第3話「傷つけられたヒーロー」part-D



 黒井川百合子、その弟の茂。
 二人が連れて行かれたのは、元は被害者の会と称した集まりに使用する予定で、そこで初めて百合子に全てを明かすはずだった。田舎外れにある小さな集会所は、老人達が集まってお茶でも飲み交わしていたような施設であったが、テェフェルが建物を手にしてからは、数ある秘密基地の一つとなった。
 流し台のキッチンや茶菓子を食べるためのテーブルなど、それに食器棚や冷蔵庫といった生活観漂うものが揃っているも、それらはカモフラージュにすぎない。元の部屋風景をあえて残した地下――それまでは存在すらしなかったのに、テェフェル所有となるや否やものの数日以内に増設された地下室こそが、今やこの集会所の恐るべき正体なのだ。
 見た目はただのテレビリモコンに過ぎないものから、桁数の多いパスワードの数字を入力することて、まるで自動ドアが開閉するかのように冷蔵庫がすぅーっと動く。冷蔵庫の背に隠れていた隠し扉を開いてみれば、地下へと続く階段が現れる寸法だ。
 そして、そこには改造手術を行うための科学設備から、周囲の監視映像を記録している監視室に、テェフェル首領との会話を行うためだけの専用の『首領の間』など、必要とされるものはひとしきり揃っている。
 その首領の間で。
「首領。マンモス将軍様の立てた計画通り、黒井川百合子を連れてきました」
 その報告役はカニサソリだ。
『よろしい。だが、精神的にやる気を失ったはずの一ノ瀬隼乃が、南条光希の影響によって立ち上がり、今まさにこの基地を目指して移動している』
 決して正体は見せず、通信音声による野太い男の声でのみ、テェフェル首領は怪人達に司令を送る。その声が首領本人のものだという保障もありはしない。れっきとした正体を知らされているのは、メンバーの中でもあまりに僅かで、マンモス将軍でさえ直接は会ったことがないという。
「ですが、いかにこの世界で仲間を見つけたところで、奴の精神はまだまだ安定しきっていないはず。それでは実力を出し切れないも同然。飛んで火にいる夏の虫という奴でしょう」
『しかし、黒井川百合子に洗脳チップを移植する時間は失われた。簡易洗脳装置として、残念ながらヘッドギアの装着で済ませるしかない』
 身体の一部を切開して、脳のある部位にチップを届かせ、神経と繋ぎ合わせるといった精密作業には膨大な時間がかかる。本人の過去の記憶を参照しながら、支配や殺戮に喜びを覚える形へと人格を変換するが、その効果が出るのも埋め込んですぐではない。
 となると、簡易洗脳装置――洗脳ヘッドギアの方が時間は早い。ただ取り外すだけで洗脳効果が切れてしまうのは、最悪のデメリットではあるのだが、洗脳チップと違って時間をかけずに操ることができるのだ。
『助ける手段を残してやるもの手の内だ。その方が逆に非情な決断には踏み切れない。百合子を殺すという選択肢を封じ込め、シルバーXには決して本気を出させない。そのような心理効果を期待できるのだ』
「なるほど、それは面白い」
 カニサソリには用意にイメージできた。
 黒井川百合子は戦闘の素人で、改造手術の時間もないので強化服を着るベースの肉体も通常の人間のものとなってしまう。しかし、仮面プリンセスとなることで確実にパワーを増し、そこにカニサソリとコウモキュラスが加われば、本気を出せないシルバーXなど敵ではない。
 
     ††
 
 茂の見ている目の前で、ヘッドギアの装着は行われた。
「いや! 離して! 何をするつもりですか!」
 戦闘員達に抑えられ、そこにヘッドギアを手にした一人が迫るに、自分は一体何をされるのかと、その恐怖で喚きたてていた百合子は、頭部にそれを被せられた途端にふらりと、急にスイッチでも切れたかのように喚くのをやめてしまった。
 お姉ちゃんがテェフェルに取られた。
 茂はすぐにそう悟った。
「顔を上げろ」
「……はい」
「お前はこれから、仮面プリンセス一ノ瀬隼乃を殺さなければならない。悪の使命を全うするため、ドレスアップシステムによる変身を行うのだ」
「……はい」
 命じられた内容に淡々と答えるだけの百合子には、およそ生気というものがない。どこも見ていないかのような、この場のどの物や景色にも焦点を合わせていない虚ろな瞳と、ぼんやりとした声で答える姿は、都合のいいように操られる人形そのものだ。
「変身しろ」
「はい……変身…………」
 命じられるまま、だらだらと、力の抜けた腕の動きでポーズを取り、力強さも覇気も足りない変身にはキレがない。まるでなっていないと、こんな時でなければ子供心に感じていたことだろうが、生憎ながらそんな状況ではありはしない。
 漆黒のコスチュームを纏った姿となり、悪の手で仮面プリンセスに変えられた姉を見て、茂が抱くのは切実な恐怖や焦燥だけだ。
「お前は今から仮面プリンセスローズブラック。それがローズブレスによる変身ネームだ」
「おねえちゃん!」
 茂はすぐに叫んだ。百合子を正気に戻すため、目を覚まさせるため、茂に思いつくやり方なんて、こうして叫ぶことだけだ。
「おねえちゃん! おねえちゃん!」
 そんな茂の姿を見て、まるでいいことを思いついたように言い出すのはコウモキュラスだ。
「ちょうどいい。まず手始めに弟を殺してもらうかな」
 もう人間の姿はしていない。蝙蝠翼の爽やかだったルックスは面影もなく、口元から牙を生やした怪人の面持ちだが、一体どれだけ邪悪で楽しそうな笑顔を浮かべているか。声色を聞くだけでも簡単に想像できた。
「……はい」
 虚ろだった目の焦点が、初めて茂に合わせられ、茂は心の底から恐怖した。
 殺される。お姉ちゃんに殺される。
 百合子が、ローズブラックが、ふらふらと一歩ずつ、ゆらりゆらりと体躯を揺らして迫って来る。これから茂の頭部を叩き、頭蓋骨を割るための手刀が、今にゆっくりと振り上げられ、茂は怯えてうずくまった。
「おねえちゃん……!」
 お願い、元に戻って。
 そんな願いを込めながら、必死の必死で目を瞑り、あとはもう手刀が振り下ろされるのを待つだけだった。腰が抜け、恐怖で足もすくんでしまって、逃げることもできない茂には、怖がりながら元に戻ってと祈ることしかできなかった。
 
「――そこまでだァ!」
 
 しかし、そこで茂は目を開けた。
 
「――トォォウ!」
 
 勇ましい声が、白銀の影が、茂の目の前に飛び込んで、その大胆な飛び蹴りによってローズブラック・百合子のチョップを逸らし、コスチューム姿の背中で茂を庇う。長身少女を見上げれば、その後頭部の髪からは、ハチマキのように巻くタイプのマスクをかけた結び目の尾が垂れ出ていた。
「シルバーXだ!」 
 本当に現れた怪人から、サラセニードルから自分達を守ってくれた。あの銀色の戦士がもう一度来てくれた。それが茂の恐怖を晴らし、絶望は希望へと、ただの一瞬にして塗り替えられているのだった。
 
     ††
 
 初めから裏切る予定だったとはいえ、たった一時期でもテェフェルに身を置いたシルバーXは、その短い期間にできるだけ多くの情報に触れている。簡易洗脳用ヘッドギアの存在も、仕組みについても把握していた。
 あれは装置を外しさえすれば洗脳を解除可能だ。
 ただし、ローズブラックの有するスペック上の能力を相手にしながら、さらには当然妨害してくるであろう二体の怪人と、おまけに戦闘員の数々まで捌いての話になる。とても現実的とはいえないが、背中に突き刺さる茂の視線が痛かった。
 もし、非情な決断に踏み切ったら?
 そんな考えが脳裏をよぎりはするが、何よりもっと浮かんでやまないのが、目の前で家族を失う子供の気持ちだ。母親の生首を手渡され、そのずっしりとした重みが何年たった今でも手の平に残っている。
 あのとき、一ノ瀬隼乃は中学生だった。
 自分でもあれだけ泣いたのに、幼稚園児があれに耐え切れるというのだろうか――こんな小さな子にまで、あんな思いをさせてはいけない。
「大丈夫だよ。茂君。君のお姉さんは、きっと元に戻してあげるからね」
 と、シルバーXが言うが否やだ。
 すぐに鋭い拳速が迫り、黒い一閃への受け払いを辛うじて間に合わせる。スピードさえあればいい拳には、重量感というべきパワーは無いが、代わりにあるのは純粋な速力から発生する威力である。
 受け払い――腕で相手の攻撃を外に押し出す防御技法。
 これにより、腕と腕が接するわずかな時間の皮膚感覚で、シルバーXは相手の重心や力の入り方を読み取った。ローズブラック・百合子のパンチが、どれだけの実力から放たれて、さらには次の動きに繋ごうとしているのか。それを見切るには、たった一度のパンチを見て触れるだけで十分だった。
 ――強い! 馬鹿な、いや、そうか。
 戦闘の素人に力だけを与えても、超人的能力を使いこなすことはできないはず。ただドレスアップシステムを使っただけで、パンチを放つ腰の動きまで良くなる理由は、洗脳ヘッドギア以外には考えられない。
 あれは脳に対して強制的に情報を送りつけ、その意のままに操るシステムだ。ヘッドギアの内部に格闘技のテクニックをインプットしておけば、元が素人であっても、ある程度まではまともな動きをさせられる。
 つまり、相手はただ強化服を着ただけの百合子ではない。ローズブラックの持つ能力をどの程度までか発揮して、使いこなしてくる強敵だ。
 ローズブレスの有するシステム上のスペックは、技やスピードが重視されている。腕力や脚力を重視したエックスブレスに対して、秒間に出せるパンチやキックの回数と、それから手足の稼動速度も桁違いだ。
 連続して放たれ続ける攻撃の数を受け払いで押し出すうち、やがては一発、さらに数発とシルバーXの顔やボディに拳が当たる。
 あまりにも速すぎた。
 百合子が行う攻め方は、まず一手で防御に腕を使わせて、すぐにガードの甘い部位を狙う。言葉にすればそれだけだが、打ったと思った直後には、当然のように足や腕を引き終わり、次の一撃を繰り出す準備が出来ている。
 守りに徹している限り、防ぎきれなかった一撃ずつが蓄積して、シルバーXの方が不利になるばかりである。
 そこでシルバーXが仕掛ける格闘上の駆け引きは、腕でボディを意識して、できるだけ胴体の守りを重視する。絶妙なさりげなさにより、しだいに顔面を守る比率を下げていくことで、顔を狙って来るように誘導していた。
 そして、次の一撃を読み当てるシルバーXは――来る! と、そう悟ると共に斜め前方への踏み込みをかけていた。顔面狙いのパンチに対して、危うく自分から顔をぶつけに行きかねない重心移動で、実際に頬に擦り傷を負いつつも、あと少しで胴体が密着し合うだけの距離まで詰め込んで、ローズブラック・百合子と組み合う。
 相手の腕を、まるで肩に担ぐかのように捉えたシルバーXだが、このまま百合子の腕を折るというわけにもいかない。必要以上の大怪我をさせたり、最悪の場合死なせかねない威力のある必殺技の数々も使えない。
 ここでシルバーXが取った選択は、足を引っ掛け転ばせて、押し倒した一瞬のうちに素早くギアを外してやろうというものだった。だが、外そうとするシルバーXと、抵抗するローズブラックで格闘などしているうち、その隙を突こうと怪人が迫って来るのは当然だった。
「ウリァ!」
 ハンマーのごとくハサミが振り下ろされ、シルバーXは途端に両腕をガードに移す。頭上で受け止めたハサミの形状は、生物上のサソリが持つものと変わりがない。ただ怪人の一部である分だけ、何トンもの重量を帯びていた。
「おのれカニサソリ……!」
「ハハハハ! ゲームの難易度が高すぎるなァ?」
 カニサソリは愉快そうに笑っている。
 このハサミを受け止める行為でさえ、これはローズブラックに馬乗りの状態だ。シルバーXの身体を通して、恐るべきパワーが百合子の腹部を壊しかねない。だからシルバーXの受け方としても、微妙に腰を浮かせ、衝撃を少しでも押し返す必要があった。
 それは同時に、腹部のガードがガラ空きとなることを意味している。
「タア!」
 ローズブラック・百合子のパンチが、シルバーXの鳩尾に深々と埋め込まれ、胃液が逆流して吐きかける思いを味わう――が、咄嗟の呼吸法で腹筋力を高め、まるでバネで弾き返すかのように拳を押し出した。
 黒いパンチは、直撃にせよ最小限のダメージで受けはした。
「ウリァ!」
 その代わりであるように、あたかも野球選手のスイングがホームランでも狙ったようにカニサソリのハサミが振るわれて、シルバーXの身体は何メートルも後ろへと転がされる。
 そして、その隙にだ。
「戦闘員達はガキを狙うんだ」
 コウモキュラスの命令によって駆け出す戦闘員は、途端にそれぞれの剣やサーベルを構えるなり、幼い茂一人を殺すために殺到していく。
 このままでは茂が――。
 だが、ここに来たのはシルバーXだけではない。
「トゥア!」
 長い足のリーチがしなり、ものの見事に剣の握り手を狙い撃ち、靴の硬いつま先で戦闘員の指を打つのは南条光希だ。蹴り上げた剣は戦闘員の手を離れ、くるくると緩やかな回転を帯びて舞い上がる。それが上昇をやめて下降に移っていく時には、指貫グローブを嵌めた光希の手に、その柄は収められているのだった。
「シルバーX! 雑魚は任せろ!」
「わかった! こちらは私がやる!」
 集中しだいで小さな衣擦れの音さえ聞き取り、目で見なくとも対象の動きを判別できるシルバーXには、光希がいかに集団相手に奮闘するかの様子がよくわかる。四方八方からの剣閃に反応して、最低限の受けだけで、空間のどこに身体を置けばそこには攻撃が来ないのか、嵐の中から隙間を見つけ出す芸当をその都度やってのけている。
 そして勢いよくジグザグに、走力と歩法をかねた身体回転を帯びながら、軽やかな風のように駆け抜けていく光希は、すれ違うついでとばかりに刃を通している。戦闘員の腹に足、時には喉元さえも抉り取り、数秒おきに一人は数が減っていた。
 それらの戦う気配を背中で読みつつ、シルバーXは目の前の怪人と百合子に集中する。
 カニサソリ、コウモキュラス、ローズブラック・百合子。
 未だ目標は困難だが、光希が戦闘員を切り倒していることで、シルバーXが背負う負担は大幅に軽減された。
「仲間が来たからって、状況は変わらないよ? シルバーX」
 いやらしく甘やかすかのように、コウモキュラスの声はねっとりしている。
「黒井川百合子! 自分の首を絞めて自殺しろ!」
 カニサソリがそう命じた。
「何ッ!?」
 シルバーXの見ている前で、何ら迷いなく首を両手に包み込み、自ら握力の限りを尽くし、指で皮膚を破らんばかりにしている。
 そうはさせまいと、咄嗟に駆けるシルバーXだが、当然のように二体が立ちはばかり、コウモキュラスの羽ばたきによって生まれる突風がシルバーXの走力を押し返し、逆にカニサソリは背中で浴びる風に任せて駆け迫り、助走を帯びたハサミのスイングでシルバーXを打つ。
「ぐぅっ、おのれぇ……!」
 白銀の衣装が出血に濡れた。
 カニのように赤味がかった甲羅とハサミは、まさしくカニの甲殻にあるのと同じ、鋭い突起がところどころに及んでおり、ハサミの各所も尖っている。そのハサミでの殴打を喰らうということは、尖端が皮膚を突き破るということでもあった。
 ますい、このままでは――。
「どうした? 早くしないと百合子が死ぬぞ! もっと急いだらどうだ!」
 煽り立てるカニサソリの言葉が、何よりも百合子の状況が、より一層のこと焦燥感を増幅させる。順調に喉を締め込み、もう呼吸もできない状態に陥りながら、なおも機械のごとく忠実に握力を込め続けている姿を見ては、たとえ焦らせることが狙いだとわかっていても、焦らずにはいられなかった。
「いいじゃないか。恩知らずのクズ女だ。死ぬのを見届けてから、改めて俺達と戦っても遅くはあるまいよ」
「黙れコウモキュラス!」
 シルバーXは駆けるが、その走力を押し返し、足を止めてくるほどの風力が、コウモキュラスの羽ばたき一つでいくらでも襲って来る。
「ウラァァ!」
 そして、風と共にスイングを放ち、ハンマーのごとくハサミを振るうカニサソリは、風の勢いに乗り合わせ、その動きを加速している。ならばシルバーXとて、あえて風に煽られてみせることで背中を逸らし、横降りの一撃をやり過ごす。腹筋力で直ちに姿勢を戻してのパンチでカニサソリの甲殻を殴ったと同時であった。
 
 おびただしい白い泡が吐き出され、シルバーXの身体中にまとわりついた。
 
 カニサソリの口腔から、そこから噴水が勢いよく噴き出る光景のようにして、白いものがこれでもかというほど大量に、全身にまんべんなくまとわりつく。外見上は風呂場のシャンプーで作るのと変わらない、しかし確実に怪人の成分を帯びた泡という泡の塊の数々は、髪に胸に、腹に足にと、びっしりと付着して、出血の部分では血と泡ば交わっていた。
 腹部にパンチを決めたことで、カニサソリとても自ら吐き出したのだろうが、まるでポンプで押し出す形としてしまったのだ。
 ふらっと、力が抜けた。
「っ!」
 急に立っていられなくなり、膝をついてしまった自分自身にシルバーXは驚愕した。
「思い知ったかシルバーX。俺の泡を浴びた者はだんだんと力が抜けて、そのパワーを発揮できなくなっていく。パワーを重視した貴様にはよく効くだろう」
 さらに追加とばかりにカニサソリは、頭頂部から生えた尻尾の先を近づけた。サソリが持つものと形状は同じでも、あまりにも長さの違う尻尾は、あたかも自我を持ってうねり動く触手生物であるように、鋭い切っ先を唇の狭間へ捻じ込んだ。
「んぐっ! んごぁっ、むぅぅ……!」
 口内へと、力ずくで入り込む。
 もちろん腕で抜こうとするが、こうしている今にもパワーの低下が続き、ほんの数センチ出したと思えば力負けしてまた入る。
「んぅぅ……!」
 あらん限りの力を尽くすも、ただ出入りが繰り返されるばかりのまま、やがて一ミリでさえ抜き出すことは出来なくなって、シルバーXの両腕は床にだらけた。
「んむっ、むふぁ……! んんむぁ……!」
 噛み付く力と、舌の筋力に加えて、さらに手掴みでも抵抗して、尖端に口内を引き裂かれないようにはしているが、流し込まれる液体までは阻止できない。
 口の中で、尻尾が太くなった。
「さあ飲め! もっと飲め!」
 カニサソリの身体の仕組みは、頭部の尻尾から毒液を出すとき、その量や注入速度をコントロールするために、管の太さも自在に変えてくるのだろう。生物上のサソリには存在しない能力があったところで不思議はなかった。
「んぐっ、んごぉ…………!」
 全力で歯を立てて、噛み切るつもりでいようと噛み切れない、硬度と弾性を帯びた尾の膨張は、顎の力に逆らいながらシルバーXの唇を広げていく。
 黒々とした太さに合わせ、淡い桜色の唇はリング状に開ききる。毒針の先はギリギリで喉奥を刺さずに済む危うい位置にあり、そこから流れる毒液は、直接食道の中へと、ドロリと入り込んでいた。
「んっ、んんん……ん……んんっ、んぅぅっ、ん…………!」
 妙に粘っこい質感が、ナメクジのようにゆっくりと這い落ちて、時間をかけて食道から胃袋まで移動している。ドクン、ドクンと脈打つように発射されるたび、喉の内側には粘液の塊が並んだ列ができ、先頭から順番になって体の奥まで向かっていた。
 しかし、胃での消化など待たずとも、体が成分に接した時点で毒素は入り込み、シルバーXを殺そうと循環していく。
(こ、この成分は…………)
 そもそも、変身せずとも五感の鋭い改造人間だ。シルバーXは味覚だけで成分を見極め、その毒の威力を知るや否や、それがとっくに体内をかき回している事実に力が抜け、顎の力による抵抗さえも弱まった。
「十分といったところか」
 満足したカニサソリは尻尾を引き抜く。
「んぷっ、ぷはぁ…………はぁ…………はぁ………………」
 舌の上に残った本当にわずかな分だけ吐き出して、床を汚したシルバーXは、さらにふらりと力を抜いて倒れかけ、反射的に両手をつく。四つん這いになったシルバーXは、肩のあいだに頭を落とし、この姿勢さえ保つことなく肘から力が抜けようとしていた。
「駄目押しにもっと俺の泡をかけてやる。そのパワーが落れば、毒への抵抗も弱まり、ますます死ぬことになるはずだ」
 そう言ってカニサソリは、口腔から泡という泡を吐き出し、ただ両手をついているだけのシルバーXの背中に、スカート越しの尻にもかけ、その泡成分が力を奪う。とうとう四つん這いですらいられなくなるシルバーXは、そのままうつ伏せに倒れ込み、指先の一本でさえ動かすことはなくなった。