第8話「BLACK!!変身」part-A



(前回までのあらすじ)
 
 船で帰国するという父親との待ち合わせで、港まで来ていた南条光希は、船が到着しても一向に父が姿を見せないことに不安になる。一ノ瀬隼乃の調べにより、なんとテェフェルに狙われていたことが判明した。
 巻き込まれたことでテェフェルの存在について知り、娘の身を案じた辰巳は、隼乃と友達にいることに反対する。改造人間の聴力がため、その言葉を遠くから聞いてしまった隼乃は静かに去ってしまうものの、辰巳の泊まるホテルでばったりと鉢合わせる。
 なし崩し的に、二人で父の部屋へ向かうが、そこに父の姿はなかった。
 そこにいたのは――。
 
     ††
 
 明らかに風呂上りのサターナは、どこか髪をしっとりさせ、戦闘で傷ついたメイド服も新品に着替えている。シルバーXが少しは与えたダメージも今はなく、完全に綺麗な姿で二人の前に立っていた。
「女の子の部屋の押し入るなんて、いっけないんだー!」
 ちょっとした意地悪に怒った程度の、頬を大きく膨らませた可愛い顔は、相手がサターナでさえなければ、仲良し同士でじゃれ合うノリで、さらにちょっかいを出したいところだ。
 しかし、どこにでもいる普通の女の子がやりそうな、クラスでも明るい性格の振る舞いは、この状況からしてみれば異常である。
 南条光希は目の前の『怪物』を敵と看做して、本気でかからなければ死ぬのは自分だとさえ心得て、殺し合いの覚悟をどこかで固めて構えているのだ。当然のように隼乃も同じ覚悟で構えを取り、サターナの邪神少林拳に備えている。
 サターナを殺す意思の持ち主を二人も前にしているのに、それにしては無邪気すぎた。
「だめだめ! 笑顔笑顔! そんなに怖い顔してたら、せっかくの綺麗な顔が台無しだよ?」
 こうやって笑うべきだとお手本でもしめすがごとく、サターナは二本の人差し指で、自分の唇を両側がらグイっと押し上げ、顔だけなら天使の笑みと言わざるを得ない笑顔を見せる。
「父さんをどうした!」
 光希は怒鳴る。
「うーん。私の口から話せるのは、既に二人とも知っていることだけだよ? これから改造手術を受けて、脳改造で元の人格も消え去って、その手で最愛の娘を殺したりするの! とても素敵だと思わない?」
 そんなことをサターナは、ロマンチックな恋に憧れる乙女のような、どこかうっとりと目を細めた表情で、夢に思いを馳せるがごとく両手まで握っていた。
 本人は本気でロマンチックと思っていそうなところにゾっとする。
「あ、そうそう! ここで喋らないでおこうかなって思うのは、やっぱりどんな改造人間になるかってことよねー。だって、鳥なのか昆虫なのか。どういうタイプか事前に知ったら、二人とも対策するでしょう? それに、直前まで姿がわからない方がドキドキしない?」
「隼乃! 私はこいつを許すつもりはない! 今ここにいるのが、たとえ一度は戦い、優勝を争ったラニャ・ユアンだとしてもだ!」
 タイの地域大会で一度だけ戦って、出会ったのはその一度きりという、知り合いとしても関係が浅すぎる相手と言えばそれまでだが、光希が伝えたいのはそんな意味のことではない。
 もし自分なら、どう思う?
 改造手術で人格も消え去って、顔と肉体だけが怪人の器として残される。南条光希の形をした別人が人を殺し、まして子供でさえも恐怖に晒すとしたら、そんなことが起きるまでに一刻も早く止めて欲しい。
 都合よく元に戻せるのならそれもいい。
 しかし、そんな言葉を隼乃が一度も出していない上、まさか光希に科学技術があろうはずもない。覚悟を決めるより他に道はなく、そうしなければ誰かが被害に遭わされる。一度きりの思い出はねじ伏せ、とにかく合理的な結論に踏み切った。
 
     ††
 
 サターナの中にラニャ・ユアンは存在しない。
 強いて言えば、脳改造の際に脳にある情報を利用して、闇の部分を拡大させ、洗脳チップとの相乗効果で新しい人格に書き換えている。だからあくまで別人であれ、ラニャ・ユアンだった頃の名残りだけならありはする。
 ラニャだったころの記憶はない。
 だから、サターナ自身は覚えていない。
 それはもう、世界のどこにも存在しなくなってしまった記憶の情報……。
 小さい頃、アリを分解するのが趣味だった。幼稚園児なら誰でも一度はやるのだろうが、大きくなるにつれて、だんだん大きな虫を対象にしていき、ついには小動物を殺すようになっていた。
 何故なのかはわからない。
 とにかく、自分の手で傷つけると、怪我で動きが不自由になっていき、殺せば動かなくなることが、何となく面白かった。羽をむしれば飛べなくなり、足を千切れば歩けない。次はどんな生き物を動けなくしてみようと、宝探しのように獲物を求め、とうとう猫を殺すまでに至っていた。
 その事実に気づいた父親は、信じられない怪物を見る目でラニャを見て、ラニャはさすがに大きなショックを受けたのだ。
 ラニャについて親同士で話し合い、結論としは道場に入れることになった。
 歪んだ性癖を叩き直してやるためには、どこか厳しいところに放り込み、精神を鍛えてやることが一番ではないだろうか。どこか古めかしい根性論と言えばそれまでだが、ラニャの住んでいた地域の近くには、捻くれた子供を鍛え直すことで有名な道場があったのだ。
 放っておけば将来犯罪者になるのではと、本気で悩んでいたこともあり、だから住み込みで修行を行う場へとラニャを預けた。
 そして、そうまでしないといけないほど、自分はとても悪い子なんだと、幸いというべきかは微妙だが、ショックで悩むだけの人間性がラニャにはあった。とてもとても悪い子だから、修行を終えて立派になるまで、もう両親には会えないのだと、深刻に捉えていた。
 母親は入院している。
 重い病気で普通の生活が出来ないため、点滴を受けながら基本は寝たきり、少しばかり外を散歩することだけが唯一の運動という状態だ。治せる医者はいるらしいが、高い手術費を払えるほど裕福な家庭ではなかった。
 
 ――パパに会いたい。ママに会いたい。
 
 最初はそんな気持ちで、道場から外の世界へ戻るため、頑張っていたと思う。
 長い長い、地上からでは頂上が見えないほどの果てしない階段で、上るだけで肺も脚の筋肉も死に絶えるようなところを何往復も繰り返す。ロープを結んだ綱渡りに何度も落ちて、痛い思いをしながら向こう側に渡りきるまでやり直し、基礎の筋力トレーニングも当然のごとく門下生達を苦しめた。
 けれど、ラニャはそれらを耐え抜いた。
 将来は格闘家になりたい志願者だった男の子達が、あまりの辛さに脱落者となって帰っていく中で、悪い子だから放り込まれたラニャには、良い子になるまで帰ることは出来ない、帰ってはいけないのだと、自分を縛る気持ちがあった。
 良い子で立派に、強くなった自分を見せるため、ラニャは一生懸命だった。
 ただ、潜在的に気づいていた。
 喉が裂けそうなほど走り込んだり、筋肉繊維が死滅するかと思うほどの特訓で、辛い思いをすればするほど、それらは成果になって返って来る。呼吸法の指導の末、意識せずとも武術呼吸法が出来るようになっていて、足腰の訓練のおかげで歩法による身体運用も驚くほどスムーズになっていた。
 だから、辛いって凄くいい。もの凄くいい。
 辛い思いで得た力を駆使することで、相手を動けなくしてやれる。単に試合のルール通りに、フェアな戦いの中で痛めつけ、膝をつかせてやるという意味ではあるが、それにしたって痛みを受けたり与えたりするのは気持ちが良かった。
 相手のパンチが体に当たると、その痛みでパワーが読める。重心の乗り方で身体運用が上手いかどうかも、だから相手はどのくらいの経験者で、強いのか弱いのか。全てを皮膚感覚が読み当てる。
 痛い思いによっても得られるものがある。
 ラニャはしだいに喜んで苦しみを味わうようになっていた。大喜びで立てなくなるまで走り込み、筋肉が疲れきるまで型の練習、足腰が悲鳴を上げるまで歩法の練習、練習、練習……。
 一の努力を一の辛さとするのなら、百の辛さで百の成果が手に入る。辛い思いがどんどん成果の報酬とイコールで結びつき、ラニャはみるみるうちに技を磨いた。磨いた技で試合に臨んで、今度はラニャが相手を動けなくしてあげるのだ。
 テスト勉強と違い、努力の結果は明確な数字にはならない。
 試合や稽古での勝敗こそ、最も修行の成果を実感させてくれていた。打撃を浴びて動きが鈍り、最後には立てない相手を見ると、あらゆる意味で喜びが沸いたのだった。
 試合に勝って嬉しいのは当然で、礼儀作法に厳しい道場であるから、試合前や試合後の礼の作法も学んでいる。
 勝てば喜び負ければ悔しい。勝っても負けても、一つ一つの試合に関して生真面目に反省して、ああすればもっと上手に勝てた、こうしていれば負けなかったと頭の中に試合の流れを思い返す作業にも余念が無い。
 外側からは、熱いスポーツマンシップの持ち主か何かにしか見えなかった。
 ラニャ自身でさえ、試合に勝つことの喜びが、かつて生き物を傷つけ動けなくしていたことの楽しさの、歪んだ性癖の変形であることには無自覚だ。
 真っ直ぐで熱い精神の持ち主へと、ものの見事に成長を遂げたものとして、誰もがラニャを良い子と評していた。結果としては矯正されたも同然で、二度と猫を殺すことはなく、真っ直ぐな人間として人生を歩んでいき、老後の果てにその命を終えるはずだった。
 だが、ラニャは地域の格闘大会に出場してしまった。
 順調に勝ち進み、決勝戦で当たる南条光希が、いかに山野剣友会で鍛えられた人物で、しかも親の血統にも恵まれた天才なのか。せめてアクションスターの娘と知っていれば、負けた言い訳もできただろう。
 全く経歴がわからない、格闘の世界で有名だったわけでもないポッと出に――負けた。
 ラニャにとって、優勝賞金で母親の手術費を手に入れたい、どうしても負けられない試合でもあり、人生で最も悔しい敗北となった。
 パパとママを喜ばせるはずだった。
 物心ついた頃から、パパと一緒にいる時間が長くて、ママとの時間は限られていた。自分が勝てば二人は一緒で、家族そろっての時間が増える。そのためのお金を稼ぐんだと、道場で良い子になっただけでなく、親孝行までしてみせるんだと張り切っていた。
 その上での敗北に、ラニャは大きな声で泣き叫んだ。
 本当に涙が止まらなかった。
 精神的に立ち直るまで、実に数日以上は何をやる気も起きず、引き篭もり、いつまでも暗い顔をしたままやっとの思いで外へ出た。
 それでも、優勝できなかったラニャのことをパパは本当に嬉しそうに抱き締めて、たくさんの言葉をかけて励ましてくれたのだ。
「よくやった」「本当によく頑張ったな」「凄いぞ? ラニャ」「自慢の娘だ」「お前なら次は優勝できる」「よくここまで育ってくれた」「パパの誇りだ。みんなに自慢してやる」
 今度は嬉しくて涙が出た。
 力強く抱きついて、その日もずっと、ラニャは泣いてばかりいた。
 また修行に励むようになり、次の大会では必ず勝つことを目標とした。出来ることなら再び南条光希が現れて、リベンジを果たすチャンスが来てくれればとも願っていた。
 しかし、数年に一度しかない大会の、開催時期はまだ遠く……。
 
 ラニャはテェフェルに誘拐された。
 
 その時から、ラニャ・ユアンの人生は終了して、その代わりにサターナの人生が始まった。
 人格というものは、赤ん坊としてこの世に生まれ、育てられ、色んなものを見て経験していく中で形成される。どんな趣味で、将来の夢は何なのか。生まれた瞬間からプロフィールが決まっているなどありえない。
 それがサターナの感覚では、生まれた瞬間から決まっていた。
 生まれつき格闘術のセンスが磨かれていて、性格も初めから存在した。ラニャ・ユアンの脳と肉体を素材にして、別の生命体として造られたサターナは、ベースとなった精神を悪性化させたものと言えるだろう。
 サターナの持つ性癖が、いかにラニャの古い歪んだ部分を引きずり上げ、途方もなく膨張させたものなのか。もちろんサターナには自覚がない。
 タイ在住だった老師の、タイの地に開いていた少林拳の道場で、その老師が独自に開拓した流派を学び会得した技でさえ、サターナにとっては生まれた頃から既に使える技だった。
 ラニャ・ユアンは存在しない。
 あくまでも、元々の肉体にある記憶と能力から、改造手術の過程で都合の良い部分だけをサターナに反映させたに過ぎないのだ。
 
     ††
 
 南条光希は真っ先に狙われた。
 サターナの足腰に動きが見え、来ると感じた直後には、実に数メートル以上離れた距離から一瞬にして、まるで急に突風が吹き抜けてくる勢いで、まず最初のパンチが放たれていた。
 来るに違いないという予感一つで、勝手に体が動いていなければ、今の一撃で光希は瞬殺されていたことだろう。辛うじて避けてさえ、頬を削らんばかりの風圧が、衣服の隙間にさえも痛いほどに突き刺さった。
「あら? すっごーい!」
 かわされたところで、特別な驚きを見せるでもなく、気にせず次の一撃を放ってくる。
 視認さえできない、感じることが出来るのは風圧だけのハイキックが、かかと落としが、ストレートパンチにフックに、ジョブのラッシュと、休む間もなく嵐の勢いで迫り続けて、光希はそのことごとくを事前に予知でもしていなければならなかった。
 サターナの動きは速すぎてて、いくら動体視力が良くても改造人間相手に役に立たない。もはや目に頼るのはやめた。やめざるを得なかった。自分はこう動いているのでこう来るに違いないと、極限まで正確に磨いたイメージで、未来を想像しながら動かなければ、この場で一秒以上生きていることは不可能だ。
 光希にばかりかまけることで、半ば放置されている隼乃が、チャンスとばかりに背中を狙う。
「トォウ!」
「ん? ちょっとどいてて?」
 さも虫でも払う気持ちで、隼乃の鋭い回し蹴りの足首を掴んで振り回し、どこぞへと投げつけるなり隼乃の背中は壁に叩きつけられていた。
 それでいて、その一瞬でさえ光希には気を緩める隙も無い。
「光希ちゃんは改造人間じゃないから、弱いかなーって思ったけど、そうよねぇ? 別に当たらなければいい話よねぇ?」
 右腕のパンチをかわせば、逃げた身体を追跡するため、左足のキックが来る。下手な避け方はサターナに動きを誘導され、ある一撃を計画的に叩き込む流れに落とし込まれる。これはそういう誘導に違いないという、そんなことにさえ注意を払っていなければ、既に何回殺されている計算になることか。
「じゃあじゃあ! これはどう!」
 光希が次に見たものは――。
「何ッ!?」
 見たものは、拳銃だった。
 
 パァン!
 
 平手で強くものを叩いたような、鼓膜を破きかねない大きな音が鳴った時、光希はかつてないほど青ざめて、銃弾でさえかわせたことに心底ホッとしているのだった。
 ボディフェイントで誘導して、関係のない方向に撃たせたのだ。
 拳銃の扱いなど知らない光希でも、漫画やアニメに登場する銃くらいは見てきていて、移動する的に当てるためには、実際よりも少し先を狙うくらいのことは知っている。ならば右へ動こうとするフェイントに引っ掛ければ、銃口が右寄りになり、あとは逆サイドに飛び退けばかわせると、自然とそういう反応が出来ていた。
 ヒーローショーで銃器を持つ怪人を相手にした経験のおかげで、銃器相手の立ち回りに関して少しでも想像力があったおかげで助かった。さもなくば銃を見てびっくりして、そのまま心臓を貫かれて終わっていたことだろう。
「えぇ? すごーい!」
 そして、かわされたことさえサターナは喜んでいた。
 
 パァン! パァン!
 
 袋の破裂する音にも似て、今度は二発の銃声が響き渡って、冗談でなく死ぬ思いをしながらボディの角度を駆使してかわす。一発は狙いが逸れてくれるも、次で素肌のすぐ傍を、あと一センチもずれていれば当たっていたであろうギリギリに弾が抜け、ゾッとした。
「フェイント上手すぎ! 見ながら撃つとどうしても変な方向撃っちゃう!」
 サターナはそんなことを言いながら、思いついたように大胆に目を瞑る。
「見ないで撃った方がいいのかなー?」
 冗談じゃない。光希にとってはその方がかわせる可能性が落ちてしまう。考えてもみれば改造人間、音だけで居場所を探り、あとは見ないで撃つというのは、フェイントにかからないためには十分すぎるほど合理的だった。
 
「トォウ!」
 
 シルバーXだ。変身していた隼乃は空中から、鋭い速度のキックを放つが、サターナは「ふふん」と笑って地面を蹴り、後方数メートルにまで飛び退いていた。
 
 パァン! パァン! パァン!
 
 三発の銃声。
 シルバーXには避けようとする気配が初めからなく、平手を前に突き出していた。指の隙間が狭くて通れなかったようにして、一発ずつ指に挟まり、それを見てやはりサターナはテンションを上げるのだ。
「あらぁ? これって一応、改造人間にも効く銃なのに、全然ダメねえ! それともドレスアップシステムがすごいのかしら!」
 サターナは嬉々として銃を捨て、やっぱり素手が一番とばかりに駆け迫る。
 
 ドスン!
 
 と、床にボウリングの球でも落としたような重々しい踏み込みの音で、サターナの足元には亀裂が走る。身体を落下させるイメージで、足首で高く全身を持ち上げて、あとは地面を踏み抜くほどに重心移動で威力を上げた。
 それほどパワーを重視しても、腕力的にはあっさりと、シルバーXはサターナのパンチを絡め取る。手早く脇下に挟み込み、肘間接を破壊し折り曲げた。
「いやーん! 折るなんて大胆! シルバーXちゃんたら激しすぎ!」
 糸を垂らしたようにぶらんと揺れ、あってはならない状態に腕はあるのに、どういうわけか朱色に染まり、乙女の仕草で頬に手を当て、照れ臭そうな素振りを見せる。
「そんなに嬉しいのならもっと壊してやる!」
 シルバーXはサターナの背中を取り、いつのまに足まで蹴って浮かせてやり、両足で踏ん張る道を奪い取り、うつ伏せに押し倒そうとしているのだった。パワーはシルバーXが上であり、組み伏せた状態でもっとたくさんの骨を折るためだ。
 しかし、サターナは腕を真っ直ぐ伸ばして手を着いた。
 かなりの勢いをがかかり、背中にシルバーXの体重までかかっているのに、それを腕一本で支えるなど、普通なら怪我は避けられない。改造人間だから可能な対応に違いなかった。
 結果として、サターナはうつ伏せで背中に乗られる状況を回避。手で床を押すことで、倒れ方をコントロールして、両者横向きになって肩をぶつけた。
「光希!」
 光希はサタンブレイドを投げ渡された。
 くるくるとした回転を伴って、ちょうど柄が手に収まり、光希は赤い刀身の剣を構える。
 寝技と寝技、シルバーXとサターナの駆け引きは、腕力で劣り片腕も折られたサターナの方が不利な流れで、シルバーXはサターナを羽交い締めに無理矢理立たせた。
 そこへ光希が斬りかかる。刃が皮膚に食い込んで、丈夫な皮袋から血を引きずり出す感触が手に伝わる。
「やーん! 服が脱げちゃう!」
 腹が真横に、上半身が縦向きに、十字に沿って繊維の裂けたメイド服から、布の白い部分に赤色が広がって、サターナはまんざらでもない顔をしていた。
 改造人間に生身の技は通らなかった。
 しかし、サタンブレイドはよほど特別な切れ味らしい。人体を刀で切断するには、実際にはかなりの腕力がいる。それがサタンブレイドなら、軽い力で岩を切断できそうだ。軽量で扱いやすく、かつ何でも斬れる切れ味だった。
「あーん! いいわぁ! 二人にも私の今の気持ちを教えてあげる!」
 邪神少林拳の極意が始まった。
 傷つけば傷つくほど、あるいは相手を傷つけても、サターナは精神的に興奮する。ハイテンションになるほどパワーもスピードも上がっていき、身体の損傷などまるで無視して本領を発揮する。
 身体を巡る『気』と、精神とは密接に繋がっており、傷や痛みに反応する精神性から、サターナは身体運用を行うのだ。
 光希はそれをひしひしと感じていた。
 無の境地によってパフォーマンスを発揮していくのはよく聞く話でも、サターナの場合はより相手を傷つけたい気持ちによってそうなっている。自分の性癖を自覚して、内心では傷つきたがってさえ見えた――それはきっと、相手を動けなくしてやるため。
「傷口がね! すっごく熱いの! こんなに熱くなったら好きになっちゃう!」
 小柄というか、一般的な女子の身長しかないサターナは、高身長なシルバーXに対して飛ぶような頭突きで顎を下から打ち上げる。ついでの肘打ちで筋肉を一瞬弱らせ、ただの〇.一秒だろうと腕力の緩んだシルバーXから、上半身を落下させんばかりの勢いで素早くしゃがみ、拘束から逃れてみせた。
「でもこれは不便ねぇ?」
 折られている腕を掴んで、「よいしょ」と、可愛く一言つぶやきながら、本当に軽い気持ちで曲げ直し、力ずくではめ込んでいた。
「よーし! 光希ちゃん! 私のラブを受け取って!」
 サターナは光希を殺しにかかっていた。
 剣によるカウンターで、いくら傷が増えようとも、自分のダメージに気づいてすらいない夢中ぶりで、光希を殴ろう殴ろうと拳法の型で攻めてくる。足技で身体が左右にブレ、右か左かどちらに動くか想像がつかなくなり、ただ一瞬でも迷った隙にどちらかからの突きが迫り来る。
 無理に受けることは捨て、完全に避けきるばかりを目標にしながら、避けたついでに少しずつ刻んでいくも、腕に切り傷が増えるにつれてパンチスピードは上がっている。キックスピードも上がっていく。
 このままでは――。
「えい!」
 ある一撃で、サターナは剣の側面にチョップを打ち、改造人間の腕力によって光希のサタンブレイドは打ち飛ばされた。
 丸腰になった光希目掛けて、腹の中央を貫通するための一撃が放たれて――。
 こうなれば一か八か。
「トゥア!」
 光希はサターナの技を真似ていた。
 
 サターナのストレートパンチがぐいんと、急激に方向を曲げ、それにつられて足腰までバランスを崩していた。
 
「え? えぇ!?」
 一瞬だけ浮かぶ、虚を突かれて目を丸めた表情は、直ちに嬉々としたものへと変わり、ますます喜んでいるようだった。
 今起きたことを確かめようと、真っ直ぐの拳が来て、光希はサターナの腕に手を沿える。直進方向にある力の流れを、川が二つに分かれるイメージで枝分かれさせ、その一部を自分の内側に取り込み、自分のエネルギーとして練り上げる。即座に返し、足腰の力まで乗せた方向変換のテクニックは、傍からすればワンタッチでパンチを逸らして見えるだろう。
「すごいすごーい!」
 また再び、三度、四度、パンチというパンチが繰り返され、サターナは自分の技が真似され続けることを喜んでいる。自分のパンチを逸らしてもらうこと自体が、まるで遊びの一種のようだった。
「でも無茶はしない方がいいんじゃない? 光希ちゃんは改造人間じゃないんだから!」
 その通りだ。
 改造人間と通常の人間で、まして相手はサターナと来れば、いくらなんでも肉体の強さには格差がありすぎる。男女による筋力差の比ではない。光希の手の平には、指貫グローブの内側には、皮膚の擦り切れた痛みが一回おきに溜まっていき、繰り返していればいつしか皮が剥がれることになってしまう。
「トォウ!」
 背後から、側頭部を破壊しようとしたシルバーXの回し蹴り――サターナは後ろを見ようともせずに腕で受け、ニコニコと自分に入ったダメージについて語り始める。
「ねえねえ、今のでヒビが入っちゃった! 血管は破れて筋肉も痛んだの! 痛くて痛くてすごく熱い! もうホント凄い!」
 その直後だった。
 
 サターナの姿が一瞬で消失した。
 
 急に風だけを残して、ともすれば初めからここには立っていなかったと、そんな錯覚さえ抱きかねない。抱いている場合ではない光希は、消えたことを悟った時にはとっくの昔にサターナの姿を目で探し、シルバーXも同じく探していたのだが、光希はさらに驚愕した。
 
「ちゅっ!」
 
 ほっぺにキス、だった。
 大好きな人に飛びつくような、背伸びして頬の高さに自分の唇を届かせる、いかにもイチャついたキスのやり方で、柔らかな唇の感触と、潤いによる湿気の名残りが頬に残った。こんなことをするチャンスをキスに使い、光希を殺す機会を投げ捨てたのは、ただただ気まぐれに過ぎないのだろう。
「何のつもりだ!」
「えっへへー!」
 振り払うより、さっと逃げていく方が遥かに速い。
「光希!」
 喜んでやまないサターナの前に立ち、シルバーXは光希に言う。
「……父さんを助けに行け」
 かなりの躊躇いを含みつつ、シルバーXは光希に告げた。
「ローズブレスに情報を送る。それに従い、ブラックルーザーに乗って行くんだ」
 そう、光希の父が改造手術を受けかねない。
 この緊急時において、二手に分かれるのが合理的なのは当然だ。シルバーXが行こうとすれば、サターナは間違いなく追ってくる。シルバーXが残って光希が行けば、サターナを食い止められる。考えるまでもない割り振りだ。
 だが、ケンゲキスネークがここに姿を見せない以上、もしやあの怪人は、南条辰巳を連れ込んだ基地にいるかもしれない。万が一にも戦う羽目になれば、光希に残る父親救出の方法は一つだけだ。
 きっと隼乃は望んでいない、あと一歩のギリギリを超えてしまう最後のライン。
 しかし、そもそも父が改造人間に、それも怪人になるくらいなら、光希は心のどこかで覚悟を決めてしまっていた。
 いや、こんな自体になる前から、既にテェフェルが許せなかった。
「信じてるよ。一ノ瀬隼乃。仮面プリンセスシルバーX」
 そう言い残し、光希はホテル内から駆け去った。
 シルバーXとサターナの戦いはそのまま続き――。