第7話「狙われたパパ」part-E



 南条辰巳、五十五歳。娘の存在が生き甲斐の一つ。
 自分の子供がテェフェルなどという存在に関わっているをわかってから、心に浮かぶ気持ちはこればかりだ。
 ――ふざけるな、冗談じゃない。
 妻を失っている辰巳には、光希はその妻が残した唯一の宝物だ。だから実のところ、もっと早くに海外のアクション映画のオファーは来ていたが、せめて光希が中学生になるまでは、実に六年以上も期間を空け、やっとのことで日本から出て行った。
 自分が日本にいないあいだに、一体なんてことが起きていたのだ。
 娘を関わらせるわけにはいかない。隼乃の境遇は十分にわかったが、何も光希が隼乃を支えることはない。他にテェフェルの存在を理解して、隼乃に協力してくれる人物が、探せば必ず世界のどこかにいるだろう。
 とはいえ、光希にも気持ちの整理は必要だろう――と、ひとまずは家を離れ、光希を一人にさせたのは、もちろん我が娘の実力なら、戦闘員くらい倒せるに違いない。何も今すぐ引き離すわけでもない。今日のところはシルバーXもついているわけだろう。
 辰巳自身が山野剣友会の特訓を経て育っている。生傷など日常の一部。うちの子なら心配いらない、などと言い出す基準が一般家庭とは完全に異なっていた。
 しかし、ふと思い出す。
 
 そういや、他所の兄弟姉妹を羨ましそうに見てたことがあったなぁ……。
 
 随分と昔に遡るが、弟や妹がいて、仲良くしている光景を目撃すると、羨ましそうで悲しそうな顔をよくしていた。
 原因はわかっている。
 
「光希。お前はお姉さんになるんだ」
 
 妻が生きていた頃、妊娠がわかってから光希に告げた。
「弟か妹か。どちらかが生まれてきて、光希はお姉さんとしてきちんと面倒を見てやらなくちゃいけない。できるな?」
「うん!」
 幼稚園児の光希は元気に頷いたものだった。
 だが、現実には弟妹のどちらを生むこともなく、辰巳の妻は事件によって亡くなって、目の前で親の死を目撃した幼い光希は精神的な外傷を患った。
 それでも正面から光希に向き合い、時間をかけて立ち直るに至った光希は、どこか火を宿した瞳で、自分の方から教えを請うようになってきた。
 空手を教えて欲しい、柔道を、剣道を、他の武術を――もっと、もっと色んな技を。
 あれがやりたい、こんなことも出来るようになりたい、あんな技術が、こんな能力が欲しいという欲望がいくらでも溢れていて、光希は己の気持ちに忠実に従い努力した。
 朝起きればジョギングでスタミナをつけたがり、パンチやキックの素振りも勝手に始める。受け身を教えればそれも大喜びで練習して、柔軟性を鍛えるストレッチもよくやった。打撃の素振りは辰巳がよく見ていたから、フォームの悪さはその都度直し、幼いながらにキレの良い拳と回し蹴りを披露するようになっていた。
 逆立ちで歩くことなど小学一年の時には既に余裕で、宙返り運動だって身につけた。飛び降りスタントの真似をやりたがったのはさすがに止めたが、泣いてわがままを言ってくるので、大きくなったら必ず教えるという約束でやっとのことで言うことを聞かせたものだ。
 小学生の地域大会に出場して、空手で優勝メダルを取ってきた。
 柔道でも、剣道でも、合気道でも、出場さえすればメダルを取り、パタパタとした可愛い足取りで駆け寄っては、辰巳に見せびらかしてきた。
「お父さーん! 見て見て!」
 と、そんな具合に。
 小学校高学年で戦隊映画のオファーが出たのは、もちろん辰巳の娘ということも大きいが、敵怪人の能力で子供に変えられてしまうエピソードには光希の力が必要だった。肉体は子供になっても設定上は本当は大人であり、だから小さな体であっても平和のためには敵と戦う。そのこだわりが理由で、アクションに長けた子役が必要とされたのだ。
 他所の子役と違い、そもそもスタントやスーツアクションを夢見る光希としては、さも当然のように危険なアクションをやりたがり、使用する火薬の量をもっと増やせと言い出した。こんな温い殺陣じゃなくて、自分ならもっと激しく動ける、素早く格好良くやれると、その意気込みを監督やプロデューサーが買ってしまったおかげで本当に危険な撮影をやってしまった。
 やがて中学生になり、元からクラスでも背が高めだった光希は、成長期でますます伸びて一七〇センチを超えてしまい、顔立ちも凛々しく中性的になっていた。首から上だけを切り取れば、美少年なのか美少女なのかの判断には困るだろう。
 やがてとあるプロデューサーが言い出した。
 
「光希ちゃん。十六歳の頃の辰巳ちゃんそっくりだねぇ?」
 
 霧雨が好きだったという彼の企画が実現して、一九七二年の作品で新作映画の製作が決定してオファーが来るなり、やはりというべきか、凝りもせずアクションに次ぐアクションの連続を光希は望んだ。
 その時、光希は辰巳に言ったのだ。
 
「父さんって、私を強く育ててくれたよね」
 
 わざわざ撮影所ビルの屋上に呼び出して、二人きりの時間を作ってまで、光希は辰巳と話をしたいと言ってきた。何かと思えば、いつになく真剣な目つきをして、光希は心の内側を明かしてきたのだ。
「昔さ。母さんが亡くなった時、私は父さんに酷いことを言ったと思う」
「気にしてねーよ」
「私は気にした! 幼稚園の頃の記憶だけど、あれだけははっきり覚えている。私だって取り乱していたんだろうけど、あれがどれだけ酷いことだったか。後になって気づいたんだよ」
「そうか」
「それでも父さんは私を育てた! 私を強くしてくれた! いつかまた辛いことがあっても負けないようにって、そんな気持ちを込めてくれたんでしょう!?」
「お前……!」
 完全に胸を打たれた。逆に光希は気づいていたのだ。
 こうなると辰巳の方が泣けてきて、実を言うと泣き出すのを我慢した。
「私は父さんを尊敬している。父さんの役を引き継げることが誇りでならない! だから私は父さんに誓いたい! いつか私も、他の誰かに向き合って、今度は私が誰かのことを強く導いてみせる! 父さんから学んだ強さを広げていく!」
 そうだ。光希はそう言ったのだ。
 そして、何よりも、あの電話の中で早々に隼乃の名前を打ち明け、その時から辰巳は感じ取っていたではないか。
 
 ――それが一ノ瀬隼乃なんじゃないかと。
 
 怪人社会からの境遇で、最初は精神が不安定だったという隼乃にこそ、どんな辛さや過酷な思いにも負けない強さは必要じゃないか。
 だというのに、父親が光希と隼乃を引き離す? 本当にそれでいいのか?
 いや、しかし……。
 だからといって、娘が悪の組織と関わるなど……。
 だが、うちの娘なら……。
 
     ††
 
 何はともあれ、腹が減っては何もならない。
 龍黒県内にある高級ホテルの上階に、予約無しでも入れる部屋がないかと確認して、空きがあるというので部屋を取り、辰巳はその一室に寝そべっていた。仰向けでぼーっと、天井でも見ながら光希のことを思い出し、ここに来て迷いが生じて心が揺れた。
 どうする?
 いや、しかし……。
 という、辰巳の心はおよそそんな状態のまま止まっていた。
 このままではどうしようもない。
 よし、メシでも喰おう。
 そういうわけで、内線で食事の注文をした辰巳は、長らく待ったうちに、料理を運ぶメイドを部屋に迎えた。
 ん? メイド?
 どっかで見たか?
 このホテルは果たして、従業員にメイド服を着せていただろうかと、ちょっとした疑問に首を傾げるものの、腹の虫を鳴らした辰巳は、そんなことよりステーキを待ちわびる。
「お待たせ致しました。ご注文の品にございます」
 キャスター付きの手押し車に真っ白なシートをかけ、その料理の皿には銀色のドームカバーを乗せている。
 そのドーム型のフタが外されると――。
 
 白い煙が溢れてきた。
 
 そこに高級なステーキの形や香りは初めからなく、では皿に乗せてあるものは本当は何だというのか。そもそもドームの内側に煙は閉じ込められていて、フタの解放を引っ掛けにさらに大きく広がっているため、煙の原因になる物体を見ることすらできない。
「何ッ!? どういうことだ! そうかテメェ!」
 部屋全体を白く覆い尽くそうとしている勢いで、瞬く間に辰巳の視界を煙に染め、数秒とかからないうちに周りが見えなくなってしまう。
「えっへへへへへぇ! わ、た、し! サターナよ!」
 あの船で襲ってきた少女の声に戦慄して、咄嗟に身構える辰巳であったが、急にくらっと頭が揺れ、猛烈な眠気があることに気がついた。
「て、てめ……俺になにを吸わせた…………」
 異常なほどまぶたが重い。
 馬鹿な、寝ている場合じゃない。ここで眠りこけたらどうなる。寝ているあいだに誘拐されたら間抜けじゃないかと、死にもの狂いで自分自身に活を入れ、頬と叩いても意識を保とうとする辰巳は、それでも眠気に押されて膝をつく。
「おやすみなさーい」
 それが、辰巳の耳までまともに届く最後の音だった。
「ち……く、しょ……みつ……き…………」
 そうして、辰巳は睡眠の奥底へと引きずりこまれた。
 
     ††
 
 胸騒ぎがした。
 何故だかとてつもなく、何か悪いことが起こる予感がして、どうしてこんな気持ちになるのかもわからないままに南条光希は玄関の外へ出る。
「……ない」
 エックストライカーがないことで、隼乃が黙ってどこかへ行っていると知る。
 改造人間の聴力を思い出すに、まさかの予感に光希はすぐさま自分のバイクへ跨り、県内ホテルを目指して発車した。
 何十分か前、メールでどこのホテルの何号室かと父は伝えてきたのだ。
 闇雲に隼乃を探そうにも、手がかりもないのに走り回っても、無駄にガソリンを減らして終わるばかりである。ならば少しでも当たりをつけ、隼乃ならどこへ行くのか。そうだ、父さんは狙われたわけだから、父さんの泊まった部屋の近くにいるかもしれない。
 頭の中に地図を浮かべて、法廷速度を守った運転で、西地域から東地域へと渡るトンネルを通過する。このトンネルが初めてテェフェル戦闘員と遭遇した現場なわけだが、今回のところは何事もなく通り抜け、ほどなくして都会の道路に入り込み、交通量と信号の数に、その都度停車を繰り返しての走行となっていく。
 それでも十五分程度でホテルに付き、バイク駐車場に停めてから、光希はフロントめがけてガラス張りの自動ドアへと突き進む。
 
「光希! どうしてここに!」
 
 突如、隼乃の声。
 後方から小走りで追いつくなり、光希の隣に並ぶ隼乃は、視線が合うなりどこか複雑そうに顔を背けた。
「ここに父さんが泊まったから、今日中に話でもつけに行こうと思ってね」
「……そうか」
「私はきっと妹が欲しいんだと思う。ただの姉妹ごっこでもいいからさ。兄弟のいない私のためと思って付き合ってよ」
「しかし……」
 一度背けられてしまった隼乃の顔は、一向にこちらを向かない。
「そんなことをしたら親友に悪い?」
「…………」
 隼乃は何も答えない。答えてくれない。
 そのまま何の言葉もふらずにいると、ただただ沈黙ばかりが張り詰めた。
「ケンゲキスネークを倒そうと思ってる?」
 だから、さらに思い切ったことを尋ねた。
「……そうなる」
 小さな声で、やっと答えた。
 そうなると、隼乃はこれから光希の元共演者――正確には高神留美子だったものと戦う。隼乃を非難するべきではないし、脳改造のことも聞いてはいるが、あっさりと受け入れて気にせず仲良くできるかと聞かれれば、さすがの光希も沈黙する。
「隼乃こそ、ここにはどうして?」
 結局、話題を変えた。
「南条辰巳。光希のお父さんが標的だからだ。彼が改造人間となれば、まさしく私は光希の父親と戦う羽目になる」
 それこそがテェフェルの狙い。
 洗脳、改造といった手段があるから可能な、人の人生を弄んでまで行う、最高レベルの残酷な嫌がらせとでも言うべきだろう。
「だから勝手にどこかへ行こうとしたの?」
「……そうなる」
 隼乃から借りたエックストライカーをガレージに置いていた。そのエックストライカーが音もなく消えていた。エンジン音が鳴らないように、気づかれないようにわざわざ手押しで移動してから、意図的に消えたのだろうという推測が成り立つ。
 どうやら、光希の想像は当たっていたらしい。
「私は……」
 隼乃の声が、どこか震えていた。
「私は親友を失っている。心の繋がっていた相手が消えて、これは精神の欠損だ。欠けた部分を埋め合わせたくて仕方が無かった。そこに光希がいた。それが私の気持ちだ」
 二人の足は自然と進み、自動ドアを超えてフロントへと、受付を通ってからのエレベーターで辰巳の泊まる階のボタンを押し、目的の階に止まるのを静かに待つ。
「私も似たようなもんだよ。本当は弟か妹がいたはずなんだからね」
「だけど結局、私が本当に好きなのは滝見零だ。もしも零が生きていて、元気な顔を今すぐに見せてくれたら、私は零の元へさっさと移る。私などそんなものだ」
「いいよ。その時は私も滝見零と仲良くなるから」
 二人並んで、廊下を突き進んだ。
 早足でさっさと、どこか一刻も早く部屋に行きたいかのように、二人して同じ速度で歩む中、お互いに顔も見ずして口は動いた。
「寂しがりか」
「隼乃に言われたくない」
「私が味わうはずだった別世界の孤独を光希も一度体験していみろ」
「そういう自分は大して体験しないで終わっている。せいぜい二・三日とかでしょ」
「うるさい」
 部屋番号を見るに、そこでようやく二人の足は停止して、二人の手が同時に一つのドアノブへと伸ばされる。
 そして、手と手がぶつかる。
 光希と隼乃は顔を見合わせ、お互いに手を引っ込め、そのままどちらがドアを開こうとすることもないままに、二人は何かと言い合った。
「だいたい、父さんが来るって時にいなかったのはどういうわけ」
「その事情は話したはずだ」
 そんなことはわかっている。本気で怒ったわけもない。
 だというのに、どうしてだか、今になってどうでもいい文句を言いたくなった。
「そうかもしれないけどねぇ?」
「光希こそ、だいたい私は高神留美子を殺すんだぞ? もしも南条辰巳が改造されれば、光希の父親も殺す! なのに私と光希で仲良しごっこができるものか!」
「やってみなきゃわかんないでしょ?」
「何故そこでチャレンジ精神を発揮する!」
「はっきり言うけど隼乃はコミュニケーション能力低いでしょ?」
「だったらどうした!」
「私の方が上なんだから何とかなるって!」
「まるで意味がわからんぞ!」
「わからない? 私の寛大な精神が」
「頭がおかしいの間違いじゃないか」
「うるさい。脳改造」
「それは冗談にならん」
「はいはい。ごめんねぇ?」
 誰かとこんなに言い合ったのは、いつ以来になるだろうか。
 自分で言うのもなんだが人付き合いは好きな方で、誰かに話しかけるのには躊躇しない。間違っても友達を作ろうとする勇気が出せないタイプではないのだが、いざ仲良くした相手がイジメを受けた話は実は事実だ。
 中学一年のあたりになるが、何となく気が合って、意気投合した子がいたものの、その子は普段は大人しいタイプというべきか。慣れ親しんだ相手にだけにペラペラ喋り、慣れていないと途端に静かになってしまう。懐いた相手としかやっていけないタイプであった。
 小学校の時点でその子はイジメっ子に近い連中に侮られ、いざ光希と仲良くなるに、本当にイジメになって、当時光希はイジメをやった連中を問い詰めた。
 結局、人気者に媚びへつらって取り入った――かのように思われたのが原因だ。真実など関係なく、イジメっ子からすれば自分より格下の人間が光希と仲良しなのは気に入らない。イジメっ子の頭の中では、だからそういうことにされてしまう。
 顔立ちやスタイルの良さで、望む望まざるに関わらず注目を集めてしまう光希は、その時からクラスメイトとの距離感についてよく考えるようになっていた。
 今では浅く広くの付き合いで、たった一人の相手と深く、ということがここ数年なくなっている。そんな光希の前に、別世界から来たので学校に通っていない、気にする必要のない隼乃という存在は、つまるところ光希の条件に一致していた。
 人の心には色々な形があり、まるでパズルのピースのようにして、自分の形にぴったりと寄り添う相手が、世界のどこかに存在するものなのだろう。その心の形というのは、どんな家に生まれてどんな育てられ方をして、学校にはどんな友達がいて、先生がいて、という風に少しずつ形成され、歳を取るにつれて変形しにくくなっていくものなのだ。
 怪人社会で育った隼乃と、母親の死や山野剣友会の稽古を背景に育った光希は、そうやってお互いのピースの形がぴったりはまる人間になっていたのだ。
 一度でもピースとピースが繋がれば、もう心が繋がったように感じてしまう。
 それが後から千切れれば、手足に代わる精神的な欠損だと感じてしまう。
「改めて言っておくぞ」
 隼乃がドアノブを掴んだ。
「もしもの時は私が光希の父親を倒すことになる。親を失わせ、そのことが心にも欠損を与えることになるだろう」
「だろうね」
「それでなくとも、ケンゲキスネークは既に殺すと決めている。それでもいいのか」
「もしも私の心がそれで荒れたら、納得がいくまで喧嘩して、あとで仲直りすればいい」
「無茶はしなくていい」
 隼乃はドアノブを回し、鍵がかかって開かないことがわかると次には、なんと改造人間の腕力を活かして力ずくで開けてしまった。
 後で弁償するのだろうか、どうするのか。
 しかし、それ以上に気になる問題がそこにあり、ドアノブが壊れてぶらりと揺れるドア板から、すぐにでも光希の心は離れていった。
 
 ――父さんがいない。
 
「テェフェルに先を越されたらしい」
 かなり険しい顔で、隼乃は重苦しく呟いていた。
 その時――。
 
 シャワールームの中から実に堂々と、髪を洗って着替えまで済ませた直後の様子で、メイド姿で悠然と出て来る少女がいた。
 
「はぁーい! はいはーい! 先越しちゃいました!」
 
「サターナ!?」
「貴様っ!」
 
 光希が、隼乃が、同時に格闘の構えを、呼吸法の準備と必要な脱力にかけてまで、ありとあらゆる戦闘態勢を一瞬にして、サターナの顔を見ただけで整えていた。