第6話「強敵登場!その名はサターナ」part-A



 日本某所に建設されたテェフェル基地の一つ。
 マンモス将軍は首領の間にて膝をつき、組織の紋章たる金色の悪魔のマークを見る。背中から翼を生やした、尻尾の先端を三角形にしたシルエットは、古典的な悪魔のイメージを模したものだ。
『マンモス将軍よ』
 そこから発せられる「音声」にマンモス将軍は頭を垂れた。
「ははっ」
『一ノ瀬隼乃はその新たな手口として、どうやらこの私の声を利用したらしい。さらには人間爆弾を用いた作戦も、二度に渡って通用はしなかった』
「原因は調査中であります」
『仮面プリンセスの能力の一つ。または科学の電波操作の機材所持には間違いない』
 さらにはテェフェル側が把握していなかった必殺技の数々も使われている。
 ドレスアップシステムが変身機器による強化服変身である以上、データ上のスペックは把握していた。しかし、初めから裏切る予定でいた一ノ瀬隼乃は、テェフェルに虚偽情報を掴ませており、おそらくだが本来のデータは見れないようにロックされていた。
 よって、シルバーXの正確なスペックは不明となる。
 仮に強化服の性能を把握しても、それを着る隼乃の方がいくつもの技を隠していた。
 まだまだ切り札があるかもしれない。
 一度に大量の怪人を差し向ける作戦は、安直ながら確実に有効で、それこそ真っ先に思いつく。問題は未知の能力をいくらでも持つシルバーXに対して、逆に大損失となるリスクを孕むことだろう。
 もしもテェフェルの知らない機能があり、例えばパワーアップシステムのような未知の強化手段があったとすれば、シルバーXよりも強い怪人を差し向けたはずが、やはり損失に終わる危険が高い。
 怪人社会は一部の者で平等な幸せを分かち合うためのシステムだ。そのためならば、人類の大半を奴隷とすることも厭わないが、多大な犠牲の上に成り立つからには、立派なユートピアでなくてはならない。
 人間の職業に軍や警察があるように、一部の怪人はこうした世界征服の仕事に就くわけだが。
 怪人特権を持つ仲間同士には変わりない。
 みすみすシルバーXに怪人を殺してもらうために刺客を送り続ける真似は、出来れば避けたいのが当然のところ。
 もろもろの理由で慎重な姿勢を取るマンモス将軍は、仮面プリンセスの対策に関して遅れているのが現状だ。
 しかし、このまま放置しては……。
 こちらが一ノ瀬隼乃を避けようとも、世界征服に関わる作戦に当たっていれば、必ず隼乃の方からやって来る。戦いたくなくとも戦う羽目になる。一度戦闘になってしまえば、実力の足りない怪人には生き残るチャンスもない。
『どうする。どうするのだ。マンモス将軍よ』
 首領からのプレッシャー。
「……サターナを出します」
『ほう? あの娘か』
「サターナは最高の適合体質の持ち主。きっと、サターナなら……」
 マンモス将軍の思い浮かべる一つのイメージ。
 ローズブレスさえこちらにあれば、とっくそれが出来たのだが――。
 
     ††
 
 その小学六年生は中学受験を目指す女の子だ。
 塾通いで地道にコツコツと学んでいき、計画的にゲームや漫画の時間を作り出す、いたって真面目で学校でも教師受けの良い子供だ。
 運動神経は少々悪く、机に教科書を広げる方が向いている。
 地味でいて頭の良い女の子は、暗い帰り道を歩んでいた。
「ふぅ……」
 ホッとしたような、気の緩んだ溜め息。
 塾の時間が終了して、やっとのことで今日の勉強から解放される。寝るまでに少しばかり夜更かしして、ゲームで遊んでしまおうと、この小六女子はそんなことを考えていた。
 そして、家までの道のりを進む。
 暗い時間を歩くのは少し怖いが、これといって具体的な不審者に遭ったことはない。そういう事件や事案があったらしいと、学校で教師が行う注意喚起と、テレビニュースくらいでしか犯罪には関わりがない。
 いたって普通の、変わりない日常を送っていた。
 塾のある駅周辺の明るい町から、だんだんと暗い道へと、そして公園の中を通り抜け、住宅エリアに突入するのが、もっとも早い帰り道だ。
 本当にいつものように、女の子は公園に踏み入った。
 ホームレスがいるわけでも、不良の溜まり場というわけでもない。ベンチで休むサラリーマンや遅くまで遊ぶ子供もいない。この時間帯は無人であることの多い公園の、砂場と滑り台の近くを横切る。
 公園を出た向こうにある住宅地。
 女の子はそこだけを見て、本当にいつものつもりで、自分が誰かに襲われるだなんてことは欠片も想像せずに歩いていた。
 夜道が怖いとは思う。一人で歩く不安はある。
 特に最近、日本の治安が悪化しているとテレビで聞く。
 漠然とした不安はあるが、結局は何が起きるわけでもなく、無事に家に辿り着き、無事に晩御飯を食べて風呂に入って、それから部屋で寝るだけだ。日によっては寝る前に宿題に手をつけたり、今日なんかはゲームで夜更かしして、どこまでステージを進めようかと頭の中で計画していた。
 母親は専業主婦で、父親は定時帰りのサラリーマンだ。
 家に帰れば、家族三人でのご飯になる。
 今日のご飯は何だろうと、ずっと塾で勉強に集中していた疲れから、食事という娯楽を求めて一歩ずつ、砂場と滑り台の隣を完全に横切った。

 ぴたっ、
 
 どこからか降ってきた、妙に固形的で、ひんやりとしたものが、鞄を持つ右手の甲にあたって女の子は立ち止まる。こんなに天気がいいはずで、予報でも雨が降るとは聞いていないが、冷たいものが肌にべったりと張り付く感触は、てっきり雨粒でも当たったのだと思っていた。
 それ以外を想像するはずはなかった。
 そんなおかしな出来事が起こるなど、まず普通は思いつきもしない。想像すらしないから、実際にそれを見るまで、本気で雨粒だと思い込んでいた。
 降るのかなぁ?
 と、今日の天気予報を思い出し、暗くても雲一つないとわかる空を見上げ、首を傾げていた女の子は、それから自分の右手を見た。
「………………っ!」
 その瞬間、少女は凍りついた。
 
 どうしてヒルがこんなところに?
 
 山ならわかる。川ならわかる。
 どうして、こんな都会の公園に?
 教室に蜘蛛が出たって悲鳴を上げる女の子には、ヒルという生き物は生理的に辛すぎる。
 気持ちの悪いものが肌に取り付き、既に吸血を開始していて、確か手でつまんで取ろうとしてはいけなかった、潰してはいけなかったようなと、中途半端な知識が頭を巡り、具体的な対処方法を何も知らない少女は、みるみるうちに青ざめていく。
「……やっ! ど、どうしよう!」
 こういうことに詳しい理科の先生がいてくれれば、虫に強いクラスの男子でもいい、助けになる誰かがいれば、もっと冷静でいられたかもしれない。
 しかし、ここには自分しかいない。
 がむしゃらに右腕を振り回し、そんなことではヒルが取れないと悟ってから、ようやく若干のパニックが静まると、次に浮かぶのは泣きそうでたまらない表情だった。
 このまま帰って、お母さんに見てもらうしかない。
 お母さんが詳しいわけではないが、仮に対処方法がわからなくても、家にはネットとパソコンがある。家に帰れば何とかなる。ただ、あと数分ほどの距離とはいえ、このままヒルを我慢して帰らなくてはいけない事実は、こういうものが苦手な人間には残酷すぎる。
 でも、それしかない……。
 もう涙目になりながら、本当に泣くのは我慢して、そういえば鞄を落としてしまったことに気づいた女の子は、地面に右手を伸ばして鞄を拾う。
 拾い上げ、そして――。
 
「――いやぁぁぁぁぁああああああ!」
 
 絶叫。
 一度落とした塾用の鞄の、地面に接していた裏側には、おぞましい数のヒルがびっしりと張り付いていた。片側の面を埋め尽くし、隙間も見えないほどのヒルの集まりは、吸える血などありもしないのに吸血しようと張り付いて、それそれが気色の悪い蠢き方をしているのだ。
 風船のように、呼吸のように、膨らんでは元の大きさに縮む繰り返し。
 それが数百匹分も集まった光景は、もう単純に気持ち悪い以外の言葉では表現できない。肉で作る生きた下敷きが付着した鞄を、女の子は反射的に投げ捨てた。
 その際。
 背後に迫るその影に、女の子は直前まで気づくことはなかった。
 
     ††
 
 その帰り、悲鳴を聞いた。
 アクション団体所属の南条光希は、学校が終わればバイクで稽古場へ直行する。仕事が入っている事もあり、スケジュールによっては学校自体を休みもする。そこで夜まで時間を使うことになり、とっくに陽の落ちた暗い帰り道をバイクで進むのが日常だ。
 いつものように夜道を走るおり、どこからか子供の悲鳴が聞こえた気がして、気のせいだろうかと思いつつも、結局は気になるので聞こえた方向にバイクを向かわせる。
 もう誰もいない公園の前で、速度を落として停車した光希は、どこか警戒心を働かせ、慎重な面持ちで踏み入った。
 今、公園の中は無人だ。
 しかし光希は、完全に敵の気配に警戒して、どこかに潜む存在にいつ襲われても構わない準備を心と呼吸と身体の脱力で整えていた。
 ――穴があったからだ。
 誰かがスコップで掘り返し、落とし穴でも作ろうとしたとしか思えない。しかし、実際に覗いてみると、底が見えないのは夜で暗いからなどではない。どこまでも深く、奥底へいくにつれ暗闇は濃度を上げ、間違いなく数十メートルはあるとわかった。
 近くには子供の鞄が落ちている。
 当然の発想として、子供が穴に落ちたのだろうかと考える。
「おーい、誰か! 大丈夫? いたら返事をしてくれる?」
 穴の中へと呼びかける。
 返事はない。
 今一度、周囲を見渡し、続けて鞄に目をやると、今度はストラップに目が行った。電刃忍者霧雨と、父がその翌年に演じた鉄刃タイガーゼロまである。光希が男装してまで霧雨に出演した効果で、七十年代当時の作品が今の子供に知られているのだ。
 そうなると、光希はますます憤る。
 せっかく、ファンになってくれた子供が消えたかもしれないなんて……。
 
 ――その存在は光希を見ていた。
 
 闇に紛れて潜むそれは、鞄へと屈んでストラップを見つめる光希の、その背中に狙いを定める。白のジャケットを介しても、姿勢のためか腰にぴったりと沿っており、くびれの曲線でスタイルの良さがよくわかる。ジーパンを膨らませる尻の、肉の厚みも目を引きやすい。
 しかし、決してそんな意味で光希が美味しそうに見えるわけではない。
 ……食糧だ。
 人肉さえ好む獣としての欲求が、その存在にとって光希のことがステーキか何かに見えている。黒髪の隙間からちらりと見えるうなじに噛みつき、健康な血と共に引き締まった肉を喰えば、どんなに美味しいだろうかとヨダレを垂らす。
 
 一歩、踏み出た。
 
 光希はこちらに気づかない。
 もう一歩、また一歩、足音は立てずに気配も隠し、さらに距離を縮めても、光希はやはり気づいていない。
 だんだん、香りは濃くなった。
 ありていに言えば体臭だが、もちろん光希は清潔だ。激しい運動で汗こそかいているかもしれないが、その存在の優れた嗅覚に言わせれば、シャワーを浴びた直後だろうと十分匂う。
 改造時に素材となった元々の生物は、あまり視力が発達していない。
 その分、匂いを立体的に把握できる。
 漂う香りが右から来るか左からか、あるいはどの高さから、究極的には嗅覚のみで物体の形状を確かめる。鼻が目の代わりともいえる能力は、もちろん改造手術で元の生物の機能を強化したものだ。
 光希の体つきなど、ある意味では初めから見ていない。
 鼻腔から吸い込む情報だけで、身長や手足の長さを、髪型や着ている服を見極める。男女の判別もわけはなく、生理中か否かまでわかっていた。
 ……くらくらする。
 今にも腹の虫が鳴きそうなほど、強く食欲が刺激される。口内に唾液が溢れ、だらりと顎まで流れ出て、さらにまた一歩ずつ距離を縮めた。
 もう、射程内。
 ここから飛び掛れば、確実に……。
 
     ††
 
 南条光希は反射的に飛び退いた。
 
 何かがいる。その予感は初めからあった。
 気のせいかもしれなかった感覚は、じっと背中を見つめられた瞬間から、光希の中では決定的なものへと変わっていた。足音はなく、殺せるだけ気配を殺していた存在を、それでも光希は察知していた。
 真横へ逃げることにより、光希が今まで屈んでいた場所の地面は、その存在のかき爪によって抉り取られる。爪の根元の深さまで、深々と切れ込みを刻んだ地面から、怪物の手がゆっくりと引き抜かれた。
 そして、怪物は光希を見る。
 それはまさしく、肉食性の動物が獲物に向けるものに近い、しかしもっと気軽なもので、お腹が空いたのでご飯が食べたいような視線である。口元からヨダレを垂らし、顎を伝ってポタポタと、何滴も地面に垂れていた。
「テェフェルの改造人間ッ!」
「ヒルモグラ!」
 小学生の頃に見た動物図鑑で知っている――ホシバナモグラだ。まるで手の平を大きく広げて並べたように、鼻の先端にはピンクの肉質の突起がある。二つの鼻腔を中心に生える突起は、星とも花とも例えられる。
 しかし、怪人ヒルモグラの突起はヒルだった。
 一本一本がぬめりを帯びた生物として蠢くのは、鼻からイソギンチャクを生やしたように見えなくもない。
 哺乳類としての体毛と、モグラの持つ爪の両腕は図鑑で見覚えのあるものと同じである。
 体毛が生えているのは背面のみ。胸や腹部、手足の表側にかけても、ヒルやミミズの軟体生物特有の質感だ。
 気になるのは腹の部分が膨らんでいること。元からそういう体格とは見えない。本当はもっと滑らかなラインが、中に大きなものを詰め込むことで肥大化しているような腹部は、ちょうど妊婦のそれにも見えた。
 そして、落ちている鞄。
「まさか……!」
 あらぬ予感に顔をしかめる光希。
 ヒルモグラは光希目掛けて突進した。 
 口から牙を覗かせて、人肉を食べるために向かってくる存在に戦慄する。飛び退くタイミングを見定めて、心の中で恐怖を制する光希は、猛進を際どい距離まで引き付けていた。
 避けるのが早すぎても、追うように合わせてくる。
 少しでも最適な、相手がもっとも強く踏み出し飛びかかる瞬間に真横へ転がり抜けようと、しかしそんな光希の動きはかすかであるが遅れてしまう。
 
 ヒルモグラの口が大きく、人間を呑み込むほどに広がったのだ。
 
 閉じていた傘が広がるように、桃色の口腔粘膜は円形に展開している。よく見れば肉ヒダの表面には、骨が通ることで浮き出る凹凸のラインがあり、本当に傘の骨組みに似た構造の骨があることがわかった。
 明らかに光希を丸ごと呑み込むつもりでいる。まさかの予感が確信に変わり、ヒルモグラの腹の中には子供がいると踏んだ光希は、どこかで霧雨を慕ってくれていた小さなファンの被害に憤った。
「許さん……!」
 飛び退くのをやめ、光希は逆に飛び込もうとした。既に足腰が真横への移動をやめ、正面に飛び込む姿勢の準備が整っていた。
 その時だった。
 
「待ァてェ!」
 
 足で地面を蹴った直後、前に飛ぶはずの光希の身体は、肩に強い衝撃を受けたことにより、後ろ向きへと倒されていた。
 光希は即座に理解していた。
 どこか野太いようで女子ともわかる、女の子に厳つい武人の声を演じさせてみたような凄味と気迫の篭った声の主。
 肩に当たった感触も、靴の裏側にある固いゴムで蹴られたものだ。
 光希の視界に入り込むのは、そうして光希を蹴り倒し、自分こそが代わりにヒルモグラの体内へと飛び込んでいく。背中に薔薇のマークを飾った黒いジャケットの長身少女は、一ノ瀬隼乃をもってほかにはいない。
 
 一ノ瀬隼乃が自ら飛び込んだ。
 
 隼乃を取り込んだヒルモグラは、人間一人分の大きさだけ、腹をさらに膨らませる。見るからにバランスの悪そうな、一歩進めば転びそうなほどの大きさにまでなっていた。この瞬間から既に変身に必要なモーションコードの入力過程は済んでいたのだろう。
 
 空中にアルファベットの『X』が出現した。
 
 この公園の空間自体に画像表示機能でもあるように、まるで視認不可能なサイズにまで縮めていたものを急に拡大したように、ヒルモグラの腹の内から外側へと、フォントの正しい赤色の『X』は現れていた。
 仮面プリンセスへの変身過程で、仮設式異空間に置かれた物質情報が引き出され、現在の衣服と変身後の衣装の瞬間交換が行われる変身現象が、視認可能な形で現れるのが、この『X』の文字である。
 その一連の光景は一瞬のうちに完了していた。
 アルファベットの『X』から、ヒルモグラを貫くようにして、正確には中の隼乃に向かって一本のラインがすり抜ける。色を落として透明に近づきながら、ヒルモグラの背中の向こうでそれは消え行く。
 ただの『/』と化してから、残るラインも同じくして隼乃を貫く。
 ヒルモグラの体内では、これで隼乃の衣服からドレスアップシステムの衣装へと交換され、その姿は仮面プリンセスへと変わっているはずだった。
 
「――トォォォウ!」
 
 ヒルモグラの閉ざされた口を力ずくで、外に出ようとする力で抉じ開け、シルバーXが小学生の女の子を抱えて飛び出した。
「シルバー!」
 即座に駆け寄る光希。
「この子を頼んだ」
 お姫様抱っこの女の子を同じお姫様抱っこで受け取ると、小学生一人分の重みが両腕にずしりと負担をかける。鍛えている光希はさほど苦にせず、そんなことよりこの子が気を失っていることと、身体中に付着している粘液を気にしていた。
 牛乳を水で薄めたような色合いが、頭髪をまんべんなく汚している。シャツにも半ズボンにもぬかるみは染み込んでいた。
 息はしている。生きている。
 まだ助かる段階に間に合ったのか、生かされていたかまではわからない。とにかく無事でいることに安心して、それから光希はシルバーXとヒルモグラの戦いを見守った。
 
     ††

 シルバーXはヒルモグラと対峙した。
 体内に飛び込んだ際の体液が全身に付着して、髪からブーツの内側にも染み込んでいる。それは消化液ではない。嗅覚で成分を嗅ぎ分け、口に入り込んだ分だけ味覚でも、この世界には存在しない物質をシルバーXは言い当てることができる。
 ヒルモグラという怪人は、ヒルの吸血性よりモグラの食生活を優先して、人間をエサにできるように作られている。獲物を飲み込み持ち帰り、自分の巣でゆっくりと食事を行うつもりでいたはずだ。
 シルバーXに付着している体液は、獲物から抵抗力を奪うため、そのパワーを低下させるための効果がある。
 ただし、改造人間を弱らせるほどではない。
 そしてヒルモグラは作戦上、子供の誘拐に使いやすい。手際よく誰でも誘拐できるということは、著名人や権力者に対する脅迫もそれだけ容易になる。ここでヒルモグラを潰せば、テェフェルの日本征服はさらに遅れることになるだろう。
 ヒルモグラが駆けてくる。
 その一歩を踏むたびに、爪を生やした足が地面を抉り、綺麗な爪痕の形に掘り返された足跡が残され続ける。突進の勢いは凄まじく、まともな神経をした一般人なら、トラックが正面から速度を上げて轢き殺そうとしてくる危機にも匹敵した恐怖に違いない。
 シルバーXはごくごく冷静な顔をしていた。
 慣れた手つきで腰ベルトに括り付けてあるケースから、一枚のカードを引き抜くと、右手首に装着しているブレスのカード挿入口にそれを差し込む。
 
「シルバーロッド!」
 
 その瞬間から、シルバーXの手には棒術用の一振りの白銀が握られていた。突然映画の場面をぶっつりと切り取ったかのように、接近戦に合わせて握り具合と呼吸を調整して、既に構えも整えている。
 ヒルモグラの攻撃は大振りだった。
 当然といえば当然だ。
 爪で引っ掻くという動きを主体にすれば、自然と手の平で弧を描く軌道が増える。例えるなら抱きつこうとする動きにも似て、それに対するシルバーXは、ロッドのリーチを活かしてヒルモグラの肩を突く。
「トォウ!」
 白銀の棒突きがヒルモグラの猛進をストップさせ、若干ながら後方へ押し返す。
 二度、三度、ヒルモグラは同じ動きを繰り返した。大振りの腕のスイングで切り裂こうと、そのたびに棒突きで肩を狙い、ヒルモグラの重心移動がストップする。停止はおろか後ろへ一歩押し戻される。
 さすがに相手も学習して、次の一手で動きは変わってくるだろうと、シルバーXは直感的に理解していた。
 より速度を優先した――チョップ!
 鋭い一閃により、ヒルモグラは爪の先端でシルバーXを引き裂こうとした――が、ヒルモグラの手首は棒にぶつかる。シルバーXがロッドを盾に受け止めたのだ。受けた時には既にキックが、さらに言えば受ける直前のタイミングで放たれていた上段回し蹴りが、ヒルモグラの頬を蹴り抜いて、口内が切れることで口から血飛沫が地面に散った。
 シルバーXは全ての流れを掴んでいる。
 自分の好きなタイミングにだけ手足の届く距離に詰め、必要に応じて素手の打撃を放ち、ヒルモグラの方から自分に近づくことは許さない。棒突きで押し返し、仮に間合いに入ったところでロッドの防御とカウンターで追い詰める。
「トォッ!」
 ロッドで膝を殴打して、シルバーXは自分の手に跳ね返る衝撃から、どれほどのダメージを与えたのか読み取った。膝関節にヒビを入れ、神経も断裂させ、この一撃でヒルモグラの右足をかなりまで弱らせた。
「トウッ!」
 さらにロッドで顎を打ち上げ仰け反らせる。
「トオウッ!」
 鳩尾を突く。
「トオ!」
 肩を突き、腕を打ち、脳天目掛けて振り下ろす。
 最後には野球選手が行うスイングのように、ホームランでも狙ったように打ち飛ばし、ヒルモグラは数メートル先の距離へと転がった。
 
「トドメだ!」
 
 シルバーXは飛ぶ。
 白銀繊維に含まれる機能により、滞空時間をある程度コントロールして、空中高い位置にあるシルバーXの肉体は、柔らかい羽がふんわり舞い落ちるようにして、非常にゆったりと下降していた。
 身体の角度が変わり、これからキックを放つためのフォームが整っていく。
 
「――シルバァァァー!」
 
 アルファベットの『X』を成すための、四つの赤い点が出現していた。文字の部分からそこだけを切り出した、厳密には三角形に近い点は――。
 
「十字キィィィック!」
 
 まるでスロー再生を突如としてぶっつりと、早送りに切り替えてみたように、空中高い角度からヒルモグラ目掛けて一直線に、シルバーXの長く伸ばされた左足のキックが放たれた。
 赤い点から線が延び、四本の線が中央で結ばれて二本に変わり、確かな『X』の形となる。
 足裏にアルファベットを貼り付けたかの一撃は――。
 
「タァ!」
 
 しかし、何者かのキックに阻まれた。
 前触れもなく、突然視界に飛び込む影の正体よりも、シルバーXはまず先に、このシルバー十字キックを阻止した者の技巧から理解していた。
 キックとキックが、二人の足裏が正面からぶつかり合えば、それはパワー勝負となるだろう。
 その何者かが見せた技巧は『X』の形状に可視化したエネルギーを上手く避け、横から蹴って逸らす方法で、ものの見事にシルバーXの足につま先をぶつけてきた。
 軌道がぶれ、もう敵に当てることのできないキックから、シルバーXはやむを得ず可視化エネルギーを四散させ、着地後のバランスと攻守だけを考え姿勢を整えた。
 
 たった一メートル離れた正面に、その少女とシルバーXは同時に着地する。
 
「はぁい! 初めまして、私はサターナよ?」
「……サターナ!?」
 警戒するシルバーX。
「まさか……!?」
 何かを知っているように、後方で光希は驚愕していた。
「改造手術を受ける前の記憶はないんだけどぉ、私って昔から少林拳の使い手みたい」
「何? 少林拳だと?」
 拳を構えるシルバーXは、対峙しただけで相手の実力を悟っていた。
 このサターナという少女は、日焼けともそういう肌の色とも見える褐色をして、笑顔の可愛いにこやかな乙女の笑みを浮かべている。それがクラスメイトの女の子なら、愛嬌と親しみやすさから、みんなが声をかけたがったことだろう。
 しかし、向き合った相手の強さを読み取り、皮膚で感じ取ることの出来るシルバーXには、サターナからは邪悪以外の何も感じることはできない。
 安直に表現すれば、黒々としたオーラが滲んで見えた。
 感覚やイメージの話だ。
 サターナが内に秘める漆黒の覇気は、空気が皮膚に触れた部分から、大気の質感を着々と蝕んでいる。変質した大気は色まで変えて、さもサターナの皮膚から黒いオーラが染み出ているようである。
 空気が変色していない箇所までさえ、質感の変化は及んでいき、シルバーXの皮膚全体にそれが触れているのだ。
 冷気に満ちた冬場のように肌寒く、髪の一本まで冷えていく。
 冷や汗という言葉があるが、シルバーXはまさに寒いせいで汗をかいている気持ちでいた。
「心の内に悪魔を宿し、殺戮の喜びこそを極意とした私の技――」
 サターナが構える。
 同時に、さらに空気が変化した。
 もはや巨大な冷凍庫の中にでも入った気がするほど、全身を包む冷気で鳥肌が立ち、肌の粟立ちが背筋に広がる。これから自分はどんな死に方をするのだろうか、どんなに惨たらしい技を浴びせられるのだろうかと、否応無しに思わされ、シルバーXは今までのどの怪人と戦うよりも戦慄していた。
 人間体のまま戦うつもりでいるなど、これまでの怪人の実力では考えられないことだった。
 
「邪神少林拳!」
「銀式少林拳!」
 
 身体的な構えから呼吸法に至るまで、お互いに全ての準備が整うと、二人はゆったりとした歩調で距離を詰め合う。
 一歩ずつ、一歩ずつ……。
 サターナの全神経が自分に集中していることを肌に感じて、シルバーXもまたサターナだけにあらゆる注意と警戒を注いでいる。
 やがて、二人の距離は縮まった。
 あと一歩でも前に進めば、お互いパンチが届く間合いにいる。
「……」
「……」
 お互い、その場で静止。
 だが、ただ静まってなどいない。二人の頭の中には何手も先まで展開され、相手がこう来たら自分はこう行く。こう動けばああ返されると、あらゆる流れのパターンで溢れ返り、ただの指先一本の挙動でさえも、いずれかの流れへと繋がる引き金になりかねない。
 単に無意味に静止しているだけに見えるとしたら、それは素人目で見た場合だけの話だ。
 この場で二人の戦いを見守るのは南条光希。女の子は気絶している。
 既に壮絶なやり取りが始まっていると、そうわかる種類の者だけが、この場所に揃っていた。
 ……来る!
 相手の強さを皮膚で知覚するシルバーXだ。攻撃をしようと思う気持ちでさえ、シルバーXに言わせればそれは空気中に滲み出て、触覚によって感知可能。サターナが先に仕掛けると感じた時点で、相手の出鼻を挫くため、シルバーXは反射的にパンチを放っていた。
 
 シルバーXが放つ拳は、しかし相手を殴るのとは全く関係のない方向へ飛んでいた。
 
「何ッ!?」
 シルバーXは驚愕していた。
 確かに正面へ踏み込んで、前にパンチを打ったはず。サターナも合わせて腕を出し、手首と肘の柔軟性で、シルバーXの左腕に絡めて来たが、こちらのパワーはロクに力のない受けなど貫通できる。
 そう、貫通するはずだった。
 それが急に、シルバーXのパンチの方向が切り替わり、まるで見えない力で横合いから釣り上げられたかのように、左腕は真横へ真っ直ぐに伸びきっていた。
「トォウ!」
 次の一発。
 それにも腕は絡んできて、面積の広い胸を狙った右腕のパンチは、何故だかサターナの顔の隣を横切った。中段回し蹴りが意味のない上段蹴り上げに変えられて、チョップを振り下ろすのも無意味に真横に弧を描くものにされてしまう。
 その都度、攻撃の方向が変換されている。
 手を触れてくることで、技術的にそうしていることはわかる。触れられることなく殴れるのなら話は早いが、左右に腕を出させてボディががら空きになる瞬間を作ろうと試みても、フェイントを使っても、シルバーXの思惑は成功しない。
 いっそ、力任せのフルパワーで拳を放つ。
 呼吸法で力を溜め、腹に集めたものを左腕に伝えてやり、腰の回転と踏み込みによる重心移動にかけても駆使していた。
 シルバーXの力が方向変換を受けるのは、あくまでも格闘上のテクニックであり、魔法というわけではない。細かい技の原理は後にして、必ず力で押し出してはいるはずだ。ならば理不尽極まる腕力で強引に押しきれば、変換しきれずにパンチは直進するだろう。
 それがシルバーXの目論見だった。
 脳筋じみた方法だが、通用する手段でさえあれば、使わない理由はない。
 
 しかし、シルバーXは自分自身の顔を殴っていた。
 
 さしものサターナも片腕では限界とみてか、今度は両手を使っていた。絡みつく途端にシルバーXの肘が折れ曲がり、力の方向が綺麗に跳ね返されたとわかった時には、自分の拳が顔面に埋まっていた。
 鼻が潰れ、鼻血が流れ、さらにサターナの打撃の数々がシルバーXを襲う。
 下段の蹴りが同じ膝に何度も当たり、肩口にパンチは当たり、腰も腹もあらゆる角度から打ちのめされる。
「トォ!」
 それでも気合いで、どうにかたった一撃をようやく決めた。
 拳で得られる感触は、グローブ越しにあるサターナの唇と、その内側にある歯の固さ――さらには後ろに一歩逃げ、瞬時にダメージを減らした事実まで読み取れていた。
「……やるじゃない?」
 サターナは地面の一蹴りで大きく飛び退き、何メートルも後方に倒れたヒルモグラの元へ立つ。肩を貸すように持ち上げて、立てない状態のものを無理にでも立たせると、サターナはその場で消えた。
「また会いましょう?」
 それだけの言葉を残して。
 まばたきの一瞬のあいだにサターナの存在しない風景と差し替えたかのようにして、ヒルモグラもろとも何の気配もなくなっていた。