第2話「怪魔次元から来た少女」part-E



 晩御飯の食材を買い揃えるため、スーパーに行くための財布を持って、一人出かけていた黒井川百合子は、まず人混み越しに光希の白ジャケット姿を見つけ、近づいてみれば本当に南条光希だったので声をかけにいってみた。
 すぐにもう一人の長身少女の存在にも目がいった。
 光希と同じく、角度によっては可愛いともハンサムとも言えそうな、中性的な凛々しい顔立ちの黒ジャケット少女は――そうだ、あの人だ。どういうわけか光希の写真を持ち歩き、いきなり百合子に話しかけて、写真の人物を知っているかと尋ねてきた、あの人だ。
 そして、その黒ジャケット少女が持っていた写真とは、どう考えても隠し撮りとしか思えない映りをしていた。
「そちらの方は?」
「ああ、一ノ瀬隼乃って人だよ。昨日知り合ったの」
「……昨日、ですか。そういえば昨日は休んだそうですけど、どうされたんですか?」
「ああ、いやね。私ともあろうものが、たまには学校をサボりたくなって、無断欠席なんて悪いことをしてしまったんだよ」
 少し、ほんの少しだけ、光希は受け答えに困っていた。
 別に百合子はそこまで鋭いわけではない。ただの普通の観察力しかありはしないが、出だしの部分で少しだけ、明らかに質問の答えに困って返事の仕方について考え込み、思いついた言い訳を苦し紛れに述べる表情に、無意識のうちに気がついた。
 だから、思う。
 ……怪しい。
 何がどのように怪しいのか、その理由を具体的には言えはしない。無理にでも理由を言うとするなら、それは「何となく」という言葉になってしまう。
 ただ隠し撮りめいた写真を持ち歩く人物が、次の日にはその相手と仲良くなり、こうして隣に立っている事実だけでも、何となく嫌だというか疑わしい。本当に何となく以上のものではないが、とにかく隼乃を好きになれそうにはないのだった。
「あまり光希さんとは話したことありませんでしたけど、結構意外です。もっと、そういう不真面目なことには怒るタイプかなって、イメージがあったので」
「うーん? まあ、本当はそうかもなんだけど、どうしても心のガス抜きがしたくて、ついつい不真面目なことをね」
 何となく光希とは喋りやすい。百合子は決してお喋り屋さんではなく、かといって口下手なわけでもなく、強いて言えば普通なのだと自分では思っているが、会話がしやすい相手とそうではない相手が必ずいる。気さくな光希とは波長が合う方で、向こうが何か話してくれれば、自分からも胸の内側にある心のネタを気兼ねなく曝け出せる。
 たとえば、自分も本当は学校をサボってみたいと思ったことがあって、だけど無断欠席なんて怖いし、仮病がバレない自信もないから、結局は嫌な気分の日でも行ってしまうと、本当ならペラペラ喋って、長い立ち話に発展したのだと思う。
 しかし、そこには隼乃がいる。
「…………」
 睨んでいるのか、違うのかは知らないが、その視線がじっと自分に向けられて、それを気にしながら話すのも居心地が悪い。
「お話はわかりました。私は買い物がありますので、また学校で」
 寄り道ばかりして、帰るのが遅くなっても仕方がないので、そういう理由で会話を切り上げ会釈をする。
「うん。じゃあね」
 手を振り合って光希と別れ、百合子はそうしてスーパーへ向かった。
 
     ††
 
「適合者リスト?」
「そう。私はテェフェルの動きを追い、その仮定で連中の作ったリストを入手。手に入れた写真の中には、あなたと黒井川百合子のものがあった」
 隼乃が百合子について切り出したのは、百合子が立ち去った直後であった。
 つまりは光希以外にも、適合係数の高い候補者女性のリストを作っているが、大抵の適合者は光希のような運動神経を備えていない。ましてスポーツすらやらない子もいる中で、もっとも条件が良かったのは光希だそうだ。
「今のテェフェルが私を捕まえようと思ったら、隼乃と戦うことになっちゃうね」
「そう。私を倒す目的で光希が欲しいのに、その光希を手に入れる過程で私と戦う必要があっては意味がない。妥協と切り替えから、別の候補者が狙われてもおかしくはない」
 と、隼乃は言う。
「ということは百合子さんが?」
「今日にでも狙われるかもしれない」
 
     ††
 
 両親共働きの家庭に暮らし、あまり晩御飯を作る余裕がない母親のため、百合子が料理を行うことも珍しくない。休日出勤の影響で今日も料理担当となった百合子は、預かった食費で買い物からマンションまで戻ってきた。
「……」
 エレベーターで自分の住んでいる階までやって来て、妙に静かだと感じていた。
 普段はもっと、敷地内を遊び場にして走り回っている子供がいたり、途中で一人くらいは他の住人を見かけるなり、すれ違うなどするものだ。たまたまそうならない日だって、普通にあるにはあるのだろうが、それにしたってどこの部屋からも、テレビの音が微妙に漏れたり、家族の声が半開きの窓から聞こえたり、一切の物音全てを含めて静かだった。
 右手には手すりの外に見える都会の景色、左手には各戸のドアが並んでいる。清掃員によって掃除の行き届いている廊下は綺麗なもので、目だった汚れがどこにもない。このマンションがきちんと管理されているいい証拠だ。
 ドアの向こうには、それぞれ人が住んでいる。
 なのに、なんだろう。
 このまるで本当は誰も住んでいない、寂れた静寂の廃墟を歩いている気分は、どうしてそんな気持ちになるのか自分でも説明がつかなかった。
 自分の暮らす部屋番号のドアノブを握り、我が家に足を踏み入れた百合子は、食材を冷蔵庫にしまいにいき、牛乳パックが一つだけ開いていることに気がついた。
 確か今は、開いている牛乳はなかったはずだ。
 四歳の茂では手が届かない。勝手に開けるわけがない。
 ……何故?
 いや、考えすぎだ。
 お父さんもお母さんも、帰りが遅いというだけで、夜中には帰ってくる。百合子の知らないあいだに飲んだのだろう。それとも本当は自分で飲んで、たまたま上手く記憶が抜けてしまっているだけに違いない。
 そう思って、それ以上は気にも留めずにいた。
 流し台に置かれたコップを見てしまうまでは……。
「どうして……」
 朝のうちに食器洗いは済ませたはずで、さすがに直近の記憶は間違いない。それなのに底に白い牛乳の痕跡を残したコップが、そこに置かれているのだった。
「茂? ねえ、茂?」
 百合子は大声で呼びつける。
「なに? おねえちゃん」
 静かに大人しく人形で遊んでいたのか。片手に仮面バイザーブラックをぶら下げて、何の用事だろうかと純粋な好奇心を働かせた目で、茂は不思議そうに百合子を見ていた。その妙にキラキラとした瞳が、勝手に牛乳など飲んでいないことを暗に証明していて、自分で冷蔵庫を開けられたのかと尋ねようと思っていた百合子の中から、もうそんな気は失せてしまっていた。
 そして、呼び出してしまった代わりの理由を見つけたいばかりに、百合子は別のことを尋ねていた。
「うちに誰か来た?」
「うん! 一ノ瀬隼乃って人!」
「そ、それって……!?」
 黒ジャケットのあの人だ。
「おねえちゃんのともだちだって」
 友達と、そう言ったのか。百合子と隼乃の接点など、急に声をかけられたあれだけで、とても親しい仲とはいえない。本当に隼乃がやって来て、そんな言葉を残していったなら――百合子の胸に湧き出す恐怖は、ひょっとして自分は恐ろしい変質者に目をつけられ、ストーキングでもされかけているのだろうかというものだ。
 いや、まさか。
 まさかだと思いたい。
 相手は女の子で、あれほど凛々しい美貌のルックスの持ち主に、ストーカーなどという言葉は似合わない。むしろ隼乃にファンが付き、隼乃がストーカー対象になる方が、よっぽど納得がいくものがある。百合子が誰かのストーカー対象にされるだなんて、ありえない。
「勝手に家に上げたりしたの?」
「してないよ?」
「……え? だって、じゃあ冷蔵庫は? さっき牛乳飲んだでしょ」
「のんでないよ?」
「それじゃあ、一ノ瀬さんはなんて?」
「おねえちゃんのともだちになったから、こんにちはってあいさつにきて、またくるって」
「ま、また……?」
 まるで不気味な犯行予告でも受けたかのように、百合子の中にどんよりとした重い影が差し掛かる。
「あ!」
 急に茂は、百合子の後ろを指していた。
 その瞬間だ。
 
 背後に誰かが立っている気配が、突如として背中の皮膚を侵していた。
 
 振り向けば隼乃がいた。
「黒井川百合子。私の正体を見せよう」
 言うが否や、隼乃の姿が変貌していた。
 皮膚の内側で骨格が蠢いて、顔面がみるみるうちに変形していく。病変が広がるがごとく、肌という肌のいたる部分が緑に変色していきながら、植物を模した怪人としか形容できない怪物の姿となっていた。
「私はサラセニードルだ!」
 それは例えるなら、芋虫から蝶へと、生物としての構造が全く変わってしまうまでの、学術的な意味での変体を撮影して、早送りによってたった数秒間の出来事にまで縮めたような、ひどく生々しい人から怪物への変身だった。
 百合子はすぐに、恐怖とショックで気を失っていた。
 
     ††
 
 マンションへと駆けつけた一ノ瀬隼乃は、改造人間としての跳躍力で、地上十メートル以上の高さを軽々飛ぶ。わざわざ階段やエレベーターを使うより、遥かに早く五階の高さへ到達した隼乃は、一直線に百合子の部屋へ向かっていた。
 その最中に聞き取ったのは、室内から聞こえるやり取りの一部。
「連れていけい!」
「イーッ!」
 怪人の指示を受け、それに従う戦闘員の声が、改造人間の聴力には届いていた。
 そして、実際にそのドアの目前まで辿り付くと、まさしくそのタイミングで内側からドアが開いて、気絶した百合子と、暴れて抵抗している男児の二人を腕に捕らえ、運び出してくる戦闘員の数々と、それを従えるサラセニードルが次々に廊下へ出てきていた。
 隼乃の存在に気づけばすぐだ。
「おのれ一ノ瀬隼乃か!」
 サラセニードルは声を荒げた。
「サラセニードル! お前達の行動予測はついているぞ!」
「お前達はさっさと運べ!」
 戦闘員達に指示を出し、ここは通さんとばかりに立ち塞がる。
「トウ!」
 隼乃はすぐに大股で、大きく一歩踏み込む重心移動と共に、右側頭部へとチョップを放つ。同時に踏み込み用の左足も、相手の足に接触させ、技をかけるために必要な組み合いの状態に近づけていた。
 次の一瞬で隼乃は、サラセニードルを床に倒していた。
 相手の右サイドに打ち込んだ左のチョップと、さらに右腕の力も加え、引っ掛けておいた足との組み合わせで、力ずくで転ばせるかのように倒して直後、サラセニードルの腹部をわざと踏みつけ、さりげないダメージを与えていきながら、隼乃は戦闘員を優先的に追いかけた。
 だが、すぐに触手が絡みつき、隼乃の全身を這い回った。
 サラセニードルの両腕から発達しているツタが、幾本にも渡って腹に胸に入り込み、力強い締め付けによって隼乃を捕らえる。その技巧的な部分とは、隼乃の足のリーチが届かない、かといって遠すぎない、もっとも絶妙な距離感でもって拘束したところにある。
 足さえ届けば、背面側へのキックで胴体を打ちのめしてやったところだろう。
 それができない隼乃は後方へ飛び、背中でタックルをかました。そのショックでツタの力が若干弱る。ぶつかるついでに密着距離を維持した足取りで、肘打ちで相手の上半身を弱らせコントロールしつつ、柔道技のごとく背負い上げ、投げるというより叩き落した――と、同時に隼乃もまた倒れてしまった。
 落とされる瞬間、サラセニードルはどうにかして触手に力を込め、自分の落下に合わせる形で隼乃を引き落としたのだ。
 さらにトゲの射出能力。
 先端の鋭いツタを発射して、天井に突き刺したサラセニードルは、ツタの伸縮を利用した勢いで、ツタを引っ張る腕力で自分の身体を持ち上げながら、隼乃よりも早く立ち上がった。
 サラセニードルよりも遅れて、立ち姿勢に戻ろうとしていた隼乃は、その途中で蹴りを浴びせられ、フェンスの向こう側へと――地上へと落下した。
 全身殴打による衝撃で、胃液が逆流して吐き出されてしまうかのような感覚に見舞われて、痛みに呻きながらも隼乃は立つ。
「おのれぇ……サラセニードルめ…………」
 改造された肉体だ。高所落下程度で死にはしない。
 隼乃は即座に、まるで西部劇のガンマンが早撃ちをやるような気持ちで、極めて素早く軽やかに、ベルトの腰に括りつけてあるカードホルダーから銀の変身カードを取り出した。それを即座にエックスブレスの挿入口に叩き込む。
 ドレスアップシステムの起動に必要な変身過程。特定の動作を取ることで、装着者のポーズを読み取るブレスが、カードデータを読み取った内部でチェンジプログラムを立ち上げる。
 
「変……身……! トォォウ!」
 
 垂直飛びのようなフォームで飛び上がり、空中でシルバーXへと姿を変えた隼乃は、仮面プリンセスとして五階の高さに舞い戻る。
 今一度、サラセニードルと対峙した。
「変身しても無駄だ。この俺と戦いながら、足手まといを助けることは、貴様とて不可能!」
「果たしてそうかな?」
 ここに駆けつけたのはシルバーX一人ではない。
 彼女を巻き込むことには迷ったが、シルバーXと離れることで、一人になる隙を作るより、いっそのこと共に戦った方が安全だと、他でもない彼女自身が申し出た。
 地上へと続く階段。
 とっくにシルバーXの視界からは消えてしまった二階の様子が、仮面プリンセスに備わる超感覚によって読み取れる。
 それは光希の声だ。
「トゥア!」
 掛け声と共に戦闘員を蹴り飛ばし、百合子と茂を救い出している光希の声が、この距離だろうとシルバーXの耳まで届いていた。
「おのれぇ、南条光希をわざわざ連れてきたな?」
「これで気兼ねなく貴様を始末できるということだ――いくぞ!」
 シルバーXは踏み込む。
 一対一の歩法でつま先を正面に揃え、迅速に距離を詰めるシルバーXは、先手の正拳突きで攻めに入る。超人的踏み込みと重心移動は、常人であれば反応さえできない速さだが、怪人たるサラセニードルは平然と受けていた。受け払い――腕で外側に押し出す防御法により、右手のパンチは逸らされる。
 ただ防ぐのではない。サラセニードルはこの腕と腕の接触するタイミングを利用する。受け払いを決めるタイミングと同時に、その腕から長い何本ものツタを発達させ、シルバーXの右腕に巻きつけていた。コスチュームの内側を這い、二の腕へと、肩へと、胸にまで迫るツタの力は、普通の人間相手なら簡単に骨まで潰す。
「トォウ!」
 左腕でのパンチ――全く同じくして、受け払いからのツタの巻きつけで、シルバーXの両腕共にツタは巻きつき、やがては胴体から下腹部へ、太ももから膝の下にも達していく。その締め上げる力は、何もそれだけでシルバーXを絞め殺すためではない。
「身体の稼動力を低下させ、貴様の動きをある程度コントロールしながら戦ってやる!」
 ある程度で十分なのだ。シルバーXの能力を落とし、パワーやスピードを低下させていることにさえなっていれば、完全な拘束である必要はなかった。
「トオ!」
 脚を圧迫するツタの力が、キックの動作を邪魔している。蹴ろうとする力に対して、その脚を引っ込めさせようとする逆方向の力がかかり、半分の威力も出てはいない。
「トォ! トオ!」
 それでもシルバーXは攻め込むが、一つ一つの打撃がことごとく、サラセニードルに効いている様子はない。
 そればかりか、サラセニードルはさらにもう一本のツタを発達させる。硬度と形状を操ることで、緑色の剣を生やしたという方が正しいそれは、一閃ごとにシルバーXを後退させ、しだいしだいに追い詰めていた。
「喰らえい!」
 次に行うのは発射だった。
 まずは剣を飛ばしてしまい、続けて次々に生えるトゲが、まともな拳銃よりも高い威力で何発も、何発も何発もかけてシルバーXを襲う。そして、ツタによる動きの阻害が、回避力さえも落としている。
 それは随所に突き刺さった。
 膝に、肩に、腕に――。
 身体の稼動を阻害しうる部位のいたる部分の皮膚を破って、トゲの先端はシルバーXの体内へと食い込んでいた。
 赤い血が、白銀の衣装を汚した。
「どうだ! この俺の威力を見たか!」
「この程度か」
「何ィ?」
「これしきが私に通じているとでも思ったか!」
 その瞬間、全てのトゲが抜け落ちた。
 さも張り付く力を失ったかのように、やる気でも失くしたように地面に転がる。
 シルバーXが身につけているテクニックの一つ。呼吸法によって身体硬度をコントロール。トゲは筋肉までは達せず、全てが皮膚に止まっていた。ダメージは最小限となり、硬度を解くと同時にボロボロと、ゴミが散らかるかのようにトゲは床へと落ちていく。
 両腕をクロスの形に重ねて――。
 さらにシルバーXは回転を始めた。
 
「大回転巻き取り破り!」
 
 まるで頭の上から尻にかけ、その身体に見えない一本の軸でも通っているように、モーターの軸でもあるかのように回転数を上げていき、自分自身の肉体にあえてツタを巻き取ることで、サラセニードルをも密着距離まで引き寄せていた。
 その回転は遠心力を溜め込む予備動作でもあった。両腕にパワーを集め、シルバーXはこの密着ゼロ距離からクロスチョップを放っていた。
 何重にも巻きつくツタごと、それを内側から破る手刀のクロスは、切れ味さえも帯びてサラセニードルの血肉を抉る。血で『X』の文字を刻んだとでもいうべき深々とした抉り傷が、サラセニードルの胸には出来上がっていた。
 
 大回転巻き取り破りとは、対怪人を想定した格闘術の一つ。
 ツタや触手といったものを操る相手に対して、自身の体にそれを巻き取り、内側から破ることによって、触手を欠損させつつゼロ距離ダメージを与える必殺技なのだ。
 
 ツタによる阻害から解放され、これで本来のパワーと、歩法による足捌きの良さを取り戻す。
「トウ! トウ! トォウ!」
 パンチ、パンチ、キック。
 二発の拳でクロス状の傷口を打ち、三発目の回し蹴りは、ダメージというより外へ押し出す目的で、フェンスの下へと蹴り落とした。
「逃がさん!」
 サラセニードルの落下を追って飛び降りる。
 二人が着地する頃には、地べたで大の字となって流血しているサラセニードルと、それを上から踏みつけているシルバーXの構図が完成していた。
 シルバーXはサラセニードルの頭を掴んだ。
 頭蓋骨を潰しかねない強靭な握力は、五指を皮膚に食い込ませ、腕一本の力でサラセニードルを強引に立ち上がらせる。わざわざシルバーX自身の手で立ち姿勢に戻してやるのは、その方がフィニッシュの技をかけるためには都合がいいからだ。
 サラセニードルの腕を掴んで、肩を貸してやるかのように、倒れないように支えてやるようにしてシルバーXは飛ぶ。
「トォウ!」
 そのジャンプ力は、たったひと飛びで六十メートルの高さを越える。
 この遥か空中の高さにおいて、技をかけるための組み方へと移っていく。
 まず、チョップで頭部を打ちながら、下半身を持ち上げてやるようにして、相手の身体を上下逆さに反転させる。その後、相手の足首を手で掴み、相手の股に自分の足を突き入れ、この状態での落下によって、怪人の頭部を地上に叩きつけるのだ。
 そして、シルバーXは先ほど以上の超回転までかけていた。
 
「竜巻エックスドライバー!」
 
 対怪人用格闘術の一つ。
 竜巻エックスドライバーとは、シルバー十字キックの応用により、足裏から放出する『X』の形状をした可視エネルギーで、相手の体内に一本の軸を通す。肉体を内部から固定して、首の角度を変更できないようにすることで、頭頂部が真っ直ぐに地面と激突するのだ。
 
 それはもう、上から下へと注がれる竜巻と同じだった。そうとしか見えない回転風圧が、この辺り一体にある少しでもあった塵や埃を巻き込んで砂塵となる。周りに立つ人間にとって、離れていても肌にぶつかる砂粒が痛い。風速が顔面に吹き付けて、目を開けていることすら辛いほど、今この場で台風が生まれたと誤解しかねないほどの風にまで発達していた。
 もはや加速度が生体に与える負担だけでも、これは怪人を大なり小なり苦しめる。回るだけで普通の人間を殺せてしまう。
「おのれ人間の姿で死んでやる!」
 それが、サラセニードルの放つ最後の声。
 頭部が地面に激突するのと、頭皮にかかるえげつない摩擦と、さらには股から頭頂部にかけてを二つに割らんばかりの左足が、全て種類のダメージが、同時に肉体を襲っていた。
 
     ††
 
 気絶から目覚めた黒井川百合子は、まず真っ先に視界に飛び込むものを目に留めた。
 自分はどんな目に遭ったのか。誰に助けられたのか。今までどうしていたのか、自分の状況を整理する暇もなく、空から降ってくるというべき信じがたい竜巻を目撃した。
 その風圧が風にかき消えた中から現れたのは、頭部を地面に打ちつけた『人間』だった。その人間は当然倒れ、それで死んだのかと思いきや、辛うじて残っていた力で立ち上がる。
 しかし、高所から落ちての頭部激突だ。
 まさか本当に生きていられるわけもなく、男は倒れ――どうしてか爆死四散した。肉体に火薬を詰め込んでいたと言わんばかりに、紅蓮の爆炎と黒い煙を上げていた。
 何が何だか、わからなかった。
 呆気に取られ、しばし放心した百合子は、やっとのことで一つの出来事を思い出し、部屋に侵入してきた一ノ瀬隼乃の、その怪人へと姿を変える瞬間を記憶の中に蘇らせた。そこで気を失った百合子にとって、それが最初で最後の記憶であり――。
 そして、目覚めた直後に見るものが、落下による頭部激突と、原因不明の爆発死。
 視線をスライドしていくと、仮面プリンセスシルバーXが目に映った。
 その白銀のコスチュームが四散して、変身が解除されると、背中にバラのマークを掲げた黒いジャケット姿の隼乃へと変わっていた。
 一ノ瀬隼乃。
 百合子にとって、急に声をかけてきた知らない人。隠し撮りとしか思えない写真を持ち、サラセニードルへと姿を変え、しまいには隼乃の前で『人間』が死ぬ光景。竜巻だの爆発だの、人間がやる行為には思えないが――。
 それでも、百合子の中ではそれらが一つに繋がった。
 
「ひ、人殺し!」
「違うぞ百合子さん!」
「おねえちゃん!」
 
 とんでもない誤解を見て、慌てて庇う光希の声は届かない。全ての出来事を見て知っている茂の声も、錯乱した百合子の耳には入らない。
 
 人殺し! 人殺し! 人殺し!
 一ノ瀬隼乃は怪人だ!
 
 みんな、みんな、騙されているんだ!
 普通の人間にしか見えない姿に騙されているんだ!
 
     ††
 
『マンモス将軍。どうやら計画通りに進んでいるようだな』
「しかし首領、我が同胞たるサラセニードルを失いました。この無念は必ずや……」
『全ては仮面プリンセス一ノ瀬隼乃の抹殺によって果たされる。しくじってはならんぞ』
「もちろんでございます」
 
     ††
 
 百合子を救ったはずの隼乃の身に降りかかるのはあらぬ誤解であった。
 果たして、その疑いが晴れる日は来るのであろうか。
 ゆけ、戦え、シルバーX! それも乗り切れ、シルバーX!