第4話「嵐!稲妻!大変化!」part-B



 七倉次郎は恐怖していた。
 カメラに映ったクラゲ怪人を見た翌朝、別に何も起きやしないと、自分に言い聞かせて登校する。教室には浅田弘と佐山浩子の姿がなく、担任の先生も二人の不在に首を傾げて、誰か休んだ理由を知っていないかとクラスメイト全員に向かって尋ねていた。
 風邪だとか、事故だとか、そういう連絡が入っていないのだ。
 だったら、一体どういう理由で昨日まで元気だった二人が休んだのかと、想像するに恐ろしくなって次郎は怯えた。
 朝から次郎の様子がおかしいので、友達からも先生からも心配され、とうとう保健室にまで連れていかれるが、決して理由を口には出来ない。
 もし理由を話したら、自分は怪物に狙われていると、いかにも精神のおかしい人が口走る内容にどうしてもなってしまう。小学校で一度は習う麻薬の危険性を伝える授業で、麻薬中毒の人間はそういうことを言い出すのだと習っているから、ますます言うに言えなくて、結局は誰にも秘密を明かすことなく放課後を迎えていた。
 そして、弟の五郎も同じであった。
 五郎もすっかり怯えていて、昨日の夜も眠れていないらしい。母親に心配されると、まさにおかしい内容を口走る。それを頭から信じるわけがなく、親としては前に見たテレビの怪人がよほど怖かったせいだと捉えていた。
 何週か前の日曜朝にクラゲタイプの怪人が出ていたのは、不幸中の幸い――なのだろうか。
 きちんと信じてもらえない五郎は、しばらくのあいだ食い下がるも、怪物の存在を信じて欲しい主張と、そんな現実を知らない大人では、最後まで噛み合うわけがなかった。
「ほら、五郎。一緒に寝ようぜ」
 五歳児の弟に対して次郎ができるのは、せめてその程度のことだった。
 それでも、眠れなかった。
 深い眠りに落ちていけば、途端に怪物の恐怖がフラッシュバックして、まるで悪夢にうなされた直後のように寝汗を散らして起きてしまう。眠ろうとすればするほどそのたびに、いつしか眠ることさえ怖くなり、その晩の次郎は一度だけベッドを離れた。
 マンション住まいの子供部屋は兄弟で共用となっている。誕生日に買ってもらったカメラやゲーム機を壊されてはたまらないので、そういうものは五郎の手には届かない棚の高いところに置いてある。
 それでも兄の私物で勝手に遊ぼうとしたことのある五郎は、さしずめ椅子にでも乗って手を伸ばし、どうにかカメラを取ろうとしたのだろう。そのせいで一度だけカメラが床に落ちていたことがあり、その時ばかりは五郎を叱って喧嘩になったか。
 幸い壊れていなかったから、ああしてクラゲ怪人の映像が撮れたのだが。
 それ以来、次郎の背丈で椅子に乗り、もうどんな手を使っても五歳児には届かない高さに大事なものは置いてある。
 ただ、人がゲームやカメラで遊んでいると、やけに羨ましそうな顔をしてくるので、自分の目の届く場所を離れない条件でなら貸すことがある。乱暴に扱ったり、壊されそうな気がして怖くなったら、すぐに怒鳴ってでも返してもらう。
 そうやって弟を泣かせたことも何度かあったが、最近は五郎も聞き分けがよくなって、物を壊される恐怖も薄れてきたので、今ではもう少しすんなり貸してやっている。次郎自身に自覚はないが、二人は十分に仲の良い兄弟だった。
 怯えている弟が心配でならない。
 しかし、喧嘩に強い自信もないのに、あんな怪物が襲ってきたらどうすればいいのか。
 とにかく食器棚からカップを取り、冷蔵庫の牛乳でも飲もうと注いでいく。
 完全に、目がばっちりだ。
 悪夢があろうとなかろうと、この調子ではもうまともに眠れそうにはない。カップを白く満たした次郎は、何となく温めてから飲みたくなって、電子レンジの戸を開けた。時間を一分間にして稼動させ、温まるのを待ち始めた時だった。
 
 ――べちゃり。
 
 急に窓の方向から音が聞こえた。
「ひっ!」
 ビクっと、次郎は肩を弾ませた。
 まるでゼリーかスライムの塊を壁にでも投げつけて、それが潰れたかのような音が、窓ガラスを叩いて揺らしたのだ。
「な、なんだよ。気のせいだよな?」
 口を突いて出てくるのは、そうあって欲しい願望だ。
 そして、そうあって欲しいがため、きっとそうに違いないことを確かめるため、次郎は台所のレンジの前から、リビングにあるカーテンの方向へと、一歩ずつ歩み始めた。
 ぺたりと、靴下を履かない裸足の足裏が、汗ばんで床に張り付く。ほんの少しだけ、足が床から剥がれるのに時間がかかり、また一歩と前へ出る。
 一歩、一歩。
 歩幅に合わせて、自分と窓ガラスとの距離が近づく。
 やがてカーテンを掴むことの出来るところまで、あとは手を伸ばして確かめるだけの距離まで窓ガラスに迫った次郎は、そうして伸ばしかけた手を止めた。そうあって欲しい願望が、このカーテンの向こうを見たと同時に打ち破られ、何かとても恐ろしいことが起きるのではないかと予感にかられて、恐怖で腕が固まってしまったのだ。
 だけど、見なければいけない。
 一度そう決めたからには、そうするべき使命感なのか、どんなに怖くてもそれが気になる心理からか。
 見なければ、確かめなければ。
 そんな気持ちにつられて、次郎は本当に思い切ってカーテンの生地を掴んだ。滑らかな繊維の感触が手に収まり、あとは向こう側を捲って見てみるだけだ。
 
 ――ピッ! ピッ! ピッ!
 
 単調なアラームにも似た三拍子の電子音は、電子レンジで牛乳が温まったことを注げる合図であった。
 ただのレンジの音に心臓が弾みあがって、本当に驚いてしまった次郎は、不意に呪縛から解けたようにカーテンから手を離す。牛乳を飲むために窓ガラスには背中を向け、やはり怖くて確かめることを諦めた。
 
 その朝だった。
 朝陽が昇り、両親達が起き上がる時間帯となり、ポストの新聞を取るために玄関から出た母親が突然の悲鳴を上げた。
 次郎と五郎は二人して青ざめて、父親が大急ぎで様子を見に行った。
 そこにあったのは、何年か前から飼い始めて、ずっと可愛がっていた愛犬の死体だった。
 いや、本当に死体と呼べるのだろうか。
 犬小屋にあったのは、さも体毛の色に合わせたような茶色のジェルの塊が、まるでゼリーを大量に散らかしたかのように敷き詰められたものだった。体毛がそのように変質したのと、血や肉や骨がそうなったに違いない赤や白のゼリーも混ざり、その敷き詰め方が辛うじて犬のシルエットを模していて、そんなゼリーの中に赤い首輪が沈んでいた。
 とても悪戯では済まされない。
 むごたらしい犯罪だ。
 このおぞましい物体が、そういう死に方をした立派な死体であることを証明するべく、漂う死臭に寄せ付けられたおびただしい数のハエが、嫌というほど羽音を立てて飛び回っていた。
 
     ††
 
 次郎が弟をヒーローショーに連れていくのは、ほとんど逃げるような気持ちからだった。
 連れていってあげる約束というべきか、当日は両親の都合が悪く付き添えないから、兄である次郎が一緒に行ってあげなさいと、おこずかいを貰えることと引き換えに強要された。
 正直なところ嫌々引き受けた話であったが、こうなると少しでも恐怖を忘れていられる時間が欲しい。どこかへ遊びに出かけるでも、どこかに出かけて忘れていられさえすれば、もう本当にどこでもよかった。
 今日は休日。
 飼い犬が死んでいた前日は、そうして戦慄の朝を迎えたばかりか、学校に行けばさらに何人かのクラスメイトが休んでいた。弘と浩子の姿はなく、空席ばかりがポツポツ増えて、担任はこの欠席の数に驚いて、おかしいほどに目を丸く見開いていた。
 その担任の反応はつまり、事前に風邪で休むといった連絡が、欠席者の誰からも届いていないことを示している。
 ありえない。
 何人も何人も、同時に無断欠席なんて明らかにおかしい。
 こうなると次こそ自分達の番な気がして、もう本当に怖くなり、実のところ永遠に家に篭って布団でも被っていたかった。ベッドの中に潜り込み、小さく丸まっているあいだに、怖いもの全てがどこかへ過ぎ去って欲しいと思っていた。
 だけど、愛犬の死を思うとそんなことでやり過ごせるはずはなく、出かけた途中で怪物でも出ないかという恐怖にビクビクした。
 そうやって、どこか不安と焦燥に包まれながら、ひどく怯えた様子で二人はヒーローショーの席についたのだ。
 子供向けのショーだから、客席の大半を埋め尽くすのは親子連れだ。
 何歳児かもわからない子供のはしゃいだ声が、そこかしこから聞こえて来る。周りを何となく見ていると、ビデオカメラの準備をして、ショーを撮影しようとしているパパの姿も見受けられた。
 あとは高校生ほどのお姉さん。
 母親は格好いい俳優目当てにヒーロー番組をたまに見ているが、きっと雷道霧破が目当てに違いない女性客もいくらかいた。
 ちょうど五郎の隣に座ったのが、妙に凛々しく顔立ちの良い、おそらく高校生のお姉さんで、随分と長身なのも目を引くが、何よりも目つきの鋭い美貌に見惚れてしまう。黒いジャケットの背中には薔薇のマークが入っていて、下はジーパンだった。
 ショーが始まり、役者本人が演じる雷道霧破が司会進行役として客席への呼びかけを始めると、お姉さんはやけに真剣な眼差しで舞台を見つめる。アクションが始まるに目を細め、品定めなのか、観察なのか、恐ろしいほどじっくりと真面目に鑑賞していた。
 ここまで真正面から入り込むとは、こんな子供向けの場所まで来て、よっぽどのファンなのだろう。
 しかし、何よりも気になったのは右腕に装着しているアイテムだ。
 白銀のフレームによって閉じられた機器は、サイドからベルトが伸びて、手首の部分に力強く巻きつくようにできている。そういうスマートフォンがあるのだろうか。あったとして、腕に付けていて使いやすいのだろうか。
 心なしか、携帯機器というより玩具販売で売られる変身アイテムが頭を掠め、まさかそんなものをその歳で装着して歩いているのか。半ば首を傾げてしまう。あんな形状のアイテムは見たことがないし、やっぱり装着機能付きのスマートフォンがどこかのメーカーから実は売られているのだろう。
 そんな色んなことが気になって、チラチラとお姉さんの方ばかりを見ていると、一度だけ声をかけられた。
「私に何か用でもあるのか」
 いきなり声をかけられて、本当にびっくりした。
 単純に声がかかってきたのもそうだが、凛々しいというか野太いというか、女の子がどうにか低い声を出し、無理にでも歴戦の武人を演じてみたような、深みと重々しさを帯びた声質にも驚いた。
 格好いい声だと感じてしまった。
 それも時代劇に出る武芸者というか、若者を導くリーダーというか、格好いい老け方をした格好いいオジサンの渋味ある格好良さに質が似ているような気もした。
「い、いえ……」
「なら人の顔をジロジロ見るな」
「ごめんなさい……」
 謝って、気まずくなって、それからお姉さんの顔は見ないようにした。
 
     ††
 
 七倉五郎は怯えていた。
 次こそは自分達が被害に遭って殺される。映像の中で死んだ男や愛犬と同じ、自分達もああいう死に方をさせられる。怪物の手で残酷な末路を迎える恐怖は、ヒーローショーを見たから拭いきれるようなものではなかった。
 舞台の上で戦う電刃忍者霧雨も、仮面バイザーや戦隊達も、誰もあのクラゲ怪人を倒してはいない。いくら他の怪人が倒されても、五郎達を狙う存在が生きたままだ。自分達のピンチを誰にも知ってもらえていない。
 知って欲しい。
 自分達を助けて欲しい。
 五郎の願いは切実なものだった。
「ほら、次は握手会だぞ? 行こうぜ五郎」
 兄に手を引かれ、五郎は重い足取りで俯いたまま歩いていく。
 五郎は電刃忍者霧雨が好きだった。
 生まれた世代の関係上、一九七二年の昭和版は知らないものの、新作映画に興味を引かれて五郎は霧雨が大好きになっている。あまりにも霧雨霧雨とはしゃぐようになったため、両親達は呆れながら当時のレンタル版を借りてきてくれて、そこで初めて昭和版に触れた形だ。
 まだ賢くなりきっていない五郎の場合、昭和版と新作版に登場する主人公・雷道霧破は、完全に同じ人物だと思っている。キャストが別人だとわかっていない、当時と変わらない姿で今でも戦い続けているのだと信じてしまっている。
 そもそも、よく知らずに映画を観た人など、やけに女性的で綺麗な少年だと思う始末で、俳優を男と誤解したままの人が割りにいる。ネットあたりで情報が拡散され、初めて事実を知って驚く人間がいくらでもいるのだ。
 五歳児となれば尚更だ。
 テレビの中の出来事は本当に起こっていて、ヒーローは実在すると思い込む時期の只中にいる五郎は、だからショーのステージに立つ雷道霧破も、その変身した霧雨のことも、本物なのだと思っていた。
 雷道霧破がそこにいる。助けて欲しい。
 自分達は狙われている。今日にでもクラゲ怪人がやって来る。
 お願い、助けて。
 助けて、助けて、助けて、助けて――。
 祈る気持ちを抱え込み、握手会の列に並んだ五郎は、とうとう自分の目の前に霧破がいて、恐る恐る差し出した手が握り返された瞬間には、もうたまらなくなって泣きついた。
「おねがいします! たすけてください!」
 そこに存在するヒーローに助けを求めた。
 すぐに、それはちょっとした騒ぎとなった。
 助けて欲しいと懇願して、大きな声で泣き出しまでする五歳児と、慌てた顔で弟に言って聞かせる兄の存在は、ざわめきとなって一般客へと広がっていく。
 アクシデントがあったとあらば、すぐに写真に取ってネット上にでもアップして、SNSでリツイートを得ようとするカメラが向き、カメラを出さないまでも野次馬は持ち合わせている人間も集まって、せっかく整っていた列が崩壊を進めていくと、とうとう駆けつけた警備員が野次馬を押し返す。
 五郎はほとんど錯乱状態だった。
 最初のカメラ映像から、徐々に積み重なった恐怖に加え、愛犬がああも目も当てられない状態で死んでいたショックまで、溜まりに溜まった感情が五郎の中から吹き荒れていた。そんな五郎を止めようにも、どうしていいのかわからなくて、次郎はそのうち途方に暮れていた。
 周囲にいる大人のスタッフも、不審者ならともかくとして、気をおかしくした子供となると困り果て、やがて出る判断はとりあえず別室にでも連れて行き、どうにか宥めて落ち着かせよう。両親の連絡先を聞き出して、必要なら迎えにでも来てもらおうと、そんなところだった。
 そして、大人が五郎へ手を伸ばす。
 五郎を連れて行くために……。
 それは恐怖を煽った。
 そういう大人の対応が、五郎からすれば怖かった。知らない大人の人達が、一体何をして来ようというのか。自分に向けて伸ばされた手に、五郎は本気で恐怖して怯えていた。
 それを見かねて――。
「ちょーっと待ちな」
 雷道霧破が前に出て、大人の対応を手で制した。
 そこに南条光希は存在しない。
「こんな小さな子が怖い目に遭ったっつってんだ。なあ? ボウヤ。話してみな。一体どんな悪い奴に狙われてんだ?」
 やや調子が良いようで、困った子供は見捨てられないテレビ通りの演技を忘れずに、それでいて五郎に優しく語り掛けている。言葉だけの優しさだけでは効果が薄いと見れば、さらには頭を撫でてやり、抱き上げてまで落ち着かせ、少しは五郎の心も落ち着いていた。
「ほーら、泣くなよ。男の子だろ? 君は勇気を持って、悪いやつの存在を俺に教えようとしてくれたんだろ? え? やるじゃねーか。偉いぜボウヤ。だから泣くことはねーんだ」
 視方だ。あの雷道霧破が自分の話を聞いてくれる。
 五郎は心の底から安心して、きっとこれからクラゲ怪人が倒されて、電刃忍者霧雨の活躍によって自分達は助かるのだと思い込み、今度はそれが嬉しくてたまらずに霧破に抱きつく。もうしがみついたまま離れない。
「光希!」
「誰と間違えてんだよ! 俺は雷道霧破だっつーの!」
「霧破? 霧破! その子の話は私が聞こう!」
「ほーう? ってことは、このお姉ちゃんがボウヤを助けてくれるみたいだな。な、そこのお兄ちゃん。そのお姉さんに話を聞かせてやんな」
「え? あ、はい!」
 急に霧破から話を振られ、慌てて頷く次郎。
 こうしてこの騒動は、隼乃は自分の知り合いだから大丈夫だと、任せて欲しいと霧破から周りのスタッフに伝えておき、隼乃と次郎の二人で五郎を連れて行くことで、とりあえずのところは収束する。
 一時的に中断された握手会は無事に再開され、あとは隼乃へと引き継がれた。
 ただし――。
 自分のよく知る憧れのヒーローと、全く知りもしないお姉さん。
 五郎にとってどちらがいいか。あっちのお兄ちゃんの方がいい、そんなことを正直に言い出すような年頃で、簡単に霧破と離れたがりはしない。五郎が霧破から離れるまで、やや時間がかかったのは言うまでもなかった。
 恐ろしく寂しそうに、本当に不安そうにして、チラチラと霧破を振り向く顔が、南条光希の心に強く染み付いてしまっていた。
 
     ††
 
 兄の次郎と、弟の五郎。
 この兄弟から話を聞くに至った一ノ瀬隼乃は、当然のように二人の視線を浴びていた。本当に話を信じてくれて、解決してくれるのだろうかという期待の半面、この見知らぬお姉さんが役に立つのか。そうでなければお姉さんも危ないし、怪人と戦えるなら戦えるで、ならこの人は何者なのか。次郎が隼乃に向ける眼差しには、あらゆる気持ちが束のように絡み合い、隠したり誤魔化す余裕もなく溢れていた。
 五郎などより露骨で、あの格好いいお兄さんの方が良かったと言わんばかりの顔をして、未だに握手会場の方向を振り返っては、寂しそうな切なそうな表情さえ浮かべている。
「というわけで、俺達は狙われてるって、思うんですけど……」
 全ての経緯を語る次郎は、とても自信の無さそうな顔と声で隼乃を見上げる。
「話はわかった。その映像が見たい」
「え? でも、カメラは家で……」
「なら家はどこだ」
 隼乃としてはチャンスである。
 何らかの作戦実行のため、単独で動く怪人を見つければ、倒すことでテェフェルの戦力を多少は削れる。作戦を潰せば侵略の阻止にも繋がる。とにかく怪人の動きを知りたくてたまらない隼乃は、何としても映像を見せてもらうつもりでいた。
「家にあの、来るんですか?」
 次郎は次郎で、知らない人を連れて行くことに少なからず抵抗を示している。
 学校で不審者対策について教えて、大人が道端の子供に声をかけたら、すぐに事案として警察ホームページにも情報が載せられるご時勢だ。雷道霧破のお墨付きで、つまり俳優と知り合いの人間で、不審者のイメージで浮かんできやすい怪しいオジサンに比べれば、確かにそこまで警戒することはないのだろうが。
 いずれにしても、子供から観た隼乃の印象は、まずただの知らないお姉さん、表情も何だかムスっとしていて話し難い、打ち解け難い。こんな時でなければ一目惚れしたかもしれないほどの美貌だけが、唯一のプラスの印象として働いていた。
「嫌ならここに持って来るんだ。確認しなければ話にならん」
「ええと、はい。わかりました」
 だいたい、次郎は現実を知っている。いくら霧破が優しく接してくれたからと、霧破役のお兄さんの知り合いだからと、そこにいるのはあくまでも普通の人間だ。怪人がいるから変身できる人間までいることにはならない。
 本当の本当に、この人に何とかできるのだろうか。
 できると言わんばかりの姿勢に押され、カメラを持って来ると了承した次郎は、どうあれ隼乃に縋るしかない。何とかできる人であって欲しい。そうでなければ自分達は助からない。不安や疑惑以上に、願望の方が強かった次郎は、助かりたい一心で家に走った。
 
     ††
 
 かくして、一ノ瀬隼乃はお化けマンションを訪れた。
 次郎の持ってきてくれた映像から、怪人の名がクラゲリアンであることを特定している。初めから裏切る予定で、一つの悪事も犯す前から離脱したとはいえ、たった一時期でもテェフェルのメンバーだった隼乃は、その間に可能な限りの情報を持ち出している。
 テェフェル怪人をある程度は把握して、能力や得意分野に至るまでを記憶しているが、向こうもそれは想定している。例えば当時なかった能力を新たに身につけ、勝てるつもりで挑んだはずが予想外の強さに苦戦を強いられるといったことがありえるはずだ。
 隼乃が知る怪人の情報は、あくまでも脱走前の古いもの。
 短期間のうちに能力が変化するとは限らないが、しないとも限らない。
 だが、それ以前に問題は今の気分だ。
 実のところ、話はここに来る前に遡り――。
「霧雨は? ねえ霧雨は?」
 と、強請るかのように五郎に迫られ、五歳児の相手にほとほと困らされていた。
 あの格好良くて頼れるお兄さんの方が、五郎としてはよっぽど良いのだろうが、どうして五郎は雷道霧破を信じているわけか。あれは光希が演じた人物であり、電刃忍者霧雨への変身も映像の中でしかできないのだ。
 あたかも霧破が実在するかのように、霧破に頼りたくて仕方のない顔をしてくる。
「五郎。あの人は本当にいるわけじゃないんだよ」
 兄が言って聞かせても五郎には通じない。
「でもいたもん!」
 その正体が南条光希で、男役を演じているに過ぎないなど、まるで想像していない。
「本当に困った奴だな。俺が五歳の時には、サンタクロースがいないってこともわかっていたのに……」
 さしもの兄もその調子だ。
 どうやら小さな子供というのは、テレビに出るものを本当にいると思い込む時期があるらしい。隼乃にも覚えがないことはないのだが、小さい頃に見た番組といえば、思想教育のものばかりで、せいぜいお化けを信じたくらいか。
 霧雨は来てくれないのか、そればかりの五郎を次郎が諭し、来ないのだと言い聞かされればされるほど、五郎は悲しげな顔をしていた。
 しかし、霧雨がいなくて悲しいのはこちらの方だ。
 変身者が二人になるだけでも、テェフェルとの戦いは随分と楽になるだろう。もしも戦力が増えるのなら、協力者が欲しくてたまらない。実の娘を改造した父も父で、だったら他に十人でも二十人でも仲間を用意してくれれば良いものを……。
 もっとも、あの独裁社会の監視下で密かに隼乃を送り出すだけでも、かなりの苦労だったに違いないが。
 霧雨にいて欲しかったのは隼乃の方だ。
 あんな小さな子供より、実際に命を賭ける自分こそ仲間が欲しい。