第4話「嵐!稲妻!大変化!」part-E



 霧雨が一歩前に出るごとに、戦闘員の群れは一歩また一歩と、気圧されるようにして下がっていく。
 相手の呼吸に集中していた。
 全ての神経を戦闘員達だけに向け、いかに小さな挙動でさえも見極めようとする勢いで、身体的には脱力しながら精神的には緊張を維持している。
 今の霧雨は武人であった。
 まるで自分という存在を切り替えるスイッチでもあるように、そこに南条光希は初めから来てすらいない。どこかおチャラけた少年の姿もなく、ここに立つのは過去何十年も戦い続けた武士の凄味が放出している達人に他ならなかった。
 これから敵を殺すための歩法と、さらには呼吸法まで整えて、獲物の命をいつどのタイミングで刈り取ろうかと、虎視眈々と目を光らせ、気づけば瞬きさえしていない。
 そして、霧雨は前に出た。
「トゥア!」
 設定上は刀で戦うヒーローだが、アトラクション用の備品で敵は斬れない。初めから相手の剣を奪い取る前提で、まず手始めに素手の格闘術で仕掛けていた。
 反射的に応じる群れは、その数をいかしてたちまち飲み込み、傍目からすれば物量がたちまち個人を圧殺したように、あるいは霧雨が自分から群れに飲まれに行ってしまって見えただろう。
 が、見ている子供達は霧雨の強さをわかっていた。
 直ちに金属のぶつかり合う鈍い響きの音が鳴り、剣術による戦いの始まりが子供達にも音で伝わっていたからだ。
 たった一人を囲んだ人数が、さも息でも合わせたようにばったりと、同じタイミングで倒れていき、黒タイツの密度で見えなくなっていた霧雨の姿が解放される。
 あとは向かってきた順番から一人ずつ斬り倒すだけだった。
 真っ先に駆けて来る斜めから振り下ろすスイングも、勢いに任せた突きも、横一閃の一撃も何もかも、霧雨は片足立ちの構えで受ける。相手の刃を自身の刃に滑らせて、浮かせていた足で前に踏み込む。
 それは足腰の重心使いに慣れきって、呼吸法の訓練も積んでいるから出来る芸当には違いない。しかし、もっと簡単に例えれば、ただただ相手の攻撃を横にでもどかしてやり、自分の攻撃を決めやすいようにしてから斬っているとも言えてしまう。
 本人にとっては清々しいまでに作業的で、それをワンテンポでやっているから、常識的な動体視力しか持たない傍目には、優れたハイスピードアクションとして映っていた。
 
     ††
 
 クラゲリアンが会得している格闘術は、いつでも腕の形状を変化させ、拳か鞭に切り替えることが可能な、いわば人間にはない身体機能をベースに成り立っている。足腰を基盤とした身体の回転で、身体軸を意識しながら鞭を自在に振り回すのも、接近戦の状況に合わせて鞭と拳で切り替えながら打ち合うのも、全ては怪人稽古によって身につけたテクニックだ。
 差し向けた戦闘員など、シルバーXにとってはどかせば片付く障害物でしかないことは、クラゲリアンには初めからわかっていた。
 ただ、隙が出来ればよかった。
 戦闘員の打撃を払い技によって受け、逆に自分の拳を打ち込んでいる。シルバーXが一瞬でも別の敵に集中してしまう隙を突くことこそが本命だった。
「死ねェェェ!」
 もう鞭をシルバーXの首に巻きつけていた。
 このまま鞭に内臓された筋力を駆使すれば、相手が無抵抗でいてくれる前提なら、絞め殺すことが可能だろう。
 当然、シルバーXは反撃を試みた。
「大回転――――」
 ――わかっている。
 シルバーXの必殺技の一つ。大回転巻き取り破りによって、サラセニードルが仕掛けたツタの攻撃が破られている。その情報を持つクラゲリアンの本命はやはり、相手の動きを思い通りに誘導して、技を不発にさせてやることだ。
 シルバーXが回転を始めかけたタイミングに綺麗に合わせて鞭を縮めて、ものの一瞬にしてまともな腕の長さに縮んだ上で拳に戻る。シルバーXはもう自分で自分の動きを止められない、勢いのまま回転を初めてしまう段階に入っていた。
 技を不発にさせることにより、無駄な動きを取らせることに成功した。
 人間そのものがモーター回転の軸となり、高回転によって風圧を撒き散らす。そんなシルバーX目掛けたパンチで、釘でも打って食い止めたかのようにぴったりと、まるで回転など初めから存在しなかったかのように静止する。
 シルバーXはパンチを受けていた。
 両腕を束ねることで成される『X』が、根元で挟もうとする力だけでパンチを止め、クラゲリアンの拳は顔面に届くことなく静止する。
「銀式少林拳!」
「何ッ!」
「相果無限突き!」
 まず肘打ちが、クラゲリアンの胸を打ちぬかんばかりに決まっていた。後方へ吹き飛ぼうとする身体は、力技によって引き戻され、二発目の拳を入れられてはまた吹き飛ぶ。腕力で戻されては打たれることの繰り返しが始まった。
 相手が果てるまで無限に突き続けようということか。
 クラゲリアンは自分の受けている技の仕組みを皮膚感覚で理解していた。
 クロスのあいだに挟み込まれた腕が、まずシルバーXの特性である腕力のために抜けなくなる。シルバーXは腕のクロスを保ったまま、クロスを使ってクラゲリアンの腕を横へどかしてやり、重心移動も交えて肘を使った体当たりを決めてきた。
 あとは腕を掴まれ、風切る鉄拳。
 もう片方の腕でパンチ、パンチ、パンチ――。
 途方もない握力の指がめり込んで、まるで空間に固定されてしまったようにその腕を動かすことのできないクラゲリアンは、当然のように吹っ飛ばされても吹っ飛ぶことができない。さらにシルバーXは後ろ足を浮かせており、後ろに踏み込む後ろへの重心移動で、何度でも何度でもパンチの射程に引き寄せて、クラゲリアンが倒れるその瞬間まで永遠に拳を放ち続ける勢いだ。
 だが、腕は形状変化が自由。
 腕が掴まれていても、鞭に変えてしまえば変形時にするりと抜け――いや、無理だ。変形するのは肘から先と決まっており、その機能は二の腕には及んでいない。肘の部分に指が食い込んでいる以上、腕を逃がすことは不可能だ。
 そうか、一戦目に手の内を見せたため、変形可能箇所と不可能箇所を知られてしまった。
 ならば、空いている腕で巻き払いを行えば――。
 そう思ってもう片方の腕を使うが、巻きつけるようにして掴もうとした途端、その接触と同じタイミングで腕が回った。
 夢中で気づかなかった。
 拳は上向き――手の甲が下になっており、半回転の勢いを使えば貫通できる。巻き付け対策のテクニックで、巻き払いまで封じられ、いよいよこのままでは本当にクラゲリアンが果てるまでパンチパンチの連続は続いてしまう。
 だったら、一か八か相手の重心移動に合わせるまでだ。
 クラゲリアンはシルバーXに腕を引かれることに合わせて、あの後ろ足が後方踏み込みを行うことに合わせて、逆に自分の方から抱きつきにでも行く勢いで距離を詰め、実際にしがみついてでもパンチの嵐を止めてのける。
 しかし――。
 シルバーXの腕が背中に回り、抱き返されたことに関して、まさかクラゲリアンが戦慄以外の感情を浮かべるはずがない。
「トォォゥ!」
 シルバーXは飛んだ。
 仮面プリンセスのジャンプ力なら、確かに何十メートルもひと飛びだが、それにしたって厚い天井のことなど気にも留めず、下から上へとぶち抜くようにして、位置関係から灯台内部に出ることなく、土を内側から弾き上げて地上に出た。
「シルバー返し!」
 さらに背負い投げにも似たフォームによって、空中から岩海岸の鋭利な部位に叩きつけられ、クラゲリアンの背中一面に細かい石ころまでが食い込む。
 まともな人間ならとっくに死んでいる。
 怪人であるからこそ、むしろ特殊エネルギーの宿ったさっきまでのパンチの方が、岩に背骨をぶつけて痛めることよりずっとまずい。
「己ェェェ!」
 クラゲリアンは立ち上がる。
 そして、ようやく構えを直したところで、クラゲリアンの正面方向にふんわりと、膝のクッションが効いているあまりに衝撃など一切殺して見える着地で、シルバーXとは異なる漆黒の戦士がそこにはいた。
 誰だ? 何物だ?
 いや、同じ一ノ瀬隼乃には違いない。
「お前の技は既に見切った。腕の形状変化を組み込む型。足腰の動き、基本の歩法。先に手の内を足しきったのがお前の間違いだ!」
 ハチマキのように巻くタイプのマスクがかかった顔は、髪型や目つきも含めてシルバーXと変わらない。
 しかし、黒いコスチュームに赤と黄色のストライプを施して、肩には白いラインを二本通した衣装姿は別の仮面プリンセスのものである。
 情報によれば、そもそもドレスアップシステムは二台とも一ノ瀬隼乃の所有物で、二種類の変身を使い分けることが想定されていた。
 ローズブレスが奪還されてしまった今、それが現れることに不思議はない。
 
 ――仮面プリンセスローズブラック。
 
 技と速さにより特化した強化衣装だ。
 シュゥゥゥゥゥ――と。
 まるで熱湯の中から引き上げた直後のように、繊維の隙間から白い蒸気が上がるのは、変身時に発生するエネルギーの余剰分がそう見える性質に変化して、外側へ四散しているためだ。
 ローズブラックが動く。
 同時にクラゲリアンも鞭をしならせ、鞭打ちで迎え撃とうとするのだが、ローズブラックの腕は器用にそれを絡め取る。両手の握力に掴まれて、このままでは投げ技か何かに繋げられると感じたクラゲリアンは、鞭から拳に戻して難を逃れる。
 そのまま勢いで踏み込んで、上段回し蹴りで顔面を狙っていた。
「トォウ!」
 実際に蹴りを浴び、横顔を蹴りぬかれ、横のめりになってさらに追撃を受けるのは、先に蹴りを放ったはずのクラゲリアンだ。
 ローズブラックのキックスピードは速かった。
 一瞬遅れての後出しキックであるにも関わらず、ローズブラックのキックの方が、クラゲリアンの蹴りより速く相手の身体に到達する。横顔という身体の高い位置をやられたことで、上半身を捻った横のめりの姿勢に変えられる。
 そこに追撃という追撃の嵐が来た。
 怪人の動体視力をもってしても、少しでも集中を欠けば視認しきれなくなる回し蹴りの応酬は、まるで往復ビンタのように執拗に、足の甲を使って頬を打ち、右へ向かされ左へ向かされ、もはや狂ったように顔を左右にブルブル振り続けているようにさえ見えてくる。
 トドメとばかりのストレートキックが胸板を打ち飛ばし、数メートルも後方へと飛ばされたクラゲリアンは、こんな寝ている状態で、余計に追い詰められないために慌てて立つ。
 だが、もう遅かった。
 これほど早く姿勢を戻し、次に供えて構えたのに――。
 
「シルバー!」
 
 そこにローズブラックはいない。
 いるのは銀色の方だ。
 
「十字――」
 
 どれほど手早くローズブレスからエックスブレスに付け直し、シルバーXの姿に変身をやり直したのか。
 
「キィーック!」
 
 空中の高い角度から、地上のクラゲリアン目掛けて真っ直ぐに迫るキックの足は、その足裏の周囲に四つの赤い光を従えていた。
 まるでそこに透明な板でもあり、赤いペンキで塗りつけたような四つの点は、アルファベットの『X』を正しいフォントで記すためのパーツである。中心に向かってラインが伸びて、線と線が交わることで『X』の形は完成して、足裏にアルファベットを貼り付けているキックがクラゲリアンに直撃した。
 その『X』がシルバーXからクラゲリアンへと貼り移され、体内に膨大なエネルギーが流し込まれる感覚を知ったとき、もう自分は助からないことを悟った。
 神経という神経にかけてまで、高圧電流でも流されて、全身のいたるところに激痛が走ってやまない感覚は、単なる苦痛という言葉では済まされない。全ての思考が脳の中からかき消され、真っ白になった頭で悲鳴を上げることさえできないまま、嵐のように激しい痺れで胴や腕が勝手によがる。
 よがる踊りを披露して、ひとしきり苦しんだクラゲリアンは、やがてぷつりと絶命した。
 命を失い、もう二度ともがき苦しむことさえなくなって、ただ糸が切れた人形のように倒れていくと――。
 ――爆死四散。
 背中が地面に触れたことがスイッチのように爆炎が巻き上がり、黒い煙が巨大な塊となって大空を目指し、それが直ちに風に薄れて消えた後には、この世界にクラゲリアンが存在したという証拠の全てが消えてなくなっていた。
 
     ††
 
 わーっと、子供達がシルバーXへ群がっていく。
 それはとても微笑ましい光景で、だから電刃忍者霧雨は静かに見守った。興味津々の男児や女児にコスチュームを触られたり、そもそも口下手なのに「名前は?」「どうやって変身してるの?」という質問の嵐にも困らされ、霧雨に助けて欲しくて仕方のなさそうな視線を送って来る光景をもう少しだけ拝んでおいた。
 あれから、戦闘員の始末も終え、あとは脱出するのみだった霧雨は、子供達の誘導を行い全員を灯台基地から脱出させた。
 外に出た時には決着がつく直前となっていて、一時的に二つの変身を使い分けたシルバーXが、最後に必殺技のシルバー十字キックを決めるまで、それら一連の流れは子供達の目に留まることとなったのだ。
 そして、子供達の認識は一瞬で変化したのだ。
 鉄格子の戸を外す怪力とはいえ、ただのコスチュームを着た知らない人という認識から、自分達を本当のピンチから救ってくれた勇者へと、彼女こそ命の恩人なのだと改まった。
「い、いい加減にしないか! 私はもう帰るんだぞ!」
 当の本人は難を逃れたくて仕方がないらしいが。
「えー!」
「帰っちゃだめ!」
 もっとシルバーXのことを知りたい子供が、それも幼い女児であるほど掴んだスカートを離そうとしていない。
「あっちだ! あっちに電刃忍者霧雨がいるではないか! あっちへ行け!」
「やだ!」
「やーだ!」
 もうすっかり、子供達の中から怖くて泣きそうだった気持ちは消えている。
 ……来てよかった。
 光希が出ていたヒーローショーを見てくれて、けれど泣いたまま帰っていった五郎君も、明るい笑顔を取り戻し、一緒になってシルバーXを囲んでいる。あの楽しそうなところを見ていると、危険なアクションに挑んだ甲斐があったと、本当にそう思う。
 しかし、そろそろ助けてやろう。
 でないと、一ノ瀬隼乃がきっと機嫌を悪くしてしまう。
 シルバーXよりもずっと子供に慣れている霧雨は、だから余裕を持って子供に近づき、まるで大人の先生が言って聞かせるかのように注意しながら声をかけた。一人ずつ握手をしたら解散という約束で、シルバーXにはあと少しだけ辛抱してもらって、それから二人はバイクに跨り去っていく。
 もちろん爆弾首輪は外していったが。
 置いて行くことになる子供は、すぐに黒井川百合子に連絡を入れて任せよう。
 いや、南条光希が行く方がいささか早いか。
「……ありがとう」
 帰り道で並走していると、やがて変身を解いた隼乃が小さな声でそう言った。
「何の礼だい? お嬢ちゃん」
「いいや、何でもない。気にするな」
「っとにシャイだなお前はよ」
「黙れ!」
 そして、少しでも茶化したなら、隼乃は不機嫌そうにエックストライカーのアクセルグリップを強く握って、二百キロ、四百キロ、六百キロとスピードを上げて消えてしまう。
「……おいおい」
 それに呆れてしまった霧雨は、すぐに近場で着替えを済ませる。百合子にも電話を入れ、置いてきぼりにしてある子供達のあとの面倒を見るために、逆戻りしていった。
 
     ††
 
 誘拐された子供達は仮面プリンセスの活躍によって救われたが――。
 そこには『霧雨』の助力もあった。
 果てしないテェフェルとの戦い。
 誰かに駆けつけてもらえることの気持ちを胸に、一ノ瀬隼乃は決意を新たにするのであった。