第3話「傷つけられたヒーロー」part-A



(前回までのあらすじ)
 自分は別世界からやって来たことを告げた一ノ瀬隼乃は、テェフェルの次なる狙いに気づき、光希と共に黒井川百合子の救出を行った。しかし、助けたはずの百合子から浴びせられる「人殺し」の言葉が、隼乃の心に大きな動揺を与えていた。
  
     ††
 
 冷静になればなるほど、一ノ瀬隼乃の怪しさがよくわかる。
 初対面からそうだった。
 
 ――十分だ。どうもありがとう。百合子さん。
 
 あの写真を使って聞き込みをしてきたとき、思えば何故か、隼乃は百合子の名前を知っていたのだ。
 そして、隼乃の正体は怪人である。
 怪人が光希に近づき、巧妙に信用を勝ち取っている。何を企んでいるのかはわからないが、きっと普通の犯罪集団がやるような、詐欺で大金をせしめたり、どうにかして法的に貶めるといったことではなく、怪物を使う組織があるからには、もっと恐ろしい狙いがあるのだ。
 光希が危ない。
 だったら、どうする?
 考えてもみれば、光希とは今まで仲が良かったわけでも何でもない、まだまだ知り合い程度の関係に過ぎないけれど、やっぱり誰かの危機を知ったからには、少なからず気にかかるのが心情というもので、それに茂のこともある。
 百合子が気を失っていたあいだ、一体どういうことがあったのか。
 茂は不思議と、隼乃のことをヒーローか何かのように信じ込んでいる。隼乃こそが自分達を助けてくれたのだと言って聞かないが、その隼乃がサラセニードルに姿を変える瞬間を百合子は確かに目撃した。
 今後また何かあるかもしれない。他人事ではない。
 次に学校へ行ったとき、百合子はすぐに聞き込みを始めていた。
 怪物が出ててきただけに、いきなり警察に行って、自分の話を信じてもらえる自信はない。
 まずは光希の様子が変わっただとか、おかしな出来事がなかったのか。クラスメイトや担任など、何人かに聞いてまわっているうち、実は隼乃はこの高校周辺をうろついて、他の生徒にも光希の写真で聞き込みをしていたことが判明した。いきなり声をかけられて、密かに気にしていたのは百合子だけではないらしい。
 理科の白松教諭についてはこんなことを言っていた。
「光希くんはね。どうも嫌がらせを受けていた様子なんだ」
「嫌がらせって、一体どんなですか?」
「極めて悪質で、ファンレターに見せかけた封筒に薬を仕込んでいた。空気に触れると煙に変化して、それを吸い込めば眠ってしまう。そんな特殊な睡眠薬を誰がどこから用意したというのか。私には想像もつかん」
 ――隼乃じゃないのか?
 まだまだ全容は掴めないが、百合子の中でますます隼乃の存在は黒くなる。
「警察に行くなら、私も相談に乗ると言ったんだがね。今のところは、成分分析を頼んできてそれっきりだよ」
 どこか呆れたように肩を竦める白松教諭は、人を心配してやまないような、生徒を心から期にかける大人の眼差しを浮かべていた。
 いい先生、だろうか。
 せっかく理科をやっているのだから、この人も科学部にいればいいのに。
「でしたら、私の相談に乗って頂けませんか? 最近、怪しい人がいるんです」
 思い切って、百合子はそう切り出してみることにした。
「ほう。どんな」
「一ノ瀬隼乃といって、光希さんが学校を休んだとき、どうもその日のうちに近づいたみたいなんですけど、その後で私のうちにも無断で上がり込んできたんです」
「無断で? 不法侵入じゃないか! ああしかし、話を警察に持っていくには、できれば当事者である光希くんの協力が欠かせない。犯人がわかっているなら、慎重に証拠を固めて逃がさないようにするのも手のうちだよ」
 どうやら親身になって聞いてくれている。
 面倒くさがって、相手にしてくれないような種類の大人と違い、この人なら頼りになる。
「ですが、どうも光希さんは、あの人を信じてしまっていて……」
「だったら、こういうのはどうかね。私にはちょっとした探偵みたいな知り合いがいるんだ」
「探偵、ですか?」
「決定的な証拠でもあれば、さすがの光希くんも考えを変えるだろう。そのための下調べを彼に頼んで、それを材料に説得。その後、全ての証言を揃えて警察に行けば、君の手で人の人生を救えるといっても過言ではないよ」
「人生なんて、大げさな」
「いや、決して大げさではない。人を騙して信用を買う。そういった手口は詐欺か宗教か。どういう狙いがあるにせよ、その人の人生を台無しにしかねない。それを助けてやるんだから、今の百合子くんには立派なヒーローの資格があるわけだ」
「わ、私が……」
「今すぐにでも彼に連絡を取ってみよう。まずは彼に会ってみて、それから彼と一緒に調べてみるといい」
「でも、そういう業者さんってお金が……」
「生徒のピンチだ。それに仲間のよしみで安く見積もってもらえる。私が払うよ。百合子くんはまだ高校生なんだから、何も気にすることはない」
 ……本当にいい先生だ。
 だったら、自分が光希を助けよう。茂のことだってある。自分自身の身のこともある。
 だから、助けよう。
 
     ††
 
 幼稚園の送り迎えに姉が来て、だけど茂は百合子と一緒に帰ることをしばし渋って、保育士の大人や百合子達を少しのあいだ困らせてしまっていた。
 もちろん、原因は百合子が隼乃に対して、人殺しという暴言を吐いていることだ。
 あの後――。
 ショックでか隼乃はその場を走り去った。
「隼乃!」
 即座に追いかけようとしていた光希は、しかし途中で足を止め、やっぱり百合子を説得しようと戻ってきたのだ。
「百合子さん。あなたはあの人のおかげで助かったんだよ?」
 一生懸命言って聞かせた。
 光希と隼乃はずっと一緒の行動していて、だから百合子の言葉が事実なら、別々の場所に隼乃が二人いたことになること、自分は実は別の怪人に襲われ、その時だって隼乃がいなければ危なかったと語って聞かせ、真実を教えていたが、思い込みの激しい百合子は頑固すぎた。
「いいえ! あの人はあなたを騙して近づいて来たんです!」
 あくまでも自分の目で見たものが真実で、それが正しいと思う百合子は、頑として光希の言葉を信じようとはしない。
 その平行線のやり取りは、隼乃のことも心配でたまらない光希が、とうとうこれ以上は無理だと諦めて、隼乃を探すためにその場を去っていく形で終了した。
 だから茂は、自分が何を言っても無駄だと考えていた。
 世間から見た高校生とは、まだまだ子供なのかもしれないが、四歳児の目線から見た高校生は、自分よりもずっと大人に見える。まして光希は背が高く、落ち着きと辛抱強さのある説得の場面など、百合子よりもずっと大きな人間に見えたのだ。
 その光希の説得が通じないとあらば、四歳の自分が何を言っても意味はないと、茂はどこかで悟っている。
 しかし、隼乃への信頼は変わらなかった。
 茂が見たことのあるアニメや特撮番組の中にも、偽者キャラクターというものは登場しており、一方が怪人になり、一方がヒーローに変身していた時点で、答えは決まっている。変身するヒーローが自分のことを助けてくれて、茂の心はかつてない歓喜に染まった。
 そして、百合子がヒーローに対して放った言葉が、すぐに茂の喜びに水を差した。
 幼い茂が、お姉ちゃんなんて大嫌いだという態度を取り、いつまでも拗ねた様子を見せているのは、まさしく当然のことなのだ。
「いつまでふてくされてるの。駄目よ? あんな人に騙されちゃ」
 ……これだ。
 お姉ちゃんは何もわかっていない。本当に騙されているのはお姉ちゃんで、悪い怪人の手口について光希だって再三言って聞かせていたはずなのに、それを一つも理解していない。
 そんな百合子が、茂のことを困った子供のように扱ってくる。全てを見て知っている茂には到底納得できない話だ。
 それに今の百合子は、昨日まではなかった熱意をどこか瞳に浮かべている。
 単なる子供のカンであり、気のせいといえばそれまでだが、まるで光希は騙されている被害者で、彼女の目を覚まさせてやれるのは自分だと、百合子はきっとそう信じているような予感が茂の胸に沸きかけていた。
 予感は確信に変わっていく。
「今日はね。ちょっと予定があって、これから人と会うことになっているの。茂も一緒に来てもらうわよ」
「……」
 返事はしなかった。
 茂に拒否権はなく、百合子の中では既にそうすることが決定していると、茂は薄々気がついていた。
 百合子が向かう先は喫茶店だった。
『ルエ・フェーテ』
 龍黒県の東区域で最近オープンしたらしいオシャレな店は、店内ばかりか屋外にもテーブルと椅子を並べて、様々な花や観葉植物に囲まれながら、リッチな気分でコーヒーやココアなんかを楽しめる。
 その店の前が、これから会う誰かとの待ち合わせ場所だったらしい。
「やあ、君が黒井川百合子さんかな?」
 すらっとして背の高い、甘く爽やかなマスクの青年が、百合子に声をかけていた。
「まあ……!」
 百合子が思わず感激の眼差しを浮かべるほど、青年は美形といえた。茶髪で、高級スーツに赤いネクタイの彼は、印象でいえばお茶目そうというべきか、人懐っこいというか、それに大げさな例えをするなら、フルーツの香りでも放出しそうなほどの爽やか極まる顔立ちだ。
「白松さんから聞いてるよ。俺、蝙蝠翼っていうんだ」
「コウモリさん?」
「へんな苗字だろ? 別に蝙蝠さんでも構わないけど、できれば翼って呼んでくれたら、俺としては嬉しいかな――ねえ、百合子さん」
 すぐに茂は警戒した。
 こいつこそ何かを企んでいる。一ノ瀬隼乃よりもずっと、ずっとずっと、本当に何か怪しいものを隠している。
「で、君が弟の茂くん。なかなかカンの良さそうな子供だね?」
「そんなことありません。すっかり騙されちゃってて」
「へえ? でも実は、意外と真相に気づいているかもしれないね。子供ってアテにならないことは多いけど、たまーにカンの鋭い瞬間があって、そういうときって、一目で人の本性を見抜いてしまったりするんだよ」
 茂は戦慄した。
 こいつはテェフェルだ!
 テェフェルの怪人かもしれない!
「茂はそんな子供じゃありません」
「どうかな? 今だって、大事な何かに気づいたんじゃない? ねえ、茂くん」
「まさか。今日だっていつまでも拗ねて、幼稚園から帰ろうとしなかったんですよ? ねえ、茂ってば、本当にしょうがないんだから」
「まあまあ、いつまでも立ち話ってのもあれだし、ここらでお茶といきますか」
「はい!」
「百合子さんの美貌に免じて、今日は俺がおごっちゃおうかな」
「まあそんな! 美貌だなんて大げさですよ!」
 全力で否定している百合子だが、顔は完全に喜んでいた。少しばかり朱色に染まって、声のトーンまで上げて、隠し切れない喜びが全身から滲み出ていた。
 そんな百合子と、蝙蝠翼と、茂で店に入る際――。
 翼は密かに耳打ちしてきた。
 茂だけに聞こえる小さな声で、そーっと、
 
「君のお姉ちゃんって、チョロい女の子なんだねぇ?」
 
 確かに彼はそう言った。
 そして、何も気づいていない百合子は、完全に翼を信じ始めていた。
 
     ††
 
 茂を一緒に連れてきたのは、この子も一応目撃者であることと、加えて一人で留守番をさせるのも不安なことで、白松教諭が彼に連絡をする直前に、幼稚園の子供がいるからという旨についても事前に伝えてもらっている。
 それぞれテーブルにつき、各自注文を済ませてから、彼はさっそく切り出した。
「白松さんの話では、嫌がらせを受けた友達のことが心配で、一ノ瀬隼乃っていう子が怪しいんだってことはわかっているんだよね」
 隣でぴくりと、茂が隼乃の名前に反応していた。
 それを無視して百合子は聞き入る。
「実はその子。かなりヤバイ」
「……どういうことですか?」
「カルト宗教。テロ。暴力団。社会にとって不利益な危険組織って、よく考えてみたら実際にあるだろう? 簡単にいえば一ノ瀬隼乃は、そういう組織の一員ってことなんだよ」
「やっぱり……!」
 だとしたら、狙いは勧誘だろうか。まずは親しくなって、それから宗教だのについて話を持ち出す。そういう手口があると、どこかで聞いた覚えがある。
「で、思い切ったことを尋ねてしまうけど、この写真の怪人を見たことあるかい?」
 蝙蝠翼は一枚の写真をテーブルに置いた。
 映っているのは、どこか遠い建物の影から、望遠レンズでどうにか撮影に成功したのであろうサラセニードルの写真であった。
「……見ました」
「本物の怪人を見た?」
「見ました」
「だったら、この写真はどうかな?」
 次に並べられていく写真の一枚一枚は、隼乃が変身ポーズの動作を取り、垂直飛びに近い動きで飛び上がり、空中で銀のコスチューム姿へと切り替わる瞬間のものだった。
「これって……」
「馬鹿馬鹿しく聞こえるとは思うけどね。怪人を生み出す技術。そして、強化服の装着状態へと姿を変える変身システム。そういうものが実際に誕生してしまっている」
「…………」
 何も言えなかった。
 確かに信じるわけのない話だが、百合子は人が怪人に姿を変える瞬間を目撃している。
「これがテェフェルという組織のやばいところだ。どこにでもいるような、何の変哲もない一般の人間を、戦車よりも強い存在に変えてしまう。これが何を意味するかわかるかい?」
「どういう……ことでしょう……?」
「見た目は人間。それが変身を行い、怪人や強化服に姿を変える。そのパワーを持ってすれば市街地の破壊なんて簡単さ――好きなようにテロを起こせる」
「!」
「危険な技術を独占している組織が、人知れず人間を兵器に変える。兵器となった人間は誰にもその正体に気づかれることなく社会の中へと紛れ込み、しかし組織からの命令さえあれば破壊を行う。そんな危険なものを何十人も何百人も、あるいは何千人も抱えていれば、世界征服という言葉が現実味を帯びると思わないかい?」
「そんな大げさな……」
 そう言いつつも、百合子が抱く恐怖は十分な実感を帯びていた。人が怪物に変わるなど、常識ある人間は信じない。信じないからそんな発想さえ抱かない。一ノ瀬隼乃をただの普通の人間だと思っていて、いざとなって気絶したのは百合子自身だ。
 誰も信じないような存在であること自体、一種のアドバンテージではないだろうか。
「果たして本当に大げさかな。少なくとも、これでテェフェルが南条光希を狙う理由ははっきりしている。優秀な肉体を持ち、奴らにとって素晴らしい兵器になり得るからだ」
「私、光希さんの名前は一度も……」
「俺はずっと前から、テェフェルの存在に気づき、その動きに注目してきた。だから、一人の高校生が標的となり、いずれ兵器へと変えられようとしている危機にも、俺は密かに警戒を続けている」
「じゃあ、やっぱり光希さんは……」
「騙されている」
 翼は断言した。
「…………」
 そして、いざ容疑が確定すると、百合子はやはり言葉を失う。いくらなんでも、世界征服が現実味を帯びるとまで言わしめる組織に隼乃が所属しているなんて、百合子の想像を超えてしまっていた。
「南条光希に近づき、彼女の信用を得て、仲良くなり、ほんの少しでも拉致監禁のチャンスを探る――いや、仲が良ければ、手引きしてもいいかもね。どこかで遊ぶ待ち合わせでもして、上手いこと計画の場所に連れ込めば話は簡単さ」
 翼が語る内容の全てはこうだった。
 隼乃が強化服コスチュームに変身するのは、ドレスアップシステムと呼ばれる着衣変換機器によるもので、怪人と仮面プリンセスの二つの正体を併せ持つ。状況によってサラセニードルにもシルバーXにもなるという。
 さらに実は、ドレスアップシステムは二つあるとか。
 片方が隼乃の使うエックスブレス。
 もう一台は、開発順では一号機にあたるらしいローズブレスだ。
 そのローズブレスでの変身が可能な適正体質を持つ光希は、テェフェルにとって是非とも欲しい人材なのであり、だから同い年の隼乃を差し向けて、あまつさえ変身して怪人から守ってみせる演出行為まで作戦に練り込んだとか。
 適正体質の持ち主だけでもレアなのに、おまけに武術経験による基本的身体能力まで整っているような、最高の条件を持つのは世界中でも光希一人だけらしい。
「実は南条光希の職業が、スーツアクターだって知っているかい?」
「……え? いえ、初めて聞きました」
「きっとヒーローが好きなんだろうね。そんな南条光希には、仮面プリンセスの格好いい姿は効果抜群だったことだろうさ」
 全てに納得がいってしまった。
 こんな事実、一体どうやって信じてもらえばいいのだろう。きっと、もうそれ自体が悪の組織が操る怪人の脅威の一部だ。声に出して説明すれば馬鹿馬鹿しく聞こえてしまう。だから人に信じてもらうのは難しい。泣き寝入りしかないのかもしれない恐怖を想像すると、こうして誰かに相談できるのは、どれだけ幸運なことかと考えさせられる。
「実はね。百合子さん。君に紹介したい人がいる」
「どんな方ですか?」
「君と同い年で、あの子は怪人に弟を殺されている」
「……!」
 その時だった。
 急に、翼は怒りをあらわにした。
「俺はずっと情報提供を行ってきた!」
 今まで押さえ込んできたものを爆発させ、感情的になった翼は、必死の形相さえ浮かべて百合子に訴えかけてきた。
「警察、政治家、自衛隊にも、あらゆる証拠を出して怪人対策を要請したが、世界征服を目論む悪の組織だなんてものは、あくまでも空想の産物らしい! 誰もテェフェルと戦おうとしない結果が生み出してきた被害者は、世間の誰も知らないだけで、本当は何人もいるんだ!」
「つ、翼さん……」
「ああ、ごめんごめん。つい、ね。つまり俺が言いたいのは、警察も何もアテに出来ないというのなら、まずは話を理解している被害者同士で、俺達で情報を交換し合う。そこをスタートラインにするしかないってこと」
 ……その通りだ。
 そして、人知れずテェフェルと戦っている人間が、百合子の目の前に座っている。
「それで、被害者同士の会合を予定している。来てもらえるかな?」
「はい。行きます。行かせて下さい!」
 自分達でやるしかない。
 百合子の心は、そんな一つの思いに固まっていた。