第7話「狙われたパパ」part-D



 なんだ? 何がどうなっている!?
 バネに弾かれた勢いで駆け出して、きっと自分を狙ったのだろう灯台から、もうこちらを撃てないはずの岩壁のカーブの向こうへ辿り着くと、すぐさま追ってくる留美子とスタッフ達の面々が、こぞって辰巳を取り囲んだ。
「イーッ!」「ギッ!」「ケイィィ!」
 奇声を上げるスタッフは、まるで存在を切り替えたかのように、変装を脱ぎ捨てたり、何かの予備現象を挟むことは一切なく、パッと戦闘員の姿に変わる。
「なんだと!?」
「驚くのはまだ早い! この私の正体を見ろ!」
 皮膚が衣服を取り込み、内側に吸収していくように、シャツとスカートが沈んでいく。同時に肌が変色して、顔と両手が、衣服に関係なく露出していた部分から、侵食じみて広がる青銅にも似た色が、全ての衣服が消える頃には全身に及んでいた。
 そこに現れるのは裸体ではない。
 冷静に考えれば裸なのかもしれないが、全身に鱗が浮かび、ヘビ怪人という言葉以外では形容できない姿である。
「なんなんだお前は!」
「その名はケンゲキスネーク! 南条辰巳! お前を! 殺ォォォす!」
 正面からケンゲキスネークが、背後からは戦闘員のうち二人が、一様に剣を構えて迫る。
 辰巳はかなりの勢いで、岩の表面に足跡でも残さんばかりの気合いを込め、力強く地面を蹴る。三角形の包囲から、側転運動によって飛び抜けるが――。
「イー!」
 着地タイミングを狩らんばかりに、また一人の戦闘員が剣を振る。回避にかかる移動量でいうならば、若干斜めの横振りは攻撃範囲が広めで手間になる。が、そんなスイングにしても、背中を大げさに反らしたほぼ上向きの上半身を通過していた。
 バック転――後転運動だった。
 くるりとした動きが鋭く速い。追って踏み込む戦闘員が、二度も三度も斬りかかるが、それより速いバック転で、辰巳は攻撃範囲の向こう側へと逃げ切っている。やがてある瞬間から逃げるのをやめ、急に前に飛び出すことが、始終バック転であった流れからしてフェイントとなり、その戦闘員へとタックルをかましていた。
「ギイ!」
 サイドから面打ちのように振り下ろされる。辰巳は手慣れたように戦闘員の手首を掴み、どこか力で押し出すように、剣の振られる角度をコントロール。相手の腕を自分の膝蹴りの上に落とすように導いて、弱らせた手の平から剣を奪う。
 丸腰となった戦闘員を蹴り飛ばし、二人が同時に襲ってきても捌ききる。目減りしていく一方の戦闘員を見るに――。
 
 ケンゲキスネークも剣を手に、いざ辰巳へと斬りかかった。
 
 足腰の動き、腕の呼び動作。
 難なく受けられる一閃に対し、自分の剣を盾にした辰巳は――、
「何ッ!?」
 その想像を絶する腕力に戦慄した。
 手の平で何かが破裂したと思うほど、激しい衝撃の痺れに弾かれ、辰巳の剣はホームランか何かのように遥か遠くへ、海の底へと消えてしまう。
 肉体の次元が違いすぎた。
 いくら太刀筋を読みきる余地があっても、想像の範疇を越えたパワーに、もし本気でケンゲキスネークを殺しにかかったとして、鱗の肌に刃は通るのだろうかとさえ疑問になる。
「観念して着いてくるのだ!」
 辰巳の喉元へと、ケンゲキスネークの持つ切っ先は突きつけられ、皮膚にチクリと痒いような傷みが走った。
「冗談じゃねぇ……」
 どうしてこんなことになる。どうして彼女は怪人に。ここで自分が連れて行かれて、同じ怪人にでもなったなら、残された光希は一体どうなるんだ。
 光希、光希は……。
 
「待ァてェ!」
 
 頭上から、それは少女の声だった。
 女の子としてはいささか凛々しさの過ぎた野太さがあり、例えるなら道を極めし武人に近い箔がある。拳法の老師や格式ある侍役の声を無理に女の子にやらせたらそうなりそうな、どこか凄味に満ちていた。
 辰巳の目が、ケンゲキスネークが、全ての戦闘員が、声の聞こえた方向である崖の頂上を見上げていた。
 人間が小さく見える遙かな高さであれ、辰巳の視力はそれが背の高い少女と判別した。
 黒い影が両腕を広げ、たった一瞬だけ水平を保ってから、ゆっくりと回転させていく。胸の手前にクロスを作り、その交点で腰横を叩いてから、片腕だけをバウンドじみて持ち上げつつ、すぐさま残した腕もそれを追う。
 
「……変ッ身ッ!」
 
 手の甲に肘を乗せ、手の平は上向きに反り、そんな腕のL字の交差を横から横へとスライド移動で運んでいく。
 
「トォォォウ!」
 
 垂直飛びにも似たフォームで飛び上がり、その上昇速度に消えたと錯覚しかける。しかし、彼女はあの高さから飛んだのだ。スタント経験豊富な辰巳とて、だからこそマット無しでは無理だとわかる。完全な自殺行為にぎょっとなり、銀色の少女が目の前に着地する時には、もっと大きく目を丸めた。
 
「トォウ!」
 
 落下速度を大いに乗せた鋭いキックは、まるで突如隕石でも来たように、ギリギリまで直角に近い斜め角度から一直線にケンゲキスネークの頬を蹴り抜いた。その威力に倒れるケンゲキスネークを足元にして、ゆったりと立ち上がる長身少女は、銀色のコスチュームを纏った背中を見せていた。
「…………」
 絶句。この無言こそ、今の辰巳の最大の感情だった。
 艶やかな黒髪を散らすがごとく、さっと振り向くその少女は、銀色の衣装を纏い、その肩には赤いラインを伸ばしている。ブーツとグローブに手足を包み、ハチマキのように巻くタイプのマスクをかけている。
 手練れであると、すぐにわかった。
 この歳でこの実力が、光希以外にいたというのか。
「おのれシルバーX!」
 ケンゲキスネークは即座に立ち上がり、全身をぶつけんばかりの体当たりに近い剣閃で、銀の少女を叩き切ろうと踏み込んだ。その太刀筋は手首を掴むことにより、骨が圧迫されて軋む音が聞こえるほどの握力で止めてしまう。
「南条辰巳を改造しようとするお前達の目論みは、もはや破られたも同然だ!」
「そうはいくものか! 貴様を殺ォォォォす!」
 ケンゲキスネークとシルバーXによる、斬撃が決まるか打撃が決まるか、剣と拳のやり取りが開始され、お互いに激しい手数で攻めと守りに徹し合う。
 その凄まじさに気を取られ、さすがの辰巳がうっかりと油断していた。
 
「イー!」
 
 危うく背中を斬られようとしている危機を悟って、ハッと気づいて対応しようと振り向けば、さらに別の人影が、辰巳を庇うかのように割り込んでは、剣を交えて戦闘員を切り倒す。白いジャケットにジーパンに、指貫グローブの装いは、辰巳にとって大いに見覚えのありすぎるものだった。
「……光希!」
 娘だ。娘の光希だ。
「父さん! ここは危ない! 父さんは狙われてるんだ!」
「色々どういうことだ!」
「とにかくこっちだ!」
 光希に手を握られ、娘に腕を引かれることにどこかオロオロしながらも、辰巳は引っ張られるままにして、ケンゲキスネークとシルバーXの戦闘現場を離れていった。
 
     ††
 
 ケンゲキスネークはすぐにその能力を発揮してきた。
 腕がぐにゃぐにゃと、丸いカーブを成すようにして曲がって来る。腕というより、ムチの先端に剣が握られているとでも言う方がわかりやすい。それほどまでに形は自由に振り回され、世界のどんな流派にも存在しない太刀筋がシルバーXを襲うのだ。
 バックステップで数メートル後方まで距離を置き、広い視野でさりげなく戦闘員の人数にも気を配るが、雑魚は光希と辰巳だけで片付いてしまったらしい。
 心置きなく、シルバーXはケンゲキスネークに集中した。
 おそらくはヘビの間接構造に注目して、自由な角度に曲がる腕を目指した改造だ。大量の間接により、U字にまで変形するばかりか、莫大な筋力で形状を固定できるため、いかなる腕の形からでも太刀筋を安定できる。
 そんな剣術に襲われて、恐ろしいほどやりにくかった。
「どうした! シルバーX! そんなものか!」
 置いた距離などすぐさま詰められ、ぐにゃりぐにゃりと、気持ち悪いほど自由自在に曲がりくねっては刃を滑らせる。
 受けることさえやりにくい。
 シルバーXの得意とする、攻撃に攻撃をぶつけて弾く方法だが、それさえもケンゲキスネークはくぐり抜ける。腕がU字になるほど折り畳み、防御用のパンチもチョップも、しゃがんでくぐる気持ちで通り抜け、刃を身体に到達させかける。
 結局、手業で受けるよりは避けるしかなくなって、ますますケンゲキスネークのペースに巻き込まれていく。
 ――読みきれない。
 普段は相手のフォームで読み当てたり、フォームはおろか、さらに手前の構えを整えようとする挙動だけでも、次に来る攻撃の種類がわかる。一手わかれば、相手の頭の中にはどんな一連の流れが構築されているのだろうかと、十手も二十手も先までわかり、だから日頃は大半の技を見切っていられる。
 ケンゲキスネークの場合、読ませないこと自体がテクニックのうちだとやがて気づいた。
 過去戦ったクラゲリアンは、本人のセンスによって自身の怪人としての特徴を活かし、電気クラゲの化け物だから可能な格闘術を編み出していた。ケンゲキスネークもそれと同じで、人間にはない身体可動を活かした新剣術の開発に成功している。
 もはや実際に動いた腕を目で見て反応している状態だ――見てから反応しているなど、怪人と仮面プリンセスの世界においては遅すぎた。
「――っ!」
 すっぱりと、二の腕の表面に刃が通ってシルバーXは顔を顰める。
 ギリギリで深手は避けても、肩が、わき腹が、太ももが、強化衣装のあらゆる部位に切れ目が走り、内側にある肌色が覗けて見える。痒いような浅い切り傷が刻まれて、微かな血がいたるところから滲んでくる。
 ならば……。
「トオッ!」
 シルバーXはスライディングをかけた。
 その直後、まるでシルバーXの姿勢が低まること自体、そうなるためのスイッチであったように、ケンゲキスネークは即座に横倒れとなる。自ら倒れたシルバーXと倒されたケンゲキスネークで、お互いに足の絡み合ったL字並びの状態が出来上がった。
 相手の足を自分の足で挟めるように、シルバーXは片方の足を差し込んで、もう片方は外側の足首に引っ掛けたのだ。内側の膝を素早く蹴り、全身で転がろうとする腰や上半身の力も使いつつ、真横へつまずき転ぶ形を取らせていた。
「銀式一文字固め!」
 素早く身体を転がし、ケンゲキスネークの片足を捕らえたシルバーXは、膝の破壊を狙った技をかけていた。I字の形に並んで自分の足を絡めつけ、両手の力でがっしりと、相手の足首を固定する。
 腹筋に力を込めた勢いで、仰向けから起き上がろうとする力で膝の皿を破壊する。普通の人間のパワーでは足りないであろう、およそ超人であることが前提の技だった。
 だが、技はかからなかった。
 間違いなく間接を曲げてやったのだが、相手を骨折させた手応えがそこにはない。あるとするなら、元からその向きに曲げることの可能な膝を、骨格の構造通りに動かしたというだけの感覚だ。
「馬鹿め! 足になら関節技が効くと思ったか!」
 まさしく、シルバーXはそう読んで、当てが外れてしまったことをここに悟る。
 筋力全般はあくまでもシルバーXが上らしい。握力に捕らえた足が、抵抗の動きを見せるも、逃げようにも逃げられない様子でいる。
 しかし、自由な状態であるもう片方の足がシルバーXを襲った。
 自然界のヘビがそうするように、獲物に身体を巻きつけて、だんだん絞め殺そうとするために、シルバーXの脚から胴へと螺旋状に絡んでくる。明らかに元の長さを超えてなお、首まで巻きつき、窒息させようと喉を圧迫してくるので、手足のリーチも大なり小なり伸縮可能なのだとここでわかった。
 ……苦しい。
 肋骨が軋み、骨の内側にある肺まで締まり、喉の軌道も少しずつ圧迫で封鎖されつつある。この窒息するかもしれない純粋な危機もさることながら、呼吸が出来なければ武術における呼吸法まで封じられてしまうのだ。
 いや、この状態なら――まだいける!
「トォウ!」
 一文字固めなどとっくにやめ、自由な片足の力を利用した。超人的な筋力任せに、本来なら飛ぶことなど不可能なフォームから、極めて強引にジャンプをやり、ケンゲキスネークもろとも自分の身体を空中高くへと上昇させた。
 
「――竜巻Xドライバー!」
 
 空中でI字のように、シルバーXの頭が天を向き、相手の頭部は真下を向く。相手の足を掴んで股に足裏を突き立てて、超回転と共に敵の頭部を地面に叩きつけてしまう。秒間数百回転と考えれば、相手の肉体は一瞬にして大根おろしのごとくすり潰される。そんな残酷なダメージさえも狙ったものだ。
 一度この技にかかったら脱出など不可能だ――ただし、本来なら。
 本当なら相手の足首を両方掴み、上に伸ばしてやるような力のかけかたで固定して、足の力による抵抗を完全に封印する。シルバーXのパワーなら、引っ張るだけで筋肉繊維が千切れかねないほどの苦痛を怪人の肉体に与えることが可能だった。
 だが、今回の状況ではケンゲキスネークの片足しか掴むことが出来ず、もう片方はシルバーXの身体に螺旋で巻きついていたわけだ。
 技が正しいかかり方になっていない。イコール、脱出の余地を与えてしまう。
 回転の風圧が、あたかも上から下へと伸びる竜巻のように、やがて地面が迫る頃、ケンゲキスネークは背筋から螺旋の足にかけて力を込め、どうにかして強引に、身体の回転を使ってシルバーXの肉体を地面に叩きつけようとした。
 シルバーXもこれに気づき、縦向きの回転を受けないように、力のかけかたのコツを駆使して抵抗するが、あえなく叩きつけられて――。
 
 二人同時に、背中を地面に強打した。
 
 そして、二人同時に立ち上がる。
 パンチ――巻き払い! クラゲリアンが使っていたのと同一の払い技だ。しかも骨と筋肉がある分だけ、パワーに安定性があり、クラゲ怪人だから持っていたムチとは巻きつける際の力が違う。
 さらにはムチの先端に剣を括り付けたがごとく、自在に振り回される腕から刃が閃き、自由が効くにもほどのある斬撃が、文字通りにありとあらゆる角度から襲って来る。
 一手――顔面狙いのストレート突き、横に少し身体をスライドするだけで避けきれる。
 二手目――そのままの流れで後頭部狙いの横一線は、腕をぐにゃりと曲げることで、まさしく腕をU字にUターン、見えない角度から来る剣閃は、しかし首から上が狙いであり、しゃがんで姿勢を低めてやり過ごす。
 三手――すっかりU字の形を成した腕を使い、腕を真っ直ぐの形に戻す勢いを使った横一線が放たれた。
「トウ!」
 キックで腕ごと蹴り返そうと試みて、ケンゲキスネークの手首に足の甲をぶつけてやる――が、相手はどうやらそれを待っていた。
「名付けて巻き返し!」
 腕が螺旋状に巻きついて、シルバーXの足首からふくらはぎにかけてを締め上げるまで、ただの一瞬に過ぎなかった。
 攻撃で攻撃を弾く方法――に、対する相手の手足を捕らえる固定技のようだ。
 そうして巻きつくための腕力で、シルバーXの足を少しでも高く持ち上げた状態に固定させ、出来るだけ隙の多い姿勢のうちに、ケンゲキスネークは自分の手から手へと剣を投げ、パスを受け取ったもう片方の手で斬りつける。
 受けざるを得なくなり、呼吸法ですぐさま皮膚の硬化を行い、腕を盾とするものの、それでも皮膚より深く切れ目が入り、筋肉繊維が少しばかり断裂した。
 しかし、シルバーXも片足立ちからジャンプして、どうにか蹴りをかましていた。
 回し蹴りによる足の甲が、ケンゲキスネークの脇腹に深々と埋まり、内部に重い衝撃が及んでいる。おそらくは内臓を裂傷させ、体内をせり上がった少しの血が、ケンゲキスネークの口元から垂れていた。
 とはいえ、シルバーXの肉体には、ここまでかなりの負荷が蓄積している。まず単純に受けたダメージの数々と、巻きつき締め上げられた際にも肉と骨が軋んでいる。読めない動きに、無理にでもついていき、スタミナの消耗率も今までの怪人と戦ってきた時より高い。
 絶対に自分が勝つと言い切れる流れとは言えなかった。
 だというのに、新たな気配がこの海岸に現れて、ケンゲキスネークの前に割り込むように現れるのだ。
 
「はーい! 交代交代! 次は私よ!」
 
 にこやかな笑みを浮かべて、シルバーXを殺すため、ケンゲキスネークの手から剣をひったくる。
「サターナ……!」
 シルバーXは戦慄した。
 何故かメイド服を着ているが、サターナのような化け物相手に、服が似合っていることを気にする余裕など持ちようがない。
 サターナの邪神少林拳は厄介そのもの。拳法における『気』の力と精神を直結させ、相手を傷つけることはもちろん、自分が傷ついてさえ喜ぶ。精神的にハイになるほど、肉体の損傷をまるで無視してパワーとスピードが上がっていく。
 自分の動きが低下するのに反して、サターナの方は上昇など、持久戦になればサターナが必ず勝つも同然ではないだろうか。
「土壇場で邪魔が入るんじゃないかって気はしたの。それでね、ケンゲキスネークで削ってから、弱ったところを私が仕留める。っていう作戦を考えたのよ」
 子供が自分のアイディアを親に褒めて欲しいかのような表情で、危機としてそんなことを語るサターナは、どこかシルバーXばかりを見つめていた。ケンゲキスネークでシルバーXを足止めして、その隙に光希と辰巳の二人を狙う。そんなやり方もあっただろうに、そちらのチャンスを捨ててもこちらに来たのはどういうつもりか。
「サタンブレイド!」
 腰ベルトに括り付けたケースから、西部劇のガンマンが行う早撃ちに酷似して、一瞬の早さで選んだカードを引き抜くなり、さらにはエックスブレスのカード挿入口に刺し込むまで、一連のアクションを全て一秒以内に済ませてみせる。
 赤い刀身の剣をその手に握り、シルバーXとサターナは、全く同じタイミングで踏み込んだ。
 
     ††
 
 刃と刃がぶつかり合い、かすかに弾ける火花と共に、激しい衝撃による痺れが伝わる。サターナの手の平と、手首から腕にかけての全体が、一太刀だけで悲鳴を上げ、まともな神経をしていれば、この一瞬だけで二度と剣を交えたくはないと感じるはずだ。
「あは……!」
 サターナは喜んでいた。
 自分の皮膚がぱっくりと裂けるのも、この手に斬ったという感触が伝わるのも、サターナにとっては至福の快感に他ならない。痛ければ痛いほど、そして相手に痛みを与えるほど、サターナはどこか恍惚としていた。
「えへぇへへぁ……! いたぁーい!」
 体幹を駆使した素早い身体運用に徹しながら、百手は先まで見据えた立ち回りで、絶えずして攻めと避けとフェイントと、受けの動きを繰り返す。呼吸法も耳で聞き分け、次に使われるであろうあらゆるテクニックに応じていた。
 重心移動の勢いで、若干つま先立ちになる動きは、落下速度を乗せるかのイメージで断ち斬るためだ。防御することは可能だが、サターナはそれをサイドステップで回避して、横合いから斬りかかり、シルバーXもまたステップでリーチの届かない距離へ逃げ切る。
 剣の性能には差があった。
 サタンブレイドの方が見た目に反して重量が上回る。この世界には存在しない物質で構成された、質量の高い金属で出来ているのだろう。刃先を触れさせただけで鉄に切れ込みを入れかねない切れ味に、つまるところ受け止めた数だけ刃こぼれが増えていた。
 この剣術戦で勝とうと思ったら、受けの回数は極限まで減らし、自分の剣が壊されないように気をつけながらやっていく必要があるわけだ。
 そして、シルバーXは極めて上手い。自分のパワーの高さを知っている。
 下手に斬り込めば、紅蓮の刃でサターナの剣を叩きつけ、武器の破壊を狙った立ち回りで来ることを構えや視線でアピールしている。そうなることが嫌だから、サターナとしては自然と慎重になってしまう。
 一度慎重になってしまえば、向こうからの攻めにも弱くなり――と、シルバーXは計画的に流れを作り、サターナの着るメイド服には順調に裂け目が増え、出血による赤味をじわじわと吸い込んでいた。
 シルバーXの方が負傷が多いのは、ケンゲキスネークが与えた傷があるからだ。サターナが与えた傷と、シルバーXが与えた傷では、シルバーXの方が上回る――今のところは。
「へへぇ! だいぶ私の動きを覚えたみたいね!」
 その感覚がサターナにはあった。
 手の内を知られており、こいつならこう動きたがるだろうというものが、視線や指先の力具合など、一つ一つの挙動から悟られている。サターナよりもシルバーXの読みが若干勝ち、傍からしてもサターナが押されて見えるはずだった。
「えへっ、へへぁっ!」
 サターナの傷口にあるのは痛みであって痛みでない。全身のいたる部分に増え続ける皮膚の切れ目から感じるのは、そこで何かがぐつぐつと、沸騰が細胞をくすぐるような、完全に快楽なのだった。
 痛覚が痛覚として機能しないのは、果たして改造手術の影響か、マゾヒズムのせいなのか。サターナ自身も知りはしないが、気持ちよければ気持ちいいほど舞い上がり、同じものを相手にも感じてもらいたい感情で溢れてくる。
「えっへぇ!」
 サターナは剣を振り下ろす。
「トォウ!」
 シルバーXは切っ先を下に引きずるような弧を描いて、両腕の力と重心移動のパワーを刃に宿して振り抜いく。
 
 サターナの剣が根元から切断された。
 
 柄から離れた刀身は、勢いのままに回転を帯びて舞い上がる。
「トオ!」
 振り上げたサタンブレイドで再び踏み込み、今度は振り下ろすシルバーXの刀身が、サターナの肩を落とさんばかりに切り裂いた。
 
 ――びちゃり。
 
 と、そこから水でも噴き出たように、メイド服の繊維が裂けた傷口から、おびただしく溢れたものが岩場を汚す。
 斬られた部分がじわじわと熱くなり、痛みがやがて快感に変わる中、サターナは感覚的に自分の受けた傷の深さを理解している。相手がどれだけ勢いを込めたかの感じから、これはシルバーXからすれば、思ったよりも浅くて驚きのはず。
「……ちっ!」
 腕を落とせると思ったのに、想像以上に傷が浅い。やり損ねたことで顰められる表情がよくわかり、サターナはニヤニヤしながら刀身の落下を待った。
「少林拳をベースに自前の技を開発したのはお互い様」
 使えなくなった剣は捨て、すぐさま素手での戦闘に切り替えたサターナは、今度こそ切断されることなど恐れないかのように、平然と腕を盾にして斬撃を受ける。
「呼吸法による身体硬化はあなただってやるでしょう?」
 肉が断ち切れ、刃が骨に何ミリほどか食い込んだことを感じつつ、もう片方の腕のチョップで手首を打ち、その打力で握力を弱めてサタンブレイドを落とさせた。すなわち、骨まで切らせて武器を落とすカウンターであり、食い込んだ部位に捕らえてたった一瞬でいいから刃を停止させて叩いたのだ。
 赤い剣は地面に転がり、しかしシルバーXはその手を離れた武器の存在を惜しみもせず、初めからどうでもよかったように回し蹴りを放っていた。仮に慌てて拾おうとしたとて、そんな行動は状況を何一つ好転させないからだ。
 サターナは回し蹴りをしゃがんでくぐるがごとく、ただ一瞬の速度で転がり抜けるでんぐり返しのスピードで、極めて迅速のシルバーXの背後へ回った。
 背中と背中が向かい合う距離感は、約一メートル以上は開いている。
 あえて、そのくらいの距離まで転がったのだ――さきほどまで宙を舞い、くるくると落下していた刀身が、ちょうどいい高さにまで落ちてくる。
「タァ!」
 目当てのタイミングにニヤリとして、サターナは掛け声と共にキックを放つ。
 
 刀身がシルバーXの腹部を貫通した。
 
 あの斬られた刀身を利用して、ストレートキックで押し込むように突き刺して、実にちょうどよく腹を貫いてみせたのだ。
 ――快感だった。
 まるで水風船にぶすりと突き刺したかのような、柔らかい袋を破った感触が、刃を通じて足の裏へとよく伝わる。どれほどの痛みを与えただろうかと想像するに、サディストの側面が刺激されてか、沸騰せんばかりの精神的な高揚でサターナはますますハイになっていた。
「やや? やややや? もしかして勝っちゃった?」
 一生に一度の願いでも叶った幸せそうな笑顔をサターナは浮かべた。
 膝をつき、立てなくなったところを蹴り飛ばすと、力なく伸びきるシルバーXは、うつ伏せのまま死体のように動くことはなくなって、そこに血の円を広げていく。