第4話「嵐!稲妻!大変化!」part-C



 そういった思いを引きずりながら、ともあれお化けマンションなどと渾名されている廃墟を訪れた。
 どう見てもマンションと呼べる段階に至っていない。正確にはマンションになる予定だったものとでも称するべき建造物は、セメントでベースが形造られているだけの建物だ。
 床板を張り付けたり、窓ガラスを取り付けることもされていない状態で、壁に塗装もされていない。ベランダになる予定だった場所にも柵がなく、ただの危ない場所になっている。あとどれほどの時間だけ作業が進めば、正しくマンションと呼べるものが出来ていたのか。
 マンションどころか周囲の土地ごと放置同然のため、雑草という雑草が生い茂り、草花がいたるところに密集している。これで完全に人が寄り付かなければ、辺り一面が全て密林にでもなっていたことだろう。
 人が出入りした痕跡の部分だけ、背の高い草が踏み倒されたり、踏み固められた土に通り道が形成されている。
 次郎や五郎のように、遊びに入る子供によって作られた道であろうか。
「ようし」
 さっそく隼乃が向かうのは、映像内で男が溶解死させられたポイントである。ああして証拠を残さずに人を消したり、あるいはあえてゲル化状態の死体を残せば、無残で信じられない死に方を周囲に知らしめ、脅迫で恐怖を与える効果は抜群だろう。
 血肉と骨に着衣物まで、全てが液状化して土に染み込んでいるはずだから、何か検出できる成分が残っていることを期待したい。
 何も出ないこともザラなのだが、もし何か出てくれば、怪人の体質をより詳しく見極めるヒントになる。男性がどんな人物かまで特定できれば、テェフェルの動きを読むのに役立つのだが、さすがにそこまで期待するのは不可能か。
 だが、脳裏には一つの可能性がチラついていた。
 クラゲリアンがわざわざビデオに映ったのは、果たして本当に偶然なのか。偶然ではないとするなら、あえて証拠を残し、隼乃が追ってくることを待ち構える。恐るべき罠の可能性を感じつつ、十分な警戒心を持って近づいた。
 そして、隼乃は土を採取するため、その場にしゃがむ。
 しゃがんで、直後。
 ――まずい!
 鋭い勘で気づいた隼乃は、しゃがもうとする動作の途中で、それをジャンプのための予備動作と変え、その場から飛びのくために一度は縮めた膝を伸ばした。これから海に飛び込むかのような、服が汚れることなど気にも留めない飛び退きで、一メートル先の地面のうつ伏せとなる隼乃は、すぐさま避けて正解だったことを知る。
 スナイパーの放つ弾丸が地面に深く突き刺さり、土を大いに散らしていた。
 やはり罠だ。
 しかし、スナイパーを配置するだけの罠で、テェフェルとてそう簡単に隼乃を始末できるとは思わないはず。我こそは仮面プリンセスを打倒して、テェフェルがための手柄を立てて見せようとする自信と意気込みに溢れた怪人が、こういう時にこそ出向いて来るだろう。見事に返り討ちにしてみせれば、少しはテェフェルの戦力を低下できる。
「イーッ!」「ギィィッ!」「ケィィッ!」
 奇声とも掛け声ともつかない戦闘員の声。
 見ればマンションの部屋の奥から、柵無しのベランダへと、あらかじめ潜んでいた部隊がそれぞれの武器を片手に出向いて来る。骨折など気にもしないで次々に飛び降りて、誰一人の足も折れることなく、着地した順から向かってくる。
 ここで取るべきは対集団用の格闘術だ。
 迫り来る群れと自分の距離を見計らい、十分に引き付けたタイミングで隼乃も踏み出し、手始めに放つ拳でまず一人の顔面を打つ。パンチを出そうという時点で、隼乃は既に一人目の戦闘員を見ていない。次から次へと、四方八方から来る攻撃の数々を相手に立ち回り、常にあと何人いるかを意識していた。
 手首を掴むことで剣を止め、即座にボディにパンチを打ち込み、倒れ行く姿を視線では見届けつつも、心はもう別の戦闘員に置いている。背中へ斬りつけようとしてくる気配に応じ、それよりも速い回し蹴りで頭部を蹴り抜く。
 視界に映る敵を見ているが見ていない。目の前の一人に集中すれば、たちまち数の暴力に飲み込まれる。たった一秒でも棒立ちしてぼーっとすれば、その一瞬で死ぬと心得ながら、慌しいまでにより動き、必要があれば駆け回る。
 そもそも、隼乃は改造人間だ。
 常人よりも優れた五感で、視界外にいる戦闘員の動きも捉え、まるで三百六十度の全てに視界が展開しているかのように全員を捉えている。出来るなら指の小さな挙動から、余裕があればあるほど呼吸法の部分まで、複数の深い部分までを同時に読む。
 さらに隼乃にとって、足腰が連動スイッチだった。
 武術において、重心移動や歩法といった技術がある以上は、その場その場の足の置き方も当然重要になってくる。集団に合わせて腰を捻り、足の角度を小さく変え、足腰が動けば自然と上半身も稼動する。
 そして、相手の攻撃を捌いた上で、カウンターを叩き込む動きも、ほとんどセットであるように同一テンポで行っている。それを戦闘員の視点で見れば、自分のパンチが弾かれたと思った時には、既に隼乃の拳が決まっていて、まるで知らないうちに重い一撃を浴びていたかのような体験となるはずだ。
 戦闘員が何人いようと、数の暴力がまるで通用していない。
 すれ違った戦闘員が倒れ、斬撃を繰り出した戦闘員が倒れ、真っ向からパンチを決めるはずの戦闘員にも逆に隼乃のキックが決まっている。
 あと十秒もすれば、全ての戦闘員が死体のように転がっていた。
 すると、溶ける。
 用済みになった戦闘員は溶解消滅するような設計となっており、ゲル状に変質しながら、あるいは沸騰の泡立ちで蒸気に変化していく形で、ここが戦いの現場であった証拠の全てが世界から消えていく。
 その時だった。
 不意打ちを仕掛ける怪人が、影から隼乃を狙うタイミングは非常に上手かった。
 
「一ノ瀬隼乃! 死ねェェェェェ!」
 
 どこまでも裏返り、甲高い声が上がる時には、もう水分によって発達した一本の触手が、隼乃の首に深く食い込み巻き付いていた。
 それだけで隼乃には怪人の技量がわかった。
 隙を狙ったからだ。
 戦闘員を最後の一人まで打ち倒し、これで一段落がついたと思うと、そんなつもりはなくとも無意識のうちに安心する。もちろん油断をしないため、隼乃は十分な残心でもって警戒していたつもりだが、その上で相手は隙を突いてきたのだ。
 つまるところ、紙と紙を重ねたわずかな隙間を狙うがごとき恐るべき正確性で、ミクロ単位を貫くほどの繊細さで、隼乃にこうして不意打ちを成功させた。
 背後にいるのはクラゲリアンだ。
 触手のパワーを腕力と呼ぶべきかは別にしても、ともあれ腕を触手の形状に変え、首を絞めてくるクラゲリアンの力は、もしも隼乃が無抵抗でいれば一瞬で骨まで折れる。改造によって強化された筋肉と、触手を掴んで引き離そうとする握力によって、どうにか即死を免れている状態だった。
 実際のクラゲはほとんど水分で出来ていると言われるが、クラゲリアンの肉体が持つパワーは水性筋肉によるものだ。怪人を生み出す改造技術によって誕生して、怪人だけが特別に持つ通常ありえない性質の筋肉繊維。骨でさえも不思議な水質で成り立っている。
 水分とタンパク質は当然として、さらに未知なる物質とエネルギーを組み合わせ、この世界には存在しない化学反応や現象の数々によって生まれた完全な新生物だ。
 無色透明の繊維の束には、さらにもう一つの役割を持つ神経が通っている。
 ――電気ショックだ。
 隼乃の知っている限りでは、クラゲリアンは五万ボルトの電流を操り、敵を絞め殺すことが出来ない場合は電気によって苦しめる。
 隼乃は苦悶していた。
 改造人間が五万ボルトで死にはしないが、おびただしい電流が皮膚から肉へと、さらに全身にまで広がるようにして、針が突き抜けるがごとく全身を巡る苦痛と、単純に首が絞まっている苦しさは、もうこのままでは死ぬのも時間の問題だ。
 ――いや、そこだ!
 急に隼乃は人差し指と中指を束ねる形で、触手のある一点を突き刺して、それがスイッチのように絞める力が弱まった。
 ツボをついたのだ。ツボをつくことで筋力を一瞬だけ弱められる。
 人間とは異なる身体構造から、触手のどこにツボが位置しているのか。土壇場で準備期間に学んだ知識を思い出し、クラゲ系列の怪人の基本形図を頭に浮かべ、およそそこであるはずの部分をついて見事に当てた。
 たった一瞬でも弱まった隙に引き剥がし、改造人間としての跳躍力で――。
「トォウ!」
 即座にマンション屋上まで飛び移る。
 高所からクラゲリアンを見下ろして隼乃は、変身のための構えを取った。
 
「変……身……!」
 
 両腕を回転させ、胸の手前にクロスを作る。その腕の交差した交点で、腰横を叩くと同時に片腕だけをバウンドじみて浮かせてやり、横から横へスライド移動のように運んでいく。
 
「トォォウ!」
 
 最後には垂直飛びによく似たフォームで飛び上がった。
 一瞬の影となり、下から上へと消えた隼乃が、次に地上のクラゲリアンの前に着地する時には、白銀のコスチュームを纏った仮面プリンセスへと姿は変わっていた。
「仮面プリンセス! お前の命を頂ァァァく!」
 その変身した姿を見て身構えるクラゲリアンは、右腕の形状を鞭へと変えてしならせる。肉体のコントロールによって弾性付与も自由な腕の鞭は、よく伸びるゴムのように千切れにくい状態のはずだった。
「電気クラゲの化け物め――」
 シルバーXとなった彼女はクラゲリアンを指す。
「――お前こそ死ねェ!」
 そして、すぐさま地面を蹴って間合いに迫り、鋭くパンチを放つシルバーXは、しかし腕に鞭を巻きつけられ、外側へ投げるようにしてまず一撃を防がれた。
 怪人の肉体形状だから可能な、この世界の格闘術には存在しないテクニック。
 空手で相手の拳を押し出す方法が受け払いなら、巻きつけて投げ出すクラゲリアン技法は、さしずめ巻き払いとでもいうべきものだ。
 さらにクラゲリアンの立ち回りによって、今度はシルバーXの方が攻撃を捌かれると同時に返しを受け、力強い拳が鳩尾に埋まっている。咄嗟に腹筋を固めることで、そのダメージは最小限でも、クラゲリアンの格闘術は厄介だった。
 状況に合わせて鞭か拳に切り替えて、腕の鞭を振るうことによって成り立つ格闘術は、自分がクラゲであることが前提だ。鞭で締め上げての投げ技に、拳から鞭への変化を使うリーチの延長。あらゆる要素をテクニックとして使いこなして、動きの一つ一つにかけてまで優れた格闘センスが見受けられた。
「トォウ!」
 シルバーXは利き腕で拳を放つが、それも巻き払いによって投げ出される。ボディの片側が隙だらけとなるばかりか、巻きついた鞭は直ちに拳の形に戻り、そうなる時にはとっくに、もう片方の腕で放ったパンチが決まっている。
 そして、一撃を決めればクラゲリアンは続けて踏み込んで、立て続けに打ち込む蹴りと拳にシルバーXは防戦一方のまま後退を繰り返す。
 完全にクラゲリアンのリズムに巻き込まれ、顔に胸にと三発にかけては浴びせられ、やっと防御の隙を見い出しても、クラゲリアンは受け払いに対して腕を鞭に変えてくる。ガードの腕に巻きつけて、腕を引っ張るようにすることで、防御を崩した上で打ち込んだ。
 パワーに優れた設計のドレスアップだ。
 ならば巻きついたままでさえいてくれれば、逆に掴み返して相手を振り回すことが可能だったが、クラゲリアンはそれをやらせてくれない。実際にそうすることを試みて、掴もうとしててを動かすが――。
 腕に力を込めた途端に鞭はするりと離れ、取ろうとした行動が不発に終わった。意味のない動きに腕を使ってしまった形になれば、そこに当然隙が広がり、シルバーXはさらに多くの打撃を浴びることとなる。
「命を頂ァァァァく!」
 今度はキックを顔に当てられた。頬を蹴り抜くつま先が、食い縛った歯茎に鈍い衝撃を与えてきて、シルバーXの口内を出血させる。
 ――強い。
 いかに自分の打撃を決めてみせるか。この駆け引きと立ち回りが非常に上手い。足腰の動きも腕の鞭に適したもので、腰の回転からして鞭のコントロールを意識していた。
 テクニックはまだまだあった。
 シルバーXが手刀受けを使った時だ。チョップで相手のパンチを叩き、攻撃で攻撃を防ぐ方法を取った途端、まさに皮膚が接触すると同時に放電能力が発揮され、シルバーXの手には静電気が弾けるような痛みが走る。
 電気能力さえも格闘術の一部と化したのだ。
「トウ!」
 ――と。
 次にシルバーXが拳を放つ時、まるでうつ伏せに寝かせてやるように、綺麗なまでに姿勢を崩され、気づけば胸も顔も土に押し付けられていた。
 自分がいかなる技をかけられたのか。
 皮膚感覚によって把握したシルバーXは、やられながらも技の原理を理解していた。
 まず、パンチに対して巻きつける鞭。鞭で腕を引っ張ることで、パンチの進行方向そのままに勢いで、攻撃側は前のめりにバランスを崩すこととなる。危うく転びそうな姿勢となるところへ、トドメを刺さんばかりに足首にも巻きつけて、前のめりの上半身と、後ろへ持ち上がる足という形となり、シルバーXはこうしてうつ伏せに寝る羽目となっていた。
「ぐおぁっ!」
 力強く背中を踏まれ、重い衝撃が背面側から腹部にかけてを貫いた。
「死ね! 死ねェェェェ!」
 ただでさえ、怪人のパワーとは数十トンに及ぶものである。
 クラゲリアンはがむしゃらに何度も何度も、繰り返しボタンを連打し続けるがごとく踏みつけて、その一撃ごとに内臓に負荷がかかる。背骨が悲鳴を上げている。全身が土に埋まって、もしも今から起き上がれば、シルバーXの身体で型取りをした穴のくぼみが綺麗に出来上がっているはずだった。
 やられてばかりはいられない。
 意地でも反撃してやろうと、振り下ろされる足に対して、シルバーXは急に振り向くように肘打ちを放ち、固い肘をクラゲリアンの足首に突き刺した。真っ直ぐ振り下ろすはずだった足が、そうして方向を変えられれば、クラゲリアンはやむなくバランスを崩して横に倒れる。
 すぐにシルバーXは立とうとするが、クラゲリアンも即座に立ち、執拗な鞭打ちでシルバーXを倒れたままにしようと躍起になった。
「死ね! 死ね! 死ねェ!」
 四つん這いとなった尻にも鞭の殴打が炸裂して、あたかもサディスティックなお仕置きを頂戴している有様となってしまうも、シルバーXの頭の中には次の反撃への流れがあった。
「トウ!」
 地面に両手をついた姿勢から、四つん這いのままから後方に放った鋭いキック。それは鞭打ちを蹴りで迎える形となり、サッカーボールでも蹴り飛ばす勢いで、クラゲリアンの鞭は蹴られた方向へと弾け飛ぶ。
「シルバーウィップ!」
 ドレスアップシステムの機能の一つ。
 ブレス機能を介することで、仮設式異空間に置かれた物質情報を即座に読み取り、カードの挿入から武器を手元に呼び寄せる。キックの遠心力をそのまま使って、さらに自分自身の身体を仰向けにひっくり返すことに繋げたシルバーXは、既にその手に白銀の鞭を握っていた。
 今度はシルバーXがクラゲリアンに鞭打ちをお見舞いして、怯んだ隙に立ち上がり、今までのお返しとばかりに半透明のボディを打ちのめす。
 反撃の勢いに押し負けて、クラゲリアンは逃げるように高所へ飛び上がる。
「仮面プリンセス! また会おうぜ!」
 屋上から言い放ち、クラゲリアンは撤退した。
 流れの変化を直ちに悟り、無理に戦闘を続行するのはやめたのだろう――おかげでクラゲリアンを倒し損ねた。
 
     ††
  
 クラゲリアンに与えられた任務は適正素材の調達だった。
 改造手術に耐えうる体力と、怪人の能力に適合できる適正体質を兼ね備え、テェフェルの一員となるべき人間を次々と攫っていく。精神的に悪の素質があればあるほど洗脳を施す可能性は低まるが、逆に著しく正義感が強い場合は、万が一にもテェフェルの敵対者を増やす危険性を考え排除する。
 そのうち一名が拉致に際に抵抗して、頑として悪には屈せぬ姿勢を見せたため、クラゲリアンはその男性を逃げ込んだ先のお化けマンションで始末した。優秀な肉体は惜しかったが、悪行こそ商売のようなテェフェルにとって、怪人の能力を善用されては困るのだ。正義の怪人というある意味でのイメージダウンなど想像もしたくない。
 そして、その時だ。
 ふとカメラレンズの気配に気づき、カメラを指して次はお前達だと宣言した。
「あのカメラを破壊。あるいは持ち主を消さなくてもよかったのですか」
 ――と、
 一人の戦闘員は尋ねて来たが、クラゲリアンはこう返した。
「その方がいいのだ。今にわかる」
 一ノ瀬隼乃は龍黒県を拠点としている。
 ならば付近で起きた事件はすぐに勘付き調査に来る。そこでクラゲリアンはシルバーXを迎え撃つ準備を整え、あわよくば変身前に射殺しようとスナイパーも配置した。要するに誘き出して殺そうと考えて、なかなか惜しいところまで追い込んだ。
 あのまま勝てる可能性は十分にあったはず。
 そう、勝てるはずなのだ――シルバーXには。
 ただし、ローズブレスを取り返している隼乃のことだ。南条光希に力を与え、今日にでも二人で戦い始める可能性は十分ある。一対一なら勝ち目はあっても、二人で来られては敵うまいと、クラゲリアンもさすがに自信過剰にはならなかった。
 マンモス将軍の判断では、仮面プリンセスとの戦闘に耐えうる怪人は限られており、少しでも戦闘力を重視した改造人間を増やしたいとのことだった。
 さっさと大量の怪人を出して潰せばいいとは、安直ながら誰しもが思いつく。
 しかし、戦闘に向いている怪人。それも仮面プリンセスとの戦闘に耐えうる条件の持ち主を揃えなければ、いかに数ばかり用意したところで、致命的な大損失になるだけだ。
 そこでマンモス将軍が考えている計画は――。
 
 ――切り札の大量確保。
 
 いずれは対仮面プリンセス用の戦力を完成させ、その時こそ最強の怪人軍団を出撃させ、数の暴力で叩きのめすつもりがマンモス将軍にはある。
 今のところ怪人が小出しになっているのは、山出しに繋げる準備期間だからに過ぎない。
 クラゲリアンはそれに従い、適合係数の高い成人男性を次々に拉致しては、さらに詳しい検査で使えるものと使えないものに取り分け、いらないものは廃棄処分にしてきている。
 そして、十分に大人を集めた次が子供で、未来の怪人を育てて手先に変え、小さいうちから悪に心を捧げた少年少女を日本社会に放とうという作戦だ。世界征服達成の足がかりになると同時に、その達成後にも怪人社会のために働く奴隷となる。
 それにだ。
 嗅ぎつけた一ノ瀬隼乃が、子供達を救出しようと動いてくれれば、そこに爆弾でも仕掛けた罠で迎えてやれる。
 確保した子供は打倒仮面プリンセスの素材としても使えるのだ。
 
     ††  
 
 その灯台の地下に今回のテェフェル基地はある。
 首領からのお言葉を授かるための『首領の間』を整える他、改造手術を行うための設備と、捕らえた人間を閉じ込めておく牢屋までもが揃っている。
 この牢屋に多くの子供達がいた。
 急にこんなところまで連れ去られ、恐怖に怯えている男児女児などまだ大人しい。両親が傍にいなければ不安になる年頃から、お母さんお母さんと泣き喚き、小一時間以上も涙を流しているのが一体何人いることか。
 浅田弘と佐山浩子も、鉄格子の奥に囚われの身となっていた。
「畜生。あんな化け物がいるなら、ヒーローがいたっていいじゃないか!」
 冷たい鉄の棒を掴む弘は、自分などの力では到底何もできない事実に歯噛みする。浩子をここに攫ったのもあのクラゲリアンという怪人で、弘の場合は登校中に急に気絶させられ、目覚めた時にはここにいた。
「いくら怪人がいたからって、そんなものいるわけないのよ」
 妙なところで現実的な浩子は、もうどこか悲しげに諦めきった顔を浮かべている。
「わかってるよ。けど誰も助けに来ないのかよ。警察でも自衛隊でも、誰でもいいよ!」
 そう祈るしか出来ることが何もない。
 畜生、畜生。
 こんな鉄格子くらいどうにかできたら、あんな怪物と戦える方法が何かあったら、けれどクラゲリアンがどんな風に人を殺すのか。弘とてあの映像で見た内容を覚えている。どうにかできる力があれば、だけど殺される恐怖もあって逆らえない。
「おいガキ共!」
 クラゲリアンだった。
 ゲル状の肉体から、向こう側の景色をかすかに透かせ、廊下の奥から戦闘員を引き連れる。手下を顎で使って鍵を外させ、鉄の戸が重々しく開くなり、クラゲリアンは子供達に向かって言い出すのだ。
「お前達はこれから俺と同じ怪人となる!」
 途端に戦慄が広がった。
「改造検査を受け、もっとも適した改造手術を施すことで、お前達一人一人に悪の力を与えてやるのだ。その暁には未来の怪人社会の一員となり、人間どもを支配する喜びをじっくりと叩き込んでやろう」
 クラゲリアンの言葉は全て、現実味のある恐怖として弘を震わせた。決して馬鹿げた絵空事の話には聞こえない。目の前に立つ実物の怪人の口から聞くことで、それは本当に実行されることなのだとよく伝わり、自分がこれからどんな怪物にされてしまうのかと、弘の全身から嫌悪と拒絶の心が放たれる。
「さあ一人ずつだ。一人ずつ調べてやる!」
 戦闘員に引きずり出され、もっとも激しく泣いていた女児が連れて行かれる。とても幼稚園児の暴れ方とは思えない、壮絶な抵抗によって戦闘員を手こずらせ、人生で一度も聞いたことのない、喉が破裂してはいないかと思わず心配になるほどの絶叫まで上げていた。
 あまりの光景を見せ付けられ、もう完全に青ざめた。
 
 ……駄目だ、俺には何も出来ない。
 誰か! 誰か助けてくれよ!
 このままじゃ俺達怪人にされちまう!
 
     ††
 
 泣きつかれた瞬間から、あの七倉五郎という子供の様子はおかしいと、ただの普通の泣き方ではないと感じていた。
 仕事中の南条光希はどうにか自分の役目をこなし、今日のイベントをやり遂げたが、ふとすれば五郎のことが気がかりとなり、いつもと比べて集中力を欠いた仕事をしてしまったと、我ながら自覚していた。
 スマートフォンを見れば案の定。隼乃からの連絡が入っている。
『テェフェル。倒す』
 あまりにも簡潔なメール内容に少し呆れて、それからやはりと確信する。あの子は本当に雷道霧破に助けを求めたいほどの怖い目に遭っていて、あの年頃で目の前に本物がいたとあってはもうたまらなくなったのだろう。
 もちろん、子供の泣いている姿を見たことでの憤りは激しい。あれだけで十分に拳が震え、目の前に犯人がいたなら迷わず掴みかかっていることだろう。
 だが、こうも感じてしまう。
 
 ――仕事の結果を汚された。
 
 イベントショーをやるからには、楽しみに来てくれた子供達は大いに喜び、一人でも満足した気持ちになって帰って欲しい。
 誰かに夢を与えたい。子供を笑顔にしてやりたい。
 決して綺麗ごとなどではない。
 楽しい時間や夢の一時にお金を払う客がいるから、イベントやテーマパークが成立する。需要を満たすために仕事が成り立つ。現実であれ理想であれ、子供の笑顔は大事なものだ。
 子供の生の声援を聞く機会のあるヒーローショーで、さらにはもっと近くで喜ぶ顔を見ることになる握手会で、たくさんの子供達が電刃忍者霧雨の活躍を楽しんでくれたというのに、あの兄弟だけが本物の被害に遭って怯えていた。
 自分がこなした仕事の成果を肌で感じていた中で、あの兄弟だけはテェフェルに怯え、だからイベントに出てくる着ぐるみの怪人を倒したところで、二人はちっとも安心してはくれていない。満足だってしていない。あの二人にとってはまだ本当に怖い怪人が残っている。
 許すまじテェフェル。
 もう一通のメールがあった。
『雷道霧破さん。子供達は黒井川百合子に任せてある』
 ああ、そうだ。
 百合子はあれから、ずっと隼乃のことを気にかけていた。