第2話「怪魔次元から来た少女」part-C



「悪を目論み悪を成す。そんなお前達が嫌ってやまない正義を名乗る!
 白銀の拳を持つ私こそが! 自由と平和の戦士! 
 ――仮面プリンセスシルバーX!」
 
 少しでも己を奮い立たせるため、彼女なりの切実さで高らかに声を張っていた。 
「おのれシルバーX! 我々を相手に正義を名乗る反逆行為が、いかに我らの怒りを買い、恐るべき挑発行為となるのか、当然わかっているのだろうな!」
「わかっているともマンモス将軍! 自らを悪と理解し、悪の美学を誇りとする。自分で自分を悪と定義する連中とあらば、当然私は正義を語らせて頂こう!」
「よかろう! 望みどおり殺してやる! 出でよ怪人ども!」
 その瞬間だった。
 まるで画面上で表示切替でもしたように、シルバーXの視界にはパッといきなり、四人の怪人達が並んでいた。
 四人の怪人は次々名乗る。
 
「ゴライアス!」
 
 ゴライアスは蜘蛛の怪人。
 顔に八つの目を並べている。
 
「カニサソリ!」
 
 カニサソリはカニとサソリを併せ持ち、頭部のつむじあたりから、サソリそのものの尻尾を伸ばしている。両腕の手首から先を大きなハサミとし、肩や胸板を覆う甲殻はまんべんなく赤みがかかり、ところどころにトゲを突起させているのはカニの甲羅を思わせた。
 
「コウモキュラス!」
 
 両腕を皮の翼としたコウモキュラスは、全身を硬いこげ茶色の皮革で覆い、唇の両端からは長い牙を露出している。
 
「サラセニードル!」
 
 植物のサラセニアであるサラセニードルは、実は光合成の可能な緑色の皮膚を持ち、両腕には伸縮自在のツタを発達させている。
 
 この四人の怪人がシルバーXを取り囲む。
 すぐにシルバーXは歩法を意識。
 多人数を相手にするため、迅速な方向転換に適した両足の置き方は、つま先を両側に開いてV字のように広げている。
 そして、全身脱力。周囲の気配を皮膚に取り込む。
 
 ――プシュゥゥゥゥ!
 
 スプレーの噴出音によく似た音を立て、ゴライアスが口腔から糸を放つ時には、わずか一瞬手前のタイミングで、シルバーXは既に攻撃を避けていた。
「トォウ!」
 さらには拳が顔面を捉え、ゴライアスの意識をたった一撃で落としていた。
 ゴライアスにとってのこの一連の出来事は、自分が攻撃を仕掛けたと思ったら、次の瞬間には視界に拳が迫っていたことになるはずだ。発射糸をくぐるようにして、姿勢を低めながら正面に踏み込む移動で、微妙にかかとを浮かせた殴り方は、パンチというより体当たりに近い勢いで威力が出た。
 自分の拳がゴライアスの顔に接した瞬間、相手の意識が宙へ離れて、ふらりと脱力して倒れゆくのが、皮膚感覚によって理解できた。
「さあ、どうした。これしきの怪人では相手にもなりはしないぞ!」
 シルバーXを輪のように囲んでいた怪人達は、急に何歩も後方へ下がっていき、迂闊に近づきたくない様子をありありと浮かべ始める。
「ええい! 俺が先陣を切る!」
 思い切って出てきたカニサソリは、巨大な両腕のハサミをハンマーのごとく振り回す。
 横一閃。
 常人には視認すらさせないスイングスピードが、バックステップで避けるシルバーXの鼻先を辛うじて掠めずに済んでいた。
 隙が出来ることなど気にも止めない、重量あるハサミの大振りだが、カニサソリはそう簡単にチャンスを与えてくれない。頭部から生える尻尾だ。迂闊に正面から近づけば、毒針を突き刺してやろうと先端を向けている。隙のカバーが上手かった。
 だが離れても、大股による踏み込みで迅速に距離を詰め、何度でもハサミを振り回す。
 それを避けると、床に大きな亀裂が走る。壁が崩れて穴が空く。さらに何度も、下に叩きつけることで巻き上がる粉塵が、腰の高さまである煙を周囲数メートルにわたって漂わせる。
「どうだ! 俺の威力を見たか!」
「これしきのパワーとは笑わせるな!」
 シルバーXは次の一撃を片手で止めた。
「何っ!? 馬鹿な!」
 バスケットボールよりも大きなハサミのサイズは、どんなに手の平を大きく広げたところで包みきれない。掴むというより、そえているといった方が正しいほどだ。
 それでも抜けない。
 まるで狭すぎる隙間にでもはまったように、どんなにカニサソリが腕を引き、重心を後ろにかけても、そえただけの指圧力が決してハサミを離さない。
「トォウ!」
 シルバーXの回し蹴りが、その足の甲が相手の側頭部を捉え、カニサソリは壁の向こう側にまで突き抜けて吹っ飛ぶ。
「ニィィィィィドォォォォォォォォォ!」
 奇声とも雄たけびともしれないサラセニードルの声。
 その腕から発達しているツタは、伸縮自在で硬度も自由。あたかも腕から剣が生えているように形状をコントロールしたサラセニードルは、シルバーXの回し蹴り直後、比較的隙の大きいであろうタイミングに向け、背中を突き刺そうと迫っていた。
 しかし、サラセニードルの視点からすれば、シルバーXは突然消える。
 もちろん、本当に消えてなどいない。
 相手の視野を計算して、急に視界の外へ出てしまうことにより、まるで消えたように見せかけるテクニック――実際にシルバーXが取った動きは、勢いよく体重を落として倒れこみ、床に背中をつけるということにすぎなかった。
 仕掛ける技は柔道にある蟹挟み。両足で挟むがごとく、相手の両足を捉えて倒す。急速に倒れるサラセニードルと入れ替わるように立ち上がり、シルバーXがその頭部を踏みつける。サラセニードルは意識を手放し、ぴくりとも動かなくなった。
「ならば俺の速さを見ろ!」
 ばさりと翼を羽ばたかせ、身体を宙に浮き上げたコウモキュラスは、正面に動こうとする翼の予備動作を見せる。シルバーXがそれを認識した時には、既に突風が髪をすり抜け、背後に気配が立っていた。
 翼の腕で抱きついて、首元に噛みつこうとする。コウモキュラスの牙にかかれば、生き血をストローのように吸いきるまでにかかる時間など一瞬だ。
「トオァ!」
 背中に背負い上げる投げ技で、即座にコウモキュラスを叩き落す。倒れたところへすかさず追撃のパンチを放つも、コウモキュラスは即座に消え、空振りに終わった拳が床にめり込む。
 ――上にいた。
 気づいたシルバーXは、上方向へのパンチを出すも、出したと同時に消えてしまう。まるで初めからそこにはいなかったかのように、まばたきを行うだけのあいだに遠くへ行ってしまったように、翼を使った風圧だけが残されている。
 ――後ろ!
 次の一手を直感的に悟ったシルバーXは、後ろを確認する時間も惜しく、急いで素早く背面蹴りを放っていた。
 後方へのストレートが、コウモキュラスの胸に足裏を打ちつけることにより、超速度を急停止させていた。
 使った足を引く動作と同時にして、軸足回転と共に振り向く。その振り向く動きには、さらにパンチの予備動作で、腕を事前に引いておくことまでが含まれる。
「トオッ!」
 利き腕である左の拳が、コウモキュラスの脳天を打ち鳴らした。
 コウモキュラスは吹き飛び、障子に石を投げつけた程度の感覚で、厚い壁を破った向こう側まで消えていく。
「雑魚では話にならんぞ! マンモス将軍!」
「よかろう。我が手で殺してやる」
 両者が睨み合う。
 シルバーの変身カードを使った仮面プリンセスの能力は、スペック上では百トンを超えるパンチ力が発揮可能だ。指圧力によって指を鉄板にめり込ませることも、巨大な鉄球を拳で迎え撃ち砕くことも難しくない。
 しかし、腕だけの強靭さが生み出すのは、パンチやチョップの強さのみである。
 実戦上では歩法や腰の回転も重要であり、より重いパンチを出すためには、踏み込みによる重心移動が欠かせない。そもそも当てる必要があり、当てるためには相手側の立ち回りについて行かなければならない。殴るという動きには、足のつま先や胴体までもが連動して、だから単純な腕力だけでは勝敗など決まり得ない。
 シルバーXが細身なのは、人口筋肉のパワーからして外見に反映されるほどの筋肉量が必要ない部分もあれば、ボディビルダーのような魅せる筋肉を初めから意識していない点もある。隼乃が準備期間に鍛えてきた筋肉は、全て「よりよく動く」ことを主目的に置いていた。
 丹田。武術において重要視される腹の内側。
 腹筋というよりも、もっと内部にある筋肉にかけて鍛えていた。
 その鍛えた肉体の上に、ドレスアップシステムに備わるスペック上のパワーを加算している計算だ。
 マンモス将軍の足腰が、たった一ミリでも前に出ようとした途端、シルバーXは全身で反応していた。
 相手もまた、一つの動きに他のあらゆる部位を連動させる。
 ならば、ごくわずかな挙動から、経験則によってその後の動きを見抜くのは、決して不可能なことではない。
 正面打ちで、パンチが来ると一瞬で読めた。
 読めたからには、その時点から動きを取る準備に入り、片足を宙に浮かせた状態から、シルバーXは空手にある受け払いを――腕で相手の拳を外側に押し出そうとする防御法を行う。
 受けた拳の鋭さを、皮膚感覚で味わいながら――真横への踏み込み!
 そう、事前に浮かせていた足だ。これでサイドに踏み込む。床を強く踏む力で、全身の体重を駆使する形で、より重みをかけてパンチを外方向へ押し飛ばす。
 仮面プリンセスのパワーがため、マンモス将軍の腕は尋常でなく横へと逸れる――だけではなく、踏み込む足とは別の、もう片方の足をバウンドさせるイメージで、ガードと同一のタイミングから回し蹴りを放っていた。
 側頭部へ迫るシルバーXの足甲は、しかし腕のガードに止められる――否、あえて受けさせたという方が正確だ。片腕が逸れている状態で、さらに残りの腕もガードに使って、両腕とも一時的に使用不能となるタイミングを、シルバーXが技巧的に生み出したのだ。
「トォウ!」
 素早く膝を縮め、バネのような跳躍で飛び膝蹴り――膝がマンモス将軍の顔面に向かう。
「フンッ!」
 マンモス将軍は頭突きで迎え、膝と頭部が接した途端にマンモス将軍の額は割れ、シルバーXの膝にもダメージが入ってしまう。壁打ち反射のようにして、元のジャンプ地点まで戻されたシルバーXは、
「フォァ!」
 さらにつま先蹴りを鳩尾に埋め込まれ、息の止まる痛みに呻くも、腹筋力で弾き出す。
「トゥオッ!」
 左腕によるストレートパンチ――マンモス将軍は背中を逸らし、そのパンチは腹と胸板の上を通過するばかりとなる。
 腕を引くとき、くっついてきた。
 パンチという動作では、当然伸ばした腕を引いて戻す。この拳を引く動作に、あたかも磁力で額と拳がくっついてしまったように、シルバーXの拳にマンモス将軍の頭がついてくる。
 つい上半身のボディコントロールに意識がいくが、それがマンモス将軍のテクニックで、目線を上部に引き寄せつつ、足運びを見せないように迫ってきたと、シルバーXは即座に悟っていた。
 そのときにはもう、シルバーXは抱きつかれていた。腕力の限りを尽くした力強いロックに身体を持ち上げられて、バックドロップをやるつもりだとわかる。床に頭部を打ちつけ、決定打を与えるつもりだ。
 だが、シルバーXは両足を駆使した。
 二つの膝を折り畳み、ちょうどマンモス将軍の背中が反り、これから胸と腹部が天井に向くわずか手前のタイミングで、畳んだ足を解放する。二つの足の甲が、マンモス将軍の膝に上手いことぶつけて、相手の膝関節をコントロールした。
 傍からの見え方としては、まるで重過ぎて落としてしまうかのように、マンモス将軍はシルバーXを床に戻してしまう――その瞬間に合わせ、シルバーX自身も勢いよくしゃがもうとする動作を使い、重心を勢いよく下向きに落とすことで、腕力によるロックからすっぽ抜けてみせていた。
 しゃがみ姿勢から、瞬間的に足を伸ばして蟹挟み――倒れるマンモス将軍との入れ替わりであるように、シルバーXは立ち上がる。
 今だ。いける。
「トォォウ!」
 空中回転を交えた跳躍で、後方数メートルまで飛び退く。
 着地後、素早いステップで距離感を微調整。
 
「トウ!」
 
 再びジャンプ。
 さらに空中でフォームを整えていき、シルバーXは利き足である左でのキックを狙う。
 
「シルバー――――」
 
 高い視点からマンモス将軍を見下ろして、シルバーXはゆったりと滞空していた。微細な浮遊機能を持つコスチュームは、空を飛んだり宙に浮かべるわけではないが、滞空時間のコントロールで落下までにかかる時間を延ばせる。
 それ故、非情にゆったりと、スローモーションじみてゆっくりと、シルバーXは左足を折り畳んでいきながら、これからキックを放つための身体角度も調整していた。
 
「――――十字キィーック!」
 
 赤い閃光がアルファベットの『X』を成し、足裏に文字を貼り付けたようなキックが、急激な速度を持ってマンモス将軍に直撃した。
 シルバーXの足にあるのは、勢いよくぶつけてやった衝撃と反動。
 神経を流れるエネルギーが接触点を通じて敵身体に流れていき、間違いなく大技を喰らわせたという感触を得ていた。
 だが、シルバーXは驚愕した。
「何ッ!? 私のシルバー十字キックを受け、死なないだと!」
 シルバーXの持つ必殺技とは、相手の肉体組織を破壊して、神経や細胞の結合を分断していく超エネルギーを叩き込み、怪人の体内に破壊現象を引き起こすものである。その破壊現象が全身に満ち溢れるとき、最後に起こる現象こそが怪人の爆死四散だ。
 しかし、マンモス将軍にそれが起きない。
 もちろん、当てれば必ず勝つ技ではない。もし絶対に怪人が死ぬなら、シルバー十字キックを当てるためだけの合理性を追求すればいい。しかし、怪人の持つ超免疫は破壊現象に抵抗するため、体力の残っている怪人は必殺技を当てても死ににくい。まだまだ力を削りきれてはいなかったということだ。
「ふふふっ、ははははは!」
 今度はマンモス将軍が笑っていた。
「何を笑う! 貴様こそ狂ったのか!」
 いずれにせよ、相手の体内に裂傷を与えた感触はあった。死なないにせよ、相当な深手を与えて、シルバーXが優位に立ってはいるのだ。あとはトドメを刺すだけの状況だが、マンモス将軍は堪え切れない笑いに腹を抱えているのだった。
「シルバーX! これを見ろ!」
 その手には――ドレスアップシステムが握られていた。
「しまった……!」
 まさか。今の一瞬で掠め取ったとでもいうのか。
「仮面プリンセス一ノ瀬隼乃! 状況によって二種類の変身を使いわけるため、貴様が二つの変身ブレスを授かっていたことは知っている」
 その一つ。
 数々の実験機や試作を経て、ついに出来上がった完成版の二号機が、シルバーX今現在の変身であるエックスブレス。よりパワーに優れたスペックを備え、どんな怪人にも腕力で負けるということはない。
 そして、一号機こそがローズブレス。
 技とスピードを重点的に強化して、手足の稼動速度によって細やかな技を素早く放つ。胴体内部の筋力強化が行われ、まさに「よりよく動く」ための変身が行える。
 取られた……。
 これから数々の組織を相手にして、テェフェル以外にも別世界に存在する悪と戦い、多次元征服を阻止した上、最終的には諸悪の根源たる大皇帝を倒す。遠く果てしない目標に欠かせない備えとして、父から受け取ったはずの力が、こんなにも早く奪われた。
 何をしくじっている。何をやっている。
 ……失敗は許されない。
 一刻も早く取り返さなければならない焦りにかられ、動揺しているシルバーXの前で、マンモス将軍は今頃になって、人間体から怪人体への切り替えを行っていた。
 まるで皮膚の内側で風船でも膨らませているように、胸や二の腕の筋肉が盛り上がり、内側からの圧迫で着ていた服が引き裂けていく。
 毛穴からみるみるうちに茶色の毛が生え揃う。
 肩の先から、鎖骨を皮膚から突出させたかのような象牙が左右に鋭く伸びる。
「キングマンモス!」
 マンモス将軍の変身――その怪人としての名を名乗った。
 何故、怪人の姿を温存していた。人間体のままでは一方的な勝負となり、シルバーXを相手に勝ち目がないのは明白だった。
「ゆくぞ! トォォォウ!」
 再び飛ぶ。
 空中で軽やかにフォームを整え、左足を折り畳み、改めて必殺のキックを放つ。
 
「シルバー! 十字キィーック!」
 
 アルファベットの『X』を成すための四つの点が、中心に向けて赤い閃光ラインを伸ばし、足裏に文字の張り付いたキックとなる。
「マンモスパンチ!」
 それをキングマンモスは拳で迎えた。
 キックの足裏――その『X』の文字と、鋭い拳が触れ合うとき、シルバーXは凄まじい振動が流れてくることを感じた。まるでマッサージ器か何か、振動機の上に足を置いたかのようにプルプルと、皮膚の内側が震える感覚が、足裏からふくらはぎへ、太ももへ、腹から胸に頭にかけて、急速にせり上がる。
 そして、しかしそれは断じて生易しい振動などではない。もっと血肉を断裂させ、見えない力でねじ切りたい意志でもあるような、恐ろしいエネルギーの塊によって、すぐに内臓まで揺らされる深刻なダメージを味わう。
 それは腹の内側にナイフが生まれ、それが臓器を存分に引き裂き始めたかのような激痛とさえ例えられ、瞬く間に吐き気を持ち上げ、喉まで来た血の塊が口腔から吹き荒れた。
「ぐぁああっ!」
 文字の『X』が、ガラスの崩壊のように割れた。
 ただの一撃でいたるところに負担を受け、肺の内側にも何か裂傷じみた痛みがある。全身のありとあらゆる筋肉が悲鳴を上げ、指先にかけてに激しい筋肉痛と同じ痛みが広がっている。鼻や眼球すら、理由もわからずとにかく痛い。
 痛い、痛い、痛い――痛くない箇所が思いつかない。
「どうだ。俺の威力を見たか! 仮面プリンセスシルバーX!」
「こ、呼吸法か……マンモスの鼻が持つ吸引力で……」
「人間の領域を超えた呼吸能力で、体内に振動を発生させ、生まれた波を波動がごとく打ち込み威力に変える。シルバーX、お前にもそれしきのテクニックはあるだろうが、俺の場合は次元が違う」
 スポーツにも格闘技にも、呼吸法というものは存在する。それを怪人の肉体で行い、怪人だからこそ人間の常識では測りきれない効果を生み出し、もはやキングマンモスの呼吸法は魔法か超能力の領域とすら言えた。
 ……強い。
 それでも、それでもだ。
 自分が敗北すれば、まして死ねば、怪人社会と戦える者はいなくなる。絶対に負けてはいけない。負けることなど許されない。
 起き上がることも辛いシルバーXは、左の腰横へと手を伸ばす。
 そこにあるのは、ベルトの装飾として吊り下げられたカードホルダーだ。あらゆる物質情報を格納して、ブレス機能を通すことによって解放を行うシステムは、便利な道具をカードに変えて持ち歩く携帯性を実現する。
『トドメだ。殺せ! キングマンモス!』
 首でも落とすつもりか。頭を潰すか。心臓か――。
 一歩ずつ迫る死の恐怖を脱するため、引き抜いたカードを右手首に装着しているエックスブレスのカード挿入口に差し込む。
「エックストライカー!」
 そのカードに格納されているのはバイクの物質情報だ。
 カード一枚分の仮設式異空間から、ブレス機能で読み取った情報を立体化させ、取り寄せた分子が急速に構築される。
 現れた白銀のマシンは、挨拶とばかりに自動操縦機能で動き出し、時速六百を越えるスピードでキングマンモスにその身をぶつけた。
 超馬力の突進は、キングマンモスの肉体を大いに打ち飛ばした。壁に綺麗な大の字の穴を空け、さらに向こう側にある壁まで突き抜け、いくつもの部屋の向こうにまで姿を消す。
「勝負は預けた!」
 シルバーXはすぐにエックストライカーに跨り、最高速度で発車する。
 壁を突き破り、大空から地上に落下することなどお構いなしに、シルバーXはこのテェフェル要塞の中から脱出した。
 
 この撤退からの直後だった。
 一ノ瀬隼乃が初めて光希のバイクとすれ違い、そのバイザー越しの瞳にどこか惹かれた。
 何故、どうして、心を吸い込まれるような気がしたのか。
 そんなことは隼乃自身にもわからない。
 ただこの出会いは、どこまでも偶然にすぎないのだ。
 
     ††
 
 南条光希が聞いた隼乃の話は、世界は複数存在しており、多次元征服を目論む諸悪の根源たる大皇帝が、複数の組織を各世界へと派遣。その一つがテェフェルであり、テェフェルは優秀な人間を拉致改造、あるいは家族を人質に言うことを聞かせるなどして、悪の手先に変えるつもりだという内容だ。
 そして、ドレスアップシステムの存在についても知った。
 テェフェル要塞からの脱走時、マンモス将軍ことキングマンモスに奪われたのが、二台あるうちの一号機――ローズブレスであり、その適合係数が高いのが光希らしい。光希を洗脳して悪の仮面プリンセスを生み出せば、シルバーXに対抗する有力な切り札が生み出せる。
「マンモス将軍は途中まで怪人としての姿を温存していた。また、あれほどの強さでありながら、別の切り札を用意しようと企んでいる。このことから推察できるのは、エネルギーの消費率が高すぎて、気軽に本気を出せないのではないかということだ」
「そうだね。そうでもないと、キングマンモスが自分で戦った方が早いよね」
「私としては、テェフェルにあなたを渡すわけにはいかない」
 光希は妙なプレッシャーを覚えた。
 現状、怪人社会と戦うことが可能な人物は隼乃のみ。
 光希がテェフェルの手に落ちれば、その隼乃を倒してしまう可能性がある。倒してしまえば対抗馬がいなくなり、この世界を怪人から守る存在はいなくなる。そう考えると、光希が捕まれば世界が危ないの一言に収まるだろう。
 自分の知らないうちに、自分がどれほどの重要人物になっていたのか。身に覚えのないことである日突然指名手配でもされれば、こういう気分になるだろうか。このとてつもない事実にどんな感想を持てばいいのか、まるでわからない。
 ただ、それはそれで気にかかることがある。
「別世界から来たんだよね」
「うん」
「それが本当なら、家や戸籍は?」
「……」
 返事がない。あえて聞くまでもなかったか。
 お互いの事情をまとめると、隼乃にはこの世界での身寄りがなく、光希がテェフェルに捕まれば都合が悪い。光希も光希で捕まりたくなどない、既に一度は助けてもらった恩人ということでもあり、ならば話は見えている。
「ねえ、このままうちに住んでみない?」
 光希の提案に対して、隼乃は遠慮がちな表情を浮かべていた。
「何を言い出す」
「私は狙われている。隼乃は私を守りつつ、テェフェルと潰すために戦う。これはもう一緒に住んだ方が早いと思います」
「ご提案はありがたいが……」
 いきなり住めと言われても、言われた方は困った気にもなるだろうが、身寄りのない恩人を放っておけない。自分を助けてくれた人間が、雨風に晒されて野宿だろうかと想像すると、何の良識も働かないわけがなかった。
 それに、幸いにして女同士で、何というか気兼ねがない。
 というより、一人っ子の光希にとって、どこか姉妹代わりができる面白味がありそうなこの状況は見逃せない。どちらかと言えば外向的な部類の性格上、一度気になった相手に対して光希は積極的だ。
「もちろん迷惑だったら無理は言えない。けどほら、私のうちって誰もいないでしょ? 母さんはいないし、父さんも世界のアクションスターだから、あんまり家にはいないんだよね」
 ぴくりと、隼乃が反応した。
「母親がいないというのは?」
 軽くだが、食いついていた。
「私が小さい頃から、もう亡くなってるんだ」
「……そうか」
 そう答えるや否や、隼乃の目つきが変わっていた。涙ぐんだ直後のような、それとも今から泣き出す直前の涙目のような、悲しそうの一言に尽きる瞳は、そういえば初めてバイクですれ違ったあの瞬間の目とよく似ている。
「他にも色々、美味しいものを作ってあげるから」
「う、うむ……」
 やはり、目つきが変わっていた。