第8話「BLACK!!変身」part-C



 スーツアクションの存在を生まれた頃から知っていたような気がする。
 本当はきっかけを覚えていないだけだろう。
 しかし、物心ついた時には初めからそういう仕事の存在をわかっていて、テレビのヒーローが実在すると思い込んだ時期は一切なかった。ただそれでも、着ぐるみの中身はヒーロー役の俳優とは別人なのに、見ている分にはきちんとした変身者が中にいるとしか感じない。
 それに、何よりだ。
 アクションが格好いい。
 あんなに格好良く見せることができるだなんて、着ぐるみの中にいる人達はとても凄い人達なんだと、実は初めから憧れていた。ならば当然のように体を動かすことに興味を持ち、習い始める前から空手の真似事で遊びでパンチの練習をやっていた。
 お父さんとお母さんに山野剣友会の見学に連れて行ってもらってから、少しずつ体力をつけることから始め、受け身の取り方も教わっていた。
 何歳頃だったか。
 お母さんのお腹が大きくなって、「お姉ちゃんになるんだぞ」と、そんな風に言われて赤ん坊の生まれる日をどこか楽しみに待っていた。弟か、妹か。どちらだろうと、どこかでその日を待ちわびていた。
 お母さんの死は突然すぎた。
 ねっとりとした気味の悪い眼差しの犯人に狙われて、恐怖で全身が凍りつくや否や、次の瞬間には目の前にお母さんの背中があった。
 ばったりと倒れ、呆然とする前で、今度は怒り狂ったお父さんが犯人を押し倒し、何度も何度も、唇から血の飛沫が散るほどに殴り続けた。
 何もかもが恐怖でしかない。
 本当に怖くて怖くて、だからその人を殴り殺さんとする姿に思わず矛先を向けてしまい……。
 
 しばらく、光希は心が壊れていた。
 
 幼稚園児の精神がそれで正常を保てる方がおかしい。硝子細工が砕けたように、形もなくなった心のため、光希は精神治療の場所に通っていた。
 お父さんとは何日も会うことなく、カウンセリングのお姉さんや精神科医のおじさんに、それぞれの理由で他の心を壊した同世代の子供としか接することはなくなった。
 まずは壊れきった状態から立ち直り、やっとのことでお母さんの死を受け止め、大泣きしてから、専門家の助力で心の整理がついてきて、お父さんの気持ちもわかってきた。お母さんを奪ったものが許せない。本当に悪い奴だったから、あれだけ怒って殴り続けたんだ。
 お父さんには酷いことを言ってしまった――でも、怖かった。
 ようやく治療が必要なくなり、またお父さんと暮らしても、あの時の気持ちはどこかに残り続けていた。歳を重ねるにつれ、物事の分別がついてくるほど、光希は過去の自分の言葉を悔やみ、どうしてあんなことを言ってしまったのだろうかと、実は今でも思っている。
 お父さんがマスコミの心無い報道に苦しめられ、それに乗じた汚い声に悩まされていたことも、小学生に上がった後から知ったことだ。
 そんなこと、お父さんは自分の口から一言も言っていない。自分達はとても辛い目に遭った。だからまた同じぐらい辛いことがあっても、きっと乗り越えられるように強くなろう。お父さんが光希にかけた言葉はそれだけで、怖がらせたことについてはむしろお父さんが光希に謝ってきたくらいだ。
 どれほど自分に尽くし、一生懸命育ててくれたかと考えると、いつしか光希は本当に父を尊敬していた。
 そして、もう一つ。
 精神治療の現場で子供達を支える大人を見て、そういう誰かのための仕事があるのだと感じていた。
 だから思ったのだ。
 大きくなったら、自分も誰かの支えになる仕事がしたい。
 
 あの時の自分と同じ年頃の子供を笑顔にしたいと
 
 そうだ。
 私にはこんなところで死んでいる暇はない!
 
     ††
 
 さすがに自分は死ぬのだと、そこで覚悟していた南条光希は、しかし生きなくてはならない理由を思い出し、こんな空中であろうと車体のバランスを立て直そうと苦心した。
 死んでられるか。
 決死の思いでハンドルを握り直し、バイクシートから離れかけた身体をもう一度取り付けて、深く跨り重心を駆使する光希は、そうやって車体バランスを直していた。
 晴れるまで数秒かかる爆風で、巻き上がる塵と煙でまだ地上は見えないが、光希は臆せず着地を決め、スピードによって煙から飛び出した。
 
     ††
 
 何メートルという高さから着地して、まるで衝撃を感じなかった。クッション性能の高さに驚いている暇はない。ブラックルーザーを狙う砲撃は耐えることなく、爆発による揺れが何度でも車体を揺らす。
 スピードで通り過ぎた直後の後方が、真横から爆風をぶつけてくる危うい位置が、繰り返しにわたって煙を巻き上げ、飛び散った砂利まであたる。
 いつ直撃するとも知れない中で、しかし目的地だけを見つめる光希の目には、やがて緑の山が迫っていた。急速に距離が縮むにつれ、その緑色が無数の葉によって成されているのが見てえ来る。
 そして、一軒の建物が見えていた。
 山の半分以上は高い位置に、緑の中から屋根が飛び出し、それが洋風建築の贅沢な一軒家であることがわかる。
 森の小路に突入すると、上空から姿が見えないせいか爆撃がやむ。
 すぐにでも辿り着くテェフェルの屋敷は、一般住宅で見かける一軒家より遥かに高い。赤いレンガの塀で敷地を囲い、庭に植木を生やした広い面積も取っている。
 バイクを降りるに、待っていたように戦闘員の数々が、木々の影から飛び出した。
 構ってなどいられない。
 いちいち戦うよりも光希は走り、数メートルある鉄門にジャンプ力だけで取りついて、鉄棒部分を掴んでよじ登り、普通の人間なら躊躇う高さから躊躇なく着地しる。
 きちんと開けて入ることなど考えず、むしろ全力で突進していく光希は、猛進的助走から大胆なキックで扉を蹴破り、体ごと飛び込んだ。
 途端に光希を襲うのはトラップだ。

 ぱかり、
 
 と、両開きのドアであるように床が開閉する落とし穴は、底に落ちれば鉄の鋭い杭に串刺しになって死んでいた。それを光希は本能的な反射神経一つで、落ちかけた身体を地面と水平に、そうして腕を床の縁へ届かせる。辛うじて落ちることなくぶら下がり、即座に自分の身体を持ち上げるまで、たった数秒さえかけていない。
 さらに広間を駆け抜けて、ローズブレスのナビに従うルートを突き進む。
 そんな光希を壁から槍の飛び出すトラップが襲っていた。赤い絨毯でスイッチを隠した廊下は、知らずに踏めばカラクリが作動して、侵入者をたちまち貫く。
 光希がそれをかわせたのは、単純に走っているからだった。
 歩行者を想定した槍は、スイッチを踏んでしまったその場の人間に対するもので、どれだけ素早く貫くところで光希は通り過ぎている。その走りをありていに言うのなら、陸上部員が真っ青になる速さだ。
 もはや槍が光希を狙うというより、光希の爆走した足音代わりに、もう何十本にもわたって壁から壁に飛び出ては刺さっている。
 それが突如だ。
 
 次に飛び出る槍は光希の頭部を正確に狙った。
 
 それさえ、かわす。
 光希が普通の人間に過ぎないなど、そもそも改造人間と比べての話である。一般人からすれば十分すぎるほどに超人で、そんな光希の反射神経なら、ここまで急に狙いが正確になったところで反応可能だ。
 咄嗟に腰を低めることで、ギリギリを通過する槍は、運動で浮き上がった髪のたった数本を切り落としたに過ぎない。
 さらに進行妨害のために飛び出て、光希はスライディングの要領でくぐり抜ける。倒した身体を立て直し、元の速度で走るまでにかかる時間も一秒ほどか。足元を軽く飛び越え、勢いの乗った宙返り運動でくるりと飛び抜け、ことごとく妨害をかわしていく。
 リンボーダンスにも似て背中を反らし、よもや仰向けに寝ようとしている角度にまで身体を傾けてのスライディングで、胴体を貫く高さの槍まで下をくぐり抜けていた。
 数えきれない槍をかわして、光希はさすがに感じていた。さっきまでは歩く人間にしか当たらないのが、走る自分に当たるようになっている。戦闘員が管理室で設定を変更し、トラップを侵入者の速度に合わせたなど、光希には知るべくもないことだが、自分に対応してきたことだけは悟っていた。
 どうあれ光希は止まらない。
 階段を下りるというより飛び降りて、ナビゲートが示す地下だけを目指す。
 しかし、L字路へと差し掛かるとき、横手から急に剣閃が迫っては、危うく斬られかけた光希は咄嗟に飛び退く。戦闘員とは格の違う太刀筋に、実際に姿が見える前から怪人の登場を悟り、ではいかなる怪人なのか、正体を見るに息を呑む。
 
「お前はケンゲキスネーク!」
 
 元高神留美子、共演者だった相手と対峙した。
 それが平和な剣道の試合だったとしても、目の前に立つ者の覇気に心は張り詰め、こうして冷や汗も流すことになるだろう。
 わかりやすい相手なら、向かい合っただけで何十手も先まで読める。わかっているから、初めから振り付けの決まったアクションと同じ気持ちで倒してしまえる。ケンゲキスネークにはそれがない。正面に立たれただけで、死の覚悟でさえもよぎってしまう。
「南条光希! 死ねえい!」
 踏み込みの動作から、まず上から振り下ろしてくると読み、光希は即座に地面を蹴る。その反応速度を表すなら、ケンゲキスネークがぴくりとでも動いた時点で、そう来ると感じて事前に避け始めていた。横へ飛び退き、壁に背中をぶつけることで、身体をバウンドさせるかのごとく、くの字を成す移動で背後を取るつもりでいた。
「!」
 結果的にはそうできたかもしれない。しかし、それは自分が今そこで斬られていたかもしれない戦慄を覚えてのことだった。
 簡単に言えば、避けたはずの剣が光希を追跡してきた。腕がぐにゃりと、骨の代わりにゴムが通って思えるほど、U字にまでカーブして、斬撃が文字通りにUターンしたのだ。
 もしバウンド移動から別の動きに変えなければ、間違いなく当たっていただろう。瞬時に気づいた光希は、慌て混じりに重心を横倒しに、背中と壁の隙間が一センチもないすれすれの側転で難を逃れた。
 そのまま素早く、なるべく距離を取ることを優先して、後ろ走りで後退する。
「変……!」
「イヤァア!」
 構えかけた光希へと、ケンゲキスネークは一瞬にして距離を詰め、斜め斬り上げを放っていた。これもステップによる後退で、さらに足が接地するなり全力で逃げ出した。
 あの剣術は危険だ。腕の可動に幅があり、人間のやる剣術に比べて太刀筋にバリエーションがありすぎる。
 あれはきっと、人間の骨格通りの動きに準じつつ、こう来るだろうと読ませた上で腕をぐにゃぐにゃ変形させる。その技術と駆け引きが上手いので、そういう戦術だとわかっているのに引っ掛かる。本当はどう攻めて来るのか、本命の太刀筋が一切読めない相手といえた。
 生身のパンチがダメージになってくれればまだいいが、過去シャチクモスキートに当てても無意味だった。
 変身以外で勝ち目はない。
 仮面プリンセスにさえなってしまえば可能性はあるものの、モーションコードの入力過程がなければドレスアップシステムは起動しない。変身の隙を作らなければならないが、生身の打撃が通らないのでチャンスを作るのも困難だ。
 なるほど、改造人間なら変身前のピンチもどうにかなる。光希の場合、こんな隠れる場所もない廊下では、逃げて逃げて逃げまわり、命辛々変身にごぎつけるしか手段はない。
 ケンゲキスネークは当然のように追いついて、逃げる光希の背中を斬ろうとする。左右どちらかに退くしかないが、すると腕が曲がっての剣の追尾だ。
 もう何度も死を予感した。
 初めに追いつかれたときは、壁に背をつけたと同時に首を危うく跳ねられかけ、頭の中には自分の首が転がるイメージが濃くよぎった。二度目で腕が、三回目では胴体が、足や腹や心臓も、切り裂かれるイメージが現実にならずに済んでいる。しまいにはどうして自分がまだ生きているのか、冗談でなくわからなくなっていた。
 対怪人を想定してきた隼乃なら、人間でない動きに慣れているだろう。相性の問題か、少なくとも骨格的には人間通りのサターナがマシに思える。
 
「ボルティックリボルバー!」
 
 光希は一枚のカードを差し込んでいた。
 その手に握る銃を向け、狙いがぶれないように冷静に意識して、迫りくるケンゲキスネークに引き金を引く。銃口から飛び出るビームにさしものケンゲキスネークも足を止め、まず一発は腰を低めて回避。二発目を剣で受けると、刀身はぐにゃりと、飴細工のように熱に溶かされ変形して、三発目がようやく胸に直撃した。
 一瞬だけ火花の散った鱗肌の表面には、溶けることで空いた十円玉ほどの穴があり、中から白い煙が漏れている。
 与えたダメージに関心している暇はない。
 さっさと逃げて、今度こそ距離を稼いでのけた光希は、やっとのことでドレスアップシステムの起動に必要なモーションコード入力の構えを取る。
 
「変――」
 
 その時だった。
 最初はかわせた。反応できた。だが、一刻も早く変身して、身体能力を上げることこそ、父親を助けるにも、自分自身を守る点でも最善だと、そちらに意識をやりすぎた。トラップの存在などわかっていたのに、それはとんだケアレスミスといえた。
 
 ――ぱかり。
 
 始めに突入した直後と同じ、床が開閉する仕組みの落とし穴で、光希は床の下へと落ちてしまう。あの鉄杭による串刺しを想像して、さすがに恐怖がよぎったものの、そうはならずに光希は着地を決めていた。
 密室に閉じ込められただけなのは不幸中の幸いか。
 いや……。
 
 どこからともなく、白い煙が噴き出ていた。
 
 逃げ場はないか四方を見るも、この密室にはドアなどない。ただ見れば煙を吹き込むためのパイプ口だけが四隅にあり、それさえ煙の白さに隠れて見えなくなる。みるみるうちに視界が染まり、吸ってはまずいと感じて口を塞ぐも、こんな環境で完全に吸わずに済むはずもない。
 まずい……意識が……。
 くらりとして、光希は自然と膝をついてしまう。
「南条光希。そこで大人しくしていることだ」
 穴の上から、ケンゲキスネークは光希を見下ろしていた。
「おのれぇ……!」
 視界がぼやけ、力も入らなくなっていく。膝立ちからしっかり立とうと、足と身体を持ち上げようとしても、ただ立つだけが重労働のように感じる。
「どうだ! だんだん力が弱くなり、やがて意識を失うのだ!」
「……意識を失うだと? ならば私を生かす狙いはなんだ!」
「お前が目覚めるとき、お前の目の前にいるのは南条辰巳の改造人間だ」
「父さんだと!?」
「お前を殺すのは私ではない。自分の父親に殺してもらえ!」
「馬鹿な! そんな悪趣味を企むのか!」
 ケンゲキスネークの言葉を最後にして、開閉式の天井が閉ざされる。元より飛べる状態ではなかったが、唯一の出口が塞がれて、気持ちが余計に苦しくなる。
 一体どうすればいい。
「このままでは……」
 頭がふらつき、もう煙とぼやけで何も見えなくなっていき、それでも苦心して立ち上がれば、まるで一日足の筋肉を使い続けていたような、立っているだけでの辛さに見回れる。目眩でふらふらと足がよろめき、もう極限を迎える一歩手前だ。
 ボルティックリボルバーで壁を撃って……。
 そう考え、カードを求めて腰に手を、指先で選ぼうとするものの、カード一枚を取ろうとしているだけで指が手こずる。
 これでは、もう……意識が……。
 
 不意に爆発でも起きたかと身構えた。
 
 落ちる直前の意識が一度だけ目覚め、見れば壁が砕かれていた。噴出する煙とは違う、瓦礫から漂う粉塵があたりに舞い、入れ換わるようにして白煙は穴の向こうへ流れていく。
 少しでもまともな空気を吸うことで、目覚めた意識がそのまま回復へ向かっていく。
 やがて光希は見た。
 
「ブラックルーザー!」
 
 漆黒のマシンが外からここまで、いかにして光希のピンチを知ってか来てくれていた。
 思わず歩み寄ろうとして、ふらついて、倒れかけ、そんな光希を支えるために自動的に動くブラックルーザーは、バイクシートで光希の身体を受け止めた。