第7話「狙われたパパ」part-B



 あと何十分かで陸地に着く。
 船を下りる準備のため、自分の泊まる部屋へと向かう辰巳は、赤い絨毯の敷かれた豪奢な廊下を突き進む。
 光希、光希、とにかく光希。
 娘のことで頭をいっぱいにする辰巳は、進行方向に娘と同じ年頃の少女を見かけ、うん? と、首を傾げていた。
 何やってんだ? あんなところで。
 どういうわけかメイド服を着ているが、コスプレが好きなのだろうか。気にせず自分の部屋へ向かっていると、距離が縮むにつれて褐色の肌だとわかり、どこかで見覚えのあるようなないような、ちょっとした既視感に首を捻った。
 まあいい、部屋に戻ろう。
 どうして道の真ん中に突っ立っているのかと、気にはなったが、見知らぬ少女に声をかける用事はない。さっさと横切ってしまおうと、少女よりも自分の部屋の方向ばかりを見て、辰巳はその横切る直前の距離へと迫る。
 立ち塞がれた真ん中を避け、横から通り抜けようと、避けて歩こうとした時だ。
 
「あなた。南条辰巳さんよねぇ?」
 
 サッ、と正面を立ち塞ぎ、褐色の少女はそう言った。
 ああ、ファンか。
 高身長な娘に比べ、十六歳かそのあたりの少女としては普通の背丈だ。クラスにいたらさぞかしモテるであろうルックスの、瞳の綺麗な褐色少女は、よく見れば日本人ではなさそうだ。
「残念だなー。辰巳ってあの南条辰巳のことだろ? よく間違えられるんだが、あんなイケメンでモテモテで格好良くて、世界に愛されちゃってるオジサマがな。こんなところに乗っていると思うか?」
「思うわ。だって、調べたもの。パンパンに詰まったスケジュールから、仕事をいくつか前倒しにして強引にこじ開けて、やっと作ったオフの日に娘と会うのと楽しみにしている。娘想いのステキなパパ」
 誤魔化すことなど許さないように、褐色少女は誰も知らないはずの情報をつらつらと、実に楽しげに喋っていた。
 どうやって調べた?
「はは、お嬢ちゃん。どうすれば内緒にしてくれっかなー」
 疑問は演技の仮面に隠し、ファンに対して愛想良く、サインと握手で満足してもらうつもりでポケットにあるサインペンに手を忍ばす。
「チューしてください」
「そりゃ駄目だ。日本人は挨拶でキスをやる習慣がないんだ。もし取材記者でも隠れていたら、未成年に手を出したって不祥事の大スクープにされちまうってわけだ」
「じゃあ、どっかでこっそり抱いて?」
「だーめ。余計にだめ。そーゆーサービスは大人限定」
「仕方ないわね。サインと握手で満足してあげる」
「へいよ。どこに書けばいい?」
 褐色少女は準備良くサイン色紙を持っており、軽くサインを書いてやってから、お望みの握手を――してやろうとした。辰巳の手と、褐色少女の小さな手が、握手のためにお互い距離を縮め合い、もう少しで触れそうなところまでいった途端だ。
 
「……っ!」
 
 辰巳は急速に顔つきを変え、危機的予感に手を引っ込めた。
 急に変わった気がしたのだ。
 人間にはそれぞれ覇気やオーラがある。世界のスターになるべき人間は、全身から星の輝きを放って見える。格闘の達人は強そうなオーラを放って見える。逆に無気力で何の夢や目標も持たない人間なら、どんよりとしたダルそうなものを放って見える。
 見ればそいつがどんな人間か。雰囲気でわかることもある。
 それら人間の持つオーラの意味合いで、褐色少女はまさしくどこにでもいる普通の少女。とびきりの可愛らしさは、ルックス的にはアイドルにでもなれそうだが、顔が良い以外については何も感じるところはなかった。
 キスだの抱くだの、別にジョークでしかない風だった。
 しかし、握手となった途端、そこにはまるで別人がいるように感じられた。
 手が接触する直前の、計画通りと言わんばかりの、悪巧みをしていた人間が直前になって本性を剥き出して、今まで被っていた皮など破り捨ててしまったような、おぞましい悪意に襲われた感覚に当てられて、ぞわっとして、辰巳の全身が警戒信号を放っていた。
 
「あらぁ? 残念」
 
 大して残念そうには見えない笑顔で、もう片方の手にはいつの間に、何の薬かもわからない注射器が握られていた。
「お前……!」
 握手で気を引き、油断させ、至近距離いいことに、刺すつもりでいたのだ。
「私の名前はサターナ! あなたを今から誘拐しちゃいまーす!」
「サターナぁ?」
 少女の言葉が合図のように、辰巳の立つ周囲のドアが、この廊下に連なる全ての部屋が、内側から蹴破る勢いで開け放たれ、黒タイツをまとった戦闘員が一斉に、一本道の前後を封鎖してしまっていた。
「なんのドッキリだ? 俺がヒーロー役者だったからって、なんてもん準備してんだ!」
 口では冗談めかす辰巳は、この状況を冗談だとは思っていない。
 戦闘員達の握る剣が、構えが、何もかも本物だ。
「イー!」「ギー!」
 本物の剣を何ら躊躇いなく振りかぶり、辰巳に斬りつけるためにかかってくる。武器に対する素手の格闘に、集団相手の立ち回りなど、いくらでも熟知している辰巳は、チョップで相手の手首を止め、剣閃を腕力で停止させることにより、手早く相手の握力を緩めさせ、奪い取っては剣戟を繰り広げる。
 この場にいる全員が、本物の剣を使って本当に辰巳を斬る気でいた。
 何故だ? なんだこいつら!
 わけもわからず、ただ向かってくる相手がいるので応じざるを得ない辰巳は、しかし狭い通路で人数相手という点以外にはまるで苦戦していない。
 人間がやりたがる動き、ありがちな立ち回りを、五十五歳という年季の中に蓄積している辰巳に言わせれば、本気で殺しにかかってくる相手であろうと、まるで初めから構成の決まったアクションのように、振り付け通りに動く気持ちで戦えた。
 あいつはこう来る、こいつはこうで、あれはこう――視界に入る全ての動きが、過去何百人も相手に稽古を重ねた経験則から読めている。
 剣で剣を捌いて打撃を決め、長い足のリーチでキックを放ち、戦闘員の人数によって生まれた人口密度を着々と切り開く。
 ついに廊下の向こう側へ、文字通りに剣で道を切り開いた辰巳は、屋上デッキを目指して突進の勢いでかけていく――戦闘員も追ってくる。プールサイドに出て立ち回り、ひたすらに剣術を披露しながら蹴り飛ばし、一人をプールへ叩き落す。一人の頭を殴打する。
 人殺しの意志を持たない辰巳は、初めのうちは殺さずに、相手に刃を当てることなく戦い抜いたが、こんなことをしてくる連中にはいい加減にたまらない。
「おい! この辺にしとかねーと、こっちも殺す気でいくぞ!」
 これで誰もが止まることを、内心では期待していた。
 ここまで束でかかっても辰巳一人に敵わないことを見せ付けて、その上で今まで本気ではなかったことを殊更にアピールすれば、命惜しさに引いてくれはしまいかと。
 
「うーん! 甘い! まるでスイーツみたい!」
 
 サターナという名らしい褐色少女が、一体いつからそこにいたのか。細い鉄の柵を足場に、後ろに落ちたら海に転落する危険も厭わずに立っていた。
「お前! マフィアとかテロリストとかそういうアレか!」
 集団で暴力を働いてくるものに対する発想として、自然とそれらが頭に浮かぶ。
「悪の組織でーす!」
 ニッコリと、あまりにも微笑ましい、こんな状況でなければうっとりと見惚れてしまいそうな可愛い笑顔をサターナは浮かべていた。
「はぁ?」
「オジサマを拉致して改造人間に変えちゃうの! すっごーい! 南条辰巳が怪人になったらどれくらい強いんだろう! シルバーXなんて瞬殺できちゃう! それにね、南条光希も一ノ瀬隼乃も、二人とも動揺させる心理的な効果も抜群に決まってるんだから!」
 サターナが飛び上がり、辰巳の立つほぼ正面に着地。
 その瞬間、辰巳にはもう、サターナがあらゆる型で仕掛けて来るのが見えていた。咄嗟に応じる辰巳の技量は、殴ろうとしてくる相手のチョップを剣で止め、痛い思いをさせてやろうと目論んでいた。
 刃のない、側面部分で受けてやれば、血を流すような怪我はさせない。なおかつ、痛みで思い知らせてやれるはず――だが、刀身の半分以上が消えた。手刀の鋭い一閃が触れるとき、固い金属の一振りは、あまりのも簡単にぽきりと、素手で切断されてしまっていた。
「なんじゃそりゃ……!」
 さすがの辰巳が青ざめた。
 驚愕などしているあいだに、もう一発のパンチが来て、慌しく横へ飛び退く。それを歩法で追いかけ瞬時に距離を詰めるサターナは、上半身のどこかに当たりさえすればいいキックで、腰から上を力強く狙い打つ――背中を反らし、辰巳の胸すれすれに足が通り過ぎていく。
 逃げるだけで精一杯になっていた。
 人間とは思えないパワーとスピードの数々に、あらゆるステップで四方八方へ飛び回り、かかと落としをかわすと地面に大きな亀裂が走る。パンチを避ければその拳が後ろの壁を破壊して、キックの誤打で戦闘員の首から上がトマトのように弾けて飛び散った。
 ここまで来れば、辰巳は完全に理解していた。
 
 ――相手は普通の人間じゃない。
 
 ならばサターナは何なのか。一体どんな存在か。今は考える余裕もなく、ただこの場を切り抜けて、どう生き延びるかだけを意識した。
 まともにやって勝ち目無し。
 かといって逃げ場は……。
 いや、逃げ場はある。
 辰巳はふと海に目をやって、もうすぐ陸地に着くのを思い出すと、サターナの立ち回りから逃げながら、だんだんと鉄柵の方へと移動した。
 そして、飛び込んだ。
「わあ! 大胆!」
 何故か喜ぶ声を背に、決死の覚悟で飛んだ辰巳は、この高さから見れば悲しいほどポチャリと、池に石を投げ込んだ程度にしか見えない飛沫を上げて、海の底へと潜っていった。
 
     ††
 
 港で船から下りる客の中には、必ず父がいるはずなのだが。
「……どういうこと?」
 最後の一人まで降りきって、それでも辰巳に会えない南条光希は、まず待ち合わせ場所を間違えたのかと考える。電話で話した父の指定場所を思い出し、きちんとメモを取った用紙を今一度確認するに、場所が違うとは思えない。
 なら父親の顔を見逃していて、既に降りた客の中に紛れているのか。
 辺りをキョロキョロ探してみるも、一向に姿は見えない。
 スマートフォンがあるはずなので、試しに電話をかけてみるも、それでもなお父親は出てくれない。
 
「光希!」
 
 その時、どこからか聞こえる声に光希は振り向く。
「隼乃? どうしてここに」
 明らかに急いで来た様子で、焦燥じみた顔つきの一ノ瀬隼乃が、光希の前まで駆けつける。
「テェフェルの動きを掴んだ。この船にサターナがいた可能性が高い」
 最悪の事態になっていないとは信じたい。
 しかし、それだけで十分非情な宣告だ。
「そんな……!」
「……私を受け入れてもらえて、嬉しかったんだ。だから光希のところにいたいと思った」
 取り返しのつかないことをしてしまって、申し訳なくてたまらない顔の隼乃に、光希は自分の中に沸き起こる全ての感情を抑えていた。
 いや、正確には抑えるばかりなどではない。
「それ以上は言わなくていい」
 これも立派な、今の光希の気持ちの一部だ。
 自分の父が狙われた理由について、想像だけなら何とでも言えてしまうが、どうあれ隼乃はそもそも光希が怪人にされることを阻止してくれた恩人だ。恩人に対して不当な言葉をかけたいとは思わない、そんなれっきとした感情の一つが沸いている。
「しかし私が恨まれたって……」
「言わなくていい!」
 光希は怒鳴った。
 急な喧嘩の様子が周囲の視線を引き、チラチラとした注目を集めるが、それに構う気もなく光希は自分の言葉を続けていく。
「思うところがあるのなら、まずは私の父さんがどうなったのか。一刻も早く確かめる。話は全部それからだよ」
 静かに語る自分の声に、誤魔化しの効かない怒気が大いに含まれ、誰が見ても怒って見えると光希は薄々と自覚している。
 テェフェルめ……。
 荒々しい感情の矛先は、はっきりとそちらに向いていた。
「……わかった。すぐに調べる」
 隼乃は気まずそうに引いていき、それから真っ直ぐに歩んでいく。
 その黒いジャケットの背にある薔薇のマークを一度は見送り、また戻ってくる隼乃が告げて来るのは、南条辰巳は確かにこの船に乗っていて、海外からこの日本へやって来ている。ただし降りたという形跡がなく、部屋には荷物だけが残っており、忽然と姿が消えてしまった状態で、職員も確認を急いでいるとのことだった。
「何故か警察には通報しない流れになっている。これは企業的な保身というより、テェフェルの一員が紛れ込んでいるせいだと考えた方がいい。乗組員及び乗客の中にテェフェル戦闘員が混ざったため、船内で騒ぎを起こしても、一般客には騒ぎが伝わらないように誘導工作が行われていたはずだ」
 やけに短時間で正確な情報を持ち帰ったのは、職員の中に紛れ込んだテェフェル関係者を脅して吐かせ、さらにはそもそも、テェフェルの動き方というものを初めから知っている。初めから裏切る予定で、この世界への到着と同時に脱走したとはいえ、世界征服を目論むメンバーとして潜り込んでいた以上、そういったマニュアルは叩き込まれているわけだ。
「肝心の南条辰巳だが海に飛び込んだそうだ」
「……水落ち?」
 若干、安心。
「ん? ああ、確かに水に落ちた。サターナから一時的に逃げ切ったんだ」
 完全な真顔で答える隼乃。
 何をホッとしているのか。疑問でならなそうな顔の隼乃だが、まあ父さんの体力なら、五十五歳とはいえ陸が近い場所なら落ちても問題ないだろう。むしろサターナがいたのなら、泳いで帰国する方が安全なくらいだ。
「で、その。隼乃に情報を吐いた奴は?」
「乗組員に化けていた、ただの戦闘員だ。秘密を漏らしたとして、今頃は制裁を受けているかもしれないが、同情する必要は一切ない」
「……確かに」
「どこかに流れ着くのをテェフェルも必ず捜索している。そして警察は動いていない。光希のお父さんを保護するには、テェフェルよりも先に私達で見つけるしかない」
「よしわかった。行こう! 隼乃!」
 父さんに早く会いたい。
 隼乃のことも紹介して、色んな話をして……。
 逸る気持ちで、光希はすぐに駆け出した。
 
     ††
 
 港からいくらかの距離にある岩の海岸。
 ゴツゴツとした凹凸の激しいこの岩場は、少しばかり鋭利な箇所もあり、場所によっては転んだ時の怪我が怖い。時間や天候によって高さが違う、今はそれほど高くはない波が、ゆったりと打ち付けてはしぶきを上げ、その水が届くまでの距離は絶えず水分を吸い続ける。
 戦闘員を引き連れて、南条辰巳の捜索に当たっていたケンゲキスネークは、打ち上げられた辰巳の姿を見るに、すぐさま戦闘員に指示を飛ばしかけていた。
 しかし、向かいの方向から来る人の気配に、ケンゲキスネークは自分の挙動を抑えるなり、逆にここから静かに姿を隠す指示に出ていた。
 一ノ瀬隼乃が港に来ているとの情報が既にある。
 だとしたら、戦闘員を複数倒す抵抗力の持ち主相手に、強引な出方をして騒ぎを大きくするのは得策ではない。改造人間の聴力がここを聞き当て、シルバーXを最速で呼び寄せることになりかねない。
 サターナであればともかく、自分の力で仮面プリンセスを倒せるか。
 隼乃を警戒するが故の慎重さが、ケンゲキスネークにはあるのだった。
 
     ††

 打ち上げられた男性を発見したのは、この岩の海岸で釣りをするため、釣竿やクーラーボックスといった道具を手に、それぞれ集まっていた三人の老人達である。全員があと数年で七十歳に達する手前、激しい運動はできず、だからこそ釣りあたりを趣味にしている面々だ。
 そして、この三人にとってこの場所は、良い魚の釣れる絶好のスポットで、持ち帰って調理をしたあと、酒でも飲みながら盛り上がろうといった魂胆だ。
 そうした三人が倒れている男に度肝を抜かし、それぞれ顔を見合わせてから、恐る恐る近づいていき、試しに声をかけてみる。
「お、おい! お前さんどうした! 大丈夫か?」
 うっ、と、すぐに息で呻くような反応があり、生きているのだとわかってからは、慌しく引き上げて、波に浸かった下半身を地上に上げる。できるだけ岩の凹凸や鋭利な部分の少ない、平らに近い場所に寝かせてやり、みんなで声かけを行った。
 救急車を呼ぼうかどうしようか。
 当然、そのような話にもなり、そのうちに一人が電話をかけようとしていたが、バッ、と素早く、みんなが驚く勢いで南条辰巳は起き上がり、あまりにもケロっとした顔で元気にお礼を言い始める。
 あまりの軽快さに、本当に大丈夫かとオロオロした空気が初めがあったが、ついには一切の緊張感がどこか彼方へと流れていった。
 
     ††
 
 南条辰巳は己の武勇伝を多いに語っていた。
「ではでは聞いて頂きましょう。この南条辰巳が何ゆえにこのような場所に流れ着いておりましたか。遡れば遠い外国の地。たった一人の娘を日本に残しておりまして――」
 まずは娘自慢から始まった。
 自分の娘がいかに綺麗で格好良くて、よく出来た自慢の子供か。確かに凄い光希の過去の経歴だが、それを大いに誇張して、さも日本のトップスターである勢いで語り聞かせ、いきなりの脱線を経てようやく本題へ移っていく。
「さて、いよいよ娘と会う約束の船に乗りまして、ついに懐かしの日本の大地が水平線の向こうからだんだんと見えてくる。しかし、この南条辰巳の行く手を阻む黒い影あり。彼らは果たして何者なのか。何が目的だったのか」
 サターナやその率いる戦闘員に襲われた部分まで、大胆な身振り手振りを交えて聞かせ、三人の老人達は実に聞き入っていた。
 知る人が聞けば、辰巳の語り口調は日本の伝統芸能にある講談そのものだとわかる。実際の講談でいえば、演者は小さな机の前に座り、張り扇でそれを叩いて調子を取りつつ、軍記物や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる。
 張り扇など持ち物にない代わり、手で膝を叩いて調子を取り、自慢話をしているわけだ。
 元気や根性に溢れた人間を好む、古いタイプの彼らにとって、辰巳は実に活きの良い男と見えた。五十五歳とはいえ、三人の老人よりも十歳以上は年下で、もっと年齢の時期さえ違っていれば立派な大人と子供である。
 それ故、どこか元気な子供を褒めて持ち上げてやるように、老人達は何度もにこやかに頷きながら、辰巳の話に聞き惚れていた。
「追い詰められたこの俺の脳裏に浮かぶのは、絶世の美形に育った娘の顔。こんなところで死んでなるものか。そこで決心を固めましたこの俺は――いよ! まさしくアクションスター! ハリウッド映画よろしく大海原へ飛び込んで、目と鼻の先にある陸地目指してせっせせっせと泳いでゆき、ここまで生き延びてきたわけであります!」
 ここまで語るに、辰巳を取り囲むのは、辰巳を持ち上げ喝采する拍手の音だ。
「アンタ凄いな。アンタ本当にあの南条辰巳か」
「孫と映画も見させてもらったよ」
「いやぁ……! ワシが五十五の時は、もうとっくによぼよぼのじいさんだったわい!」
 完全に打ち解けた空気であった。
 元よりお喋りな性格で、かなり外向的な辰巳の場合、ほとんど自覚すらなく上手に人を取り込んでいる。酷い目にあった事実を語りつつ、その恐ろしかった気持ちや驚きの感情などほとんど忘れ、喋る楽しさにばかり辰巳は夢中になっていた。
 その時だ。
 
「あれ? 南条辰巳さん? ですよねぇ?」
 
 老人達が、辰巳が、一斉に声の聞こえた方向に目を向ける。
「アンタ確か……!」
 驚く辰巳。
 そう、そこにいたのはかつて光希と競演したことのある高神留美子であった。
 
     ††
 
 高神留美子は存在するが存在しない。
 改造手術によって肉体は既に怪人となっており、脳改造による人格改変も完了し、元々の人格はこの世から消えている。残っているのは改造前のルックスと、戸籍や身分といったものだけで、つまりは瓜二つの別人と入れ替わったと表現しても支障がない。
 作戦はこうだった。
 関係者スタッフに扮した戦闘員を連れ歩き、近くで撮影があったことを装いながら、さも偶然の出会いのように声をかけ、南条辰巳を老人達から引き離す。
 海外にいた辰巳なら、そんな撮影スケジュールは存在しないなど、気づく余地などないだろう。
「やっぱり! 辰巳さんだ! お久しぶりですぅ!」
 パタパタとした足取りで駆け寄って、両手で辰巳の手を握っては、会いたくて仕方がなかったような熱い上目遣いを向けている。脳に元の人格情報を都合良く残しておき、元の高神留美子を都合よく『再現』していた。
 一瞬、辰巳はどこか首を傾げていた。
「うん……?」
 何か違和感でもあったようにして、いかにも難しそうな顔をしてみせるのだが、バレたかという不安を先回りする早さで、辰巳はパッと明るい笑顔を浮かべてみせた。
「おうおう! よーく覚えてるぜ? 霧雨んときはなかなかのアクションだった。あの時は俺の娘が世話になったな」
「もうビックリですよ! たまたま近くでドラマの撮影があって、そしたらいるんですもん!」
「ああもう、いるもなんも、撮ってくれてるカメラもねーのに、海への飛び込みスタントをやる羽目になったばっかりでな。海の向こうから日本にまで流れ着いちまった」
「えぇ? どういうことですかぁ?」
「どうもこうも、ついさっきの俺の武勇伝よ」
 辰巳は老人達にも語った内容を再び語り、次に海を泳いだ距離を話す頃には、もっと遠くからここまで無事に辿り着いたことになっていた。微妙に脚色が増えていることを気にしない、あるいは細かい部分は覚えていない三人の老人達も、こぞって話に乗っかった。
 そして、留美子がアイドルと知るや否や、孫がファンだったことを思い出し、老人達はそれぞれサインを求めて来た。
 辰巳も、留美子も、握手にまで応じてから、やっと老人達と別れて、次に留美子はこんな話を振るのである。
「あの、もしお暇でしたら、私の演技を見てくれませんか?」
 留美子にとって――いや、ケンゲキスネークにとってはここがチャンス。
「見てやりたいのは山々だが、光希のやつがな。いい加減に俺のことが心配で心配で泣き始めている頃じゃねーかと思いますわけよ、はい、この私は」
 さては留美子から離れるつもりか。
 逃がしはしない。
「あ、でしたら光希さんにも会いました!」
「何? マジか!」
 よし、喰いついた。
「はい! それにそういえば、待ち合わせに来ないって、確かに気にしてましたね。何かトラブルがあったんでしょうけど、とにかく光希さんにも会ってあげて下さい」
「しょうがねぇな。行ってやるか」
 目が笑っていた。
 ルンルンなステップじみた足取りまでして、娘に会えるということに、よほどテンションが上がっているらしいが、もちろん光希がいるなど嘘である。
「じゃあ、こっちですよ?」
 案内のために先を歩いて、心中ではほくそ笑む留美子。
 その後ろから着いて来る辰巳。
 さらに辰巳の後ろをぞろぞろ歩くスタッフ達。
 しばらく、海岸を歩き続けた。
「なーに話そっかなー。ってか、俺に会えなくてどんだけ寂しがってたことやら!」
 馬鹿が、お前は一生娘に会えない。次に再会するときは、もう元の南条辰巳は存在せず、肉体だけを残して中身は別人と化した怪人だ。
 ただでさえ優秀な肉体で、強力な怪人となるのが見込めるばかりか、さしもの隼乃も光希の父親を倒すのは躊躇うだろう。
 よしんば容赦なく倒しにかかって来たとして、辰巳の肉体は優秀だ。サターナと同等かあるいはそれ以上の怪人になるはずで、こいつが手に入ればテェフェルは無敵だ。
 シルバーXには特別な秘密兵器はなく、あくまでドレスアップシステムのスペックと、磨き上げた技の数々で戦っている。スペック詳細不明のため、ひょっとすれば切り札を隠しているかもしれないと、マンモス将軍に慎重な姿勢を取らせていたが、サターナの戦果によってシルバーXのカードが一枚消えたも同然だ。
 マンモス将軍がビビリだったか、慎重な性格を見越した隼乃の計算が凄いとするかは、ケンゲキスネークにとってはどうでもいい。
 ここで手柄を上げ、認められ、この世界の征服が完了したあかつきには、怪人特権を利用して好き放題の生活を送ってやる。怪人社会という名の、怪人にとってだけのユートピアこそ、ケンゲキスネークが楽しみにしているものだ。
 ……さて。
 この辺りでいいだろう。
「ん? どうした? 留美子ちゃん」
 留美子が足を止めるなり、後ろで辰巳は首を傾げる。
「いえ、ちょっと変な虫がいて――あ! 辰巳さんについた! 動かないで下さいよ?」
 それはポイントに誘い込み、辰巳をポイントからずらさないための作戦だ。虫を取ってあげるから動かないでと、そんな方法で身動きを封じ込め、留美子はちらりと、辰巳の首の後ろの向こうに見える、灯台の景色に目をやった。
 あの場所にスナイパーを配置すれば、ちょうど辰巳の立つ場所を狙いやすい。
 テェフェル製のスコープと、ライフルと麻酔弾の力により、無駄な抵抗はなるべくさせず、一ノ瀬隼乃が駆けつける恐れを極力減らして辰巳を拉致。あとは基地に連れ帰り、改造手術を実行するだけである。
 ポケットに手を入れて、ポケットに潜ませたボタンスイッチで信号を出すことで、留美子はスナイパーへの合図を送る――撃て、と。
 これで、向こう十秒以内に辰巳の狙撃は行われる。
 十、九、八、七、六、五、四、三、二、一――。
 
「ぶぇっくし!」
 
 ――馬鹿な!
 
 そうか、海で体を冷やしていたと、今頃になって寒さに気づき、思い出したように大きなくしゃみを出したのだ。身体が大きく前のめりになり、狙うべき肩の位置が大きくずれると、衣服の表面だけを綺麗にかすめ、切れ目を残した弾丸は、岩盤を砕いて辰巳を驚愕させていた。
 ……バレた。
 信じられないものを見る瞳が、世界に対して驚きを隠せない表情が、異常なほど静かに留美子を見つめた。
「……し、知ってるぜ? このシチュエーション。俺はスパイ映画で何度かこういう風に狙われてきた。本当にやる奴がいるとは思わなかったぜ」
 その瞬間、辰巳は走った。
 留美子のことを腕で押しのけ、荒々しい崖に沿い、全力でこの場を駆け去る。灯台のスナイパーから、もう狙いようのない位置へと消えてしまった。