第4話「嵐!稲妻!大変化!」part-A



 県内の龍ヶ谷市にある廃墟は通称・お化けマンションと呼ばれている。
 工事が途中で中断され、ベースとなるコンクリート材が全て剥き出しにされた外見の異様さから、そのように呼ばれている。各部屋に張られるはずだった床板や壁紙など、まして窓ガラスが取り付けられる段階にも至っていない。
 地上6階、地下1階、計100部屋の分譲マンションを想定し、昭和43年には基礎工事が完了したが、土地の権利や建築基準法違反などの問題が判明して裁判となっている。
 結審までは物件を現状維持する必要があることから、取り壊すわけにもいかず、建築途中で放棄されることとなり、現代に至っても現状放置されたままなのだ。
 ここが特撮ヒーロー番組の撮影現場にたびたび使われていることは、ファンのあいだでは有名な話だが、お化けマンションにはもう一つだけ有名な話がある。
 幽霊が出るということだ。
 ただし、もちろん具体的に有名な殺人事件が起きたわけでも、遺体発見騒動があったわけでもない。単に不気味に見える外見から、あたかも幽霊が棲みついているように言われて、それを真に受けた小学生が冒険のために入り込むといった話がよくあるのだ。
 学校の先生などは、だから教室で子供達に注意を行うが、冒険じみたことに興味津々の児童の誰もが大人の注意に従うわけではない。
 
 今日も小学生のグループが忍び込んでいた。
 七倉次郎と浅田弘は小学五年生の友達同士で、同じくクラスメイトの佐山浩子も、この二人と仲が良い。半ば三人グループのような彼らだが、学校外で遊ぶ際には次郎の弟である五郎がおまけについてきて、だからお化けマンションでの冒険は四人組で行っていた。
 幽霊を信じるタイプの四人は、心霊探索を目的としている。
 次郎がビデオカメラを片手にして、弘はエアガンを武器に幽霊を警戒して歩いている。小さい五郎と、女の子の浩子は、そんな二人を頼りに後ろからついていくといった形であった。
 大胆に湿気を吸い込むコンクリートの表面は、水分によっていたるところに変色を広げ、コケが生している部分が意外と滑る。幽霊ばかり気にしていた弘など、足元の注意をおろそかにして危うく転びかけていた。
 それでも、クラスで運動神経の良い弘は、このメンバーでは頼もしい部類である。
 次郎も決して幽霊が出そうだからと怖がらず、むしろ出てきて欲しいから、ビデオカメラに何かが映って欲しい願望を込めている。五歳の五郎はもっと純粋にワクワクして、スリル満点の大冒険でもしているつもりだ。
 もっとも怖がっている浩子は、きっとこんな場所で髪の長い不気味な女性でも見かけたら、絶叫するか気絶する。怖がりなのにこんなところまでついて来たのは、やっぱり冒険が楽しい年頃だからで、心の底では浩子も心霊的なスリルを味わいたい。
 しかし、建物の隅から隅まで探検しても、期待していたものは出てこなかった。冒険だけでワクワクするのは初めだけで、何らスリリングな出来事も起きなければ、いつかは飽きを感じ始める。
「このカメラをさ。どこかに置いて仕掛けてみようぜ」
 飽きてきて、提案したのはカメラ持参の次郎自身だ。
「なるほどな。そいつは頭いいや」
 弘はすぐに賛成した。
 つまり生きた人間がいるから出てこない幽霊も、どこかにカメラを設置して、自分達がどこかに離れていれば、映ってくれるだろうといった考えだ。
「どこに仕掛けるの?」
 尋ねる浩子。
「ほら、外に茂みがあるだろ? あの中に隠すんだよ」
 そうしたわけで、次郎達四人は敷地に生い茂った雑草の中に三脚台を立て、外からは見えにくいようにカメラを設置。心霊的な何かが映ってくれることを期待した。
 それから。
 一旦遠く離れてゲームで遊び、一時間ほど経った頃にカメラを回収しに戻ってくる。
 映るのは幽霊ではなかった。
 人間でもなかった。
 その日のうちに次郎の家に集まって、テレビ画面にコードを差すなど使い慣れた様子を見せる次郎が、何一つ映ってはいない退屈な時間を早巻きにして、それが画面内に現れた途端に通常速度に切り替えていた。
「は……?」
 弘は頓狂な声を上げていた。
「何よこれ……」
 浩子も呆然としている。
 どこからどう見ても、人型こそしているが、人間とは異なる生物だった。
 ゼラチンを人型に整えて、綺麗に仕上がったものを歩かせてみたような、頭部がクラゲのカサの形とよく似たものが画面中央へと向かっている。一本の触手として長く発達した腕には、大人の男性を荷物のように引きずっており、首が締まってもがき苦しんでいる様子である。
「……く、クラゲ男?」
 全員が顔を見合わせた。
 そして、今一度画面を見て、ゼラチン質だからよく透けた肉体に、さらによく見れば皮膚の向こう側には色だけを透明にした筋肉繊維の束や、動悸している心臓の赤さがある。
 素晴らしいCG技術でも使って、大作映画を撮影してのこれならわかる。怪物の映像を時間と予算さえあれば作れるだろう。小学生四人の中にそんな芸当の持ち主は一人もいない。こんな映像が生まれる理由自体、この世界には存在しないはずだった。
「怪人だ!」
 五郎が画面を強く指差し、誰もがわかっていながら、あえて口にはしなかった単語を遠慮も躊躇いもなく発していた。
 そのクラゲ怪人が言葉を発する。
『貴様は処分だァァァァ!』
 妙に甲高い、限界まで裏返したような声だった。
 同時に、身体の胸板の部分から、にょきりと芽が生えてくるようにして、急発達した一本の触手が、先端に鋭い針を帯びて男を突き刺す。
 それがスイッチとなったかのように男は溶けた。
 まるで熱に晒したアイスがだんだん溶けて、少しずつ小さくなって溶け残りの液体が広がるような、そんな光景を人間の血と肉で表現している映像だった。
 髪の毛が徐々に一本ずつゲル状に変質して、皮膚もドロリと表面から流れ落ちる。溶けることで剥けた皮から、筋肉繊維の赤い束が露出して、それさえも赤い液体へと変わっていく。やがては骨が見えてきて、骨まで溶け崩れ、皮膚の白さと血肉の赤さを織り交ぜたピンク色の液体は、土にすぅーっと染み込んで、最後には跡形も無くなった。
「…………」
「…………」
「…………」
 三人とも絶句していた。
 まるで大好きな怪獣でも見て喜ぶ顔をしていた五郎でさえ、ここまで残酷な映像になってしまうと怯えていて、完全に凍り付いてしまっている。
『ん?』
 何かに気づいたようにクラゲ怪人は、急にカメラ目線になってこちらを指した。
 画面を見る視聴者。
 急に指された四人はビクっと肩を跳ね上げた。
『次はお前達だァァァ!』
 全員の背中に寒気が走り、浩子は本気で泣きそうになり、弘はエアガンを握り締め、次郎は弟を抱き締める。
「な、なんかの番組の映像と間違えたかな!」
 そんなわけがない。それでは説明がつかないことなどわかっていながら、こぞってそれに縋りつき、そうに違いないという極めて現実的な判断に逃げようとしている。
「そうよね。なに考えてるのかしらね。私達」
 誤魔化し合い、笑い合った。
 次郎も、弘も、浩子も、忘れよう忘れようと笑い合い、逃げるようにしてゲーム機で遊び始めていた。
 唯一、五郎だけが三人の誤魔化し方に疑問を抱いていて……。
 
 次の日、浅田弘が学校に来なかった。
 その次の日は佐山浩子も来なかった。
 
     ††
 
 電刃忍者霧雨――という番組を見た。
 一九七二年から一九七三年のあいだに放送された昭和特撮番組で、主演俳優は光希の父親らしい。生まれもっての中性的な美貌は妖艶そのもの、艶めく顔立ちと足の長いスタイルで、多くのファンを魅了してきた美男子は、凛々しい顔つきの光希とよく似ていた。
 よほど細かく観察しなければ、男装時の光希と当時の本人で見分けがつかない。
 もはやオリジナルキャストを呼ぶも同然という理由で、根強い人気に応えた新作映画では、光希が中学生の頃に映画主演を果たしている。完全な男役をやる光希の声は、私生活よりも太く低く、まともな女子なら到底できないアクションシーンの数々もあり、視聴開始から終了まで、役者本来の性別など完全に忘れていた。
 しかし、この出演者本人がちょうど真横に座っている。
 この世界の文化に触れてみてはどうか、怪魔次元には存在しなかった変身ヒーローという概念も、説明するより見るが早いと、朝からディスクをまわしてくれたわけである。画面の向こう側にいるキャストが、そのまま同じソファに座っているのは、実に奇妙な居心地というより他はない。
「これがヒーローか。理解した」
 元の世界――怪魔次元では見る機会のなかった娯楽映像は、一ノ瀬隼乃は本当に入り込めた気はするが、没入した分だけありとあらゆる感想が素直で新鮮なものである。
 昭和版は話数が多い。さすがに最初の数話しか見ていないが、光希が出演している新作版では映画一本で悪の勢力が壊滅していた。
 隼乃が望んでやまない成果を電刃忍者は目の前で手に入れた。羨ましいというべきか、それともいっそ腹でも立つか。はっきりとした言葉には変えられない。新鮮だったことと同時に、非常に何とも言えない気持ちを抱かされた。
 それと、これが子供向けらしい点。
 いいのだろうか、こんな戦いに憧れを抱かせるような作品など。
 子供が電刃忍者に憧れて、本当に怪人と戦いたがったらどうするのか。
 確かにテェフェルさえ来なければ、この世界には怪人など存在しなかった。隼乃の感覚とこの世界の考えではだいぶ違って来るのだろうが、小さい子供が戦闘に憧れるのは、どうしても良いこととは思えない。
 電刃忍者霧雨が実在しない戦士なのも、何と言うべきであろうか。
 変身など空想の産物と言われても、隼乃の腕にはドレスアップシステムが付いている。実現しているものが架空扱いされているこの気持ちは、きちんと実現しているのにどうしてだとしか言いようがない。
 総合的な隼乃の感想。
 まともな娯楽映像が少なかったので、怪人社会における表現規制の制約がなく、まして洗脳教育の意図もないエンターテインメント作品は、隼乃にとって楽しめないはずがない。それだけのめり込んだにも関わらず、ジャンルがジャンルだけに素直に面白かったとだけ答えて済ませる気分にはとてもなれないわけだった。
「はぁー……」
 なので溜め息が出た。
「えっ、なにその感じは、つまらなかったの?」
「電刃忍者霧雨はいいかもしれない。だがこっちは何一つ解決していない。だいたいテェフェルを倒したら別の世界にある別の組織も潰しに行かなければならないんだ。それをたった一つの勢力だけ潰して終了など、私よりラクをしていてずるいじゃないか」
「ずるい? ずるいときたか。きっと、素でその感想を言えるのは世界中でも一ノ瀬隼乃ただ一人だよ」
「光希。実はあなたの正体が本物の霧雨だったりしないのか」
「しないしない。するわけない」
「はぁー……」
 溜め息が出た。
 画面の向こう側にいる子供はヒーローに救われたが、隼乃のことを助けてくれる戦士は存在しない。霧雨が本当にいればいいのにと、そんな願望を半ば切実に抱くのだが、演じた本人が隣に座っている始末である。
 南条光希という名の、ヒーローが架空に過ぎないことを証明する残酷な本人。
「次! 次行こう! 次!」
 さらに見せてもらった映画は、オールヒーロー大集合と銘打ったお祭り作品だった。あらゆる作品の主人公が協力し合い、極めて王道的な共闘の末に巨悪を破る。毎年評判の良い春の映画を見ての感想はただ一つ。
「こっちも手伝って欲しいというものだ」
「さすがは隼乃。それすっごく本気で言ってるよね。絶対に切実だよね」
「当然だ。あれだけたくさんいるなら、一人くらい手伝ってくれてもいいだろう。だいたい戦隊だの仮面バイザーだのが何十人も沸いて来るなら、テェフェルなんて瞬殺じゃないか。それが架空のヒーローだと?」
「いや、なんかゴメンね」
「全くだ。実在しないものを見せられても虚しいだけではないか。最初は素直に楽しんだつもりだが、だんだん憂鬱になってきたぞ! 仲間と共に変身しているシーンなど、よくも見せつけてくれたものではないか!」
「もしかして無神経だったのかな? 見せない方がよかったかな。改造人間の悲哀に満ちたエピソードって、さては隼乃に見せるには不謹慎かなぁ?」
「か、改造人間!? もういい! 仮面バイザーは見ないぞ! いくら映像作品ばかり眺めても、画面の向こうからこちらに出てきて私を助けてくれるのは一人もいない! なんかもうたくさんだぞ!」
 そう、隼乃のもっとも大きな感想はそれだ。
 こっちも手伝えよ、けどこいつら実在しないんだよな――という、寂しいというか残念というか、なので視聴終了後には溜め息が出るわけだった。
 ……戦えるのは自分だけ、か。
 いや、隼乃はドレスアップシステムの一号機を奪還している。開発上はエックスブレスよりも先に生まれて、技と速さに重点を置いたローズブレスは、適合体質さえあれば誰でも使用可能ではあるのだ。
 ただし、隼乃が使う前提で作られたため、男性の適合者が見つかる可能性はゼロに近い。よしんば変身できても、ただ変身しただけで武術の技量や戦闘経験の有無まで埋める合わせてくれるわけではない。強化服を着ても着用者が弱ければ意味はないのだ。
 だから、ただただ適合係数だけの黒井川百合子では、何ら戦力になりはしない。
 格闘面の技量や身体能力が保障され、なおかつ適合係数も満たした最高条件の持ち主といえば、南条光希を置いて他にはいなかった。
 だからローズブレスがテェフェルの手にあったあいだは、隼乃への対抗策として光希を取り込む作戦が取られていた。隼乃が光希のガードについたため、出方を変えたテェフェルは一時は百合子を誘拐した。
 もしローズブレスを光希に渡し、共に戦って欲しいと懇願すれば、二人で立ち向かうこともできるのだろうか。
 だが、それはあまりにも迷惑をかけすぎるようでならない。
 確かに合理的に考えれば、テェフェルとしては光希が第二の仮面プリンセスになる可能性を想定するだろう。仮に隼乃が光希に興味を持たず、さっさとどこかに消えたとして、連中は隼乃の気が変わらないうちに念のために殺しに来るかもしれない。
 となると、護身用に持たせたほうが逆に安全と見る方が正しい。
 さらには仮面プリンセスが二人に増え、こちら側の戦力が上昇すれば、マンモス将軍を初めとした幹部の首を積極的に取りに行ける。
 シルバーXだけでは敵わずとも、二人がかりならいけるだろう。
 だったら、このままどんどん巻き込むべきだ。
 より勝つことだけを考え、人の事情など無視して戦いに参加させれば、それだけでテェフェル首領の寿命は大幅に縮むといえる。
 だから、そう考えてはみた。
 何がしかの手口でもっともっと戦わざるを得ない状況に巻き込んで、抜け出せないようにして、過酷な運命に縛り付けてやろうかと、作戦自体は頭に浮かべてみたものの――やめた。
 できない、できるわけがない。
 もしも光希のような人物に出会うことなく、他の頼れる人間とも巡り合わずに、見知らぬ世界を一人彷徨うことになっていたなら、それはどれほど孤独だったか。心の沈みかかった隼乃に活を入れることまでしてくれて、そんな恩人を戦いばかりの運命には引きずりこめない。
 わかっている。
 もう十分に巻き込んでいるのは百も承知だ。
 しかし、少なくともテェフェルさえ倒せば、光希には今まで通り平和な日常を送らせることができる。
 それを一度でも変身させれば、たとえテェフェルを倒しても、その流れで別の組織との戦いにまでついてきそうな、そんな予感がしている。
 何というのだろう。
 言ってみれば、巻き込んではいるけれど、いつかは引き返すことの可能な、本当にギリギリのラインに光希はいる気がする。ローズブレスを渡した途端に、最後の一歩の分までこちら側に引きずり込んで、永久に引き返せない世界にまで光希を導いてしまう気がする。
 変身させるかさせないか。
 ローズブレスを持たせるか否かは、その境界線のような気がしてならないい。
 境界線を越えてしまえば、隼乃が味わった境遇とも距離が縮まる。
 合理的な考えがそこまで浮かんでいながらも、それでもローズブレスを手渡す判断に踏み切れないのはそのためだ。
「光希。もしも私を追い出した方が安全ならどうする」
 だから隼乃はふとそんなことを尋ねていた。
「いやいや、逆に隼乃がいた方が安全でしょ」
 光希としても、適合係数が理由で消される可能性には考えが及ぶらしい。
「もしもの話だ。どうする」
「追い出さないよ」
 迷いなき即答だ。
 あまりの迷いの無さは、自分が狙われても構わないと断言して聞こえた。目がそう言っているような勢いだった。
「何故」
「その理由はメッチャ思いっきり語ったばっかり」
 そういえば俳優だった光希の父親は、歳を取った現在でも海外で活躍しているらしい。さらに母親は亡くなっており、だから隼乃が来るまで光希は一人暮らしだったとか。
「まず隼乃が私をあの蜘蛛怪人から救った恩人。私は恩を仇では返さない。あれに捕まってたら私の夢も人生も終わってたんだから、何がどう隼乃のおかげなのかを忘れるつもりは欠片たりともありません。わかった?」
 本当にきっぱりしていた。
 そういう主義だから譲らない意地と、本気で気にかけてくれる想いを感じる。頼っても良さそうな大きな背中をして見える。その背中に寄りかかりたくなって、本当はずっと甘えていたい気にさせられる。
 そういえば、滝見零がいた頃の自分も甘えん坊だったか。
 
     ††
 
 南条光希にとって、子供はもっとも自分の仕事をよく見てくれる存在である。怪人を怪人として、ヒーローをヒーローとして、とても素直に受け入れてくれる年頃が、イベント会場の客席に親子連れで集まるのだ。
 スーツ着用にせよ、顔出しの演技にせよ、光希の場合は自分が注目を浴びるというより、描いた絵を見て欲しい、仕上げた作品を見て欲しい気持ちに近い。演技という名の創作活動から生まれる『作品』や『登場人物』を見て欲しい気持ちの持ち主としては、まだサンタクロースを信じているような年頃の純粋な視線ほどありがたいものはない。
 ヒーローショーでは客席の空気感が身に染みて、子供が楽しんでくれているのが、とてもよく実感できる。応援する声が聞こえて、本当にやりがいを感じられる。小さい頃はもっと単純に体を動かすことが大好きで、そのせいでアクションだのスーツアクターだのに興味を抱いたことから始まったが、いつの間にか子供の存在はやりがいの一部であった。
「霧雨時代。子供にいかんところを目撃されたことがあってな」
 以前、父の辰巳が聞かせてくれた。
「どっかで撮影の噂を聞いたんだろうな。あの時は疲れきっていて、現場でだらーんとしながら休んでいたら、たまたまやって来た子供がだな。その絵的にはあんまり格好良くない俺の姿を見ちまって、ショックを受けた顔してたんだ」
 その話をする辰巳はどこか、過去を今でも気にしている風だった。
「こんなの雷道霧破じゃないって、きっとそう思っただろうな」
 雷道霧破。
 電刃忍者霧雨の変身前。主人公の名前である。
「だから俺はな。いつどこで子供が見てるかわからない。シャキっとしよう。いつでもどこでも、そう考えるようにしたんだ」
 父がタバコを吸わないのも、酒が控え目な理由もそこに尽きる。分煙や禁煙が進んだ今と比べて、ずっと喫煙が当たり前だった時代の人間なのを考えると、本当は吸いたいのを我慢したまま、結局は今でも非喫煙者であり続けているのだと思う。
「光希、お前もシャキっとしろよな」
 そうやって肩を叩かれ、かつて自分が演じた役を快く娘に与えてくれた。
 光希にとって霧雨は、親から引き継いだ大切な財産だ。
 大切な大切な役なのだ。
 
     ††
 
「ヒーローショーか。ヒーローショー……。うーむ……」
 怪人が着ぐるみの小道具に成り下がる現場。
 一ノ瀬隼乃にとっての怪人とは、普通に存在するものだったことはおろか、独裁政治で人々を縛る恐怖の象徴でもあった。それがここでは着ぐるみに過ぎないなど、もう何らのコメントも浮かびはしない。
 テェフェルもあそこで倒されればいいのに――まあ無理だが。
『よっ、みんな! 今日は集まってくれてありがとう!』
 マイクを片手にしてステージの中央に現れるのは、忍者装束の着こなしとメイクを決めた光希――ではなく、光希が男役で演じる雷道霧破だ。
 座席は親子連れによって埋め尽くされ、隼乃と同い年の少女など見当たらない。低年齢の子供が放つ期待と好奇心が空気を塗り替え、完全にお子様をお客様としたこのイベントは、雷道霧破が司会進行役のお兄さんを務めるコンセプトなのらしい。
『みんなはもちろん、俺の名前を知ってくれているよな?』
 凛々しいまでの声質は欠片も女を感じさせない。何も知らずに見ていれば、確かに女性的な美貌に見えるが、本当に女だとは思いもしないはずである。
「雷道霧破ー!」
 何十人もの幼児の声が同時に重なっていた。
 しかし――。
「…………」
 自分もやらなくては駄目だろうかと思いつつ、隼乃は何も言わずにいた。
「…………」
 そして、それは隣の男児も同じであった。
 五歳児か四歳児か、黒井川茂と同世代のお子様だ。さらにもう一つ隣にいるのは、小学校高学年のお兄さんで、どうやら親子連れではなく、兄が弟を連れてきてあげた形らしい。
「ほら、どうしたんだよ五郎。お前の好きな霧破だぞ?」
「うん……」
「元気出せって、きっと大丈夫だから」
「……」
 キラキラと瞳の輝く無邪気な喜びの渦の中では、こうも暗くどんよりしている男児が珍しいもののように見えてしまって、隼乃はつい隣の席に目をやっていた。まあテェフェル絡みでもない限り、見知らぬ子供の気分など、隼乃にはまるで関係のない話だが。
『そう。俺の名前は雷道霧破。電刃忍者霧雨に変身して、人知れず悪と戦っている』
 人知れず戦っていることを会場のみんなには言いふらしていいものだろうか。
 いや、無粋な突っ込みなのかもしれない。
 生身の人間がそこで演じているけれど、観客の座るこちら側こそ現実世界で、舞台の上は脚本によって構成された架空の世界だ。あちらの世界とこちらの世界は既に別々であり、このことを用語では「第四の壁」といったか。
『今日はな。そんな俺以外にも、実はたくさんのヒーローが来てくれてるんだ』
 もっぱら、これはヒーロー役者がステージに呼びかける形式らしい。
 虚構と現実がある意味で交錯している。
 ショーという形式だから可能な演出か。
 第四の壁も存在が曖昧だ。
『それじゃあ、これから俺の言うヒーローの名前を一緒に呼んでみよう! いいか? 仮面バイザーブラックって余分だぞ?』
 そして、子供に声を出させるシステムらしい。
『せいの! 仮面バ――――』
『ははははは! そうはいかんぞ!』
 ところが狙い済ましたタイミングで、怪人達がステージにわらわらと沸いて出る。一斉に霧破を囲み、貴様を倒すチャンスなどと言っては攻撃を仕掛けていく。
 アクターの動きの良さはさすがのもので、手練れた格闘術のテクニックがところどころに見受けられるが、やはり観客に見せるためのアクションだ。もっと人数を活かせばいいのに、一人の怪人が攻めるあいだは他の怪人は周りで見守る動きを取っていたり、列に並んでというわけではないが、順番に一人ずつ殴りにいったり、きっとそういう構成にしてあるのだろう部分が目に付いた。
 テェフェル戦闘員とて連携を意識して、仲間同士が身動きを取るスペースを気にかけることはたびたびあるが、同じ一人ずつ順番に向かっていくのでも、明確に相手を殺すことを目的化している。織り込み済みのアクションに合わせた演出の都合とは性質が違うのだ。
 だいたい、所詮は着ぐるみではないか。
 自分の視界に制約をかけ、爪や翼の装飾によって動きにくそうなスーツなど、光希なら本気を出せばどうとでもなるはずだ。敵の数に追い詰められ、ダメージを受けるのも、隼乃の視力からすれば当てたように見えて当てていないことまでよくわかった。
 非常に上手いとは思う。
 実際には当たっていないパンチを受け、いかにもそれらしく仰け反ったり、苦戦している風に見せかける技術というか演技というか。
 だが、当てていないのが冗談でなく実際見える。
 隼乃の視力は伊達ではない。
『へ! どうやら、俺一人じゃあ厳しいようだぜ』
 しだいに追い詰められる霧破は再び子供に呼びかける。
『だけど、ここには仮面バイザーブラックが来てくれるんだ。さあ、みんなお願いだ! 大きな声で仮面バイザーブラックって呼んでくれ! いくぜ? せーのっ!』
 大勢の子供の声が同時に重なり、「仮面バイザーブラックー!」と呼びかける。
 応じるように黒い戦士が、バイクヘルメットを模したマスクデザインとプロテクタースーツの仮面バイザーブラックがステージに駆けつける。
『仮面バイザー! ブラァーック!』
『まだまだ! 他にもバイザーXが来てくれるぞ? いいか? 次は仮面バイザーXって呼んでみよう!』
 呼びかけは続く。
 子供達にヒーローの名前を呼ばせるにつれ、一人ずつ増えていくことで、だんだんと怪人の勢力を押し返し、最後には霧破が変身シーンを披露する。
『嵐! 稲妻! 大変化!』
 忍者の印結びを取り入れた変身動作で、ステージの奥へと引っ込む霧破と入れ替わり、その変身後である電刃忍者霧雨が登場する。あらかじめ中に入ったアクターが、このタイミングにあわせて舞台裏に控えていたのだろうが、そんなことは関係無しに客席は盛り上がっていた。  
 いいのだろうか。
 怪人と戦う存在に憧れて、夢中になって。
 怪人とは、いるものなのに。
 自分ならやはり、暴力の世界に憧れて欲しいとは思わない。