰にも気づかれないように研ぎ澄ます。まさか私と同じように育っていたとは、さすがは我が娘といったところか」
 どこからか隼乃の事情を知り、生かす価値のある優秀な娘だからと働きかけ、要望を飲んでもらえたおかげで隼乃は助かったらしい。
 そう、怪人の仲間だ。
 立派な、怪人の、だから父親の働きかけが、怪人社会相手に通用した。
「お父……さん……?」
 こんなものが、父親なのか。
 隼乃の心にはそんな想いが宿っていたが、そんなことに気づく父親ではなかた。
「私にも君が娘である実感はない。呼び方は好きにしたまえ」
「裕次郎さんも、怪人社会を相手に……」
「隼乃。君はただ助かったのではない。私が掛け合ったとき、その出された条件は、血の繋がりを持つ父親の手で改造を行い、その体を怪人と同じにすることだ」
 一ノ瀬隼乃、十三歳。
 そのときから普通の人間を捨て、改造人間として生まれ変わった。
 
「改造された肉体! それをさらなる超人と変える強化服!
 一ノ瀬隼乃。これで君は無敵となったのだ!」
 
     †
 
 東京上空には巨大要塞が出現していた。
 雲のように浮かんだ城は、本来なら青空の一部を隠して、大都会のスクランブル交差点に相応の大きな影を落とすはずだが、あるべきはずの影はかかっていない。地上の誰も要塞の存在に気づいてすらいない様子だ。
 光学迷彩によって透過している要塞は、あまつさえレーダー機器といった探知システムさえも跳ね除ける。
 その城内一室に長身の少女はいた。
 百七十センチ後半の身長でいて、少女と呼ぶにはあまりにも凛々しい眼差しの持ち主だ。ほどよい光沢を帯びた艶やかな髪質は、その黒髪が少しばかりなびいただけで、綺羅星が散らされたかのように輝いて見える。。
 あまりにも中性的で、美しいルックスの持ち主だった。
 例えるなら、御伽噺に登場する白馬の王子と、夢見がちで純粋無垢なガラスの乙女を、どうにかして掛け合わせ、顔立ちに視覚トリックでも仕掛けたように、角度によって美少年とも美少女とも映るように仕立てた美貌の怪物といえた。
 一ノ瀬隼乃、十六歳。
「…………」
 隼乃は静かに鏡を睨み、そこに映し出された自分自身の裸体を見ていた。
 外見は人間のそれと変わらない。
 よく磨いた表面であるような艶やかな美白肌と、半球ドームによく似て綺麗な円形を成す胸の小ぶりな膨らみは、改造手術を受ける前と変わっていない。初めて人間を捨てた十三歳当時に比べて、順調な発育で腰のくびれから骨盤にかけてのラインも整っている。
 鏡の自分を見ていると、たまにはこの身が兵器となっていることを忘れてしまう。
 そう、隼乃は改造人間。
 父である裕次郎の計らいにより、改造手術を受けた隼乃は、身も心も悪に染まったということになっている。うわべでは脳内チップの移植によって、洗脳を行ったこととしてあるが、実際には洗脳手術の執行など真っ赤な嘘で、隼乃はれっきとした自分の人格を保っている。
 ただ父の手で娘の肉体にメスを入れ、改造したという事実だけでも、怪人達は十分に満足しているところがあった。
 人口筋肉を繋ぎ合わせ、新臓器の移植を行い、聴力強化のための鼓膜改良や視神経の強化に加え、皮膚細胞も簡単には破壊できないものへと変えられた。
 空気の味から含有成分を言い当てることが可能な味覚。同じく匂いで物質を見分けることが可能な嗅覚。皮膚感覚で温度を計り、ミクロの触感さえも判別可能な触覚。いわゆる絶対音感から、人間には視認不可能な速度を見抜く動体視力。
 脳の改造も、洗脳チップとは異なる別の機能の移植により、一度見たものを写真のごとおく瞬間記憶できる性能から、動画の再生や巻き戻しのようにして、視覚から保存したデータを繰り返し確認できる能力まで与えられている。
 隼乃の肉体で普通の人間と変わらないのは、その外見だけだ。
 自分で自分の胸に触れてみて、その感触が普通の女の子と同じなのだとしても、素手で金属を捻じ曲げる人間を普通の人間と呼びはしない。
 立派な、怪人だ。
 ただ隼乃は、いつしかこう考えるようになっていた。おぞましい悪魔と戦うには、同じだけの悪魔と契約を結ぶしかない。校庭に生徒達の何十人もの磔が並ぶ、あの惨劇を原因となってしまい、地獄に手を染めた自分には、お似合いの状況にも思えていた。
 いい加減に着替えた。
 スキニータイプのジーパンを穿けば、長い脚のラインがすぐに際立つ。
 胸にシルバーカラーの下着をかけ、シャツを着込んだ上に黒ジャケットのジッパーを締めてやれば、背中にある薔薇のマークがよく目立ち、覗けて見える鎖骨周辺の白い皮膚が、独特の色香を放出した。
 指貫グローブを嵌めると無理なく似合い、隼乃にとってにいつもの服装が出来上がる。
 そして、腕にはエックスブレスを装着した。
 父の言葉を思い出す。
 
 隼乃。君に授けよう。
 パワーに優れたエックスブレスは、私の手で完成したドレスアップシステムの第二号機にあたる。シルバーの変身カードによって仮面プリンセスシルバーXに変身すれば、あらゆる怪人よりも上回る腕力が発揮可能だ。
 第一号機は、技とスピードのローズブレス。ブラックの変身カードを使う。移動行為に対するエネルギー処理に工夫があるので、本人にその気がなくても、思っていたより素早く動いてしまう代物だ。パワーには劣り、慣れなければ使いこなすのは難しいが、特別な訓練を積んできた隼乃であれば問題ないだろう。
 この二つの変身システムを使い分けろ。
 ドレスアップシステムは無敵だ! 怪人よりも強いのだ!
 
 この日が来るまで、隼乃は元の世界で特訓や勉学に明け暮れていた。
 全ての怪人達は、自分の肉体形状や能力に合わせ、世界に一つしか存在しない固有の格闘術を会得している。
 ハサミを持つカニ怪人なら、両腕の重量を駆使した動きに優れる。翼を持つ種類の怪人には飛行能力を前提とした組み技や関節技があり、組みついた相手を空に持ち上げながら落とすなどの投げ技も存在する。
 普通の人間を想定した武術だけでは、対怪人の立ち回りは難しい。
 対怪人のための立ち回りは、関節技の決め方はどうするべきか。
 この思想を科学的視点から極めるため、格闘技術から武器術までを学ぶ一方で、怪人生体学についても叩き込み、骨格と筋肉構造を力学的に研究して、理論上可能なはずの対怪人用の関節技や組み技のアイディアを多数まとめた。
 実際に稽古の場に怪人を呼び、技の有効性を試していった。
 蜘蛛の系統に使える技、コウモリ系統、サソリ、植物のサラセニア――。
 戦う準備は十分にやってきた。
 今日からが本番だ。
 
     ††
 
 そして、一ノ瀬隼乃はテェフェル首領の下へ向かう。
「ゆくぞ。一ノ瀬」
「……マンモス将軍」
 雄々しい顔立ちの男は、数々の怪人を率いる幹部である。そのマンモス将軍の案内で、首領の御前へと訪れるも、そこに首領本人の姿はない。用心深い組織のボスは、自分の仲間にさえも滅多に姿を見せないのだ。
 その代わりとして室内に掲げられているものは、テェフェルを象徴する悪魔のマークと、まるで宗教のように組織の記号を崇める祭壇や松明の飾り付けだ。
『ようこそ。一ノ瀬隼乃くん。我がテェフェルへ』
 発せられるのは、どこからかリアルタイムで送信される音声に過ぎない。男の野太い声が本人のものだと言い切る保障もなく、おそらくはマンモス将軍も、首領の本当の声すら知らずにいるはずだ。
『我らが故郷たる怪魔次元では、前科一犯である隼乃くんだが、テェフェルの寛大な心は君を受け入れ、その優秀さによって特別な地位を約束する』
「…………」
『目的は多次元征服。怪魔次元を支配する大皇帝の命により、多数の世界へ同時に派遣された組織の一つ。我らがテェフェルはこの次元の征服を必ずや達成し、偉大なる大皇帝の野望に貢献するのだ』
 怪人社会の恐ろしいところは、別次元への移動技術を開発して、別世界にまで侵略の手を伸ばそうとしている点にある。
 しかし、複数の悪の組織を作り出し、多次元へと派遣する行為は、隼乃にとってはまたとないチャンスとなる。分散した勢力を一つずつ潰していき、最後には怪魔次元に乗り込めば、大皇帝の従えるべき戦力は激減している。
 もちろん、隙の出来た大皇帝を直接狙いに行く手もあるだろう。
 隼乃としては、大皇帝との直接対決を初めから行い、序盤のうちに大頭を落としておこうと提案したが、父の裕次郎がこれに反対した。
 いきなり乗り込んでも勝ち目はない。
 まずは別次元の世界を見に行けと、頑ななまでに自分の意見を押し通した。
 まあ、それもいいだろう。
 多数の怪人軍団を従える大皇帝はさぞかし強いに違いない。それに怪魔次元を舞台に戦っていたところで、こちらが有利になればなるほど、派遣した組織を呼び戻し、次々と戦力を回復させてくることだろう。
 フル戦力による怪人軍団と、個人で戦う――不可能だ。
 散らされた戦力を潰しに出かけ、全ての悪の組織を殲滅した後の方が、怪魔次元では戦いやすいことに違いは無い。
『だが、そのためにも組織の命令は絶対だ。万物の悪魔に誓い、これから悪行という悪行の限りを尽くし、この世を支配する一人となることを宣言するのだ』
「…………」
 隼乃は何も答えなかった。
 笑いを堪えていた。
 おかしくてたまらない。元々は怪人社会への反逆罪で、独裁政治による隼乃への制裁は、死刑だろうと強制労働だろうと不思議はなかった。その隼乃が無事に済んだことはおろか、あまつさえ今の今になっても気づいていない。
 本当は恐れていた。
 実はとっくにバレていて、既に対策を打たれているのではないか?
 潜在的な恐怖を常に抱えて、それが日々のストレスとさえなっていたが、どれだけ馬鹿馬鹿しい恐れに振り回され、必要もない悩みを抱えてきたのか、ここにきてはっきりわかった。
「どうした。組織への宣誓だぞ。悪行の限りを尽くすと誓え!」
 マンモス将軍が言葉で促す。
 それは今隣に立つ幹部でさえ、隼乃の本心を見抜いていないことの証明だった。
「――ふっ、ふふふふふ」
 ついに笑いが堪えきれなくなった。
「一ノ瀬。何がおかしい」
「ふふふはははは! はっはっはっはっはっはっはっはっは!」
 止まらなかった。腹の底から溢れるものが、自分でもどうにもならないほどに吐き出され、笑えて笑えて仕方がない。
「ははは! あっはははは! はっはっはっははは!」
 改造された肉体でありながら、それでも腹筋が壊れるのではないかと思うほど、無限に沸き続ける笑いで死にそうだ。
「何を笑う。貴様狂ったのか?」
「お生憎だが、正気も正気。大正気!」
「何ィ?」
「マンモス将軍! お前も、そしてテェフェル首領も、私の想像していた以上の遥かな大間抜けなことが笑えて笑えて仕方がない! 悪行だと? 世界征服? ましてや多次元征服の達成に加担するつもりなど――初めからない!」
「馬鹿な、冗談を言っている時ではない。首領の前であるぞ!」
「冗談? お前達の行う独裁がために、私の親友だった滝見零も無事ではいない。私にはその仇を取りたい気持ちがある!」
 一時とて忘れたことはない。
 世界の誰にも教えるはずのなかった自分の心を、生まれて初めて明かしあった仲だった。志しを果たすことなく終わった零の意思は、これから改造人間として引き継いでいく。
「一ノ瀬。お前は洗脳措置を受け、悪の喜びを知ったのではなかったのか!」
「そんなこと私が知るか」
 隼乃の脳に埋め込まれたのは、洗脳チップなどとは全く別の代物だと、そんな情報を教えてやる理由がない。
『マンモス将軍。その馬鹿者を始末しろ!』
「お前達こそ! 全ての悪の組織を倒すため、その与えられた力をお見せしよう!」
 隼乃は両腕を横に広げて、腕全体で半円を描くかのように、指先が天を向くまで上へ上へと回転させる。
 ドレスアップシステムの起動方法は、モーションコードによるチェンジプログラムの呼び出しである。変身用カードに閉じ込められた物質情報が、エックスブレスの内側で読み取られ、解放されることによって、元の着衣と入れ替わる形で自動的に着用される。
「――変――身ッ……!」
 その変身ポーズの過程により、両腕が耳に触れたとき、隼乃は胸の手前に両腕をクロス。
 腕で作った『X』の交点で、右側の腰横を叩く。
 左腕だけをバウンドのように持ち上げ、手の平は天井向きとしておく。浮いた左手を追うかのように右腕も浮かせ、右手の甲と左腕の肘を接着。甲に肘を乗せた形を作ったら、最後の動作に移行する。
 右側にある両腕をだんだん左へスライドしていく。
 右向きだった左手の指も、移動につれて少しずつ左側に回転していき、およそ左肩のラインを通過した瞬間がモーションコードの入力完了だ。
 どこからともなく、急に風に吹かれて現れて見える銀のリボンが、螺旋を成して隼乃の身体に吸い付くのは、元の着衣物から変身後のシルバードレスへと、分子レベルで急速に交換されていく際の過程の一部だ。
 全身がカメラフラッシュのごとく発光し、内側から破裂して四散して見える光景は、変身完了を示す装着現象の一つ。変身前の元の着衣の物質情報は、ブレス内部のカードに格納され、また変身を解く際に同じ分子交換が行われるのだ。
 変身が完了して――。 
 そこにあるのは白銀の衣装を纏ったシルバーXの姿である。
 いよいよだった。
 今日まで準備を重ねてきたシルバーXにとって、その緊張感はショーの舞台で本番の失敗を恐れる比ではない。自分一人の力でどこまでできるか。親友の無念は晴らせるか。世界独裁の悪しき怪人社会を変えられるのか。ありとあらゆる命運がかかっている。
 敗北はすなわち死に間違いない。
 いや、あるいは死ぬ以上の末路だろうか。
 途方もないプレッシャーを背中に乗せ、自分が潰されないようにするためにも、シルバーXは己を鼓舞するための言葉を放つ。