第3話「傷つけられたヒーロー」part-C



 隼乃に対して、マンモス将軍は言う。
「お前は選ばれたのだ。選ばれた者には幸せになる権利がある」
 一体どの口が、人の親や親友を奪ってよくぞ言えたものではないか。
 マンモス将軍の言葉は隼乃の怒りを刺激した。
「選ぶ? 選ばれなかったらどうなる! 私はその答えを見て、体験してきた! 世界人口の大半を犠牲に、自分達さえ幸せならいい社会など、そんなものに誰が賛同する!」
「誰もが幸せになることはできない。真の平等、理想の世界などありはしない。しかし、少数の者同士、選ばれた者同士でなら平等を分かち合える!」
「その歪んだユートピアから私は生まれた! 人に奴隷番号を振り、その一部の者同士とやらの幸せを法律によって強制的に支えさせる。人間とは自分達の生活環境を維持する燃料か何かでしかない。それがお前達だろう!」
「悪であれ! 自分中心であれ! それが我々だ!」
「貴様ァ……!」
「そもそも、人間という生き物が既に世界征服を達成している。我々のような怪人がいてもいなくても、人間同士だけで幸せを分かち合い、資源を分け合って生きている。そこで人間のさらに上に位置する存在に我々がなったのだ」
「ならば弱肉強食だららこそ、人間は貴様ら天敵を排除する力を身につける。人間が怪人を上回る時が来る!」
 それこそがドレスアップシステム。
 変身システム。
 人間の天敵が現れたことにより、その天敵への対応策がやがて生まれるのは当然だ。
「それに人間はそれぞれのエゴや慈愛や趣味趣向で、自分以外の生き物を守り保護する。自らを悪と定義し、悪であることに誇りを持つお前達とは違う! それがどんな社会であれ、お前達の作る世界よりも酷いものなど、頑張ったってできやしないんだ!」
「頑張ったって、仮面プリンセスが全ての悪に勝つ日が本当に来るのか」
「くぅっ……!」
 何も言えなかった。
 人殺しと言われてから、隼乃はあの人のことを守りたくないとさえ思ってしまった。心のどこかで、助けなければ良かったと、そんなことさえ考えてしまった。
 いつ戦いが終わるのか。
 自分が生きているうちに終わるのか。
 ひょっとしたら、隼乃の寿命がなくなって、次のドレスアップ継承者へとバトンタッチをしてもなお、終わらないかもしれない。何世代も先まで戦って、それでも多次元征服を阻止しきれる保障はない。
 戦いの果て、ついに悪を滅ぼすことはできずに、どこかで命は潰えるだろう。
 考えれば考えるほど、自分のやろうとしていることの途方のなさには、もう頭が狂いそうになってくる。
「こっちへ来い! お前は仲間だ!」
「仲間……?」
「確かに南条光希はお前に感謝し、信頼を寄せている」
 そうだ。光希がいる。
 あの人は美味しい食べ物をくれた。衣食住の提供を約束してくれた。とてもとても優しくて素晴らしい人間だ。
「黒井川百合子のように、お前のことを攻撃する人間が現れても、南条光希であれば、最初のうちは守ってくれるだろう――しかし!
 しかし、最初だけだ。人間であって人間ではない。化け物に対する普通の反応をする人間どもが、つまり百合子のような連中が次から次へとお前のことを攻撃して、光希にとってお前は守りきれない存在に変わる! 庇い続けることに疲れ、嫌になり、いつか耐え切れなくなってお前のことを嫌いになる!」
「そんなはずが……」
 考えもしなかった。
 もしもそんな人間が増えて、増えて、怪物たる改造人間を匿う光希のことが世間に知れればどうなるのか。
 また、自分のせいで誰かが危険な目に遭いかねない。
 あの時の学校のみんな。
 母親、滝見零――次は光希か。
「そんなはずがないと思いたいか? だが、そんなことが言えるほど、お前は南条光希の何をそこまで知っている」
「…………」
「我々と戦ってもお前に勝ち目はない。しかし、だから戻って来い! 悪との戦いに人生を捧げれば居場所を失う。南条光希もお前を捨てる。だがテェフェルは違う。首領は抹殺命令を出されたが、俺が必ず首領を説得する。
 もちろんお前には、ゴライアスやサラセニードルを殺されている。仲間の恨み、仇を忘れはしないが、戻って来るとさえ言ってくれれば、必ず許すと約束しよう。お前に対する復讐の気持ちは全て捨てる!」
 ……駄目だ。
 誘いに乗ってはいけない。
 たかがテェフェルの怪人が、約束を守る保障がどこにある。
「戻ってきて来るんだ! 俺はお前を殺そうとした。だが殺し損ねたわけではない。俺には仲間を殺せない甘さがあった。首領からそうご指摘を受けた。お前は仲間なのだ! 共に悪の心を持つことで、悪の世界にしかない幸せを分かち合おう!」
 その言葉には甘い香りがあった。
 もう戦わなくていい。勝ち目のない勝負に人生を賭けずとも、贅沢の限りが許される。今までできなかった暮らしを享受していられる。
 数々のことが、隼乃の心を揺るがしていた。
「なんなら、お前自身の手で南条光希をテェフェルに連れて来るんだ」
「……なんだと?」
「そうすれば、首領はきっと一ノ瀬隼乃をお許しになる。しかも、お前が好きになった人間と共にいられる。この世界の征服を達成したあと、南条光希と一ノ瀬隼乃、その二人が幸せを享受する側にまわれるのだ」
 幸せが、脳裏をよぎった。
 ステーキの味も、朝食の味も、隼乃の優れた脳機能の中から消えることはない。あんな風に一緒に美味しいものを食べられる喜びも、その記憶能力が正確に保存して、心の中のアルバムに鮮明すぎるほどに飾り立てている。
 それでも……。
「お前達に心を許したら、みんなの心の自由はどうなるんだ!」
 自分と滝見零が捕まったのは、ただ頭の中身がバレただけの理由に該当する。たかが中学生が本当に全世界の制度を揺るがすなど普通は誰も考えない。出来るかどうかは問題でなく、計画を立てようと思う気持ちだげで十分だったのだ。
 怪魔次元の社会では、自分自身の心でさえも縛って生きる必要がある。
 自分が味わったものを、他の誰かも味わっているなんて――嫌だ。
 何より、百合子一人に言われたくらいで、どうして他の多くの人間まで、改造人間に対して同じ言葉を吐くはずだと言い切れる。
「戻って来ないのなら、リスクも承知で俺はキングマンモスに変身して、仮面プリンセスであるお前と戦い、そして殺す! 今ここでだ!」
 ……来るか。
 マンモス将軍の持つ怪人の姿――キングマンモスの力は、長時間は持たないようだが、短期決戦なら数分で十分だ。あの強さと正面からぶつかって、果たして今の自分に勝ち目はあるのだろうか。
 相手の力量が読めないほど、隼乃は決して愚かではない。
 だが、来るというのなら――。
「変……し…………」
 否。
 その時だった。
 
 改造人間の聴力が、遠方から迫るバイクエンジンの音を捉えた。
 
 これは――まさか――。
 無我夢中で走り続けた隼乃には、自分でも自分の居場所がわからない。何県のなんという場所なのか。西なのか東なのか。それさえ隼乃にはわからないのに、あの人は自分を探して、見つけに来てしまったというのだろうか。
 
「やっと見つけたぞ! 隼乃!」
 
 バイクに跨る白ジャケットの南条光希が、砂地に車体を滑らせて、二人のあいだを裂きたいように割り込んできた。
「お前に隼乃は渡さない! 隼乃は私が守る!」
「なん……だと……!?」
 マンモス将軍は驚愕していた。
「あんたも怪人の一人なら、テェフェル首領にはこう伝えておくことだ。隼乃の心の隙に付け込んだ懐柔作戦は、ものの見事に失敗しましたと」
 光希の腕が、隼乃のことを庇わんばかりにしていた。
 
     ††
 
 やっと隼乃を見つけた光希の視線の席には、もう一人、顔立ちの厳つい男が立っていた。
「南条光希。お前にとって、一ノ瀬隼乃は家族か。親友か。どちらでもあるまい」
 何者かはわからないが、テェフェルの一員ということだけは理解した。
 そして、ただ立っているだけの姿勢に無駄がなく、もしも自分が攻撃をしかければ、向こうは即座に反応する。それ相応の手練れであり、簡単に勝てる相手でないことは、対峙した瞬間から悟っていた。
 達人同士は向き合っただけでお互いの実力を理解する。
 そこに理屈はなく、言うなれば直感や本能という言葉で片付けるしかない。
 それを無理にでも説明的に語るとするなら、男の全身から何か熱気が出ている気がする。もちろん体温という話ではなく、彼の中に宿るどことないエネルギーが放った、そういう雰囲気の一言で済ませてもいいような、本当はありもしない熱気である。
 それが大気中に伝わり、周囲の温度をみるみる変え、光希の素肌がそれを捉える。
 その者が放つオーラによる、仮想的な空気の変化を肌感覚によって知覚する。
 それは何年もかけて磨いた武術的作法の会得と、何人も何十人もの相手と組み手や稽古を重ねてきたこと、空手や合気道の大会にも出たことのある経験から、殺気だの気配だのに対する皮膚感覚が発達しての話である。
 だが、どんな猛者が相手であろうと、隼乃を渡すつもりは毛頭なかった。
「隼乃は渡さん!」
 自分が放つ言葉など、それだけで十分だった。
 光希は知っている。
 そういった空気に変質を及ぼすようなオーラが、自分の身体からも出ていること、それを男も感じ取っていることに気づいている。変身できるのは隼乃だけでも、光希とて怪人の動きをそれなりに邪魔するつもりだ。そんな光希を含めた二人同時は相手にしたくないのだろう。
「一ノ瀬。次に会うとき、俺はお前に対する甘さを捨てていることだろう」
 男はそう言葉を残した。
「こちらこそ、お前に二度も負けるつもりはない」
「さらばだ。一ノ瀬隼乃!」
 その瞬間に男は消えた。
 まるでどこかに仕掛けたスイッチ一つで存在のオンオフを切り替えるかのように、パッと一瞬にして、男は光希の目の前から姿を消していた。
 
     ††
 
 自分をずっと探し続けて、見つけてくれた光希の存在――。
 それは一ノ瀬隼乃の胸をぎゅっと引き締めるものだったが、その口から百合子や茂の危機について告げられると、急に何かが冷めてしまった。
「……そうか」
 二人が攫われる瞬間について聞かされて、隼乃の反応はそれだけだった。
「ねえ隼乃。百合子さんも適合者で、あの子がテェフェルに捕まるのは都合の悪いことなんでしょう?」
 そんなことはわかっている。
 しかし、光希ほどではない。
 怪人や装着変身には、それぞれの強さをランクに当てはめた目安があり、ただドレスアップシステムを使うだけでは、一般人と比べて一ランクしか上がらない。格闘技を収めるなどして元の強さに磨きをかけ、その上で変身して、それで初めてランクが二つ以上アップすることになるのだが、隼乃の場合はそこに強化手術で得た超人的な肉体が加わっている。
 はっきり言うと、百合子がドレスアップシステムを使ってきても、何一つ怖くはない。
 簡単に、殺せる。
 テェフェルが行う百合子の確保は、ただただ戦力ストックを一応増やしただけという、それ以上でもそれ以下でもない話だ。
「私はこう考えてしまう。あの人が改造手術を受け、洗脳され、すっかり悪に染まってしまえば、あの人のことを殺しても構わない理由が出来る」
 自分は言われた通りの人殺しだ。
 何故なら、怪人とて元は普通の人間で、怪人社会が生身の人間を支配するのは、自分達こそが人間を遥かに越えた進化した存在だと言いたいためだ。しかし、手術によって身体形状を変えた以上は、やはり人間の延長にある存在なのであり、法律がそれをどう解釈するかは置いたとしても、殺せば人殺しではあるのだろう。
「……私は幼稚だろうか」
 ちょっと嫌なことを言われたくらいで、もうその人のことを助けたくないと思っている。
 だが、実際にそんな義務はない。百合子一人のために命を懸ける理由がどこにある。本当に大事なのは世界征服の阻止であり、別に百合子の命ではない。
 きっと、怒られでもする予感がした。
 人の命をどうでもいいなど、何か厳しいことを言われる気がした。
 だが、光希が口にする言葉は、優しいのでも厳しいのでもない、ただ自分の過去を静かに語ろうとするものだった。
「私ってさ。ずっと昔、お母さんを殺されたんだ。殺人犯に」
「殺……人……?」
 そして。
 光希はゆったりと、語り始めた。
 
     ††
 
 光希が幼い頃に母親は死んだ。
 その日は家族で出かけていて、父親は店で飲み物を買ってくるため、一時的に二人の元を離れていた。
 その時に刃は迫った。
 性的倒錯者だった犯人は、幼い女の子を殺すことで性的に興奮するべく、つまり快楽殺人が目的で当時の光希を標的にした。
 ギラついた眼差しの、いかにも挙動不審な男が背後から迫ってくるというのに、光希は気づいていなかった。
 だからまず、単純にびっくりした。
「光希!」
 恐ろしい犯罪者の存在に気づいた母親が、悲鳴とも絶叫ともつかない声を上げ、必死に娘を庇うとき、まさか自分の親が殺されようとは想像もしていなくて、ただただ急に大きな声を出すからびっくりしていた。
 そして、絶句していた。
 動かなくなった母親の胸には、深々とナイフが埋まっている。血の海が広がり、信じられない光景に目を奪われ、放心して、もう何がなんだかわからなくなっていた。幼稚園当時の光希がそこで冷静でいられるわけがなかった。
「この野郎ォォォォ!」
 鬼の形相を浮かべた父親は、この状況を見るなり男へ飛び掛り、過剰防衛によって犯罪者の動きを封じ込めるのにそう時間はかからなかった。
 柔道でも空手でも段を持ち、何なら少林拳まで習得している父親にとって、刃物を持つだけの一般男性など敵ではない。
 ただ、間に合う距離ではなかった。
 最後に一瞬だけ起き上がった母親は、光希が無事に生きている姿を見て、満足した表情を浮かべて他界した。
 
     ††
 
「ヒーロー役を演じたことのある私のお父さんを待っていたのは、愛する妻を守りきれなかった男を、マスコミの手で悲劇のヒーローにしたがる。そんな面白おかしい報道と、そういう記事を書きたい人達による、相手の心情を一切無視した取材の数々だった」
 さぞかし面白かったことだろう。
 光希の父、南条辰巳が演じた電刃忍者霧雨といえば、未だに根強い人気を誇る有名な特撮タイトルの一つである。
 その電刃忍者を演じたヒーロー役者が、人生で華々しい成功を手にしながらも、ところが最愛の妻を失う。
 ヒーローだった男の劇的な結末として、マスコミの思うドラマに仕立てて報道する。どんなに父親が傷つこうと、ファンの怒りを買っていようと、視聴者を大々的に煽りうるネタに食いつかないわけがなかった。
 いや、それだけなら、まだしも良心的だったといえるだろう。
 好き勝手な脚色があったとはいえ、ヒーロー役者の妻が殺された事件と、その同情するべき身の上自体は事実であり、世間に南条辰巳を心配させたい報道だった分だけいい。
 本当に問題だったのは心無いバッシングの数々だった。
「役者であると同時に、武術の達人でもあった南条辰巳なら、たかが刃物を持った一般人ぐらいどうとでもなる。実際にそうした。だけど、そんな力があったからこそ、守れたはずのものを守りきれない、どうして守ってやれなかったと、当事者でも何でもない人達が、外野から私のお父さんを叩いたんだ!」
 その無責任な攻撃が、どれだけ品性に欠けているか。そんなことはわかっている人間は多いのだが、一部の心無い発言に限って大きな声はよく目立つ。あるいはわざと嫌な言葉を放って世間を刺激したかった狙いもあるのだろう。あとはそれに便乗する頭の悪い人間達。
 発言だけは自由な一部の大衆。訳知り顔で、いかにも現場を目撃しているかのように語るコメンテーター。数々の人間が何も悪くもない南条辰巳を攻撃した。
 格闘技の実績、実力。にも関わらず、素人から妻を守れなかった無能。あらゆる心無い人間達が、南条辰巳をそのように評したがった。
 さらには――。
 ――お母さんが死んじゃったけど、今どんな気持ちかな?
 報道陣のマイクは、幼稚園児だった光希にさえ向けられた。無神経な記者に対する父親の怒りは当たり前だが、いざ抗議に声を荒げて掴みかかれば、それを報道陣は妻の死のショックで気がふれたものとして扱った。父が娘を守ろうとする行為の扱いがそれだった。
「……傷つけたというのか! 何の罪もなく、同情されるべき立場の人を、傷つけた人間がいるというのか!」
 隼乃の目の見開きようは尋常ではなかった。
 まるでそんな話があるわけないと、光希の語った全てを嘘だと信じたいような、激しい動揺を帯びた表情で、隼乃はひどく憤っていた。
「だから私には放っておけない。誰かを守ったはずが傷つけられる。何も悪くないのに攻撃される。そんな人の姿を見ていられない。隼乃を放っておけない!」
「光希……!」
「仮面プリンセスは私が守る! 何があっても、どんなことがあっても、私はシルバーXの味方をやめたりはしない!」
 光希にとってはもう運命なのだ。
 演じることしか出来ない自分と違って、本当の悪と戦うことの出来る隼乃のことが、初めから放っておけるわけがない。演技上のアクションではない、本物の暴力の世界に生きるのは、誰だって辛いに決まっている。
「一つ聞きたい。あなたの父親は、南条辰巳さんは一体それからどうしたんだ」
「負けなかった。負けないどころかね、私を強く育てたんだよ。いつかこの私が、同じくらい辛い目に遭ったとしても、きっと負けないようにって――その時にはもう、私は体を動かすことが大好きで、山野剣友会にも入りたいと思っていたから、そのメンバーでもあったお父さんが私に武術を教えてくれた。あのとき負けなかった父さんの強さを私は引き継いでいる」
 いつしか、父が光希に語ったことがある。
 ヒーロー役を演じたことで、子供達の自分に対する視線が変わった。憧れるような眼差しを浴びていると、だらしないことはやっていられない、駄目な部分は見せたくないと、自然と心の背筋が伸びたとか。
 父親が最後まで負けずにいられたのは、きっとその経験が活きてのことだ。
 そして光希自身、ヒーローショーの仕事でそういった視線を浴びる機会があった。自分の父親を強く逞しくしたものが、自分にも集まってきたと思うと、自然と心の中にエネルギーが集まるような、そういう気持ちがしたものだ。
「もう一つ聞きたい。さっきから一体、そのヒーローとは何だ?」
 それは純粋な質問だった。思わず光希が困惑するほど、本当の本当に素朴な疑問について、隼乃は尋ねてきている様子でいた。
「……へ? いや、ヒーローはヒーローでしょ?」
「その意味について聞いている」
「いや、あのね。まさか知らない?」
「怪魔次元にそんな単語はなかった。どういう意味だ?」
 勉強のわからない部分について知りたい生徒が、先生に向かって質問するのと、ほとんど変わりのない眼差しが隼乃には浮かんでいる。
 ひょっとして、本当にか。
 本当の本当の本当に、隼乃はそもそも単語自体を初めて聞いたとでもいうのだろうか。
 とても、嘘をついている顔には見えなかった。
「……変身して悪と戦うんだよ?」
 そーっと、言ってみた。
「なんだ私のことか」
 隼乃は一瞬で納得した――かに見えた。 
「……まあ、うん。間違っちゃいない」
 ただ隼乃のこの、本当に素で知らなかった感じは何とも言えない。
「何だその、まだ何か言いたげな感じは! だいたい、どうして変身して戦う意味合いの言葉がこの世界に存在する? この世界には怪人への対抗技術は存在しないはずだ」
「うん。思ったんだ。そういう返しが来るかなーって」
「この世界でも変身型の兵器開発はされているのか? まだ実現していないだけなのか?」
「なんていうのかな。空想の世界にしか存在しない夢の技術で、物語の中では普通だけど実現はしていないということだよ」
「私の世界で物語といえば、正義が悪に勝つ描写は規制対象になりやすく、勇者が魔王に負けて終わる内容の絵本まで作られている。怪人社会にとっては、幼い子供を思い通りの大人に育てるツールの一つだったが、この世界ではそんなことはないのか」
「そもそも日本は独裁社会じゃないからね」
「……そうか! それは盲点だった! 食べ物の自由はおろか、この世界ではより自由に作られた創作物さえ数多く存在している!」
「興味ある?」
「もちろんだ! 光希はヒーローの詳しいのか?」
「そりゃあ、ヒーローショーを仕事にするもの。人よりは詳しいよ? そうだね。隼乃にとってはいい機会だし、私が隼乃にヒーローを教えてあげる」
 別世界から来た隼乃にとって、光希にとっての常識が、必ずしも隼乃にとっての常識というわけではないのだろう。まして世界征服が達成されてしまった社会とあらば、生きて来た環境からして違うはず。
 この世界にはない言論統制や表現規制がいくらでもある。そんな怪人社会の出身者にしてみれば、初めて触れるものがいくらあっても不思議はない。
「ただね。それはまた今度にして、今は百合子さんや茂くんを助けたいんだ」
「…………」
 すぐに隼乃の顔色が変わった。
 どこか後ろめたそうに、隼乃は横に視線を背けた。
「わかってる。あんなことを言われて、助けたくないって気持ちは否定できない。それを否定してしまったら、この私があなたを傷つけることになってしまう」
「……ちょっと嫌な思いをしたくらいで、自分が幼稚なのはわかっているんだ」
「そうじゃないでしょ?」
「…………」
「隼乃は幼稚なんかじゃない。征服された世界で育ち、改造手術を受け、私のように平和に生きて来た人間には、とても想像もつかない人生を歩んできた。今まで辛い道を歩いていた挙句の果てに、百合子さんからあの言葉を言われてしまった。そのくらい想像つくし、だから幼稚だなんて思わない。そんなこと私は欠片も思っていない」
 隼乃の目尻に、また涙が浮かびかけていた。
 泣きたいときは泣いてもいいと、光希は思う。
 下を向き、ひたすら涙を流す時があっても、その後でもう一度だけ、立ち上がってみることが出来るかどうかが分かれ目だ。
 だから、泣いたっていい。
 泣くことは、何一つおかしくないのだ。
「実際に命を賭け、危険な戦いをやるのは隼乃だもんね。安全な世界に生きる私の口から、隼乃に向かってああしろこうしろ、そんな指図ができるわけがない」
 光希は一つの気持ちを抱いていた――何も隼乃が戦うだけが答えではない。
「だからこそお願いがある。もしも百合子さんを助けたくないのなら、別にそれでもいい。そう思うのが人間ってもんだよ。ただその代わり、私にエックスブレスを貸して欲しい」
「な、何を言っている!?」
「百合子さんだけじゃない。茂くんはね、私のヒーローショーを観てくれたんだよ。仮面バイザーブラックの活躍を楽しみにして、それを観て楽しんでくれた一人なんだ」
 そう、最初の最初――。
 龍黒県ブルーランドで風船を取ってあげたとき、茂はこれから観に行くヒーローショーをとても楽しみにして、仮面バイザーブラックの人形を大事に握り締めていた。
 その茂が、本物の怪人によって……。
 光希にはそれも放っておけない。
 スーツアクターとして仕事をこなし、子供を楽しませるという結果を残し、出したはずの仕事の成果を怪人に穢される。
 どれもこれも我慢ならない。
「楽しかった。ヒーローが格好良かった。満足した。その気持ちを、子供達が喜んでくれたという結果を、怪人どもの好きにはさせたくない。本物の怪人なんて、まして本当に世界征服を目論む連中なんて、この世界にいちゃいけないんだ」
 そもそも、ここは光希の暮らす世界だ。
 だから、自分で戦う。
 誰かが代わりに戦ってくれることを祈って、いざヒーローが敗北したら、それを非難するような人間に光希はなりたくない。そんな無責任で心無い人間の一人になるくらいなら、自分がこの手で戦いに参加する。その方がよっぽどいいではないか。
「私には適合係数があるんでしょう? もし私にも、シルバーXへの変身ができるなら、百合子さんと茂くんを私が助けたい」
「……いや、その必要はない」
 どこか遠慮がちで、隼乃の声には覇気がない。
 それでも、弱弱しく萎れていた隼乃に目は、迷いながらもどうにか決意を固めようと、自分なりに向き合おうと考えている。手探りで答えを求め、どこかに手を伸ばそうとしている隼乃の気持ちが、その瞳に浮かんで見えた。
「光希。怪人とは改造人間。元は普通の人間。人殺しには違いないが、それでも私は戦い、奴らの野望を阻止したい」
「わかった。なら私がその味方だ。怪人は倒せなくとも、雑魚はいくらでも引き受ける」
 握手を求めるため、光希は左手を差し出した。
 隼乃は、左利きだ。
「…………」
 相変わらずの無言で、隼乃はじっと光希の手の平を見つめ、かなりの勢いで躊躇っている。下手をすれば、握手を嫌がるためだけに、この場から走って逃げ出すのではないかと、そう思えるほどの迷いがありありと顔に浮かび上がっていた。
「き、緊張すると……」
 小さな声で隼乃は言う。
「別に加減には慣れているから、生活には支障はないが……それでも……緊張、というものをしてしまうと……」
 もうわかる。そこまで言葉が出てくれば、隼乃の言わんとする意味は十分わかった。
「へえ、隼乃って可愛いねぇ?」
「……はぁ?」
「いや、ぶっちゃけ私よりも女の子っぽいところあるでしょ」
「何を言う」
 隼乃の頬が膨らんでいた。不満そうに、何かを言いたげに、少しばかり睨む視線で、若干ながら朱色に染まっていた。
「だんだん隼乃がわかってきたよ。私に惚れたね?」
「馬鹿な。調子に乗るな」
 そんなわけがあるかと言わんばかりに、だから何ともないと言いたげに、隼乃は光希の手を握る。その瞬間に左手を襲うのは猛烈な痛みだった。
「うわっ痛い痛い痛い痛い痛い痛い!」
「大丈夫だ。加減はしているぞ。ギリギリのな」
「ギリギリ? 潰れるから、骨とか折れそうだから!」
「ふん。どうだ。私のの威力を見たか」
 むしろ、今の隼乃の方がよっぽど幼稚に不貞腐れて、起源の悪い表情で、さっさと置いてあるバイクの方へと歩んでいく。光希の準備も待たずにバイクシートへ跨って、白銀のマシンであるエックストライカーを出そうとしていた。
「あー! ちょっと待ってくれる!?」
 そして光希も慌ててバイクに乗り、さっさと発車してしまう隼乃の後に続いた。