第6話「強敵登場!その名はサターナ」part-E



 シルバーXの意識はうつらうつらと、眠りへと落ちる直前のまどろみで、辛うじて気絶はしていない、極めてギリギリの位置にあった。
 ヒルモグラの体内で、ねっとりとした体液を帯びた肉壁に包まれながら。
 
 じゅぅぅぅぅぅ……。
 
 それはフライパンで水が蒸発する音とよく似ていた。
 本格的な消化を行っているのだ。
 子供達を攫うために呑み込んでいたのと、今のヒルモグラはシルバーXを殺すために呑み込んだのだ。内側で抵抗しようと、脱出など出来ないように腹に力をぐっと込め、消化液を分泌して溶かしていく。
 退治のように丸まった姿勢から、シルバーXは動けない。
 消化液が皮膚に染み、あといくらかすれば本格的に分解され、血肉がヒルモグラの栄養に変わるだろうことを感じ取る。強化衣装の繊維は薄れ、だんだんと肩が剥き出し、尻の部分でも肌色が透けて見え始めた。
 このままでは……。
 そう思い、無駄とわかっても身じろぎする。
 
 すると、触手が絡みついた。
 
 どうやら、体内から獲物を逃がさないため、このような機能があるらしい。
 二本も三本も、五本も六本も、粘液をたっぷりと帯びた触手は、シルバーXの身体へと這いずるように絡みつく。胴体をぐるぐると、手足にも螺旋状に巻きついて、それが手錠の形を真似て手首と足首を両方封じた。
 衣服の内側に潜り込んでは太ももや乳房を目指し、探らんばかりに撫で回す。
 この触手達にも、テェフェルヒルと同じ吸盤系の口器があり、探りまわした挙句に胸の頂点へと吸い付いてきた。
 
 ちゅうっ、ちゅぅっ、ちゅぅっ……。
 
 全身のいたる部分から、ただでさえ枯渇に近いエネルギーをさらに吸われて、干からびて死ぬ人間の気分を味わう。
 まずい、もうこのままでは……。
 まぶたを閉じていないはずの目が、しだいに暗闇に落ちていく。
 
「シルバーX! シルバーX!」
 
 何だ、この声は……。
 沈みゆく者へ手を差し伸べてくるような、とても一生懸命な子供の声。
 
「――一ノ瀬隼乃さん!」
 
 これは……!
 茂くん!
 
 一気に意識が覚醒した。
 激しい荒波が全てを洗い流していくように、意識の混濁をどこか遠くへ消し飛ばし、その変わりに流れ込むのは子供達の声だった。
 泣いている子。絶望している子。
 助けが来たと思ったら、その仮面プリンセスが目の前で呑み込まれ、上げて落とすかのような恐怖に錯乱する子。
 他には……。
 
 最後まで必死に応援してくれている茂くん。
 
「銀式……少林拳…………」
 
 怪人であれ生物。
 ならば、いかに人間と構造が違っても、どこかには『ツボ』がある。
 それが例え、体内だろうと。
 
「気力転換拳!」
 
 指先で鋭くツボを貫く。
 その瞬間、ヒルモグラの体内で一つの『現象』が起こった。
 吸い上げたエネルギーを実際に循環させ、自分のものとして消費するまで、必ずどこかに溜め込んでおく必要があるはずだ。そのエネルギー貯蓄の器官に刺激を与え、溜めたものが撒き散らされるようにすることで、逆に流れて来たのだ。
 そう、これはツボを打ち、相手の『気』の流れをコントロールする技だ。
 今まで吸われ続けたものが、胃袋の肉壁から消化液の変わりのように、急速に染み出してはシルバーXの肉体に浸透していき、みるみるうちに力が回復する。その勢いたるや、まだ完治していなかった内側の傷にも及び、全力に近いまでの能力が戻ってきた。
 
 霧雨がいなくとも、怖がっている子供の涙を止めてみせる。
 ――いくぞ!
 
「――トォウ!」
 
 シルバーXは外の世界へ飛び出した。
「なんですって!?」
 さすがに驚くサターナの隙を見て、シルバーXはこの空中に飛び出たついでにフォームを整え、キックを放つ予備動作に移っていた。
 
「シルバー! 十字キィーック!」
 
 足裏にアルファベットの『X』を貼り付けたがごとく一撃が、サターナの身体を彼方の土壁へ打ち飛ばし、胴体から手足にかけ、全身が丸ごとめり込んだ。
 その後、着地。
 腰ベルトに括り付けてあるケースから、ただ一枚のカードを抜き取り、右手首にあるエックスブレスのカード挿入口へと叩き込む。
 
「サタンブレイド!」
 
 フィルムのコマを差し替えたかのように瞬間的に、その左腕には刀身の赤い一振りの剣が握られていた。
 その切っ先で、クロスを描く。
 
「私の名は――仮面プリンセス!
 仮面プリンセスシルバーX!」
 
 一瞬だけ現れる『X』の大きな文字が、シルバーXの手前に輝いてはふわりと消える。
 シルバーXは子供達の恐怖を払いたかった。
「テェフェルの悪があるところ! 私は必ず現れる! いくぞ!」
 ヒルモグラは必ず倒す。サターナにだって負けはしない。
 正義は必ず勝つんだよ。だから今はぐっと堪え、耐えて耐えて耐え抜いて、最後まで諦めずに頑張って欲しい――そんな気持ちを胸に抱え、ヒルモグラへと向かっていく。
 すると、ヒルモグラは壁に頭を突っ込んで、土の向こう側へと姿を消した。
 逃げた?
 いや、違う!
 決して逃げてなどいないどころか、どこからかシルバーXを仕留めようとする、強烈なプレッシャーを感じ取り、直感的に後ろからだとサイドステップで身をかわす。
 果たして、それは正解だった。
 まるで地面から竜巻が飛び出してきたように、急に土が弾けてヒルモグラが飛来して、鋭い回転を帯びた螺旋の一撃をかけていた。これだけ事前に回避しても、爪の先端が衣服に少しはかかってきて、繊維が引き裂け脇腹の肌が露出する。
 地面から天井へと、斜め角度で一直線に飛んだヒルモグラは、そのまま今度は上へと土を掘り返して消えてしまう。
 四方八方から攻撃は行われた。
 あらゆる角度から飛び出る回転付きの体当たりは、爪を生やした両手を頭の上に、ドリルの掘削と変わらない威力で襲って来る。
 上からと読んではしゃがみ、横からと読んでは地面に伏せ、どの角度から飛んで来ようとも回避をするが、シルバーXの衣装は着実に繊維を裂かれ、しだいに両肩は全て剥き出し、太ももまで見えてきて、露出が一層きわどくなるのは時間の問題に過ぎなかった。
 壁も地面も天井も、どこもかしこもヒルモグラが飛び出た穴でいっぱいになっていく。
 そのうち一度掘った穴が再利用されるようになり、だんだんとどの穴から出てくるだろうかと警戒を強めていく。
「――ぐっ!」
 避けそこない、肩が深めに切り裂かれた。
 血の飛沫が地面に散るに、子供達から悲鳴が上がり、さらに泣き声が大きくなったことにシルバーXは歯噛みする。
「私は必ず勝つ! そして君達ここから助け出す! 私を信じるんだ!」
 これ以上、血は駄目だ。
 たとえシルバーXが勝ち、怪人がグロテスクな死に方をしたとしても、そんなものを子供に見せるわけにはいかない。
 ならば、どう倒す?
 怪人の爆死四散なら、別にいつものことではないか。
 
 すっ、
 
 と、シルバーXは目を閉ざし、腕の脱力でサタンブレイドの切っ先を下げる。
 気配に集中。
 今までただ逃げ回っていたわけではない。無意識のリズム、無意識のパターン。ヒルモグラが飛び出るテンポを把握して、しかるべきタイミングにカウンターを仕掛けるための観察を今の今まで続けていたのだ。
 勝負とは、どこかの時点で既に決まっている。
 攻めと攻め、そして守りの積み重ねが、無限に分岐していた未来を少しずつ、だんだんと絞り込んでいく最後には、チェックがかかるタイミングが発生する。そこに行き着けばもう、これから負ける側にはどう足掻いても、逆転勝利の道筋そのものが存在しなくなる。
 次にヒルモグラが仕掛ける時、それは背中の狙い撃ちだ。
 よって、既に後ろへ振り向いて、後方に対するカウンター斬りの準備を整え、そのように両足を揃えている。
 即座に身体を回転させ、背後を斬る。
 そのための準備が……。
 
 ――そこだ!
 
「電熱シルバー斬り!」
 
 紅蓮の刀身が白熱して、発光を帯びてか白へと変わり、刃の表面からはバチバチと高電力が弾けている。
 その一閃が背後を――ヒルモグラ斬った。
 
 ――爆死四散!
 
 巻き上がる爆炎と、おびただしい煙がシルバーXを丸ごと飲み込む。
 だが、直ちに煙が晴れたそこには、ヒルモグラを相手に勝利を収めたシルバーXの姿こそがあるのだった。
 
     ††
 
「しょうがないわねぇ? 私、本気出そうかしら」
 
 煙が晴れた時、シルバーXの視線の先にはサターナがいた。
「ようやく怪人の正体を見せるか!」
「すなわち、あなたの死よ?」
 サターナの全身から、今までにない猛烈なプレッシャーが放たれていた。向き合うだけで感じる重圧は、火炎のように肌を焼き、滲み出る汗が衣装を濡らす。
 そのとき――。
 
「待てェ!」
 
 南条光希の声だ。
 サターナを前にして、駆けつけた光希がシルバーXの隣に並び立つ。
 途端にプレッシャーが引いた。
「残念だわ。二連戦はやりたくないの」
 ローズブレスでの光希の変身を警戒したのだろう。
 戦意を失ったサターナは――パッと、映画のシーンをぶっつりと切り替えたかのように、一瞬にして消えていた。
 少し、ホッとする。
 どうしてサターナが消えてホッとしたのか。
 シルバーX自身に自覚はないが――。
 
 サターナとの戦いは残酷すぎる。
 決して子供に見せたくはなかった。
 
 それがシルバーXの、本当の気持ちなのだった。
 
     ††
 
 一ノ瀬隼乃が茂を連れて戻ってくる。
「茂!」
 百合子はすぐに駆け寄った。
「お姉ちゃん!」
 茂は隼乃と繋いでいた手を離し、自分でも百合子へ駆け寄って、百合子の抱擁を受け入れ抱き返す。
 よかった。本当に良かった。
 もし茂が戻って来なかったら、本当に本当のどうしようと、そればかりで……。
「……隼乃さん」
 助けてくれた恩人に、百合子はそっと目を向けた。
「オッス」
 何を思ってか、隼乃は目を横に逸らしながら、そんな挨拶。
「おっす」
 百合子も同じ挨拶で返してみた。
「……百合子さん。茂くんが、最後まで応援してくれだ。だから勝てた。姉として、弟の勇気を認めてやって欲しい」
 隼乃がぼっそりとそう言うと、茂は実に照れ臭そうに、やりにくそうに赤面している。
 ああ、本当なのだな。
 茂のこんな顔を見てしまうと、さすがにわかる。
「よくやったわね。茂」
 より強く、茂を抱き締めてやった。
 それから、もう一度。
 百合子は隼乃に言っておきたい。
「怪我。してませんか?」
「……別に」
「私が手当てします」
「怪我ならしてない」
 隼乃はそうやって意地を張る。
 だが、その隣にすっと、光希が歩んで現れると、もう誤魔化しはきかないとわかってか、みるみるうちに表情を引き攣らせていた。
「怪我ならしてる。私が手当てしてもいいけど、助手がいた方が便利だなー」
 わざとらしい口調で言う光希は、次にチラチラと百合子に視線を向けた。
「わかりました。私、やります!」
「勝手に決めるな!」
「いいえ。私、もう決めましたから!」
「まったく光希は…………百合子さんもだ…………!」
 
     ††
 
 ヒルモグラに囚われていた子供達は、その後無事に警察に保護された。
 一人一人が、本来あるべき生活へと戻っていく。
 しかし、現れた強敵サターナ。
 いよいよ本格的に仮面プリンセスを潰すつもりに違いないと、一ノ瀬隼乃は予感していた。