第8話「BLACK!!変身」part-D



 南条辰巳は目覚めたとき、少しのあいだ前後の記憶が混濁していた。
「……そうだ!」
 ほどなくサターナの顔が蘇り、勢いよく起き上がろうとした辰巳は、身体を捕らえるきつい締め付けに、初めて自分が拘束されていることに気がついた。診察台のようなベッドに寝かされ、幾本かのベルトに縛り付けられた肉体は、ゴムの弾力によって起きようとする動作を阻まれている。
 
『ようこそ。南条辰巳くん』
 
 通信を介した音声だとわかる男の声。それは仰向けである頭の上から、その方向を見ることのできない辰巳は意識だけをそちらにやる。
「誰だ!」
『私こそがテェフェル首領。やがてこの世界を支配させて頂く存在だ』
「へ、何が支配だ。冗談じゃないぜ!」
 そう言ってみせる辰巳だが、あながち冗談とは限らないことを感じていた。テェフェルの規模がどんなもので、各国の機関を相手にどこまでできるか。細かいことなど知らないものの、少なくとも本人達は大きなことを企んでいる。
『君は改造人間の威力を体験した』
「だったらどうした」
『次は君自身が改造人間となり、栄光ある悪のエージェントとして娘を手にかけることになるだろう』
 さすがに冗談としか思えなかった。いくら巨大な組織だろうと、娘の存在を生き甲斐の一つとして生きてきた。その自分が何をどうまかり間違ったら光希を殺すのか。ちっとも想像できやしない。
『娘が君を助けに現れる。その光希を父親が殺す』
「ふざけるな! そうなるくらいなら俺が死ぬ!」
『さすがは娘思いの南条辰巳。その想いに免じ、手術準備の整う数分のあいだ、最後に娘の姿を見せてやろう』
「なんだと!?」
『モニターを見ろ!』
 そう言われ、そんなものはどこにあるのか左右に首を振り回し、辰巳は壁にモニターを見た。その本来の用途は内視鏡カメラで内側を映すためであるなど、辰巳にそんなことを知る機会はない。
「光希!」
 密室の中で、煙に苦しむ姿を見た。
「野郎! 光希ぃ! くそっ、こうしちゃいられるか! 光希! 光希!」
 必死になって画面に叫び、今すぐ助けに行きたい思いでのたうちまわる。ゴムバンドがどれだけ辰巳の暴れぶりを封印しても、ベッドの足がガタガタ揺れて浮いている。ともすれば台が倒れるかもしれなかった。
『ここまでだ。すぐに手術を開始する』
 モニターはライブ映像だった。
 画面の中の光希があれからどうなるか、未来を知らない首領がここで映像を切ったのは偶然に過ぎない。
『始めろ』
 首領の声に応じてぞろぞろと、何人もの白衣の男が入ってくる。
「くっ、殺せ! 俺を殺せ!」
 暴れる辰巳に手がつけられず、手術開始に移れない面々だが、手こずりながら押さえつけ、少しでも抵抗を減らしてやる。
 一人の男が持つ注射器を見たとか、辰巳はいよいよ青ざめた。妙な薬など打たれたら、辰巳が辰巳でいられる時間はこれで最後となる。目覚める頃には辰巳は別の人格となっていて、元父親の手で娘を殺す命令を聞かされる。
「うぉぉぉおおお!」
 辰巳は死に物狂いだった。
 嫌だ、光希を殺したくない。立派に大きく育ったんだ。だけどいくら夢のためとはいえ、海外での仕事で放ったらかしの時間が増えた。だから今は娘を大事にしたい。一番大事な宝なのだ。
 誰が光希を死なせてなるものか。
 注射針が首に近づき、見計らったように一層暴れ、注射器の男は刺したい部位を狙えない。
 だが、こうなると一人が辰巳を殴った。
 それでも暴れているとまた殴られ、頬の内側に血の味が広がった。こんな痛みなど辰巳にはどうでもいい。光希が無事でいることだけが大切だ。
 光希、光希、光希
 暴れ続ける限り、辰巳の抵抗を弱らせようと、今度は腹にもこぶしを落とす。頭を掴んで打ち付ける。やっとのことで完全に動きを封じるにも、数人がかりで押さえつけていなければ足りなかった。
 注射針の先端が、首にちくりとした痛みを与える。
 こうなったら
 
 辰巳は舌を噛み締めた。
 
 自分が光希を殺すなど、それだけはあってはならない。
 頼む、シルバーX、光希を助けてくれ。俺はここで死ぬ。その方がマシだ。光希さえ無事なら俺の命なんてどうでもいい!
「こいつ。舌を噛みきるつもりだ」
 歯が強く圧迫して、だんだんと食い込んでいた。表面の皮が破れて、内側の神経に歯が触れて、喉が塞がるほどに血が溢れる。
 これでいい。
 このまま噛みきれば、怪人となった父親と戦うよりはマシだろう。
「愚かな。死んだら死んだで、新鮮な死体を改造できる」
 なんだと、ふざけるな。
 それでは打つ手が……。
 決死の思いが途端に緩み、辰巳は絶望的な顔で舌を噛むことをやめていた。よもや自殺こそ希望と見ていた辰巳には、それさえ無意味であるなど辛すぎた。
 冗談じゃない。
 冗談じゃ……光希……光希……!
 今度こそ、注射針のちくりとした痛みが、辰巳の皮膚を通過して――。
 
「父さん! 私なら無事だ!」
 
 全員の手がぴたりと止まり、辰巳も首を持ち上げた。自動ドアのように両開きの、その分厚い鉄板の門の向こうから、間違いなく光希の声が聞こえてきた。
 いや、まさか。
 しかし、自分が光希の声を聞き間違えるなんてことはない。ならどうやって無事だったのか。どうしてここがわかったのか。そんな細かいことなどはどうだっていい。
 光希が無事でそこにいる!
 
 ゆっくりと、ドアが左右へ開いていき、そこには一人の影が立っていた。
 
 逆光でシルエットにしか見えない長身は、どこか悠然とした足取りで、ゆったりと床を踏み締める。誰もが沈黙する中で、靴の軋んだような足音はよく響き、一歩部屋に踏み入るごとに姿がはっきり見えてきた。
 高い革靴。足の長さが際立つ青いジーパン。白いジャケットに指貫グローブ。それらを着こなす凛々しい顔立ちの女とは、やはり辰巳がよく知る長身少女に他ならない。
 
「トゥア!」
 
 飛んだ。
 高いジャンプ力で弧を描き、空中で拳を引いた腰の回転を交えたフォームで、光希は白衣の一人を殴り飛ばす。移動による勢いと落下速と、あらゆる威力を帯びたパンチは男を一メートルもぶっ飛ばし、背中が地面に擦れたまま起き上がることはなくなった。
 残る白衣も次々と、中にはメスを凶器に襲い掛かるが、振り向きざまの回し蹴りで光希は背後を蹴り飛ばす。横合いから来るメスの一閃にはチョップを絡め、相手の腕を停止させた直後に利き腕でのパンチを白衣の顔に埋めている。敵のパンチを身体のターンでかわし、背後にまわるついでに裏拳で後頭部を叩きのめした。
 たった五秒後には全員がその場に倒れ、あとは辰巳の拘束を解くだけだった。
「父さん!」
 飛びつく勢いで、辰巳のベッドまで来た光希は、ゴムバンドを素早く外す。実の娘にこんな風に救われて、嬉しいやら驚きやら、本当に何を言っていいのかわからない。ただきっと、父親がいなくても、光希は日本で一人強くなり、ここまで来てくれたのだ。
「……光希。さすが俺の子だ」
 辰巳に思いつく言葉はそれだけだった。
 娘を抱き締め、温もりを感じ取り、こうして無事でいてくれた喜びと感激に辰巳は浸る。
「父さん。私はテェフェルと戦いに来た」
 見れば瞳に炎があった。
 辰巳はその眼差しがどんなものかを知っている。人がどんな感情に燃え、どういう思いの時になるのかよくわかる。それは専ら演技の世界で、演じる中で生み出してきたが、演技が入り込む余地などないこの状況で、この場所で、光希は本物の鋭い眼差しになっているのだ。
 こんな娘を見てしまっては、もう仕方がない。
 だいたい、我が子が少しでも強くなるように、辛いことがあっても挫ないようにと願いを込め、育て上げたのはどこの誰か。辰巳の目の前に立っているのは、望み通りに――いや、それ以上に育ってくれた自慢の娘だ。
「そうだな。今ならお前の気持ちがわかる。こんな奴ら放っておけない」
「テェフェルのために泣いた子供を見た。その子が助けを求める姿を見てから、ずっと……」
「ああ、それでいい。光希。こんな時だが、いや、こんな時だからこそ知って欲しい。お前の名前は母さんと一緒に考えたものなんだ」
 どうやって考えた名前か。どうして付けたものなのか。本人にはまだ一度も話していない。しかし、光希が妻の腹の中にいた頃から、生まれてくるのが男の子でも女の子でも、そう名付けようと決めていた。
「光希。お前の名前は……」
 今こそ、打ち明ける時だ。
 教えるつもりはなかった。必要ないと思っていたが、きっと今の光希には、教えてやる方が支えとなり、力となるに違いない。
 だから、言おう。
 その名前は……。
 
『南条光希』
 
 娘の名を呼ぶ首領の声に、二人して壁に飾られたエンブレムを見上げた。西洋の古典的な悪魔を模した金細工のシルエットは、両目の部分に赤い宝石が埋め込まれており、その喋るリズムに乗せて両目の光が点滅している。
『よくもここまで来てくれた』
「テェフェル首領! お前の思い通りにはならん!」
 光希は力強くい首領を指し、本当に男女の区別がつかない太めの声で、勇ましく対峙していた。
『諸君らはここで二人とも死ぬ。怪人となった父親に娘を殺させる、華麗なる処刑の計画が実現しなかったのは残念だが、シルバーX抜きで怪人をどうにかできる貴様ではあるまい』
 その時だった。
 エンブレムのあるすぐ真下。その壁が突然の破裂じみて吹き飛んで、散らばる瓦礫に辰巳と光希は反射的に一歩引き、両腕で顔面を守っていた。
 舞い上がった煙の奥には一人の影。
 それがこちらへ近づくにつれ、それに煙が晴れるにつれて姿が見えた。
 
「ケンゲキスネーク!」
 
 高らかに剣を構え、ヘビ怪人が改めて名乗りを上げた。
『光希。辰巳。この元高神留美子をどうするか。とくと拝見させて頂こう』
「無駄だ!」
 光希は即座に言った。
「そうだ。この胸が欠片も傷まないことはないだろう。しかし、数多くの子供達をこれから不幸にするかもしれない。そんな怪人を放っておく私ではない!」
 きっと、辰巳が一番迷っていた。
 霧雨の撮影当時は辰巳も現場に顔を出し、だから光希と留美子の仲は知っていた。留美子の方が先輩だろうに、しかし当の留美子の正確から、年上が年下に懐くがために、上下関係というより気楽な友達の方が近い関係になってしまった。
 その相手と、光希は戦えるのだろうか。
 けれど、こちらが戦うのを拒んでも、向こうはこれから襲ってくる。
 心配で、心配で、だが光希の瞳に宿った炎が揺らぐことはなかったのだ。
 
「ケンゲキスネークは私が倒す! この手で葬る!」
 
 そうだ!
 今こそ伝えよう!
 
     ††
 
 その父親の声は、南条光希の胸を強く打ち鳴らすものだった。
 光希を鼓舞して、より一層のこと燃え上がらせ、何かを守りたい想いを増幅させる。光希の胸で激しく渦巻く闘争本能は、ヒーローショーで見て来た子供達の笑顔、霧雨映画で満足してくれた人々の存在――これからも多くの人に自分のアクションを届けたい想いで出来ていた。
 誰もが安心してエンタメを享受できる。
 この今の平和を守りたい。
 
「子供達の夢を守り、希望の光を照らし続ける! それがお前の名前だ!」
 
 光希は静かに頷いた。
 父の言葉を握り締め、呼吸を整え始める光希の精神は、戦闘に備えてあまりにも瞬時に、まるでスイッチのように切り替えが完了していた。
 ローズブレスにおける装着者の動作を読み込む機能。
 光希は上半身を右捻りに、両の拳を強く強く握り締めた。肩から顔の高さにある拳は、自らの爪が食い込むほどの握力で、指貫グローブの生地がみしみしと音を鳴らす。ただでさえ切り替えの済んだ精神が、急速に集中力を膨らませ、ある瞬間から光希は視線を上げていた。
 どれほどの人間が光希の動きを目で追えるか。改造人間などでなくとも、達人の行う抜刀術は、刀身が鞘の中からワープさえしてみえる。
 それほどの速さで動く右腕は、次の瞬間には天に向かって高らかに伸びていた。
 実際には拳の状態からチョップのように振り下ろし、右上から左下へ、鋭く風を切り裂いてから、バウンドのように浮かせて真上に伸ばしたなど、まともな動体視力ではわからない。左腕もいつの間にか、左の腰横に据えてあり、ここに一般的な人間が立っていたなら、いつからポーズが変化したのか頭に疑問符を浮かべただろう。
 その右手はくるりと、平が左を向くようにと返す。
 ゆっくりと、より深い無の境地へと達するため――。
 
「――変ッ身……!」
 
 ……すーっと下す。
 そのまま右腕は水平に、左側へ引いてから、上半身を捻った反動で右へ切る。その右腕による横一閃を左腕が追いかけて、真っ直ぐに伸ばしてしまう。伸びきった左腕を左肩の位置まで戻し、ぎゅっと握り締める瞬間がフィニッシュだ。
 変身エネルギーが身体に循環して、今までにないパワーに溢れてくるのが体感できた。細胞の一つ一つまで、実に細やかな部分までもが元気になり、自分の腕力が、脚力が、どれほど上昇しているのかが感覚でわかる。
 元の衣服は分子レベルで分解され、入れ替わるようにして強化衣装が肌を覆う。
 その漆黒の戦士の名は――。
 
「――仮面プリンセス! ローズ……ブラァック!」
 
 今や光希は存在するが存在しない。それほどまでに己を切り替え、演技でも着ぐるみでもない本物の戦士として、戦うためにここにいる。
 そう、ローズブラックなのだ。
 
「この私の父を攫い、改造しようと目論んだケンゲキスネーク! その肉体をテェフェルから取り戻し、亡き留美子さんの元へと返してやる!」
 
 ローズブラックは飛ぶ。
 どの程度の力で、どれほど飛べるか。自然と理解していたローズブラックは、ジャンプによる弧を成して、空中からのパンチで飛び掛かる。
 ケンゲキスネークはその剣を投げた。
 銀色の円盤が飛んで見えるほどの回転を帯び、それを正面から浴びたローズブラックは、迎撃されるに地面に落ちる。落下で胸をぶつけるも、まるで痛みを感じない。剣をもろに浴びたのさえ、確かに直前に背を知らし、柄の部分が当たるように調整したが、怪人のパワーで投げた物が小石ぐらいの痛みにしかならなかった。
 その剣はローズブラックのボディから反射して、ブーメランのごとくケンゲキスネークの手の平へと戻っている。
「スネェェェイク!」
 今度はケンゲキスネークが飛び掛かり、ローズブラックは横へ飛び退く。今まで辰巳の横たわっていた台が真っ二つとなり、続けざまに迫る剣閃が、細やかな手数となってローズブラックを襲った。
 人間通りの骨格に準じながら、ところどころに変形が交じり、腕というより先端に剣を結び付けた鞭が振り回されているようになる。ある時はU字へと、またある時は螺旋となり、世界でもケンゲキスネークだけが操る固有剣術への対応に苦心した。
 しかし、生身で応じるより遥かに楽だ。
 眼球にも変身エネルギーは及んでおり、動体視力が恐ろしく上がっている。実は視認できていなかった剣の軌道がよく見える。指先の細かい挙動もより正確に目に飛び込み、あらゆる武術に慣れ親しんだローズブラックの脳は、ほとんど無意識のうちに対応を計算した。
「トゥオ!」
 斬撃の嵐の隙間をくぐり、タイミングを見計らって踏み込むローズブラックは、チョップで肩を叩いていた。
 無論、下手に接触したところで、まるで触れたと同時のように反撃される。ならば自分も触れたと同時に逃げていき、剣閃から素早く飛び退き、切っ先が背中のすれすれを通過したのを空気の動きで感じ取る。
「トゥア!」
 そして、次のパンチは手首を打った。
「トォウ!」
 また肩を、また手首を、逃げの立ち回りで隙を見出し、飛び込むチャンスを見ては一撃ずつ与えていく。
 確かに世界中のどこにも存在しない剣術だ。怪人故の関節構造がポイントであり、真似できる人間はどこにもいない。
 だが、ケンゲキスネークの強さは元々の肉体から来たものだ。
 だとするなら、いくら固有剣術への進化を遂げていても、今現在の領域に辿り着く前までの形は実在の剣術だった。しかも共演の関係から、振り付けを決めてのアクションとはいえ、留美子の剣術を一応過去体験している。
 今のケンゲキスネークを作り出す基盤がわかればこそ、ローズブラックになったおかげで太刀筋が読めてきた。
 ここでパンチ――すると、ケンゲキスネークはこちらが行う攻撃で攻撃を弾く方法を読んでおり、ぐにゃりと変形するだろう。障害物を迂回しての形で、変則的な剣の軌道で、あくまでローズブラックを斬りつけようとしてくるはず。
 相手の腕も、視線も、視界に入る限り全ての情報を元にして、ちょっとした瞳の動きや皮膚のゆらぎに反応して、腕がどのように変形するかを読んでしまう。変形したあとの動きに合わせて、左手を突き出すローズブラックは、ものの見事に手首を捕らえてチョップを決める。
 しかし、ケンゲキスネークもまたローズブラックを読み始めた。
 計画的に隙間を作り、チャンスで誘い、次に肩を打とうとしたとき、思わぬ斬撃がローズブラックの腹部を切り裂いた――飛び退いたため、致命傷はどうにか避ける。逆に怪我を利用してチャンスと見せかけ、さも動きが低下したように見せて誘い、肘に拳をかましてみせた。
 ローズブラックの肩口から鮮血が吹き上がり、赤い飛沫が天井まで届いてしまう。ケンゲキスネークの指がチョップのために一本折れ、剣を握る握力が低下する。
 また血が飛び、みしりと拳の埋まる音が鳴り、ローズブラックが飛び退くことで、壁が刃に抉り抜かれる。
 拮抗して見える戦いは、徐々にローズブラックの優勢となり、ケンゲキスネークが打撃を浴びる方が増えていく。ついにはローズブラックの怪我が増えることはなくなって、もやは蛇ならではの剣術を完全に見切っていた。
「トォウ!」
 二連上段回し蹴りは、軽やかな身体の旋転により、ワンテンポのうちに一撃目が剣の手首を打ち飛ばし、二撃目でがら空きとなった瞬間の顎を蹴り抜く。その威力で首の角度が、すなわち視界がコントロールされ、ケンゲキスネークが次に正面を見る頃には、もうそこにローズブラックの姿はない。
「トオ!」
 背後を取ったローズブラックは、背中目掛けた正拳突きを叩き込み、ケンゲキスネークはよろめくように一歩進む。その前進を追う踏み込みでまたパンチ。ケンゲキスネークはまた前によろめいて、パンチで障害物を押しながら歩いているかの流れとなる。
 それが何秒も続くはずはなく、ケンゲキスネークはローズブラックのテンポを読み、ここぞとばかりに振り向いては、パンチに対して自分の腕を絡み付けた。
 螺旋となって這いずる腕は、実際の蛇が獲物を捕らえた光景そのもの。実在の種類であれば獲物を体内に飲み込むが、ケンゲキスネークの腕にあるのは剣であり、ならば獲物は切り殺すことになる。
 そして、ケンゲキスネークはパワーが高い。力を重視したエックスブレスの変身に比べ、すると技とスピードのローズブレスでは、こうしてパワーで拘束される状態に弱い。まして変身前の肉体は普通の人間。これではひとたまりもないはずだった。
 しかし、ローズブラックは欠片も焦りを見せていない。
 それどころか、計画的に作り出した流れの一部に過ぎないと、余裕さえ持っているのだ。
「トォォォウ!」
 ローズブラックは飛んだ。
 空いた左手でケンゲキスネークの肩を掴み、高い脚力で舞い上がり、まるで一緒のタイミングで仲良く飛び上がってみたように、二つの肉体が同時に宙へと上昇する。
 
「ブラック返し!」
 
 ローズブラックは投げ技をかけ、上から下へと、ほとんど真下の方向へと投げ飛ばし、ケンゲキスネークの背中を地面に叩きつけていた。
 何故、強靭な腕力による巻き付けを簡単にはずせたのか。
 ローズブラックは意識的に肩、肘、手首を打ち続け、ケンゲキスネークの利き腕を順調に弱らせていた。どの程度弱り、腕力が低下しているのか。それは打ち合う際の接触で、皮膚感覚を頼りに読み取って、いけると踏んだところで巻き付かれても構わない動きを見せた。
 ケンゲキスネークはもうはまってしまっているのだ。
 ローズブラックが頭の中に思い描き、敵を倒すという目的で仕上げたアクション構成に、その戦いの振り付けに全ての動きを当て嵌められ、どんな一挙手一投足さえ既に想定している動きに過ぎない。
 あとはもう、立ち回り自体は仕事と同じだ。撮影やヒーローショーなら、実際には当てずに寸止めなどで済ませるパンチを本当に当て、普通なら使わない危険な技もかけていく。爪先を喉に入れ、目潰しといったラフプレーな手まで使うのは、これが子供に見せるための明るいエンタメアクションなどではないからだ。
 そのうちに剣を奪い、丸腰のケンゲキスネークに何度も斬りつる。硬い鱗が刃を阻むが、浅いながらも切り込みが増えていき、少しずつ血にまみれる。神経の集まる脇下が、アキレス腱に膝の裏が、身体可動に関わる部位ばかりが傷んでいき、もう全力で戦うことさえケンゲキスネークには不可能だ。
 だが、ローズブラックは敵の全能力を知っていたわけではない。知らない以上、そんな展開はローズブラックの頭の中には存在などしなかった。
 
「私の最後の能力を見ろ! スネェェェイク!」
 
 ケンゲキスネークは突如として、気をつけの姿勢を取るなり身体の形状を変化させ、みるみるうちに大蛇へと近づいた。
 細胞の溶け合う癒着のように、両腕が胴体へと、両足も繋がり合い、しだいしだいに一つとなる。それは溶かした個体を無理にでもくっつけて、一つにしてからもう一度固めるかのような光景だった。
 そんな肉体変化に伴い、身長までにょきにょきと、植物の成長を早送りしたらそう見えるであろう速度で三メートルをも超えていく。太さでいえばちょうど人間の胴体ほど、しかし長さはそれほどに至る一匹の大蛇がそこにはいた。
 凶悪な大蛇が獲物を睨む。
 もし自分がカエル程度の存在なら、本当に睨まれただけで動けないところだろう。
 
「トォォウ!」
 
 ローズブラックは飛んだ。
 変身エネルギーを右足に集約させ、神経が沸騰するほどの熱量を足首から爪先にかけて感じながら、トドメのキックを解き放つ。
 
「ブラックローズ! キィーック!」
 
 だが、大蛇が顔を振り回し、顎ではたいただけのことで、ローズブラックのキックは打ち消され、あえなく壁に打ち付けられる。
 すかさず大蛇は迫った。
 自然界にいる蛇の動きの通りに這い、高速で獲物を囲むと、瞬く間にローズブラックの全身を締め上げる。
「ぐおぉぉっ!」
 自分が一瞬で圧死する予感に見舞われた。太さの分だけ筋肉を詰め込んだ、トラックだろうと握り潰すに違いないパワーは、それだけでローズブラックの全身に負荷を与える。変身エネルギー循環のおかげで耐えきる肋骨が、あと何秒後にポキリといって、肺や心臓を皮ごと潰すかわからない。
 既に締められた分だけ血をはじめとした体液が移動して、頭と足首にそれが集合していた。圧死の危機という理由で赤面して、眼球にも血が集まる。唇から胃液が漏れ、肺の圧迫で悲鳴さえも出せやしない。
 身じろぎしても脱出できない。頭突きをしても緩まない。
 どうする……このままでは……。
 いや、まだ手はある!
 声を振り絞れ、どうにか叫べ、圧迫を押し返し、決死の思いで息を吸い、ローズブラックが叫ぶのはマシンの名だ。
 
「ブラックルーザー!」
 
 まるで既に向こう側で待機していたように、呼ばれたと同時に壁を粉砕して突き破る。黒いマシンの影が駆けつけて、通りすがるような体当たりで大蛇を貫く。自動操縦によって、運転手などいないのにハンドルが操作され、車体を傾けての方向転換――アクセルターンと呼ばれるテクニックを披露した。
 ブラックルーザーは連続で、執拗なまでに体当たりを繰り返した。
 外側の大蛇だけを上手く轢き、囚われのローズブラックには衝撃を与えない。絶妙な角度で表面を少しずつ削るかのようにして、コツを掴むにつれ肉まで削る深さの体当たりで、ありとあらゆる角度からぶつかった。
 最初の一発や二発ではビクともしなかった。
 五回目、六回目と数を重ねていくにつれ、しだいにローズブラックは楽になり、もう少しだけ緩む隙を伺う。
「無駄だ! 喰ってやる!」
 大蛇は大きく口を開いた。頭から飲み込むつもりだ。
 ――まずい。
 だが、あと一歩で捕食されようというところで、十分なまでに締め付けが緩みきり、ローズブラックはジャンプ力で一瞬にして消え去った。
 
「トォォウ!」
 
 空中で身体をくるりと返し、着地先へと控えるブラックルーザーは、そのバイクシートでローズブラックの両足を受け止める。
 そして、パワーを右手と右足に集中させた。
 途端に手足が熱くなり、まるで神経に高圧電流が流れているような、裂けんばかりの激しい痺れに満ちていく。それが滲み出るようにして、熱の放射が黒い炎の形で可視化され、火の粉が舞い散る代わりに黒い薔薇の花びらが待っていた。
 バイクシートを蹴って飛び掛り、右腕のパンチをぶつける。
 
「ブラックローズ! パァーンチ!」
 
 その瞬間、自分の腕から大蛇へと、エネルギーが流れていくのが感じ取れた。注射器で注入していくように、拳を触れた接点から一瞬で、肘から指先を満たしていた激しい痺れが相手の身体へと移っていく。
 大蛇は面白いほどに吹き飛び、巨大な全身を壁にぶつけた。
 そして、また飛ぶ。
 
「ブラックローズ! キィィック!」
 
 再び放つキックはやはり、その右足に黒い薔薇の炎を宿していた。
 足裏が大蛇に触れる一瞬で、全エネルギーが流れ移って、それが怪物の全身を駆け巡ることで細胞を焼き払う。筋肉繊維や神経の数々を断裂させ、いたる部位にひび割れを作って血を吹かせる。
 最後の力であと一回だけでも襲いかかろうと、辛うじて身を起こす大蛇であるが、叶わずして横倒れに身を沈める。
 死にゆく大蛇は溶けていた。
 まるで本当はゼリーか何かで作ったものを身に纏い、それがドロリと溶けて広がり蒸発していくことで、初めて中に隠れた人間の正体がわかったように、高神留美子の姿が少しずつ見えていた。
「留美子さん……!」
 考えてもみれば、言葉や情報でしか知らなかったケンゲキスネークの正体。いくら決意を固めたつもりでも、初めて留美子の姿をまともに見て、彼女をこの手で倒したのだという事実にローズブラックの心は揺れていた。
 私が、私がやった。
 だが、それは自分で決めたことではないか。
 どこか動揺する自分と、ショックを受ける自分を自ら諫める心が、ローズブラックの胸の中では激しく攻め合う。
「……うっ」
 まだ息がある。
 姿だけが戻っても、あくまで怪人かもしれない存在へと、ローズブラックはそれでも駆け寄り抱き起す。たとえ高神留美子は存在せずとも、その肉体は留美子のものだ。留美子の肉体が死ぬのなら、それを看取ることができるのは自分しかいない。
「みつき……ちゃ……」
 もう力など入らない手で、震えた指先で、留美子はそっとローズブラックの頬に触れ、その瞳から涙をこぼす。
「……留美子さん!」
「テェフェルを……たお……して…………」
 それが最後の言葉だった。
「当然だ! 私に任せろ!」
 ローズブラックは――光希は本当に慌てて大急ぎで、しかし大きな決意も込めて、留美子に自分の言葉を聞いてもらうため、即座に答えて見せていた。
 留美子の肉体は皮膚の表面から一層ずつ、順にドロリと溶けては流れ落ち、床に広がる体液の円は蒸発で消えていく。そうやって皮膚の内側にあった筋肉繊維が露出して、その筋肉や神経の数々まで液化して流れていき、血管までそうなることで血も流れる。
 脳も、目玉も、肺や心臓にかけても、液体として流れて消えていく。
 光希の手の平に残った最後の一滴さえ、蒸発によって天へ上った。
 
     ††
 
 ケンゲキスネークは倒した。
 しかし、それはかつての友を天に送ったということでもある。
 その十字架を背負う南条光希は、新たな仮面プリンセスとなり、必ずやテェフェルを滅ぼすと誓うのだった。